まひろの生年を道長に寄せたからか、通説の中でやや早めの時期になり、ききょうや倫子たちとの年齢差もそこまで大きくなくなってる
であるならば、まひろとききょうの間柄はドラマで描かれる感じになっててもおかしくないとも考えられる

知人だからこそ、対立する立場の清少納言を公開前提の紫式部日記にああいうふうに書いたんだと思えるのは、個人的には救いでもあるけどなあ