太平記part.51
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>>551
今ヒストリーチャンネルで放送している「まんか日本史」も足利尊氏の絵はそれ 足利一門の多くが直義派だったのに対し、
尊氏派だったのは佐々木、仁木、赤松の一族くらいだからね
中でも佐々木判官は終始、尊氏派 >>554
追い詰められないとやる気を出さない人って今でもいるぞw >>557
晩年の働きぶりは明らかに義詮のためだと思う >>540 >>552
天下人になる人物には、人を惹きつける魅力、カリスマ性、オーラがある
逆にそれを裏付ける人望、軍事力、政治力、頭のキレがないとなれない
ゆえに戦下手、周りから怒りを買う御舎弟殿には、時代を読み取る力がある
佐々木道誉は着いていかないし、支持しない ヤクザと同じで舐められたら終わりの武士の世界で戦下手のレッテルは辛い
石田三成なんかもそうだけど 津川家康「そもそも石田治部少には人望がなかった。よって関ヶ原で心寄せる大名は皆ワシについた(七本槍含め)」 >>528
このセリフは師直辺りがいっても全く響かないからなぁw >>554
あの時代いきなり遁世する奴がそこそこ居るみたいだし
尊氏さんもご隠居様のつもりだったんじゃないですかね 尊氏も最終的には直義か義詮かを選択しなきゃならなかった中で義詮を
選んだだけだろう >>563
また金物の帝とか木彫りの帝とか言い出したよこいつ‥‥って扱いだろうなw >>554
それ以前に観応の擾乱がなかったら南北朝の内乱はあと数年程度で片付いていたはず >>567
座ったままボソッと言う感じが頭に浮かぶw >>563
ドラマでは人情味のないしたたかな野心家って描かれ方だからなぁ笑
柄本明は本当ハマり役だよ
しかしずっと尊氏と言われていたあの肖像画が師直だって言われても、ワイルド過ぎてイメージ湧かないぞ >>525
右馬助も時期によって行動がやや違う
初期は高氏が日野俊基と接触するのを咎めていた。足利のお家大事という感じ
その後は自分の親の仇である北条を滅ぼすために諜報活動に専念。自分の復讐が先に立っているようにも見えた。
現在は尊氏に宮方からの離反を促している >>571
あの肖像画が高一族って言われだしたのは鞍に輪違の紋があるのが理由だよね。
なので考えました。あれは新田に一度敗れて敗走中を絵にしたものだから、
逃げる途中で尊氏の馬が倒れ、師直が自分の馬を差し出した。
これならあの肖像画は尊氏という説がこれからも成立する。 逃げるみっともない姿が朝敵尊氏だという事にしたかったというのもあるんじゃないかな
等持院の木像はもっとノーブルな雰囲気だよね
伝頼朝像が直義ならば尊氏はさらに威厳ある姿の肖像があってもおかしくない >>573
騎馬武者の頭上に義詮の花押がある時点で尊氏じゃないでしょ いつでもマイナス思考の尊氏になんで家臣や武士たちはついてくるのかな と考えたけど 尊氏がトップにいるだけで武士たちが戦闘意欲をだせるのかなと
巨人の監督が原さんだと優勝できるように 尊氏がいるだけで勝ちを疑わなくなるんだろうなと 高橋由伸ではダメなんだよ 肖像画、ここ最近で再び尊氏説を出してる人がいるのな。
義詮と花押は他の尊氏像にも付いてるのがあるらしい。
家紋は江戸時代の修復時に後補されたものとか。
それがなぜ輪違紋かはわからないみたいだが。 >>556
土岐も終始尊氏派
赤松、京極、土岐は義満期まで将軍派 >>582
この再放送を見ていて、今の自分との落差に絶望して、とかじゃなければいいんだけど 出家ポーズもまったく効果なしの尊氏さん
やはり天下の仕置きを任せてはいけない人 尊氏が馬上から采配を持ち叫ぶ
「南無八幡大菩薩…!われらに御加護を!」
このシーン最高 さすが噂にたがわぬ名作大河 >>586
いや、尊氏一人がいないせいでまーた惨敗ということだろ?
「尊氏じゃなきゃ」とあらためて分かったということだと思うが 中先代の乱も 建武の乱も 戦下手の直義が指揮官だど惨敗街道まっしぐらで、
結局は、戦の天才 尊氏が出馬して劣勢を挽回していく様が天下人ゆえん
護良親王も「武家を束ねる器量がある」と言っていたが、この時代 唯一無二のカリスマ >>573>>583
神護寺の尊氏・義詮像と等持院の尊氏・義詮木像が似てるんだなこれが >>577
義詮「桃井暗殺に失敗して殴られて唾飛ばされた。そんな父上の頭の上に花押いれちゃえ」 今まで尊氏と直義が対立する場合直義の方が正論の時が多いな
直義の方が大局を見る目があり決断力があるのかね 足利尊氏勝敗一覧
− 久我畷の戦い(千種忠顕 赤松円心 ※足利軍傍観)
〇 六波羅探題攻撃(北条仲時)
〇 佐夜の中山の戦い(名越式部大輔)
〇 江尻(北条時行軍)
〇 高橋(北条時行軍)
〇 箱根(北条時行軍)
〇 相模川(北条時行軍)
〇 片瀬(北条時行軍)
〇 腰越(北条時行軍)
〇 十間坂(北条時行軍)
〇 箱根竹之下の戦い(新田義貞 脇屋義助)
△ 大渡の戦い(新田義貞)
〇 山崎の戦い(脇屋義助 文観)
● 三井寺合戦(北畠顕家 新田義貞)
● 東山合戦(新田義貞)
△ 四条河原の戦い(北畠顕家)
● 二条河原の戦い(一月二七日)(新田義貞 楠木正成)
● 二条河原の戦い(一月二八日)(新田義貞 北畠顕家 楠木正成)
○ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
● 豊島河原の戦い(新田義貞)
● 西宮の戦い(新田義貞)
取り合えず西国落ちまで >>594
続きをやるのはそちしかおるまい、名和! 石もこれで出番終了か。こんな感じで終わるんなら、何の為にここまで引っ張ったんだと思ってしまう。 あれだけやったならラストに尊氏と道誉の前で能を舞うくらいやって欲しかったな >>595
これで一部だもんね、まさに征夷大将軍に相応しい 仕事人のop思い出した。この頃都で流行るものってくだり >>599
だってそのOPの元ネタは二条河原の落書だし 尊氏をヨイショしてる奴らキモいなw
尊氏が有能なら、南北朝に分裂することもなかったし、兄弟喧嘩が観応の擾乱として全国規模の大乱になることもなかったのに 後醍醐の認定待ちでは?
勝手に出家すると所領没収などの重い罰が与えられるから事後承認貰って千寿王に家督を譲り直義を惣領代行にするつもりだったかも
泰氏が勝手に出家して頼氏が家督継いだ先例もあるから押し切れば行けたはず >>603
千寿王で登子が北条政子みたいになるんじゃないか >>594
ご舎弟殿バージョンもつくれますか?
あと義貞も >>602
ドラマ上の尊氏は
とにかく動きが遅い、煮え切らないって感じだもんな でも勝ち馬に乗るとしたら結果的に尊氏になるんだなあ >>602
別にヨイショするとかそういう問題ではない気がするが? 政子みたいにはいかないだろう。あの頃は義時が健在、自身も従二位という官位も持っていた。それに比べ登子は実家が朝敵で後ろ楯がない。湊川の後は師直にすり寄ってたね >>608
佐々木判官、思うところあり。寝返り御免! >>591
桃井暗殺に失敗した義詮を尊氏が叱責、はドラマ「太平記」の創作では? 結局 石を殺したのは足利の者だったのか?そうでなかったのか?解らずじまい。
結局 駒を助けたのは明智のパパなのか?そうでないか
解らずじまいに...? 直義は尊氏に勝ったのに周囲からシンパが離れていったのが全てだった
直義を支持した武士達の利益になるような政治は無理だった
南朝との講和交渉でも原則論でもたついてる間になりふり構わない尊氏に巻き返しを許してしまった
知性と理性が行動を規制するタイプだったのかもしれない >>606
足利直義の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞) >>594で豊島河原の戦いを尊氏の戦績に入れていたが、
よく読んだら尊氏は心が折れてサボタージュしていたので、
性格には直義軍16万対宮方10万(新田、北畠、楠木)だった >>590
あの3人の肖像画を見ると、確かにイメージと合うなと思う。
尊氏は何か頼み事聞いてくれそうな感じだし、直義だと門前払いされそう >>579
ホークスに完敗…
ここ20年近くずっとホークスの天下じゃ… >>620
負けを負けとしない、思わせないのも政治家武将の面目躍如たるところ。 >>615
そりゃ勝って上杉への仕打ちとか、あれじゃな…呆れてしまうわ
結局、これから何度尊氏に勝っても先が見えてるもん 尊氏も連戦連勝でもないんやね
しかし、箱根、九州、湊川と流れを変える絶対必勝のとこを勝つのが天賦の才能か 尊氏と直義兄弟は長男次男ではなく長男が亡くなるまで(尊氏13歳、直義12歳)次男と三男で育ってる(だんご3兄弟)
勝敗見るとプロ野球で例えるなら尊氏軍は今のソフバンで直義軍は今の巨人だなソフバンに勝てる感じゼロ
天皇に弓引いても尊氏に付いてった武士が多かったのも公家に不満があるだけでなく
尊氏の強さに惹かれたのもあるのではないか判官どのもそうだろう 直義は護良親王と組んで幕府再建したたあとに尊氏と対立して追い落とすのが長い目で見たら良かったのかもしれないな そういえば ドラマはいまのところ後醍醐天皇の天下だけど 鎌倉幕府がたてた北朝はどうなったんだろうと ふと 北朝といっても北朝鮮のことじゃないよ
肖像画の詳細が口頭で伝わるのはせいぜい3世代60年まで
大事なものはしまってそのまま訳が分からなくなるのに200年
さらにその間に勘違いやら嘘をついたりする世代が絶対にでてくるからな
例えしまってある箱に記録を書いておいても
ほんとはこうじゃね?って書き直す奴とかw 例の騎馬武者像も江戸時代に修正されて家紋が足されたからね。
海外でもキリスト画の修正が何年か前に話題になったけど、ネットがなかったらそのまま後世に残されたのかなw 今はまだ両統迭立が続いていて大覚寺統の後醍醐が天皇位にいるってだけだろ、皇太子も決めてないし。湊川の後に後醍醐が吉野に脱走してから正式に南北朝に分かれる。
湊川で破れて尊氏と和睦した際に三種の神器を渡して退位させられ、持明院統の光厳上皇の弟を光明天皇として即位させる。
しかし吉野に脱出、あの神器は偽物だよーん、朕はまだ天皇だよーんと宣言し吉野朝を建てる。 後醍醐が返り咲いたときに光厳帝のことちらっと説明無かったっけ
後醍醐の治世が続いてたら持明院統が皇位につくことは二度と無かったんだろうな >>616
負け戦のオンパレードw
46まで生きていることが不思議 伝令 大杉漣さん 徳島の監督が浦和に取られました。
昇格する前に降格決まりました... マニアックな人がいるねw大杉漣は徳島出身でヴォルティスのファンだったんだよ >>636
徳島はお通夜だよ。優勝争い、J1昇格争いの佳境なのに。大杉漣さんは、こんな仕打ちをされるチームでも熱く静かに応援し続けていた。 >>616
ひどい成績だね。これほどひどいとは思わなかった。
よい軍師はいなかったのかな。 「師直、白湯をもてい」
子供心にめっちゃカッコ良かった
最近見直したら、思っていたより落ち着いた言い回し
子供が見ても大人が見ても惚れるわ そりゃ判官殿も御舎弟殿の命令なんて聞きたくないわ
島津義弘だって石田三成の命令なんて馬鹿にしてたんじゃないかな >>640
初耳。ちょっと調べてしまった。
珍しい「六平」姓は、父親が秋田県由利本荘市で代々続く真宗大谷派寺院の出で「平家の落人が六つの赤旗を立てた」というこの土地の言い伝えから「むつあか」が縮まって「むさか」になったという。現在も親族が当地で住職を務める他、全国に7 - 8軒ある「六平」家は全て親戚という 営業畑一筋の人間が、企画部の言うことなんて馬鹿にして聞き流すのと同じかな。企画の人間は人間で、営業なんて腹の中では小馬鹿にしてるし。 武士は建前は戦う事が本業の家柄だからね
戦に弱いと認識されるのは大問題 求心力っていうのは必要よね
それが地位なのか能力なのかカリスマ性なのかはいろいろだろうが、あの人の旗の下に集えばやる気になる、あるいは結果が出ると思わせる人は必要 >>645
清水エスパルス所属で本日もスタメン
たまにパパがスタジアムに見に来るw >>636
大杉漣出るのは35回「大逆転」 書きこむのが4日早いよ
まあ俺も大逆転の意味が分からない、なんて書いてるけど おお、次回大杉漣さん出るのか
トヨエツみたいにチョイ役かも知れないから注意して観てみよう >>620
それこそ大将が殺られたら終わりだから周りが必死になって逃がしたのだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています