【第三十七回】太平記part.37『正成自刃』
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>>347
つうか勲功華族だらけの近代の爵位と家格だけで家格は語れないでしょう。
あと西園寺も首相在任中は公爵じゃなくて侯爵だったわけだが? >>344
細川忠興は、元々は和泉上守護家の出身であるが、顕氏の子孫に当たる細川奥州家の
養子になった経歴があるので、近世の熊本藩主家は、系図上では顕氏の家系の名跡を
継いだ形になっているな。 >>350
湊川を無視して六甲山に山城築城は
現実的には無理だったと思うな。 尊氏のまわりをウロチョロしてた細川なにがしはなんか出自があやしいよな。 >>359
斯波等と違い、細川仁木は家臣扱いだからな 一門を政治に関わらせちゃ駄目だわ
家臣団でやらないと
足利でのその失敗を徳川では生かせた
ただ最後は一門の徳川斉昭がしゃしゃり出て幕府を滅亡させちゃったけど >>363
無知の知ったかほど
恥ずかしいヤツはいない 北条は一門で独占してたが随分長持ちしたな
足利も15代続いたし >>359
難太平記
>細川・畠山などは義包(義兼)の下から分かれたようである。
当時ですら間違っているからな
あやふやなんだが、一つ言えるのは被官ではなく弱小ながらも足利一門として見られていたんだろう
ただ仁木は被官として吾妻鏡に登場する
足利氏所領奉行番文『倉持文書』
上椙三郎入道
倉持新左衛門尉
設楽太郎兵衛入道
梶原太郎左衛門尉
小嶋三郎
有富三郎
明石二郎左衛門尉
大炊助
『滝山寺縁起』
伊勢(藤原)
板倉
大平(高階)
大谷(坂上)
小野田
和田
足利宗家被官の資料に細川は出てこない
足利宗家の菩提寺は滝山寺、細川の菩提寺は隣松寺、菩提寺も違う 仮説だが、細川、戸賀崎と仁木は生母が違うか、実は細川、戸賀崎は養子入りしたのではないか
細川、戸賀崎と仁木は別行動をとっている
村積山の毒石
村積山(奥山田町 256.8メートル)は、花園山とか、その麗姿から三河富士とか呼ばれているが、山頂に、真福寺(天台宗)の開祖物部真福が、同寺の守護神として村積神社がある。
鎌倉時代には細川氏の守護神となったと伝え、近世には奥殿藩主大給(おぎゅう)松平家の祈願所となった。
この神社正面左側の一段低い所、石の玉垣の中には、しめなわの張ってある「毒石」と呼ばれる2つの岩(右が約1メートル、左が1.3〜1.4メートル)が立っている。
これにさわると病気になるといって村人に怖がられ、玉垣にすら触れる者がないという。
昔、那須野が原(栃木県)にあって人や動物が触れると病にかかったり死んだりするという殺生石の破片が、村積山頂に飛んできたものだという。
あるいは、細川氏の祖細川義季(右)と、一族の村積神社神官である弟義宗(左)の墓とも言われており、村人に大切にさせるために毒石と称したとの説もある。
豊田市隣松寺に所蔵されている『細川家御由緒』には、この毒石は「神霊石」とか「石神」とか書かれ、細川氏の守りの石塔であることが書かれており、墓とは書かれていない。
なお細川町蓮性院にも類似の伝承をもつ石がある。権水(ごんずい)城(3つの細川城のひとつ)のすそ(イタチの道)にあったもので、三本石塔と言われる石碑と共に蓮性院に移された。
供養塚との説もあるが、不完全な五輪の塔である。動かしたり、さわったり、不浄にすると祟るといわれるが、けが程度かあるいはオコリを震うという。これが細川頼之の墓ではないかとの説もある。 大給松平氏は、三河物部氏とも加茂次郎の子孫とも言われるが
仮に細川は同族とすれば、現代において加茂次郎の子孫が日本の上層に君臨しているわけだ
歴史のロマンだわな
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) 細川は定禅の家系が嫡流だったが和氏三兄弟のほうが出世しちゃった このドラマの細川は役者の芝居がクサイ、という貫禄がなさすぎでホント小物に見える。 >>373
細川顕氏役の森次晃嗣さんの事?
全く真逆で良かったと思うけど。 仁義なき戦いでいう槙原政吉(田中邦衛)役だったからな、森次さんは >>377
男山八幡で戦死したんだっけか。
頼之パパだよね。 いや、森次晃嗣はやっぱ芝居がヘタだった。
高橋悦史の桃井の迫力に較べるとダンチ。 >>377
たけし軍団の芹沢名人がやってたでしょ>頼春 反尊氏で主戦派の頭目として描かれてる桃井と実質的には足利被官の細川じゃ、そりゃ演技プランも演出も違うんだから演者の迫力は違って見えて当然だわ。 >>382
だな。
森次を必死に責めるヤツの程度が知れる。 史実の桃井直常と細川顕氏、それを演じた高橋と森次をごっちゃにするなってことだろ >>386
アンチがいるほどの俳優とも思えないんだが・・・
単に演技が気に入らなかっただけだろ
そういうことはよくある >>389
形勢がいい方に味方するという、この時期の武士の典型として描かれてたな。
自分的にはコメディパートとして観てたけどな。 >>390
古典太平記や難太平記でも
激情派の桃井直常
温和で日和見の細川顕氏とあるしな。
両者の演技、脚本、演出とも最高だったな。 >>396
それでも森次は威厳がない
高橋と比べたら格が劣る >>385
>>397
上杉家か役者に何か恨みでもあるのか? >>401
いつも怒ってるイメージしかないw
師直がクーデター起こした時に説得に行ったはずの道誉が
さっさと向こうについてしまってまたいつもの寝返り癖でござる!
と言った時は笑った >>201
>>202
高師春
高師夏
高師秋
高師冬
当人達はお互いに自分の名前をどう思っていたのだろう? 「春、秋、冬ときたら、ワイは夏やろなあ…ほら!やっぱり!」とか。 というか顕氏ってああいうキャラだわそもそも
良いキャストだよ
観応のときに節操なさすぎて、貴族日記にここまで書かれた御仁
かれこれ言詞の及ぶところにあらず、末代これをいかんせん 息子の清氏もやらかしたし。尊氏に忠実な頼春の家系だけが栄えたな細川は >>408
そでも森次晃嗣はやっぱ芝居がヘタだった。
キャラの問題ではない。
高橋悦史の桃井の迫力に較べると分かる。
お前はもしかしてドラマ観ていないダビンチ。 ニュー速に後醍醐天皇スレか立ってて、太平記ネタがかなり多く書き込まれていた 刺客差し向けられてあやうく難を逃れた時、
「おのれ〜、この桃井をねろうたな。タダで済むとは思うなよ!」
と見栄をはる時の迫力は凄かったな。
いい役者を亡くした。 桃井はそもそもそういうキャラだからな
その迫力で直義を巻き込んで死なせたのだから迫力芝居が適切 桃井って、あれ何を目指してあんなギラついてたんかねえ。家柄的には岩松より下、懐具合も細川より下って印象だけど。 あんなショボくて小物くさかった細川の子孫がなんで今の日本を代表する名家ヅラしてんのかって話。 師直を殺した張本人なのに
武闘派の石塔頼房は天寿真っ当。
役者は大根。 >>416
直義派筆頭だったら家格的上位にあった斯波高経あたりが親分になってもいいくらいなのにね。
まぁこの人は政略的には場当たり的であっちいったりこっちいったり。
桃井のような一貫したものはなかったけどね。
そんな高経が息子の代には幕府の重鎮になり、桃井も最終的には幕府に帰参したんだろうけどフェードアウト。
結果的に要領のよさが明暗分けたなぁ。
山名や大内なんかもそうかな。 石塔氏家系図(清和源氏足利流) | 日本秘境探訪
http://syakeassi.xsrv.jp/4233
現滋賀県である近江国蒲生郡石塔邑発祥ともいわれる、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)満季流ともいわれる。ほか清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)足利氏族などにもみられる。 >>424
ありがとう、自宅帰って
太平記ざっと読んで、鎌倉室町人名辞典引いたけどやっぱりWikipedia以上の記載がなく
地名辞典では茨城と滋賀があるけど疑問なのよね 初代石塔頼茂の子である国阿上人は播磨出身とも記載されてるし、色々わからん >>409
清氏の父親は和氏じゃなかったか?
顕氏の子孫は奉公衆で戦国期まで残っていたはず。 >>405
足利将軍家は夏だけ揃わない。
足利義春(義晴)
足利義秋(義昭)
足利義冬(義維) 石塔家は南北朝の足利で
かなり重要な位置にあったと思うけど、
あまり知られていなんだね。
その上、清和源氏で足利庶流なのに・・・。
不思議です。 >>432
滅ぼされたのは丹後守護の家系だけでしょう? 戰に敗れ直義邸で逆切れする尊氏。
[石塔]頼房、ワシはソチを許さん!
特と、下がれ!
この場面の尊氏カッコいい。 「特と下がれ」じゃ意味不明だし、何度聞き返しても「疾く下がれ」だよねw 石塔は固有の所領もほとんど無い血筋だけの連中ってイメージ
直義に取り立てられた最右翼だね
尊氏に上杉達はそち(直義)が取り立てるまで誰にも相手されない連中
と言われてたけどまさにそれ
直義死後も新田の残党と組んで尊氏に潰されるとかまさに無能 石塔頼房って93歳まで生きたんだな。
それだけですげえ。 尊氏の上杉無能呼ばわりは、演出とはいえ少し違和感あったな。
実際は、元来嫡子じゃなかった尊氏、直義兄弟を物心共に支えてたのは上杉だったはず。高義が在世中は、尊氏、直義の足利家中での序列なんて、下手すりゃ足利尾張家当主より下だったんじゃないかな。 >>437
石塔は最初は尊氏に取立てられ、
その後に兄弟分裂後に、
直義方に寝返ったはず。 >>442
畠山国氏(尊氏派)のせい
奥州の足利一族はもう少し仲良く、、、
九州も一色追い出してるしまあ仕方ないね >>434
>>435
>>436
お前ら
本当に太平記
好きなんだなwww このスレの住人はみんな太平記好きでしょ
じゃなきゃ何でいるんだって話になる 足利一門にも権力闘争はあるよ。
血統が良いだけで偉そうにしてる吉良や斯波を見たら下の者たちはムカつくだろう。
その闘争に打ち勝ったのが細川と上杉。 本放送で見てたけど、足利が上方へ攻め上る時、三河で「今川殿も久しぶりよの」って台詞入れた所で、
ああ、このドラマはこういう部分も良く描けているなって改めて思った。
脚本家と時代考証担当の連携が良かったのかな。 >>447
良く覚えているなあ
台詞まで詳細に記憶しているのが
凄い
相当好きなんだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています