【1991年 大河ドラマ】太平記part.61
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>>153
上陸シーンの撮影は何となく義貞の稲村ヶ崎のシーンと同じ場所のような気がする 麒麟や今年の家康には、太平記の時代と同じ侍烏帽子+胴丸か腹巻の雑兵が出てるけど
実際にはいつ頃までいたのかな?
ちなみに麒麟では元亀以降、小学館の児童歴史漫画では明応以降で
パッタリいなくなったが。 >>134
実況では吉良吉影の先祖か?と言われてたw ちょい出しだけど歴史上の重要人物
守邦親王
四条隆資
万里小路宣房
吉田定房
北条泰家
光厳上皇
光明天皇
後村上天皇
夢窓疎石
他にいる? 花山院師賢
日野資朝
洞院公賢
楠木正行
西園寺公宗
二階堂道薀
細川三兄弟(和氏・頼春・師氏) 安達時顕は万里小路宣房を鎌倉で詰めてたシーンで円喜らといた
本来は円喜と並ぶ実力者だけどそれっきり >>162
お!マジか見よう
栃木に定期的に行くから足利市のゆかりの場所を周りたい 西園寺公宗も長谷川初範がやってたしそこそこ出番あったよ
足利に六波羅襲撃されて火矢が飛んで慌てふためくシーンとか 長谷川さんは花の乱だと一色になってたね
今度は足利一族の内部で翻弄される役に 鎌倉滅亡の回で北条一門より豪華な鎧を着ていた霊感ヤマカン長崎円喜 足利銀行といえば公的資金投入決定で株が爆上げして、それで泡銭つかんだやつが
ビルからお札をばら撒く事件があったような。
それはそうと今日のブラタモリ足利だけど藤姓足利は出るわけないか
藤姓足利はまったくのスレ違いか この大河では足利市ってたいして重要じゃないよな。尊氏直義義詮も鎌倉生まれ鎌倉育ちだし 潮騒のSEは実際は内陸で録ってるのを誤魔化す意図もあっただろうね < 鎌倉 足利の館は冒頭ちょろっと出てきたくらいでメインの舞台は鎌倉と京都だもんな
南朝の都吉野ですら予算の関係かほとんど後醍醐の御所の室内シーンしかなかった 昨夜のブラタモリ微妙だったな、尊氏と足利学校までは分からなくもないが
鑁阿寺で足利義兼見せられて困ってたな。 義兼は頼朝と北条家との多重の縁組関係における阿野全成の下位互換になるしねえ そう考えると鎌倉時代の足利って北条にガッツリ依存した権勢よな。よくもまあ裏切れたもんだわ。新田が裏切るのは全然わかるんだけど 足利は縁戚とはいえ政治には関与出来ないし、泰氏の自由出家や家時の切腹も北条の圧力に悩んだ結果だから必ずしもずっと忠節を誓ってた訳でもないしな
あとは尊氏直義兄弟の母清子が上杉氏出身だったのと、北条との関係を重視してた貞氏が死んだのもある むしろ北条一門で裏切り者が一人も出なかったのが異常、幕府滅亡後に降伏したのはいたけど
二月騒動や嘉元の乱を経て厳重な一門統制策でもあったのかね
あるいは長崎親子の内管領が秘密警察の様にコントロールしてたのか >>180
頼朝と義兼はともに母方が熱田社の大宮司でそもそも互いに近親者なわけで
さらに北条時政の相婿となれば二重の縁戚関係になる点で頼朝との関係の深さが窺われる >>182
というか貞氏の喪中に上方への出陣を命ぜられたことが
最終的に足利の心が北条から離れる決定打になったわけでもあるな
>>183
それは要は滅亡への展開があまりに急すぎて裏切者(脱落者)が出る余裕もなかったからで
もう少し余裕をもって滅んだのならかつての平氏と同程度には脱落者が出たと思うよ 喪中に北条が出陣を催促したのは太平記の創作じゃないっけ? というか貞氏が死んだタイミングをずらしたんじゃなかろうかと
独眼竜政宗の最上義守みたいに ドラマでは金沢亭に帰って遊び呆けていた貞氏正室(釈迦堂殿)だけど、実際は赤橋登子の後見をしてたみたい
幕府滅亡後は高義の娘が嫁いだ甲斐の武田信武の元で暮らし生涯を終えたと
https://twitter.com/IichiroJingu/status/1410812875480895490
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 北条には公卿の位階がなかったから。もしあったら畏怖や怨念を恐れて族滅は無かったかも? 平氏は宗盛・重衡など公卿身分になっていた者たちも容赦なく処断されているし
承久の乱ではそもそも武士ではない公卿の大量処刑も行われているから
公卿というだけで手加減されるというのはこの時代には考えにくい気がする 菅原道真平将門崇徳院後鳥羽院の怨霊は良く耳にするけど北条高時や長崎円喜の怨霊ってあまり聞かないな >>195
鎌倉時代は肖像画文化は公家中心だったみたいだからな
北条一門でも複数残ってるの金沢流くらいだし
足利も義兼義氏まではあるけど泰氏~貞氏がすっぽり抜けてる
せめて木像でもあればな 後醍醐の怨念のほうが強かったのでは?
