【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part185
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【放送予定】2022年1月9日~
【脚本】三谷幸喜
【主演】小栗旬
【音楽】エバン・コール
【語り】長澤まさみ
【3DCG地図】シブサワ・コウ
【ロゴ】佐藤亜沙美
【制作統括】清水拓哉、尾崎裕和
【演出】吉田照幸
【プロデューサー】大越大士、吉岡和彦、川口俊介
【公式HP】http://www.nhk.or.jp/kamakura13/
※本スレはガイド本、ノベライズ等によるネタバレ禁止です。ネタバレはネタバレスレでお願いします。(史実、伝承、他作品(本作と同時代の作品に限る)に関するものは可)ルールは絶対厳守です。
※妄想キャスティングや台詞を空想して書き込むのも禁止です。
※次スレは>>900以降、皆で協力して立てましょう。
【2022年大河】『鎌倉殿の13人』ネタバレスレ
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1645598605/
※時代劇板のワッチョイ有スレはこちら。
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part6
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1666788444/
前スレ
【2022年大河ドラマ】鎌倉殿の13人 part184
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1668945131/ トウは10歳くらいで両親を殺されて醜男の慰み者になり
自殺した方が楽なのに両親の復讐の為に必死に我慢して凍り付いた血の涙を流す日々
こんな過酷な少女期を送ってきたのだから今回拷問して弄ばれたくらいは何とも思わんだろう
もう心なんてとっくの昔に壊れているだろうし
善児を憎み復讐するのだけを糧に生きてきた
その善児にも復讐して殺し屋としてのモチベーションも無くなってしまったんだろうな >>244
足利は三河→下野→三河
少しは、滅ぼされた土着の藤姓足利氏の事考えてやれ
■源頼朝と従兄弟2人の関東支配の裏歴史
1181年:源頼朝は藤姓足利氏を滅ぼし、三河の母方従兄弟の源義兼に足利荘を安堵する(源姓足利氏の始まり)
1181年:源頼朝の意向で、足利義兼は北条時子(政子の妹)と結婚する
1182年:源頼朝の従兄弟の寛伝が、頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
■日光山
源頼朝が三河の母方従兄弟(寛伝)を別当に据えて以来、鎌倉幕府、関東公方、後北条氏の歴代を通じて東国の宗教的権威の一中心であり続けた
源頼朝
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(由良御前)→源頼朝
足利義兼(初代源姓足利氏)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→女(実父は季範長男の範忠)→足利義兼
寛伝(寛典・観纒とも、額田僧都、式部僧都と称された、日光山満願寺19世座主)
・藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫)→藤原季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→藤原範忠→寛伝
寛伝年表
・1142年、生まれる
・叔父の三河法橋裕範(源頼朝の母の弟)、粟田口法眼長暹(源頼朝の母の弟)を頼って滝山寺(三河県岡崎市)で仏門に入る
・仁和寺で修行
・1182年、源頼朝の推挙により日光山満願寺19世座主になる
・宗徒と面会する際、御簾を半分にしか上げず紛紜、2ヶ月で三河国(三河県岡崎市)に戻る
・菩提寺の滝山寺(三河県岡崎市)僧侶になり、66郷を領し精舎一区を創建する
・鑁阿寺奥院の法界寺に、宋版の一切経を納める(後に一切経は、足利義氏により鑁阿寺に)
・高野山御影堂に大鐘を施入する
・1201年、頼朝公の3回忌、滝山寺内に惣持禅院を創建し、本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた聖観音菩薩を安置する
・惣持禅院に供僧10人を常置し10町の土地を寄進する
・1205年、死去する トウは善児と身体を重ねながら生まれて来なければとよかったのに毎晩氷のように冷たい血の涙を流したんだろうな
善児が途轍もない快楽を得るのと同時にトウはまさに生きて地獄をのたうつ日々を過ごす
復讐して本懐を遂げてもトウの心は壊れたまま
もう子供も産めないであろうトウは修羅の道を歩むしか生きる道はない 可愛そうなトウ
普通の女の子みたいにオシャレしたり恋をする事もなく
ひたすら孤独に復讐と殺しだけに生きた人生
最後ぐらいは幸せを手に入れて欲しい >>294
総=「フサ」=?=麻の生い茂る国で総国と呼ばれたわけか?
