そもそも「フロイス日本史」はフロイスが自分で直接見た事、聞いた事を書いているんじゃなくて、信者が見聞きした事を
自分の主観をまじえて纏めたものだから、当然、同じ相手でも話し手の主観によって見方が変わる、だから、聞いた事
を素直に書き記していても、結局、多重人格みたいな相手像が出来てしまうんだよ

あち、ここの考察が割りと好き、この麒麟にはこの経緯が合うかもしれない。
https://rekishizuki.com/archives/1750