【2023年大河ドラマ】どうする家康★18
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【放送予定】2023年1月8日~
【脚本】古沢良太
【主演】松本潤
【音楽】稲本響
【語り】寺島しのぶ
【ロゴ】GOO CHOKI PAR
【制作統括】磯智明
【演出】村橋直樹、川上剛、小野見知
【プロデューサー】村山峻平、川口俊介
【公式HP】https://www.nhk.or.jp/ieyasu/
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【2023年大河ドラマ】どうする家康part1【ワッチョイ有り】
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/kin/1671782390/
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【2023年 大河】 どうする家康 ネタバレスレ
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1673089554/
前スレ
【2023年大河ドラマ】どうする家康★17
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1673938377/ しかし、瀬名的には、今日で完全に夫への信頼は消えるよな
最後は家康に殺されるわけだが、今日が伏線になるのか。 >>890
だよね~
ま信玄と義元がガチなマブダチだったのは間違いないし、そこをちゃんとセリフにしたのは評価するけど >>900
関係ないだろ?この大河だとアクション起こしたのは元康側なんだから
てか第4回川中島の戦いっていつか知ってます? 公式HP見て、登場人物に
「歩き巫女」がいるのにワロタw
大竹の祖先かw 三河の松平ってイッぱいいるそうだけど家康の本家に取って代わろうとかねえの?
土着して二百年くらいいるんだろ? 身を切るようなどうするで妻子を切り捨てる選択して選んだ三河の連中に
一向一揆で思いっきり背かれるわけだがそうなるともう悲鳴すら上げなくなりそうだ家康 >>902
マブダチってか親父の代から続く同盟関係だから
この大河ストーリーで考え過ぎるとおかし過ぎるのよ。脚本としては致命的なミスじゃねーのx ぬるい脚本書いてるなぁ女だろと思ってググったら外事警察のひとか
あれは面白かったな あるいは、「61歳で死んだ秀吉」(天正大判)が現在の日本国国債の原型なのだろうか?
「茶事って何だろうな?」
信長の考えた「税収」(その日のうちに口説いてしまえ)という発想に対して、
秀吉は、償還期限「60年」の国債を考えたのだろうか?
どうする家康、において秀吉の存在はきわめて大きい。
その上で「京都では血筋・家柄がモノを言う」という陣羽織のシーンもあった。
陣羽織のシーンで「60年」か「80年」かの対決がなされたのだろうか?
秀吉は豊国大明神として関西エリアの神となり、家康は東照大権現として関東エリアの神となっている。
しかし、財務省は「関西」を選択したのだ。 >>906
そもそも家康の松平家は本家が没落したから本家になったんだし
家康が三河をどういうするまで大草松平家や桜井松平家が虎視眈々と本家を狙っていた >>908
義元と信玄は個人的にもすごく馬が合っていたし信頼関係が強かったんだよ
でなきゃ追い出した信虎を預けられないw 俳優の話見ると撮影したシーンかなり端折りまくってるみたいだな
台本とは >>914
大河ドラマの武田信玄では桶狭間の戦いで暗躍して今川義元を殺したけどな 信玄はどう見てもテルマエ・ロマエを意識してるだろう >>893
貧乏で寺を創建出来るわけ無いだろう
松平と水野じゃ、家格が全く違うつーの
松平は天皇とダチの家
松平信光は、天皇の勅願所になる寺を造る経済力がある大旦那であり
その息子たる親忠が創建した寺も天皇の勅願所だった
3代目松平信光創建
・信明光寺(1451年創建)
1479年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
・妙心寺(1461年創建)
1481年、後土御門天皇勅願所綸旨発給
4代目松平親忠創建
・大恩寺(1469~1487年創建)
1492年、後土御門天皇勅願所綸旨発給 どうせいつかはやるんだろうから
信玄は最初から入浴シーンで良かったと思う >>914
おまえはまず三国同盟ぐぐってこい
反論したら江守な? >>923
あの服がローマ人っぽいってコメ多かったわw
やりすぎだわ トウの子孫はどのあたりで出てくるのかな
忍びの女がいるみたいだが 忠勝は生涯無敗なんだからあんなシーン入れちゃ駄目だろ 三河が今川の圧政に苦しんでいたというのは本当なの? >>905
古川琴音だったかな
藤岡弘の娘二人もその時に出てくるらしいな
>>930
女大鼠ってのが出てくるみたいだが
残念ながら演じてるのは40手前の年増
トウみたいにお色気シーンに期待とはならんだろうね
まあ今年はお田鶴とかたねとかは悲劇の最期なので其方を愉しみたいが 今川息子が頭としての能力が育ってなかったって事だよね >>932
「徳川家康」ではそれ描かれてたね
三河の農村で今川兵が狼藉したりとか >>932
三河は、三河守護が領国経営させてもらえず、代わり尾張国知多分郡守護貰うくらいの、足利将軍家の本拠たる御料所
何で今川が足利将軍家に喧嘩売るんだよ
室町幕府 三河国の日本支配構造
【奉公衆】
・奉公衆は、室町幕府に整備された幕府官職の1つ
・将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた
・奉公衆の人数は全国合計250~300人
・三河国の奉公衆は全国で最大人数、又三河国出身の奉公衆も最大人数
・5番衆の番頭
一番番頭 細川氏、二番番頭 桃井氏、三番番頭 上野氏、四番番頭 石垣氏(畠山氏)、五番番頭 大館氏
三河国の奉公衆一覧(全52家)
【藤姓熱田大宮司一族】
千秋、萩、星野、二階堂、毛利(大江氏流)
【足利一族】
荒川(戸賀崎流)、一色、伊奈、上野、吉良、天竺(細川氏流)、仁木、細川、三淵(細川氏流)、和田
【足利被官】
饗庭、朝倉、飯尾、岩堀、大草、高、久下、小嶋、中条、二宮、彦部
【三河源氏】
足助、水野
【三河伴氏】
設楽、黒瀬、富永
【美濃源氏】
土岐、長山(土岐氏流)
【桓武平氏】
伊勢、神谷、山下
【その他】
宇津野、大内、借宿、河内、小林、疋田、桜井、進土、杉山、堤、長、西部、本郷、丸山、三浦、大和 >>934
氏真がもう少しまともなら
このあとの事は起きてないというか
日本史が変わっていたと思う >>824
侍女と言うか松平家臣の妻じゃないのかな
瀬名や子供達まで皆殺しにしたら完全に家康は離反になるから抑えとしてまだ生かす感じか
5話では瀬名や子供達らも牢獄に入れられるらしいけど >>924
確かに乞食坊主が先祖の松平氏と源氏の血を引く水野氏では家格か違うし、経済力も当時国内有数の産業地帯だった知多半島に基盤があった水野氏とボンビー国家三河の一部しか領有してない松平氏では天地の違いがある 先週の予告で
忠勝が死んだようになっている横で元康が泣き叫ぶシーンがあったが
あれは何だったんだ? 源義家から足利義満が死ねまでの三河史やれ
いかに司馬とか山岡とかの小説がくだらないか分かる
そして三河が、今も昔もいかに偉大かが分かる
源義家は郎党NO1NO2が三河武士と伝え、嫡男義親の生母は源隆長(三河守)の娘であり、実は義家実子と言われる為義の生母も源隆長(三河守)の娘と思われる
そして義国の正室は三河国造家中原季成の孫娘
源義家(1039~1106)
藤原季兼(1044~1101)
生没年がほぼ同じの、この二人、三河を舞台に繋がり持ったとしか思えないのである
義家の曾孫は源頼朝であり、季兼の曾孫も源頼朝なのである
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流)
系図:藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))
■藤姓熱田大宮司家(本貫地:三河国額田郡乙見、三河県岡崎市)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(三河県豊田市)に土着
・季兼は、三河国加茂郡(三河県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼は、三河国額田郡(三河県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼は、三河国設楽郡稲木(三河県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を支配下におく
・季兼室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年新城市稲木で過し没した(城ヶ峰の山頂(三河県新城市)に墓あり)
・季兼は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(藤原季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・季兼の息子である藤原季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪)
・藤原季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・藤原季範(額田冠者)の娘(養女(実父は藤原範忠))は源義康の正室となり、足利義兼を生む >>936
何を言っても三河が尾張と駿河に挟まれたボンビー国家なのは変わらない >>932
信玄は甲斐と信濃とではやっぱり信濃のほうが年貢や動員厳しかったらしい >>938
まともなにも有力家臣もかなり桶狭間で討たれたから >>940
三河植民地たる知多が何だって?
一色義範
永徳元年/弘和元年(1381年)、幕府の侍所頭人に任じられ、3年間同職を務める。
嘉慶元年/元中4年(1387年)に詮範が佐渡国の守護を務めたことを示す文書が存在する。
嘉慶2年/元中5年(1388年)、父・一色範光の死により家督を継ぎ、三河国・若狭国の守護に補任される。
明徳2年/元中9年(1391年)、山名氏清・満幸が幕府に対して挙兵した明徳の乱で幕府方に与して武功を挙げ、足利義満から悲願であった若狭国今富名(小浜を中心とした守護領の中核部分であったが、山名氏に奪われていた)を与えられた。
更に尾張国知多郡・海東郡の分郡守護に任じられた。
翌年には子の満範が丹後国の守護に補任された。 >>942
八幡太郎義家の祖父源頼信の時代から坂東と源氏の主従関係は始まっている。
八幡太郎義家の一の郎党は相模の鎌倉党か三浦氏
三河なんておよびてはない 踏んだ手紙を返すなんて、なかなかねちっこそうな信玄だわ >>943
尾張国知多郡・海東郡は、コテコテの三河の植民地
尾張のドン百姓が汗水垂らして作った米は、三河武士がボッシュートだ >>948
一色氏は足利義教の時代くらい既に三河近辺での影響力を失っている >>952
逆
ボンビー国家三河の民が汗水垂らして作った作物を尾張様が徴収して畿内に売り捌いていた >>954
妄想するなよw
先祖代々パシリの尾張猿 帰りたい場所があるのに、現状何を選んでも不利なのに、泣きながらでも下々を選ぶなんて切ない 予告でも使った本多忠勝の討ち死に誤報、必要だったか? >>955
商業を理解してない三河のカッペに言われなくないな >>953
何でもいいが、知多郡に限らず少しは自力でやれよ
パゴヤ城といい清洲城といい、支配者たる三河武士の城だろうが
清洲城の築城者は、元岡崎市民と西尾市民の娘の間の子供の斯波義重
斯波義重
・斯波氏(武衛家)6代当主
・管領
・越前、尾張、遠江、加賀、信濃守護
・正三位
父:斯波義将
・斯波氏(武衛家)5代当主
・管領
・越前、越中、信濃守護
・従三位
母:吉良満貞の娘
・父は西条吉良氏
・父は三河国西条城主
・父は引付頭人
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした >>931
風林火山でもよりによって馬場信春が傷負うシーンあったなw >>960
理解していないとかw
何から何まで、三河のパシリの田舎猿の自覚を少しは持ったらどうなんだ
尾張が商業とかw
向いているのはドン百姓だろうが
古橋家
三河国設楽郡稲橋村(現在の愛知県豊田市稲武町)を本拠地として古くから続く名家で、21世紀になった今では子孫が名古屋市中村区に居住していて、莫大な資産を所有し、愛知県の名門として現在まで続く家柄である。
一族は徳川家と深い関係にあり、子息の多くは名古屋を中心に各界で要職に就いている。現在も日本の有力家に数えられている。
経済界では伊藤銀行副頭取、東海銀行副頭取、日本陶器副社長、松坂屋副社長、中部電力副社長、名古屋鉄道副社長、東邦ガス副社長、ユニー副社長、雀おどり總本店社長、日本精米工業会会長、ホシデン代表取締役社長、古橋家具グループ代表取締役社長、名古屋商工会議所常務理事など古橋家出身者は多岐にわたる。
学術分野でも愛知工業大学教授、岐阜聖徳学園大学准教授、名古屋経営短期大学学長、昭和音楽大学准教授、中京大学名誉教授など学術界においても古橋家出身者は多数いる。
また、血縁関係で見れば名古屋の旧伊藤財閥と深い血縁関係がある。他にも中京大学などを経営する梅村家や金城学園を経営する野村家とも血縁関係がある。
2013年現在の名古屋駅西口の土地の多くは、戦前古橋一族の所有物であった土地である。売却した物件以外に戦後も一族所有のビルが同地に複数存在する。 >>959
史実をもとにしたのかと思ったらどこにもそんなのなかったわ
今後が心配だ >>961
斯波氏の本貫地は陸奥国斯波郡
八幡太郎義家が陣地を築いた源氏の聖地
勝手に三河武士にしてはいけない >>965
斯波氏の本貫地は陸奥国斯波郡
これの一次資料、はよ持ってこい
ねーんだろう
俺様がいくら探してもねーんだからよ >>957
表現の仕方はともかく、激戦ののちの生死確認は大変だっただろうからいいんじゃないの? >>966
じゃあお前も専門家が納得するような一次資料出してみろよ >>961
尾張の田舎猿は日本列島一の無能馬鹿である
パゴヤの田舎者、良くこんなダセー町に愛着があるよなw
■那古野荘(名古屋)
・開発者:小野法印顕恵(東大寺別当)
藤原顕隆→顕頼→小野法印別当
藤原顕隆→顕頼→女→平滋子(建春門院)
■平安時代
・小野法印顕恵が開発
・小野法印顕恵は姪の平滋子に領家職を譲る
■鎌倉時代初期~中期
・領家職は、小野法印顕恵の兄、惟方の孫である経長に移り、女系が伝領する
■鎌倉時代末期~南北朝
・足助氏(三河国賀茂郡足助、三河県豊田市)が領家職となる
■室町時代
・今川那古野氏が領家職となる
初代は、名越高家と今川国氏(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)の娘の子である名越高範か?
・1522年頃、今川氏親(三河国碧海郡今川、三河県西尾市)が那古野城築城
■江戸時代
・徳川家康(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)が那古野の呼び名を名古屋に固定、名古屋城築城
■現代
・豊田佐吉(三河吉田藩山口村)がトヨタグループを発祥させる 尾張足利氏の本貫地は三河国碧海荘、本来なら、斯波氏ではなく碧海氏
この碧海荘は、足利義詮から足利姓を禁止された時には既に御料所にされていて、碧海姓を名乗れなかった
それで仕方なく斯波氏だ
一次資料で確認出来る足利家氏の所領は、三河国碧海荘のみ
だからこそ家氏は三河で出家し、蓮阿と号した
最上氏
大崎氏・最上氏の祖
http://www.inn-suzuki.com/info.html
>中新田城
>斯波家兼が奥州探題に任ぜられ、三河の国からこの地方に赴任
斯波家兼(足利家兼)
父:足利宗氏
母:長井時秀(大江広元の曾孫、室は安達義景の娘(安達泰盛の姉妹)の娘)
空華集 「東海道三河州碧海荘,寔今政府左金吾(斯波義将)祖宗九京(初代から先代)之地也」
「三河国碧海荘は管領家斯波義将の先祖の墳墓の地である」
初代斯波氏である足利家氏は、祖父足利義氏から三河国碧海荘を相伝し本拠とした
永源寺
中世、三河国碧海郡碧海荘内にあった禅寺。管領斯波義将が1380年代に創建。南北朝時代の禅僧義堂周信の詩文集『空華集』に収める「贈雲谿首座赴永源命詩并序」にみえ、錘秀山と号した。
「序」に三河国碧海荘は斯波義将の先祖の墓所のあるところであるといっており、家氏以来斯波氏が伝領してきたのであろう。所在地は「碧海之東」とあるのみでどこであるか不詳である。
応永4年(1397)5月18日、のちに建仁寺61代住持となる玉岡和尚が将軍義満より住持職に補任された(『蔭涼軒日録』文明17年9月15日条)。 もう無理、脱落って言ってるやつ程、毎週しっかり細かいとこまでみて批判してくれる ツンデレちゃん 三河国碧海荘にあったとされる、斯波氏の菩提寺たる永源寺
その寺に足利義満によって送り込まれた玉岡和尚
玉岡如金
越前の人
建仁寺六十一世住持、天竜寺二十八世住持
大物だな 斯波氏の本貫地たる三河国碧海荘に建てられた斯波氏の菩提寺たる永源寺
場所は不明だがヒントはある
三河国碧海荘青野、三河国碧海荘宇祢部
この場所は、現在の岡崎市下青野町
初代伊勢氏たる伊勢俊継が、初代尾張足利氏たる足利家氏に寄進させた所領だ
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
後北条氏(伊勢氏)の祖、伊勢俊継
伊勢氏(藤原俊経→伊勢俊継(初代伊勢氏)→盛継→貞継)
■藤原俊経(****~1238):初代伊勢氏・伊勢俊継の父
・肥前前司
・法名願仏
・弟の相模法橋円辰と円辰の子大進法眼増恵は三河国滝山寺僧侶
・三河国滝山寺に持仏堂を造営する(後に持仏堂は、甥の大進法眼増恵に譲られる)
・三河国滝山寺に古市場御油畠を寄進する
・歴仁元年(1238)5月13日、京都東山一切経の谷で死去
■伊勢俊継(1217~1274):初代伊勢氏
・藤原俊経の息
・伊勢前司
・建長7年(1255)、三河国滝山寺に、足利義氏追善の法華堂(宝幢寺)を造営、この堂に田畠3町8段を寄進、足利家氏に働きかけ、家氏の三河国碧海荘青野、宇祢部の料田畠を寄進させる
・天照大神のお告げで姓を伊勢に変える
・文永11年(1274)6月23日、鎌倉で死去
■円辰(****~****):初代伊勢氏・藤原俊継の叔父
・藤原俊経の弟
・相模法橋
・三河国滝山寺僧
■増恵(1209~1283):初代伊勢氏・伊勢俊継の従兄弟
・円辰の息
・聖蓮坊大進法眼
・三河国滝山寺僧
・叔父藤原俊経の持仏堂を譲られ、自身の持仏堂とする
・吉良荘の奉行として、吉良氏の所領経営をする
・建長6年(1254)、本堂屋根瓦替工事の大勧進を勤め、同年、温室を改造する
・正嘉元年(1257)、一切経蔵を造営する
・文応2年(1261)、山王社の宝殿を改築する
・弘安6年(1283)2月13日、鎌倉滞在中に死去 >>833
水野の言葉ってべらんめえの下町江戸言葉の典型。
三河ことばですらないし、江戸時代でも武家はあんな言葉は使わない。 あまりにつまらなくて、ほぼ9割方5ちゃんやってたわ・・・実況じゃないよ >>983
物を知らない奴だな
水野勝成の孫が、旗本奴として江戸で暴れていた
旗本奴の言葉たる六方詞が、そのべらんめえ口調のルーツだろう
ちなみに、その孫の子孫と称していたのが天知茂だ まあ俺もどうする継続視聴って感じだけど、最後にちゃんと人質の悲劇を描いているところで少し見直した 旗本奴だった水野成之は、家康とノビナガの曾孫にあたる
江戸のべらんめえ口調も、ルーツを探れば、知多、刈谷辺りの中級武士が粗野に話す言葉だったんだろうな さーて見てきたぞ
つーかそのままニュース見てるけど
羽生勝ったのか!
いいねえwww >>987
情の部分を強くしすぎるとストーリーが曲がるから
あくまでも冷静に描いてほしい >972
>979
>982
専門家に一顧だにされない一次資料ww レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。