【第四十一回】太平記part.41『帝崩御』
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しかし再来年の三谷大河は、果たして義時をどう描くかな? >>952
口癖が「とかなんとか言っちゃってぇ」
三谷大先生は昔の大河のオマージュが大好きw 三谷は大河をまた書きたい、また書きたいと言って新撰組でコケたのに真田丸かいてまたコケたのに今度は鎌倉物かい!という感じ >>952
忘れてた
よく知らんが、他の御家人を次々と滅ぼしていったりする過程かな 鎌倉殿の次は楠木正成書きたいですねーと言わないことを望む
三谷は嫌いじゃないが三谷版太平記はあまり見たくない >>951
いやいやあの時期に子作りばっかしてるわ三浦の別荘に遊びにやたら行くわ
のんびり人生満喫してるように見えるぞw
でみ三谷は勝ち組描くの嫌いだから悲壮な感じ出すかも
勝ち組嫌いだから楠木あるかも >>958
勝ち組嫌いなら「三浦三代」でもやればいいのにな 三谷脚本は途中まではそれなりに面白いのだが、最後がしり切れとんぼになるからなあ
だから新撰組の時なんか、人気のお陰でスピンオフまでしたからなんとなく完結できた >>958
子作りは当時の武家にとってはそれ自体が仕事みたいなものやけどな
子沢山のほうがそれなりの勢力になるし >>955
新撰組でも真田でも素材の良さが半分以上あるからな
脚本は… 勝ち組描くの嫌いなのを吹き飛ばすぐらいにあの頃の北条家
おもしろいんだろう三谷的に
姉は駆け落ちに側女襲撃に尼将軍
妹は将軍の乳母
父は陰謀家で義母はマクベス夫人
息子はまっちろちろな偉人
本人は成り上がりの天下人に
2番目の妻はスーパー美女で結婚も離婚も大騒動
という有様だからなw >>955
新撰組はともかく真田丸がコケたは言い過ぎだろう 新撰組はあまりにも善人の集団みたいな脚本でつまらなかった
もっとドロドロしたものが見たかった 主人公は義時ではあるけど、主役は13人なんだろう
義時は勝ったというより、勝ち残ってしまった、みたいな感じになるのでは
執権北条氏も結局滅んでいくというのはこの太平記でわかってることだし >>966
では三谷大先生に「北条十四代」でも書いていただきましょうや 義時の頃は幕府の威勢は輝き天下は塵ひとつなく静まっている
と書かれた
その100年後の鶴ちゃんの時はあれだよ
奥州の僻地の揉め事放っておけと言えないのも歴史的背景が >>967
「北条十四代」なんて言い方するか?
このドラマのセリフでも出てくるが、得宗家なら「北条九代」が一般的。
あと執権の代数なら、最後の守時は16代目。 >>955
歴代大河DVD売り上げトップの「新撰組!」がコケた扱いなら、「真田丸」の依頼が無いわ。 元寇を題材にした大河をやって欲しい。
日本史でもかなりの大事件だろうし、漫画のアンゴルモアで話題になってたし。
あるいは北条時宗の完全版DVD出すか、BSか地上波で再放送して欲しい。 と言うか高氏ってその日初めて有った女性に速攻で中出ししたのかよw
しかもそんな事をしといて実の子の直冬を母親の身分が低かったので
自分の子と認めようとしなかったんだよな
それで仕方無く直義が養子にしたと >>971
時宗は放送当時、久々の鎌倉大河ということで期待して見たけど、いざ始まると
残念としか言いようがない中身で、見ていて怒りさえ覚えるような感じだったからなぁ。 >>970
スピンオフでスペシャルやったのも新撰組が歴代大河で唯一だっけ? >>973
前に荒れたネタだが、白拍子は売春もやってるんで高氏側の問題ではないはずなんだ
だが藤夜叉が高氏の子だと確信してるからには他の奴とはヤってないし、
ドラマの都合で何かよく分からん存在にはなっているな 藤夜叉と石のパートは蛇足
庶民視点は必要だがそもそもつまらないのだから蛇足
「悲恋」も緒形拳がいなかったら悲惨な回 時宗は若い執権が死の病の中で元寇に対処するあたりの切なさには泣けた
でもモロモロの創作が酷すぎたからな
赤マフは史料あるからそれはいいが言動がうざすぎて >>977
あの二人って麒麟でいう駒と菊丸だからなあ
伊呂波太夫はまんま花夜叉だし
あっちファンの間でも駒たち要らね扱いされてるわ 太平記見る前は源頼朝の血筋が断絶して以降は足利氏は源氏で最も高い家柄なので
源氏の武将はみんな足利氏にペコペコしてると思いきや
佐々木道誉は足利高氏に対しまるで対等の立場で有るかのような
態度や話し方で正直驚いたんだが
将来征夷大将軍になるお方に対等の話し方とは失礼ではないのか?
高氏が将軍になる前は別にペコペコしない武将も居たのかね?
ちなみに新田義貞は自分は無位無官の御家人と足利貞氏に
ある程度ペコペコしてたけどね
まあ高氏では無く貞氏が相手と言うのも有るのかもしれないが >>980
駒が殺されて菊丸が途中フェードアウトするとこまで同じだといいなw >>977
もう少し先に出てくる「秋霧」とかも、内容が割りと薄い回だと思うよ。 >>981
鎌倉中期頃に、足利と結城が家柄論争みたいなものをしたときに、鎌倉殿の御家人という
点ではみんな同格みたいな裁定を幕府がしているし、当時の幕府の有力御家人たちには、
相手が源氏の嫡流足利であろうと、必要以上に下手に出るメンタリティはないでしょう。
それに足利が源氏の嫡流というのも、実際には足利よりも男系血縁で頼朝に近い家系は
普通にある。
ただ幕府内の政争で他の有力な源氏一門が消えていくなかで、鎌倉後期には結果的に
足利が源氏諸家のなかの最有力な家になっただけだし。
まあ家柄的に、政権転覆を図るような戦争・政変の際に旗頭にされ得るような潜在性は
実際あっただろうけど。 >>981
道誉は円喜まで振り回すキャラなんで、足利にペコペコしてたら逆におかしくね。
ドラマ内で言えば整合性あり。
史実の方は知らんので何とも言えないが >>984
分かっているようで分かっていない、何回言っても分からんクルクルパーだな
佐々木秀義の正室が為義の娘だからだろうが
足利氏が親戚として尊重していたのは、為義の血を引く一族と三河の藤姓熱田大宮司一族
足利一門以外では足助氏、吉見氏、熊野別当家、佐々木氏
源為朝を我が祖神と明言したタカちんの頭の中はこうだ
源義家→為義→為朝→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
源義家→為義→為朝→女(足助重長(三河国加茂郡足助)の娘)→足助重秀→重朝→重方→親方→貞親→重範(後醍醐天皇軍総大将)
源義家→為義→義朝→範頼(三河守)→範円(正法寺(三河県豊川市)僧)→吉見為頼(初代吉見氏)
源義家→為義→女(鳥居禅尼)→行快 (22代熊野別当、三河国蒲形荘、竹谷荘地頭)
源義家→為義→女(鳥居禅尼)→鳥居忠氏 (初代鳥居氏、三河国額田郡渡)
源義家→為義→女(佐々木秀義の正室)→定綱→信綱→京極氏信(初代京極氏)→満信→宗氏→高氏(道誉)→高秀(三河国額田郡下和田郷領主)→高詮(三河国額田郡下和田郷領主、三河国渥美郡領主) >>984
大体だな、頼朝が所有していた源氏の宝刀(源氏の宝刀はいくつかあったらしい)は、政子ちゃんから足利義氏に譲られてんだよ
最終的には、西尾市の御剣神社の納められた
北条が乗り越えられなかったのは、頼朝が構築した三河システム(三河縁者が武家社会を牛耳るシステム)であり
その三河システムの存在は政子ちゃんは周知の事だ
頼朝やその息子孫がいなくなって、政子が頼りにしたのは三河で繋がる人々だったのは明白だろう、政子の葬儀奉行は三河守護の足利義氏だった
金剛三昧院(本尊、愛染明王は北条政子が、当時仏師として世間に名を広めていた運慶に依頼し、頼朝公の等身大の坐像念持仏として作成)
・建暦元年(1211年)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建する
・承久元年(1219年)、源実朝菩提のために禅定院を改築して金剛三昧院と改称し、以後将軍家の菩提寺として信仰する
・貞応2年(1223年)、北条政子が禅定如実として入道し、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うための多宝塔(国宝)を建立する
・嘉禎4年(1238年)、足利義氏は政子の十三回忌にあたり、当院に大仏殿を建立し、丈六の大日如来像を奉安して、政子と実朝公の遺骨を納める
・源実朝
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝→源実朝
葛山景倫(願性)
藤原実範(三河守)→女(藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)の妹)→高橋惟康(三河国高橋荘領主)→鮎沢惟兼→葛山惟忠→景忠→景倫(願性)
・安達景盛
小田野兼広(三河国八名郡小野田)→安達盛長(三河国小野田荘地頭、三河守護)→安達景盛(三河国小野田荘地頭、1221年まで三河守護だったか?)
・足利義氏
藤原実範(三河守)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司、額田冠者(三河国額田郡))→女(養女)→足利義兼→足利義氏(三河守護) 鎌倉期は女でも親の遺産相続とかできた時期があったから女系もそれなりに大切にしてるかもしてるが、所詮は女系でしかない
佐々木道誉が力を持ってたのは、足利の女系だからではなく、尊氏との人間関係が強固だったからだと言える
尊氏との人間関係ができる前は執権高時の御相伴衆として仕えて得宗家からの信頼を得て朝廷からも検非違使に任じられていた
実際、高時が出家時に一緒に出家して道誉になってるし、後醍醐帝の信任も厚かった
だが、尊氏と倒幕に向けて共闘し始めてからは、完全に尊氏党として時には相手に降伏した後も内応して尊氏軍を助けたり、直義親子を京都に尊氏らと包囲網をしいて勝利に導いている
尊氏死後も義詮の後見として足利幕府の実質最高権力者の力を発揮している
これもやはり尊氏と道誉との人間関係の元で成り立っていたものが礎になっている >>986
為義の名前を見るとコヒさんが浮かんでつい「頑張れ、ダメ義!」と応援したくなるw
あそこら辺の源氏って面白いんだよなぁ 986-987はいつもの三河屋コピペだろ
釣られずに無視しろよ 録画して貯めているのをぼちぼち見て行ってるけど楠木正成が本当河内の気のいいおっさんだな
戦死回は今でいうところの正成ロスが当時すごかったろうな 公家筋の阿野廉子のほうじゃなくて
武家になった阿野氏のほうが足利より近いのか?
でもこっちは弱小でどさくさで新田義貞に滅亡させられたからな
そういう事考えると超弱小地頭クラスで血筋は近い奴なんてそれなりにいたんじゃろ 足利内でも各庶長子系の細川畠山吉良斯波で血統だけでどれが格上か?なんて決められ無いからその時に一番勢力のある一族になるでしょ 戦の相手は北条のガキや
得宗殿いわしたるんや おどれらも同じ思いやろが よう決心しやはったわあ
その相手やったらみんないきりたちまっせ >>993
第1話に出てくる吉見氏は源範頼の末裔だよな
ドラマ内のセリフでも言及されているが
>>994
足利一門内での序列はハッキリしていたと思うけどな
初代が得宗家出身の女性を生母とする異母弟に足利宗家の相続を譲ったことによって
成立した吉良氏と斯波氏は一門内でも別格。
そしてこの2氏と他家の名跡を継いだ形になっている畠山氏は、足利宗家とは別に
鎌倉幕府から御家人として掌握されていた。
一方、源平争乱期に勝手に木曽義仲に与して戦死した義清の子孫の仁木氏や細川氏は、
庶流と言いつつ実質的には高氏や上杉氏と同等の被官人扱いだったとされるわけで。 このスレッドは1000を超えました。
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