そういや天地総子という名の女優がいたなあ
フサフサと茂った子で総子か?
しかし何故に麻「アサ」-->「フサ」に転訛したのだろ? トウは自力で陀出してくるさ。それだけのスキルは善児から学んでいる。 >>319
この時代に百姓の子供に生まれた時点でおしゃれなんてできるか
アホなのか >>108
過去には出家した後に天皇になった天武天皇とかいたけど、基本的には出家後は戻れないんだろうな
承久の乱後に天皇になった後堀河天皇には27歳くらいと15歳くらいの兄がいたけど出家したから三男の後堀河が即位することになった 慰み者の少女期は地獄だろ
両親の復讐がなければとっくに自害
復讐する為に週男を受け入れて血の涙を日々流した少女 >>246
頼朝の嫁だから政子は三河の仲間扱いされたが
義時は関係ねーから
承久の乱の時に政子の檄文を読み上げたのは三河武士の安達景盛
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)
男系、女系共に源頼朝に近い足利氏が使命感をもって、武家社会を源頼朝の三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)に戻した
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→義氏(三河守護) 自分で書いてて思ったんだけど、取り敢えずこのドラマでは乱暴に言えば
頼家は廃藩置県やろうとして消され、実朝は大政奉還やろうとして消されたんだよなこれ
もちろん、正確にはそれに近い事を、だけど
結局、武士が武家の棟梁に求めるものは、官位官職は建前或いは道具であって、
自分達の権益を最適に保障する神輿である事
一方で、将軍の側では、神輿としての調整力に限界を感じると
その建前を本義として武家の棟梁の権力を天皇権威と一体化一元化する方向に向かう
言ってしまえば、雲の上からお家が偉いのだから偉い、
と言う統治を目刺して担ぎ手によるコントロールが難しくなる
突飛かも知れないけど、大政奉還時期に松平容保がダーク義時なら
徳川宗家含めて全部天皇の下で一大名になるから勝手にせいなんてやられたら
鳥羽伏見に至る陳情出兵は確実に薩長を殺りに行く勢いで準備するだろうし
どこかのタイミングで慶喜の側妾をトウとすり替えて
江戸の若君を将軍に立てて徹底反撃するぐらいやりかねない >>325
足利将軍は最後の最後までそのパターンだったな >>307
トウマニアさんは、優しい人ですね
良かった 私もトウには幸せになって欲しいな
鶴丸と夫婦になって女の子が産まれて幸せな笑顔の日々を過ごすトウが見たい
トウは幼い頃から悍ましき地獄のような日々を過ごしてきたのだからせめて幸せな生活を与えてやりたいと心から思う
勘違いされては困るがトウの子が犯され殺されその亡骸を前にトウが嘆き泣き
復讐に狂った邪鬼と化して結局修羅の世界に戻ってくるような陰鬱な展開は全く望んでない 北関東なんつーのはお呼びじゃない
政子が仲良くなった兼子しろ、頼朝母方たる三河の藤姓熱田大宮司家繋がりだろうが
この繋がりには義朝流や足利氏も絡んでいるつーの
藤原経忠→信輔→信隆→信清→女→四条隆衡→隆親(三河国知行国主、妾に足利義氏(三河守護)娘)
藤原経忠→信輔→信隆→信清→信子(源実朝正室)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国分国主)→後鳥羽天皇→昇子内親王(母は九条兼実(三河国知行国主)の娘)、順徳天皇准母)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国分国主)→後鳥羽天皇→土御門天皇(母は源在子(母親の養父は藤原範季)
藤原経忠→信輔→信隆→七条院(三河国分国主)→後鳥羽天皇→順徳天皇(母は藤原範季娘)
藤原経忠→信輔→信隆→親輔(三河守)
藤原経忠→信輔→信隆→信行→忠輔(三河守)
藤原経忠→信輔→親信→水無瀬親兼(室は足利義兼娘)
藤原経忠→忠能→一条長成→源義経(養子)
藤原経忠→女→成親→阿野公佐(母は俊成(三河守)娘、室は阿野全成の娘)
藤原顕憲→盛憲→清房→上杉重房
藤原顕憲→能円(正室は藤原範子)→女→土御門天皇
源雅通→通親(正室は藤原範子(再婚))→中院通方→土御門顕方(妾に吉良長氏娘)
藤原能兼→範兼→女(範子)→土御門天皇
藤原能兼→範兼→女(範子)→中院通方→土御門顕方(妾に吉良長氏娘) >>333
続き
藤原能兼→範季→源範頼(養子、三河守)→範円(三河国正法寺僧)
藤原能兼→範季→女(養女)→土御門天皇
藤原能兼→範季→女→順徳天皇
藤原能兼→範季→範茂→範房(三河守)
藤原能兼→範季→範茂→女(四条隆親(三河国知行国主)室)
藤原能兼→範季→範茂→女(忠成王妃)
藤原能兼→範季→女(吉田資経(三河守)室) リョナ爺は、保健の知識が皆無だから、あり得ないことを書いているだけ
衛生状態も良くないまともな医療もない時代に、あれだけ動けるということは
脚本家は、トウはそういう目にはあっていないという設定をしている
脚本家は男性だけど既婚で子どももいるからね
トウマニアさんを悲しませるような残酷な書き込みをするリョナ爺は
悪人としてスレから追放だね 子を産めない身体になったかは別として
あれで手を付けられてないと考える方が異常だろ
善児が性不能か実朝みたいな性癖の持ち主ならばその限りではないが
まともな性欲があれば一目瞭然だろうに ここに来て展開が助長になるとはがっかりだな
承久の乱を手抜くことは絶対に許されんぞ >>338
承久の乱は合戦自体はかなり駆け足だけどそれまでの経緯はしっかり描く
特に演説に関しては最高潮に昂る感じになる >>338
圧勝だったんでしょ、戦そのものはどう画くの? 義時は後鳥羽に命を差し出して鎌倉を守ろうとするが
それを政子が演説して御家人纏めて救う感じみたいだな結局義時は政子には敵いません的なのが三谷の歴史観 >>340
宇治川の戦い自体は最終回の冒頭で軽く描く程度だろうね
泰時の軍略が当たるような感じで描くと三谷は言ってるがどうなるか
宇治川大勝利→オープニングみたいな感じかと 頼仁は配役されないのか
奴も島流しになるのに
瀬戸内海のどっかだったな そういえば、歴オタさんも多いようなので訊いてみよう
いつ頃の教科書から「承久の『乱』」になった?
自分は小中高全て「承久の『変』」で習ったんだけど
子どもたちの教科書は「承久の『変』」になってた 上総の時もそうだが実朝も最初から殺されるの分かってました、でも止めませんでした。を何回もやるのはシラケるわ >>343
あーそれいい、しれっと義経話も絡めそう >>344
それでも史実の宇治川はかなり苦戦したみたいだけどね >>346
俺は歴オタじゃないから記憶に自信ないが「変」っぽいな >>349
政子の前ではドーベルマンも狂犬も仔犬になるってのが三谷は描きたいらしいよ
義経が仔犬になってたけど義時も命を差し出そうとしたのを政子に助けられて子犬化するとか噂 >>354
てっきりこの大河の話をしてるのだと思ったよ動物園とか言い出したから
関係ない罵倒の書き込みは無用だから永久にもうここには来なくていいよ
承久の乱で正解では
変となると体制が変わった事を指すのでは 改めて思うが、公暁に源義家の遺伝子が3回入っている
本来なら、鎌倉将軍として申し分ない血筋
源義家→為義→義朝→頼朝→頼家→公暁
源義家→為義→義朝→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)娘)→公暁
源義家→女(源重遠室)→浦野重直→足助重長(三河国加茂郡足助)→女(源為朝娘)→公暁
公暁は三河を頼ったんだろうが、断られたんだろうな
公暁の実朝暗殺は計画的であったが稚拙な計画の単独犯だったが結論だ
吾妻鏡
建保七年(1219)二月六日条
六日癸卯、故鶴岡別当闍梨の使ひ白河左衛門尉大神宮に詣で、奉幣を遂げ還向するの処、三河国矢作宿に於いて、彼の滅亡の事を聞き自殺すと云々、
訳
六日癸卯、故鶴岡別当闍梨(公暁)の使者である白河左衛門尉(義典)が(伊勢)大神宮に参詣し、奉幣を行い(鎌倉に)帰る途中、三河国の矢作宿で公暁が滅んだと聞いて自殺したという。 >>346
Wikipediaで承久の乱の項目を読めばわかる
早い話今は承久の乱が主流で承久の変と呼ぶのは皇国史観に立つ保守派 >>357
訂正
☓源義家→為義→義朝→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)娘)→公暁
○源義家→為義→義朝→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)室)→女→公暁
☓源義家→女(源重遠室)→浦野重直→足助重長(三河国加茂郡足助)→女(源為朝娘)→公暁
○源義家→女(源重遠室)→浦野重直→足助重長(三河国加茂郡足助)→女(母は源為朝娘)→公暁 あーそうか
「『承久の変』」で習ったのは、たまたま教科書選択の問題か
もともと一般的には「承久の『乱』」ですね
皆さん、どうもありがとうございました ここで前にラスボスは後鳥羽ではなく、三浦義村だと書いてあるのを見たけど、
ここからどうやって義時と義村の対立構造にもっていくんだろ 南北朝時代は楠木とか新田とか負けた南朝側の武将が忠臣として顕彰されてるけど承久の乱に関してはそういうのあんまり聞かないな
貴族たちも連座恐れて記録処分したりして後鳥羽側の記録があんまり残ってないのもあるかもしれないが >>346
乱は為政者に対する反乱だから朝廷が臣下にあたる鎌倉方と戦うのを乱とよぶのはおかしいというのがかつて「変」といっていたわけ
維新を革命と言わないのと同じ
ただ「変」とするほどそんな小さい戦いじゃないよ?ということで「乱」となってる >>342
史実でも義時は足利小山安達の北関東グループのボスである政子と相模のボスである三浦義村が支えていたから幕府を運営出来た 藤原秀康や三浦胤義には追捕の院宣を出してるから顕彰は難しいのかな。
綸言汗の如しというか。 >>362
三谷さんが何かのインタビューで言ってたよね>ラスボス
でも義村が義時を手にかけるなら
泰時には絶対わからないようなやり方じゃないと
その後一緒に幕府を運営するんだから
そういう意味で今後消える人ならやぱりのえかなぁ >>362
多分ドラマの後の話になるだろうけど、義時の死後の混乱期を、政子が義村を味方につけることで乗り切ったおかげで
泰時が執権になるそうなので、対立することはないんじゃなかろうか 対立の構図は後継ぎは泰時と政村どっちにするみたいなことじゃない?
やっぱり初とも離縁してましたとか >>371
伊賀氏の変ですね
三浦は当然泰時より政村推し
烏帽子親だもんね >>372
アレって三浦義村にとっては泰時と政村どちらでもよかったんじゃないかと思う。
政村の方が影響力は強まるけど泰時でも泰時の嫡男の時氏は自身の孫だしね
義村の動きが鈍かったのもその辺りが関係しているのでは? 義時死んでから政子が死ぬまでが面白いのに、なんで義時の死で最終回にしてしまうんだか
政子はもう1人の主役格なんだから、政子の死で終わらせろよ
それとも最終回の60分枠は最初の30分で義時を悶え死にさせて、残り30分で伊賀氏の変から
政子の死までやってくれるのか?、それでもかなり駆け足になるけどな >>300
マインドフルネスにハマった意識高い系みたいなもん? >>375
「枕元に義父が立った」
と言って鎌倉の旧義朝邸を栄西に寄進するくらいだから
相当入れ込んでいたと思われる。
そこで「お前義父の顔知らんやろ」というツッコミはなしだ 義時「誰の指図で来た!」
トウ「政子さまです」
義時「えっ?」 トウは来週自力で脱出、政子自害を止める
その後行方をくらまして拷問で受けた傷が元で死ぬ、だろう。八幡宮に仲章を殺しに行ったけどもう死んだあとだったから政子を止めただけ
実朝仲章公暁退場なのにトウに時間はそんなにさけない >>80
最後キノコで毒殺の伏線じゃないかと気になって仕方がない 来週千世様つつじトウが退場か
美人若手女優みんないなくなって残ったのは年増かブスしかいなくなるのは悲しいな
特に千世様はお美しかったのに あと残り4回なの?
それじゃあナレ承久の乱でも仕方ないな しかしこの大河、民の為に!とか言わないね
権力闘争してて清々しいな 鎌倉のために!とはいうぞ 北条のためじゃないですかって言われてるけどな >>383
逃散されて田畑が荒れるから撫民って発想が生まれたのが五代執権時頼の治世からだからね
桓武天皇が国軍を廃止して以降地方は武士のヒャッハーの時代が続いてる 反道徳的ナルシスト
概要
反社会的特徴を含んでいる。搾取的で、不実で、人をだます、無節操なペテン師という人物像をもつ
人格特性
良心に欠けている。無節操で、道理に無関心であり、不実で、詐欺的で、人を欺き、傲慢で、人をモノのように扱う。支配的で、人を軽蔑し、執念深い詐欺師である 承久の乱は主人公である義時が現場にずっといたわけじゃないから
大スペクタクル戦場面なんて最初からないと思ってたんで
世間がやたら欲していてビビったがまあ歴史的には大事件だからそうなるか
だがその場にいない物を詳しく描かないのは真田丸でもそうだったし
戦の場面そのものよりそこに至る経緯や心理を面白がる作家だろうしなーと 生田がインタビューで源仲章の死に際の言葉が意外な台詞ってどこかで語ってたから「のえ殿、もう一度お会いしたかった」とか義時の前で嫌がらせで言って夫婦仲を完全に破壊しそう >>382
草燃えるでも似た様なスケジュールだったみたいだし
ガッツリ描くことはないだろうがナレ乱にはならないんじゃないかね
wikiによればこうらしい
見た事ないんでこのドラマで承久の乱がどう描かれてんだか知らんけど
第48回 1979年12月2日 船霊
第49回 1979年12月9日 実朝暗殺
第50回 1979年12月16日 三浦義村の策謀
最終回 1979年12月23日 承久の乱 >>374
政子が主役の草燃えるでも政子は死なない この時代を動かしてた主役は義時だから義時が仕事成し遂げたら
大体そこで物語は終わるのさ
政子主役だろうが義時主役だろうが >>362
そりゃあ承久の乱の首謀者の一人として義村の弟の三浦胤義の名前が上がってるんだから、承久の乱が義村最後の謀略の可能性もあるわけよ。成功しなかっただけでね。どっちが勝っても三浦は生き残るって意味では成功だけど(真田か!) >>393
出会った頃は美人設定
結婚して時が流れた今は夫に不満タラタラでたぶん違う設定 可愛いそうなトウともお別れか。。もうこれを見る張り合いがなくなってきた
でもオレにはまだ初がいる
最近初マニアになってきてるけど
実朝が死んだら初も史実通り心置きなくナレ離縁とかしそう。。
来週はオレ最大の悲劇になりそうで憂鬱だ 史実の実朝ファンの人らが
自分らの理想の実朝像じゃないってんで不満言いまくっていて
何処の世界もオタクは面倒くせえなと思ったw >>396
視聴者の共感や納得を得られなければ視聴率は上がらない。 >>397
見ながら愚痴ってる人らばかり見かけるから問題ないだろうw 仲章は良い人にならずに死んでいくのか
最後まで嫌な奴だったのって彼と序盤に死んだ堤だけじゃない? >>367
義時の死後、泰時を推す北関東(足利小山安達)と政村を推す三浦の間で起きた主導権争いが伊賀氏の変ですね >>400
この北関東グループってかなり仲が良いよね
元々は下野で藤姓足利氏に対応するために源姓足利氏と小山氏が同盟を結んだのがキッカケだったみたいだけど比企能員の変の後、武蔵の比企勢力を取り込んだ安達氏が加わり、武蔵下野上野の利権が絡んだ同盟になり承久は乱の後に政子が足利氏に三河を植民地として与えた事でより強固になった。 >>401
ちょっとキャラが被ってる所もあるよね
天狗と >>399
嫌な奴っていっても鎌倉側にとって邪悪なだけで上皇には忠実 >>396
新しい実朝みせます
今までとは違って有能です
って煽って期待させてたから、その反動じゃない?
和田合戦から無能もいいとこだし、鎌倉を捨てるなんて捏造レベル
義時の地雷がオタの地雷でもあったと 今日の22時からEテレで「鎌倉殿の13人のその後!」って感じの番組やるそうです。
ゲストは時政パパ。 >>403
平賀朝雅って源仲章と違って元々は信濃の田舎武士のなのになんであんなにお公家キャラなんだろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています