室町時代(~1400年頃)までの改修

天正末期(1586~91)頃までの矢作川は、原始以来のいわゆる乱流そのもので、網の目のように沖積低地を分流しており、低地には自然堤防が次第に築造されていきました。
14世紀に六名堤の築造と乙川の矢作川合流化が行われました。乙川の開削により、当時の岡崎城への舟運を利用した物資運搬の利便性が向上し、六名堤により乙川旧水路を締め切ることで、六ツ美地域の発展にも寄与しました


15世紀初頭には、岡崎城に直結した舟場があったんや



江戸小唄

五万石でも岡崎様は
アー ヨイコノシャンセ
お城下まで船が着く
ションガイナ
アー ヤレコノ船が着く
お城下まで船が着く
ションガイナ
ア ヨーイ ヨーイ
ヨイコノシャンセ
まだまだ囃そ(ハヤソ)



城下まで船がつくとか、江戸期の奴らは、今更何言ってんだつー話