【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
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もともとこういうもんだからさ武士は
京の人間にはわからなくても
承久の時に後鳥羽が乗ってる籠の御簾をぞんざいに開けたとかいうのも
そらそういうもんだろ罪人だからとしか
ありがたがるのは知識階級だよ 今は秋篠宮のせいで皇室の権威は地に落ちてるがなw
簡単に落ちるレベル 天皇は本来はあんまり表立っちゃいけないんだよ
御簾の奥で威厳を保ってなきゃ
じゃないと、何だ普通の人と同じじゃんってバレて舐められることになる >>840
織田信長だって最初から自らが天下人になる意志を明確に持っていたわけじゃない
彼が明確に自らの天下を意識するようになるのは実際には長篠の戦いの後くらいから それこそ後世のイメージ付けじゃん
藤原氏の専横の中で
穢れという理由付けで桓武天皇が東征事業を完了したら
軍権を放棄してしまったし軍権持ってたら
それをもって藤原氏を排斥する天皇も出てくるからね
孝謙天皇とか誹謗されてるけどやろうとしたことは藤原排斥
天皇親政だろうし >>853
奈良時代頃までは天皇が政治でも戦でも陣頭に立ってたよ
飛鳥時代の斉明天皇なんて女帝であるにもかかわらず
67歳という当時としては高齢の身で軍を率いて筑紫まで出陣した >>841
物を知らない部外者か?
足利氏にとって、祖神は源為朝
親戚とみられていた
源義家→為義→為朝→足利義兼(初代源姓足利氏)→義氏(三河守護)→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
源義家→為義→女(佐々木秀義の正室)→定綱→信綱→京極氏信(初代京極氏)→満信→宗氏→高氏(道誉)→高秀(三川乃国額田郡下和田郷領主)→高詮(三川乃国額田郡下和田郷領主、三川乃国渥美郡領主) そこまで遡って親戚扱いするかと言う部外者もいるだろうが
源頼朝は源義家の嫁に繋がる日野親光を親戚と呼んだ 土岐もどうせなら光厳上皇ではなく後醍醐にやって欲しかった。
ただ、あとで尊氏に庇われることもなく、即刻処刑になりそうだが。 さすがに現役の天皇に危害を加えると祟られるからやらないよ
院や親王ならOKという風潮(護良)
光厳院もフリーな立場だから夜に少ない共で外出できる
しかし光厳院は治天の君で北朝の親分だったのが拙かった まだ道誉エピソードの薀蓄合戦やってんのか?
しょうもなw >>855
奈良〜平安初期頃の段階で藤原氏の専横はないだろ
太政官の公卿も非藤原氏のほうが圧倒的に多い状況なのに >>862
とりあえず誰かが「結局佐々木道誉ってどうよ?」と言えば終わるのでは? >>823
尊氏と登子の出逢うきっかけ作ったのは清子なのに皮肉なもの。 清子は足利と北条が仲良くして欲しい思ってたのに戦になるし
尊氏と直義に仲良くしてほしい思ってるのに戦になるし
見事な逆神 佐々木判官からみれば上皇なんてゆるキャラみたいなもんだろ ふなっしー扱い
「いつでもくまモンに乗り替わってもやってもいいんだぞ」 >>836
うわぁ、ドロドロだな・・(|||´Д`)
佐々木判官の言う通り、弟に政を丸投げしたのは大失敗だったね。
そのせいで、直義も師直も死んでしまった。 足利尊氏、佐々木道誉
2人とも本名は「源高氏」
お互い源高氏ですなあ、はっはっは
みたいな会話があったかも 光厳上皇を大河の主役に据えた場合
後醍醐:中尾彬
尊氏:伊武雅刀
義詮:木下ほうか
土岐頼遠:竹内力
これで良かろう。 >>871
私本だと、
「高氏違いじゃ高氏ちがいじゃ。あははははは」
と馬で駆けていく土岐頼兼にくっついて伊吹の館にいき、
「みどもが佐々木佐渡ノ判官高氏におざる」
「足利又太郎高氏におざりまする」
「高氏と高氏。これがまことの名乗り合い」
「(いや、似ても似つかない赤の他人だろう)」
というよく分からん出会い方をしている、
で、藤夜叉を差し出されて・・・・ >>873
>>871
ドラマの道誉初登場シーンでは「近江の佐々木高氏」と名乗っているな >>852
秋篠宮家のせいでは無く、借金踏み倒したいじめっ子のせい。 >>882
秋篠宮さんの若い頃のご乱行を知らないからそんなことが言える
まあマスコミとかは報じないからね >>883
そのご乱行とやらもマスゴミ様の創作物だから
平成のはじめは皇后叩き、そのあとは東宮妃叩き
簡単に信じる人がいると作文かいている方は楽しいだろうな >>886
ガイドブックでは、内侍は義貞の死後にじっくり描かれるみたいですね
(宮崎萬純・談)とあるが、実際は義貞の死後は出番はなかったな >>871
明治新政府も建武新政の中興という建前があったので、
西郷隆盛も正式には「源」姓を勝手(?)に名乗って政府に出仕してた。 当時の武士は下っ端でも建前上は源平藤橘の何れかを名乗っていた
大村益次郎も武士になった段階で適当に決めたはず >>887
大河本の時点だと相手がショーケンの予定だったろうからw
根津さんはあんまり勾当内侍とのロマンスに乗り気な感じもしなかったし、
内侍も「10年間、帝に見向きもされなく適齢期も過ぎ、簾子先輩が新田を紹介」みたいになってたし。
義貞も義貞で、叡山撤退後の再会も「忘れてた、いたな」みたいなリアクションだったし。 >>889 そういえば徳川家も家康の代になって突然「藤原氏の末裔」であることがわかったらしいね >>892
いや征夷大将軍になるために無理矢理
新田義貞の子孫と言うことに家系図を偽造… >>871
戦国大名の尼子氏って佐々木道誉の子孫だったんだな
自分山陰出身なのに今まで全然知らんかったわ NHKアーカイブスより抜粋
主役の敵側になる後醍醐天皇役は本当に嫌でお断りしていました。しかし「嫌だ、嫌だ」と言っていたら、大河ドラマのディレクターが僕のいる京都まで通ってきたんです。しかも高級なウイスキーを持って(笑)。何度も来られたのでついに口説き落されてしまいました(笑)。撮影が進むと、本番に入るまでの段取りがあまりにも悪く「役者の気持ちがわかっていない」と怒ったこともあります。役者は気持ちを持って本番に臨むので、段取りが悪いとストレスが溜まるものです。当時まだ若かった主演の真田(広之)さんを始め、ほかの共演者の皆さんが我慢していらした。皆さんから「よく言ってくれました」と感謝されました。 >>876
翌年の「信長」では序盤で主人公に打たれる守護代さまだっけか? >>888
薩摩西郷氏は肥後菊池氏庶流の肥前西郷氏の流れと称しているはずだから
西郷隆盛が本姓として名乗ったのは源氏じゃなくて藤原氏じゃないかな?
>>893
徳川氏(松平氏)の主張する家系は新田義貞ではなく新田庶流の世良田氏(得川氏)だな
ただこれは家康が初めて称したのではなく祖父清康の頃からの自称というのが正確 正成、義貞、後醍醐が亡くなり、我が世の春を謳うかと思われた尊氏が次には兄弟息子と殺し合うことになるとは
なんという阿修羅道か…
覚一法師も黒白問答で問いたくもなるわな 藤夜叉と石がいなくなって、一気に話が引き締まった面がある
1部はだらだらしすぎ >>893
自民の片山さつきが義貞の子孫を自称しているのよりはマシでしょうね 23年度にBS1とBSPが統合とのこと
大河再放送や新日本紀行はどうなるんだろう
新日本紀行はともかく、大河再放送は4Kに移行なんてないだろうし
地上波でやってくれないかな
色々言われているNHKだけれど、自分は受信料払ってでも観たい番組があるから(ただ、高い)、何とか良い番組は残して欲しい 昔の大河や朝ドラが見られなくのならスクランブル化とやらは反対だな 道誉って本当は「導誉」らしいが「道誉」と書かれても本人も気にしなかったらしいね 公家の日記に「入道々誉」との記述があり、そこから「道誉」が出てきたらしいね
本当は「導誉」が正しいらしいが >>903
正確に言うと
BSプレミアム(旧BSハイビジョン)が
BS 4Kと統合なのでは >>902
織田信成って
本当に織田信長の子孫なのかね? >>901
駒と堺正章と岡村隆史も
いないほうがいいと言うんですか? 前半がトロトロで中盤から駆け足
プロデューサーはペース配分間違ってねーか? >>914
石の部分で話を進めたらちょうど良い配分だったかも
藤夜叉は母親だからある程度は仕方ないかも >>889
それは花神の総集編でありますね
桂からようやくお雇いから正規武士になれたましたら、あとは係りの役人と…言いにくそうに。
係りの役人「家系図?そんなもん適当で良いですよ。作ってくれる人がいますから」
大村「他の人は嘘でも300年経ってますからいまさらできません!」
ということ家系図はなしで藤原ですね >>892
それはこの前のNHKの番組で、今川義元の後に三河守になろうとしたけど家柄がナントカで却下されたんで、近衛さんに頼んで藤原にしてもらったとかやってた >>910
熱意と情熱と金があれば誰の子孫にでもなれるものなのだよ 新田の子孫として男爵になった岩松もよく冷静に考えるとあやしいけどな NHKは受信料の余剰金があるらしいな
俺は払ってないからどうでもいいけどw >>910
大元の織田家側からは否定されているし
母親も色々と知識を間違えていて
家系詐称なのはスケートファンの間では知られている >>907
幕府からの当人宛ての発給文書の宛名とかでも「道誉」表記と「導誉」表記が混在している
まあ当人の署名は基本的に「導誉」なのでこちらが正しいのだろうけど >>920
実際の岩松氏は男系では新田ではなく足利の庶流で間違いないだろう
岩松満純が実は新田義貞の孫(義宗の子)というのはどう考えても胡散臭い 平安時代に「導」の簡略文字として「道」ができたからな
どちらでも正しい 日本て姓と名字とあるからな
家は血筋と別で誰がついでもいいんだから別に誰がなってもいいと思うよw 昔の人間って名前や苗字の読みが合ってれば漢字の間違いにはルーズだったらしいな 陣内トメは45回「政変」、48回「果てしなき戦い」の2回か 江戸時代になると
系図(家系)の売買とか公然の秘密になって
家系図作成士みたいな職も生まれた
みたいな事をきくけど
太平記の時代だと
まだ家柄より実力の時代かな >>932
「王家」と「皇家」とかもそうだな
どちらの表記も当時は気にせず使われる
神経質に気にするのは現代のネトウヨだけ >>933
あの御所巻の時の判官殿は最高に格好良かった
それこそ判官殿のくせに生意気なくらいに >>935
そもそも昔は大王(おおきみ)だった訳だしねw いまだにNHKの受信料も払えない貧乏人がこのスレにいるとは笑止な 太平記て名前が凄いわ。どこが太平なんだ、戦と殺し合いばかりの時代で。
諸説あるが、太平を願って描いたからが一番しっくりくるな。 軍記物ならそこは異論ないだろうな
ここまで長編の軍記物は他になかなかないし >>937
さらにいえば例えば「尊王攘夷」とか「王政復古」とか
天皇の意味で「王」の字を用いている事例は近世・近代でも普通にあるよな かみ、すけ、じょう、さかんの漢字のバリエーションの多さは嫌になる
もともとが日本語に借りてきた漢字を当てはめてるんだからやむ無しだけど >>939
後醍醐の最後の台詞から取ったという説が有力 N「幕府を揺るがす大事件が待っていた」
土岐頼遠の事件のことだな 誰だよ清子の死だなんて言ってたのは >>948
俺だけど、ちゃんとネタってわかるように書いてただろw >>948
尊氏が上皇を軽んじたのも一因な気がする >>946
只生々世々の妄念となるべきは朝敵を悉く亡ぼして四海を泰平ならしめんと思うばかりなり。
だっけ?
太平記そのものが後醍醐の鎮魂のためという説もあるしね。当時の人からすると天皇が二人いるという異常事態に加え戦乱が終わらない様相に、後醍醐の怨霊を恐れたとしても不思議じゃない。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。