北条は女系では室町将軍として残るしね 建長寺、円覚寺、金沢の称名寺のような当人と縁の深い寺があれば残ったかもな >>198
女系を辿れば江戸将軍も北条の血は引いているはず 受け継がれる伊豆の小豪族の次男坊の血(たまにトキューサ?) 高資が双方から賄賂を受けとったせいで安東氏の乱が起きて円喜が高資を殴るシーンがいいんだよな
悪役だけど私利私欲だけでなく内管領として秩序を守ろうとしてるのを描いてて深みがある >>204
あれ一分くらい扇で叩いてなかったっけ、フランキーさん西岡さんに個人的に恨みでもあったのかとw >>194
室町幕府は一応、東勝寺で死んだ北条一門の供養はずっとしているはず 草燃える鎌倉殿時宗での身内にも容赦しない北条一族の残虐さを知ると守時が登子千寿王を逃したのは奇跡的に思える >>18
もう尊氏憎しが強すぎる・・・
完全に親の仇じゃねーかw >>212
時宗の弟宗頼の娘が守時の母だから入ってはいる
尊氏直義兄弟の方が義時泰時の血が濃いけどw 大塔宮が最初から足利嫌っているのはよくわからなかった
直義を良く描く為に悪役ポジションにされた感がある
後醍醐と不仲だったのは本当みたいだけど えぇ、描かれてたじゃん
単純に武士が嫌いなんだよ
特に板東武者 尊氏が天皇親政にとって危険な存在だと思ってたんじゃないの?まあ実際予想どおりになったわけだけどw 史実でも護良は尊氏嫌ってたらしいが、護良の誘いで
後醍醐の倒幕に加わった武士の多くが護良失脚後
尊氏に靡いたんだよね 逃げ若でも親父も郎党も尊氏に丸ごとパクられた皇子って扱いだったな
令和になっても刀噛みが見られるとは思わなんだ 今日の関口宏晩食いで加来耕三は従来の高時観を開陳してたな 逃げ若アニメ化したら高時は小栗旬にやってほしい
あまり声の演技で評価される人じゃないけど、一度ずっぷり北条義時に浸かったことのある声というのが一種の力を持つかと
片岡鶴太郎は逃げ若のテイストとは違うし、大河太平記の思い出でいてほしい >>215
悪党系の新興武士に担がれる護良と
鎌倉御家人系の名門武士に担がれる尊氏と
いう構図に最初からなってしまったことが大きいからでしょう?
>>217
後醍醐から見れば征夷大将軍を自ら要求する護良も十分に危険な存在なのが皮肉だけどな >>219
いくら南朝に旧護良派の北畠とかがいるといっても
武士は貴族の番犬であるべきだという北畠の考えについていける武士は多くない
一方初期の室町幕府は味方が多ければ多いほどよい的な発想で
悪党揚がりでも誰彼構わず御家人にしたわけで >>216
親房も。あいつらは承久の乱を知らないのかな? 北畠親房は神皇正統記で承久の乱を義時が失政で民心が離れていたわけじゃないのに
戦いを仕掛けた後鳥羽は無謀と評していたな。 北畠氏は享年21の顕家でさえ後醍醐批判をやってるくらいにはインテリの家系だからな... 源氏を座りて食ったのは家康でした(そもそも新田庶流かも怪しい) 織田の三介殿に乗っ取られたな
楠木末裔も北畠に従っていたが小牧長久手の時に秀吉に滅ぼされた 東北の北畠は安東→秋田家臣になった他、大名家臣として存続はしている そう考えると家康はやはり優しい。名家を高家で残してる。吉良今川武田などなど >>228
織田信雄の家系(幕末には出羽天童藩)が一応北畠の家の祭祀はずっと引き継いでいる 最近サントラ入手して聴いたけど
登場人物ごとに喜怒哀楽表した曲作って
本編では相応しい部分切り抜いて流してたのね凝っとるわ
今の大河はクラシックそのまま流しやがってと愚痴るのもわかる気がする いまの大河なんか朝ドラかってくらい軽い
重厚感がない 妻の関心を取られたから不入の権ブッチして年貢をひったくる家康にはワロタ
義貞なんかはギリギリまで堪えてたのになぁ あれって今川にならって広忠が不入権を認めたからってドラマでは説明していたが
『今川仮名目録』には「今川領国内で守護不入権は原則として認めない」みたいなことが書いてあったような・・・? >>235
結城秀康も子孫は松平に復姓したものの、あっちこっち転々として前橋・群馬に落ち着いた
系統が結城の祭祀を引き継いだな。まあ秀康の義父、結城晴朝が家康に
「秀康も忠直も結城家に全然関心ないんだがどうしてくれんの?」と泣きついた結果だが 吉良は出たけど今川は出なかったな
今川ほど尊氏を始め終始将軍家に忠誠を尽くした一門はいないというのに 太平記だからでは。
それで難太平記が今川了俊によって書かれた。 >>244
範国の息子が範氏と貞世(了俊)か
了俊の子孫が家康の正室、築山殿の父親、瀬名氏ですよね >>240
前橋(川越)松平氏は中世の結城氏に伝わっていた家伝文書も引き継いでいるね
鎌倉幕府が小山朝政に宛てた所領安堵状で
頼朝袖判下文と政所下文が同日付けで2通出されている例の有名な文書も
この家系によって現代まで伝えられている >>244
今川範国は「足利決起」と「京都攻略」の回で吉良貞義と並んで登場していたね
>>245
厳密には築山殿の父親は瀬名氏から同じ今川一門の関口氏に養子に入った人物だな 第一話の1316年時点では「北条時宗」に出てる人だと時宗の母葛西殿や七代将軍・惟康親王はまだ存命だったんだな
「鎌倉殿(草燃える)」「北条時宗」「太平記」で生涯が微妙に重なる人が複数いるのが鎌倉時代の短さを実感する 明治維新から現代より短いでしょ 平成の時代だから明治からまだ4代目、ひ孫世代 明治維新から現在までは既に150年以上経過しているから
鎌倉時代が丸々収まるくらいの時間に最早なっている 逆に時宗が死んだ時は貞顕が幼児で円喜が元服したくらい
吉良のじい(貞義)は弘安の役から三河に帰ってた頃
京では万里小路宣房は朝廷にいたけど官職に恵まれなかった
時宗が死んで4年半後に後醍醐生誕 それこそ足利家時が幼き貞氏の前で切腹したのが時宗が死んだ直後だし、霜月騒動で吉良貞義の兄貞氏(足利上総三郎)が殺害
貞氏も吉良爺も北条(や平頼綱)の政変で肉親を奪われた者同士
金沢貞顕も父顕時の正室が安達泰盛の娘(母という説も)の為に出仕が遅れずっと苦労する人生に
ドラマ太平記は霜月騒動で安達泰盛一族が騙し討ちにされるシーンから始まるけど今考えると興味深い
最初観た時は何の事かよくわからなかったけど >>240
結城は名門なのにかわいそうだな。なんでもかんでも松平にすりゃいいってもんじゃない。奥平や久松や結城あたり >>252
足利貞氏正室の母は安達泰盛の娘だから
足利高義は安達泰盛の血を引くのよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています