【第三十七回】太平記part.37『正成自刃』
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
語源は箱根の関の東=関東って認識なんだけど関所出来る前から関東なのかなと?
上でも仰るように坂東のほうが正しいんじゃなかろうかという疑問です 古くは鈴鹿、不破の関(関ヶ原)の時もあったし
坂東は碓氷の坂の東という人もいる 古代の認識でいうなら、「関東」は不破・鈴鹿の東、「坂東」は箱根・碓氷の東でしょう。
ただ中世以降、だんだん坂東≒関東みたいになり、「坂東八ヵ国」を「関八州」なんていう言い方も生じたということでは? この十九日に、奥州にむけて発向すると全軍に伝えよ!
おお…!
畠山次郎重忠を先陣として鎌倉を発進する。
さらに伝えよ!坂東全土の軍は要所要所にて結集し、従うべしと!
おおう!!! 上のほうでも指摘が出ているが、“東国の武家政権”の意味で「関東」の語が使われた
ことも大きいかな。
あと「関西」は近代以降の用語だったはず。 冠者は女設けに来にけるや〜♫
|艸^)プププ >>956
「要所要所」のセリフを聞いた時、みんなてんでんばらばらな所に集まりゃいいのにと思ったわ。
下手すれば頼朝旗本の千騎だけで奥州特攻。 >>934
さすがに当時の宮沢りえやゴクミよりは格上 >>960
今の沢尻って当時の樋口可南子と同世代だろ
この比較でも相手にならないが 樋口可南子と宮沢りえか
日本における合法ヘアヌードのパイオニアが
2人そろって大河に出演していたとは感慨深いな >>963
てぇか石橋の夫人だったのかェw
知らんかったずっと
――
【二世女優】石橋凌と原田美枝子の娘・石橋静河、初主演映画舞台あいさつで長い沈黙
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/idolplus/1494660976/ 大河ヲタなら知っておきたいレベルの情報ではあるな・・・。 俳優の親族関係まで全部調べきれん
大河出演2つずつだけだし
主演と主ヒロイン格ならともかく 密かに出ているトヨエツと常盤貴子
トヨエツはあの後どうなったんだ 高師直さんは嫁息子、さらに息子の嫁の一族を巻き込んでいつのまにか役者界のドンになってる。
太平記まんまのキャラになったな。 www2s.biglobe.ne.jp/tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki38.html
◇内容◇
?
…雪の降る尊氏本陣に、足利直義が駆けつけてきた。尊氏は母にもらった手本をもとに地蔵尊の絵を描く日課を行っていた。 「兄上もすっかり抹香臭くなられたものよ…」 と直義は嘆く。そして尊氏が直義に一言の断りもなく和議の使者を送ったことに怒りを示した。
尊氏は謝りつつ
「今が戦をやめるよい潮時じゃ…」と言い、形式上は持明院統と後醍醐の和議ということにして向こうの体面を保ち、義 貞を朝廷から引き離すという考えを述べ、徹底的に帝の権勢を潰そうとする直義をなだめた。
やがて東坂本の義貞の陣に洞院実世からの使者が来て、帝が尊氏と和睦し、京へ戻ることになったと知らせてきた。義貞にはまったく寝耳に水で、「帝が…尊氏と和睦!?」と義貞は愕然とする。
比叡山の行在所では京へ戻るべく帝が立ち上がったところだった。そこへ義貞の家臣・堀口貞満が 「しばらく!」と駆け込んでくる。
「無礼者!」と叱る公家を尻目に、貞満は「本日のにわかな御動座に異議がござります!」と訴え、義貞に何の断りも無く尊氏と和議とは何事と不満を述べる。
公家達は「これは持明院との和議」と諭すが、貞満は「どう名分をつけようとそれでは我が殿が逆賊の汚名を着ること にっ!…」と反駁する。
「我らが殿を見殺しになされるおつもりか!?」と貞満が叫んでいるところへ、「堀口ッ!控えよっ!」と義貞がやってきた。
義貞は帝の前にかしこつつ、「この義貞すらも、これへ参るまでは全く逆上気味でござりました」と言う。帝は「早まるな義貞。京へ戻るは一時の策に過ぎぬ…。なんの私心あって新田を見捨てようぞ…」と宥めた。
帝は自分が京へ戻るのは考えあっての こと、と諭し、北畠親房、四条隆資、懐良親王らを各地に派遣して官軍が立つのを待つのだとの考えを明かす。そして義貞には皇太子の恒良親王と尊良親王を奉じて越前へ向かうよう命じた。
そして恒良親王に帝位を譲っておくから逆賊の汚名を着る心配はないと義貞を安心させる。「義貞、そちが頼りぞ!」との一言に、義貞は平伏する。
間もなく義貞は親王らを奉じて、雪の中、北陸へと向かった。 堅田に陣を張った時、思わぬ人が義貞を訪ねてきた。義貞は陣屋に駆け込むと「内侍どの…!」と声を上げた。「義貞さま…!」どうしても会いたいと追いかけてきた勾当内侍だった。
寝所で二人は抱き合いながら語り合う。
「内侍は…あなたさまにお会いして、初めて人を愛する喜びを知りました…それまでの私はただ人形のように待つばかり…あてもない気まぐれな心を…でも、左中将殿の愛は確かっ!こうして触れ、確かめることが出来る…」
「儂とて、焦がれることがどういうことか、そなたと会うて初めて…」
内侍はどうか連れていってほしいと義貞に頼むが、義貞は冬の厳しい北陸の暮らしは都育ちの内侍には無理と諭し、春になり体勢が整ったらすぐにも呼ぶと約束する。それでもすがりつく内侍を義貞はなだめながら抱きしめるのだった。
…結局これが、勾当内侍と義貞の永遠の別れとなったのである。
義貞軍は木芽峠を越え、敦賀入りを目指す。しかしこの建武三年は異常な寒冷気候に見舞われた年で、義貞軍は極寒の中の行軍に加え、度重なる敵の奇襲にもさらされる。散々な苦労をした末に義貞らはようやく越前敦賀の金ヶ崎城に入った。
一方、京に戻った後醍醐天皇であったが花山院に幽閉された。そこへ見舞いと称して尊氏が訪ねてきた。
「さぞやこの尊氏にお怒りのことと…幾重にもお詫び申し上げまする…」
と言う尊氏に、帝は
「飾る言葉は要らぬ。まことを申せ。まことのそちの思いを…」
と応じつつ「天下を率いて立とうとは思わぬ」と言っていたのは偽りだったのか? と尊氏を糺す。尊氏は、この一年天下のうねりに乗って関東から九州まで駆けめぐり世相をよく見てきた今の自分は、すでに一年前の尊氏とは違うと答える。
建武の新政は失政多く、武士だけでなく庶民も批判を高めているのを自分は見てきた、と語る尊氏に後醍醐は「新政はまだ緒に着いたばかりじゃ…」と反論する。
しかし尊氏は後醍醐が理想とした延喜・天暦の時代とは「世が変わり過ぎており申した……」と鋭く突く。
武士の数も多くなり、庶民の生活も複雑化し、 何より人の考えが変わっている。昔の官制ではとうてい天下の統治は無理であると尊氏は言う。
「どうあっても、幕府を認めよと申すか?」
と言う後醍醐天皇。尊氏は旧北条とは違い公武力を合わせて政治を行うと力説する。
>>976
最近ドラマで小汚ない感じのおっさん役やってたけど似合ってたよ
よい意味で >>988
『毛利元就』で富田靖子が言った「殿、チャンスでございます」のインパクトには、かなわないw >>989
まともな台詞が自裁するときだけだったな 六波羅陥落の報を受けたシーンでも
「顕子の父も・・・」というセリフがある。 >>993
見ないわ
あの頃、年を重ねながらも美しい藤村志保さんも近年はどうされているやら >>995
風林で寿桂尼やったのが最終なはず 違ったらごめんなさい >>996
その後に官兵衛のナレーションを5話で降板ってのがあったな。 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 169日 23時間 51分 55秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。