>>584
頼家が重篤になった時点で比企能員の排除は北条氏だけではなく御家人の総意だった。
あの時点で誰も頼家が回復するとは思ってなかったから既に頼家が亡くなった後どうするかという話になっていた。
結果として頼家は回復したが鎌倉にとって最早頼家は危険分子でしかなかった。
頼家、一幡の死で政子を責めるのはちょっと酷だと思う。
頼家が重篤のなった時点で二人の命運は尽きていた。