太平記part.51
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>594
ご舎弟殿バージョンもつくれますか?
あと義貞も >>602
ドラマ上の尊氏は
とにかく動きが遅い、煮え切らないって感じだもんな でも勝ち馬に乗るとしたら結果的に尊氏になるんだなあ >>602
別にヨイショするとかそういう問題ではない気がするが? 政子みたいにはいかないだろう。あの頃は義時が健在、自身も従二位という官位も持っていた。それに比べ登子は実家が朝敵で後ろ楯がない。湊川の後は師直にすり寄ってたね >>608
佐々木判官、思うところあり。寝返り御免! >>591
桃井暗殺に失敗した義詮を尊氏が叱責、はドラマ「太平記」の創作では? 結局 石を殺したのは足利の者だったのか?そうでなかったのか?解らずじまい。
結局 駒を助けたのは明智のパパなのか?そうでないか
解らずじまいに...? 直義は尊氏に勝ったのに周囲からシンパが離れていったのが全てだった
直義を支持した武士達の利益になるような政治は無理だった
南朝との講和交渉でも原則論でもたついてる間になりふり構わない尊氏に巻き返しを許してしまった
知性と理性が行動を規制するタイプだったのかもしれない >>606
足利直義の戦績
● 女影原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 小手指原の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 武蔵府中の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 井出の沢の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 鶴見の戦い(北条時行 諏訪頼重)
● 手越河原の戦い(名越式部大輔)
● 矢矧の戦い(新田義貞)
● 鷺坂の戦い(新田義貞)
● 手越河原の戦い(新田義貞)
△ 箱根竹之下の戦い(新田義貞 ※直義敗北寸前も尊氏勝利で回避)
△ 豊島河原の戦い(北畠顕家)
△ 豊島河原の戦い(脇屋義助)
● 豊島河原の戦い(楠木正成 ※正成は別動隊)
● 打出の戦い(新田義貞) >>594で豊島河原の戦いを尊氏の戦績に入れていたが、
よく読んだら尊氏は心が折れてサボタージュしていたので、
性格には直義軍16万対宮方10万(新田、北畠、楠木)だった >>590
あの3人の肖像画を見ると、確かにイメージと合うなと思う。
尊氏は何か頼み事聞いてくれそうな感じだし、直義だと門前払いされそう >>579
ホークスに完敗…
ここ20年近くずっとホークスの天下じゃ… >>620
負けを負けとしない、思わせないのも政治家武将の面目躍如たるところ。 >>615
そりゃ勝って上杉への仕打ちとか、あれじゃな…呆れてしまうわ
結局、これから何度尊氏に勝っても先が見えてるもん 尊氏も連戦連勝でもないんやね
しかし、箱根、九州、湊川と流れを変える絶対必勝のとこを勝つのが天賦の才能か 尊氏と直義兄弟は長男次男ではなく長男が亡くなるまで(尊氏13歳、直義12歳)次男と三男で育ってる(だんご3兄弟)
勝敗見るとプロ野球で例えるなら尊氏軍は今のソフバンで直義軍は今の巨人だなソフバンに勝てる感じゼロ
天皇に弓引いても尊氏に付いてった武士が多かったのも公家に不満があるだけでなく
尊氏の強さに惹かれたのもあるのではないか判官どのもそうだろう 直義は護良親王と組んで幕府再建したたあとに尊氏と対立して追い落とすのが長い目で見たら良かったのかもしれないな そういえば ドラマはいまのところ後醍醐天皇の天下だけど 鎌倉幕府がたてた北朝はどうなったんだろうと ふと 北朝といっても北朝鮮のことじゃないよ
肖像画の詳細が口頭で伝わるのはせいぜい3世代60年まで
大事なものはしまってそのまま訳が分からなくなるのに200年
さらにその間に勘違いやら嘘をついたりする世代が絶対にでてくるからな
例えしまってある箱に記録を書いておいても
ほんとはこうじゃね?って書き直す奴とかw 例の騎馬武者像も江戸時代に修正されて家紋が足されたからね。
海外でもキリスト画の修正が何年か前に話題になったけど、ネットがなかったらそのまま後世に残されたのかなw 今はまだ両統迭立が続いていて大覚寺統の後醍醐が天皇位にいるってだけだろ、皇太子も決めてないし。湊川の後に後醍醐が吉野に脱走してから正式に南北朝に分かれる。
湊川で破れて尊氏と和睦した際に三種の神器を渡して退位させられ、持明院統の光厳上皇の弟を光明天皇として即位させる。
しかし吉野に脱出、あの神器は偽物だよーん、朕はまだ天皇だよーんと宣言し吉野朝を建てる。 後醍醐が返り咲いたときに光厳帝のことちらっと説明無かったっけ
後醍醐の治世が続いてたら持明院統が皇位につくことは二度と無かったんだろうな >>616
負け戦のオンパレードw
46まで生きていることが不思議 伝令 大杉漣さん 徳島の監督が浦和に取られました。
昇格する前に降格決まりました... マニアックな人がいるねw大杉漣は徳島出身でヴォルティスのファンだったんだよ >>636
徳島はお通夜だよ。優勝争い、J1昇格争いの佳境なのに。大杉漣さんは、こんな仕打ちをされるチームでも熱く静かに応援し続けていた。 >>616
ひどい成績だね。これほどひどいとは思わなかった。
よい軍師はいなかったのかな。 「師直、白湯をもてい」
子供心にめっちゃカッコ良かった
最近見直したら、思っていたより落ち着いた言い回し
子供が見ても大人が見ても惚れるわ そりゃ判官殿も御舎弟殿の命令なんて聞きたくないわ
島津義弘だって石田三成の命令なんて馬鹿にしてたんじゃないかな >>640
初耳。ちょっと調べてしまった。
珍しい「六平」姓は、父親が秋田県由利本荘市で代々続く真宗大谷派寺院の出で「平家の落人が六つの赤旗を立てた」というこの土地の言い伝えから「むつあか」が縮まって「むさか」になったという。現在も親族が当地で住職を務める他、全国に7 - 8軒ある「六平」家は全て親戚という 営業畑一筋の人間が、企画部の言うことなんて馬鹿にして聞き流すのと同じかな。企画の人間は人間で、営業なんて腹の中では小馬鹿にしてるし。 武士は建前は戦う事が本業の家柄だからね
戦に弱いと認識されるのは大問題 求心力っていうのは必要よね
それが地位なのか能力なのかカリスマ性なのかはいろいろだろうが、あの人の旗の下に集えばやる気になる、あるいは結果が出ると思わせる人は必要 >>645
清水エスパルス所属で本日もスタメン
たまにパパがスタジアムに見に来るw >>636
大杉漣出るのは35回「大逆転」 書きこむのが4日早いよ
まあ俺も大逆転の意味が分からない、なんて書いてるけど おお、次回大杉漣さん出るのか
トヨエツみたいにチョイ役かも知れないから注意して観てみよう >>620
それこそ大将が殺られたら終わりだから周りが必死になって逃がしたのだろう >>632
建武政権期の後醍醐は恒良を立太子させていたよ
>>633
建武政権下での光厳は即位自体なかったことという扱いだからな
後醍醐は二年ほど西国各地を旅行してきただけでw
ただ実際の光厳は幕府軍が後醍醐を廃位して接収した神器を伴って即位しているし
隠岐から帰還した後醍醐は改めて重祚したというべきだよな 朝廷の内部で権力闘争があって 鎌倉幕府の内部でも権力闘争があって それがあるときふとうまいこと噛み合って建武の新政がはじまったんだなと
足利尊氏はべつに後醍醐天皇に惹かれたけでもなく 後醍醐天皇も足利尊氏をあてにしていなかったのに あるときふと利害が一致して というかんじだったんだろうなと >>620
一番の奇跡は尊氏&師直に勝ったことだろう
尊氏譲りの軍才の直冬あって越そかもしれないけど 大杉漣といえば『義経』のときの源行家が思い出される インチキ占い師のような勅使役で そのうち義経を裏切るんじゃないかと思っていたがそうはならなかったなと
松重豊とか香川照之にもいえることだけど 漣さんはもっと悪役として活躍してほしかった 人気が出ていいひとの役ばかりになって勿体ないなと感じていた >>655
実際、明治以前の朝廷だと北朝が正統の扱いだったから、系図も後醍醐→光厳→後醍醐(重祚)→光明→崇光──って即位順だったらしい
後醍醐以降の南朝は偽主扱い >>664
北畠親房は偉大だったな
本一冊書いただけで、後世、自分達を正統に仕立て上げた ムサカさんは平家が先祖かも知れないのか
鎌倉武士にばかり転生してるけど >>659
打出浜の戦いのとき直冬は九州にいたはずだから直接この戦いには関与していないよ 大杉漣さん、来年はいっしょにJ1で応援しましょう…監督取られるけど。 お前らがサッカーの話するからマラドーナが死んだじゃないか! >>664
というか光厳は無論として正平の一統より前に北朝で即位した光明・崇光も
即位時に持っていた三種の神器は恐らく本物だろう 南北朝に分かれてからは神器の真偽はどうでもよく、京にステイしてることが正統性において重要 34話「尊氏追討」は最高だった
一人断髪式、道誉が寺で説得、右馬介が懇願、
出陣シーンと何度も見直す(噂にたがわぬ名作大河) 後醍醐天皇の尊氏への怒りが良かった
なんだかんだで後醍醐天皇すら尊氏に惹かれていたからこそ、何としても自分の元に戻って欲しかったのになぜ去ったんやという嘆きが伝わってきた 新撰組のときはわからなかったけど坊門の人いい声だね >>674
そのたびに周りは振り回されて身内が殺されてしまうね。 >>675
後醍醐はそれが理解出来ないから建武の新政も破綻したんだな 後醍醐も承久の乱の先例から学べよ
鎌倉幕府の将軍を自分の皇子にしたらいいだけだろ 朝廷の公家の多数派の意識からすれば
幕府なんかに負けるわけないと思っていたのに負けてしまったのが後鳥羽の承久の乱
幕府なんかに勝てるわけないと思っていたのに勝ってしまったのが後醍醐の元弘の乱 片岡孝夫で検索したら 片岡孝夫というのは本名なんだね だから仁左衛門を襲名したけど「孝夫さん」と呼んでも間違ってはいないわけだ
息子の孝太郎(本名康雄)くんも芸名に「孝」の字を入れてるのは「片岡孝夫」のほうが歌舞伎の名よりビッグネームだからいただいたんだろうね オープニング、向かいあっている烏天狗は後鳥羽上皇と後醍醐天皇、数秒後に炎の中から現れるボス天狗が崇徳上皇です 佐々木道誉(陣内孝則)は「どうあっても尊氏を討つ」という宣旨を見せたのは
ニセモノだったのかー
引っ掛かったな >>674
今回の尊氏の「南無八幡〜」はちょっとヨレ気味だったけれど、、代わりに右馬介の雄叫びはカッコよくて痺れた 次回はこれか(まんが日本史)
赤松「尊氏殿、こうした負け戦となったのは我らが朝廷の敵と見られているからではありませんか」
尊氏「その通りだ。新田義貞の軍がこれほどの働きをするのは帝を頂いているからだ」
赤松「左様、万民が朝廷を敬う気持ちは侮りがたいものがあります」
尊氏「うん、ならば我らも帝を頂こう」
赤松「そんなことができるのですか」
尊氏「後醍醐天皇の他に光厳上皇がおられるではないか」
赤松「おお」
尊氏「我らは光厳上皇の院宣を頂くのだ」 >>686 わかりやすくていいな これが南北朝を生み出すきっかけになったのね 今はヒストリーチャンネルでヘビィーローテーションで放送してます
子どもの日本史学習にも役立つし、大人が見ても本格歴史アニメ(史実ベース) まんが日本史は、たまにツベで見るな(確認のために) まんが日本の歴史は高校時代
日本史のテスト前に出題範囲の大まかな流れをつかむのに使ってたわ
案外役に立つんだよねw 今つべでまんが日本史をみたけど えらい詳しく解説してくれるんだな なめてた
ついつい足利尊氏の死までみてしまった 太平記のネタバレは勘弁してくれよ アニメまんが日本史は、山川の教科書より分かりやすい
(重要な事柄もちゃんと押さえている)
とくに映像は五感に訴求し、頭に印象が残り忘れない
さらにアムロ(義経)とか結構な名声優も出演している まんが日本史は上手くまとめてあるよね
しかも歴史が一筆書きで、時代がすべて繋がってることが実感できるのがありがたい
隙間の歴史とかあんまり知らなかったから >>686
ドラマでは持明院統の擁立は赤松の発案ということになっていたな >>693
さすがに山川と比べるのは…
猿でも分かるみたいなマンガ脳なだけだろ。 まんが日本史って脚本も監督も無名の人だけどわかりやすいってことは優秀だったんだな まんが日本史を中高年視聴者多そうなヒストリーチャンネルで流してるのは名采配
子供や孫いたらアニメなら一緒に見てくれそうだし
まあエンドレスで延々とやってるのは笑うしかないけど>>686とか本当分かりやすいわ まんが日本史は入口として良い作品だと思うよ。
そこからもっと詳細に知りたけりゃ、さらに本を読めば良いんだし。
基盤ができてるから読み易くなるだろう。 ここ見てまんが日本史見に行った
これいいね
分かりやすいし絵も単純で取っ掛かりにヨイ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています