100分de名著
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http://www.nhk.or.jp/meicho/ 国柱会だったかな?
宗教って力が出るんだろうな
祖父ちゃんは天理教徒だった時が一番精力的だった。
二代目の教会長が金儲けに走り、幹部だった祖父ちゃんが宗教本来の活動に戻そうとするので
はぶられて脱会したんだけど、晩年は寂しそうだったな。
脱会した時に教会長の奥さんがせめて毎月のお布施はと言って祖母ちゃんもびっくり。
むろん断った。 宮沢賢治は熱心な宗教家ではあるだろうけど、法華経に染まりはしなかったんだろう。
法華経は賢治が知りたかった答えはくれなかったけど問題提起はしてくれたんだろうね。 >>750
信じるものがあるというのは精神的な支えになるんだろうな >>752
みたいだなあ。
オヤジとか俺は凡人なんだが、葬式のときにその交際範囲の広さにみんなびっくりしていた。
人の世話をするのが好きで、親戚とかほとんど世話になっているんだよなあ。
何か信じられるものがあると、違うんだろなあ。
賢治もその口だったのかな。
ということは信じられるものが無いというのは弱いということでもあるのか。 >>751
「染まらなかった」
これは面白い指摘。
そうかもしれないと思わせた。 三木清は全集が家にあった記憶がある。
明日の朝再放送だな。 幸福の概念は新鮮だった。
ただ、それは生存最低条件が満たされている場合に可能なのかなとも思う。
北朝鮮とかだとどうかな、なんて思ってしまう。 見てないけどw
幸福の感じ方なんてのは人それぞれで
あくまで相対的なもんだからどこに住んでても人は幸せに感じるもんよ
アラスカの僻地の1年の大半が氷に覆われてても幸せと思える人もいる
アフリカの灼熱の大地で生きる人も幸せを感じてる 宮沢賢治を見直してみたんだが、
タイトルロゴの「宮沢賢治スペシャル」の影が「中原中也詩集」になってるなw >>757
そうなんだろうな。
三木清は興味なかったけど、面白そう。 カントの永久平和論の解説は面白かったなあ。
中世哲学も見直されているとか。
市井の哲学愛好家はキリキリ舞。w 個人の幸福の追求とか
個人主義を否定する日本会議界隈には邪魔な概念だな
先生前からApple Watchだったっけ 一色に染め上げたいんだろうなあ。
しかも自分の価値観で。 あの手のモノは最終的には、
「他人と比較するな」「自分の現状を幸せだと思えば幸せ」
に行きつくんだろうな。
「自分個人の生活を切り詰めコミュニティに尽くすことこそ幸せ」
って幸福は認めないんですかね? >三木清は、疥癬で、栄養失調と不眠とで死んだらしい。三木清が疥癬になったのは、疥癬の病気をもつ
>囚人の毛布を三木清にあてがった疑いがある。それは、巧妙にしくんだ殺人である。九月二六日朝、
>看守が三木の独房の扉をひらいたとき、三木は木のかたい寝台から下へ落ちて、床の上で死んでいた。
>干物のように。
> 日本政府は、敗戦後にも、三木清を釈放しなかった。そして日本人民は、三木清を救いだすことができ
>なかった……。日本は、戦後、おそらくもっとも重要な思想的な仕事をしたであろうひとりの思想家を
>失った……。
> 三木清の獄死のニュースを聞いて、ロイター通信の記者がすぐに事情をしらべた。そして、政治犯の
>すべてがまだ獄中にいるということを知った。おどろいた外国人記者は、山崎巌内相に面会をもとめる。
>すると山崎内相は答えて「思想取締りの秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う
>共産主義者は容赦なく逮捕する……さらに共産党員であるものは拘禁を続ける……政府形態の変革、
>とくに天皇制廃止を主張するものは、すべて共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕する」と語る。
>そのインタビュー記事は『スターズ・アンド・ストライプス』紙(日本占領米軍将校向けの新聞)に一〇月
>四日に発表された。これが問題となり、マッカーサー元帥は、四日夕刻に「政治、信教ならびに民権の
>自由に対する制限の撤廃、政治犯の釈放」を指令した。なすすべを知らない東久邇宮内閣は、辞職。
>九日に幣原内閣誕生。一〇月一〇日に、獄中一八年組をはじめとする政治犯が解放される。
> 敗戦後二ヵ月半たって、山崎内相は平気で、しかもおそらくマッカーサー司令部によってさえ支持される
>だろうと信じて、こうした信念を吐露したというのは、ひとつの喜劇である。その喜劇のおかげで、三木清の
>獄死という悲劇がある。
(戦後思想を考える 日高六郎 岩波新書 P2〜4より) 国家の廃絶は夢想だろうな。
世界規模では国家への忠誠みたいのも地域エゴでしかない。
他国みりゃエゴ丸出し。
人間はその中でやっていくだけだし。
銀河規模になってきたら、地球単位で考えても地域エゴ。w 若い時は曽祖父を助けて、結婚してからは旦那によく仕えて、また子供たちを幸せに奮闘し
ダメな長男夫婦の子供たちを助けようとした祖母は親戚では尊敬の的だったりする。
ああ、こんな人はなかな居ないよなあとつくづく思った。
曽祖父は働くを傍を楽にするという教えの天理教徒だったが、晩年教会に裏切られて棄教した。
傍を楽にするというのは間違ってはいないだろうが、それを回りが利用したんだ。
コミュニティーに尽くすというのは往々にして利用されがちなんだよな。
美点はあるし、個人主義にもその類の陥穽はあるんだろう。
戦前の在り方がナニだったんでみんな警戒心があるんだろう。 個の幸せをというのはある意味当然だろう。
共同体を危うくしては問題だろうが。
戦後の在り方は疑問だけど、だからと言って戦前的形態もそのまま復活させることは出来ないんじゃないのかな。
政治学者で模索している人もいるけど、難しい話だろうな。
いろいろと知恵を出し合えればと思うけど。 つまらない話だが社会はバランスなんだろうなあ。
枠があって。
その枠がどこまでなのかが問題ということかも。
保守もその批判も理はあるということになる。 >>765
>「自分個人の生活を切り詰めコミュニティに尽くすことこそ幸せ」
って幸福は認めないんですかね?
それが本人にとっての幸せであるなら三木は認めるだろう
他人にそれを強制するな、ということだろうな
それは全体主義へつながることだから > 「自分個人の生活を切り詰めコミュニティに尽くすことこそ幸せ」
> って幸福は認めないんですかね?
それは「幸福感」であって「幸福」じゃない とか言いそう。 >>773
そうかもね。
>>774
なんとなくわかる気がするけど 解説する人たちがどの程度かしらないけど、この番組はけっこう面白い。
従姉も面白いと先日話していた。 あのギャンギャン喋るMCのアナウンサー好評なの?
もっと落ち着いて進行して欲しい。 今まで見て思ったが、これ、当時の時代背景をつぶさに紹介しないと三木の主張は伝わらないだろう
はっきりと言論弾圧の時代だったと言って、その背景の中において主張された(いつの時代どこの地域でも
通じるようには書かれていない)と前提しなければ、「人生論ノート」は理解できない
あと、伊集院うるさすぎるし、あくまで自分生きてきた時代からしか解釈できないものだから(それは仕方ない
事ではあるんだけど)見当外れになっていると思う >>779
俺は伊集院好きなんだけど、どの辺りが見当外れとおもう? 人生論ノートを読みたくなったなあ。
俺もそんなに伊集院は嫌いじゃあない。
けっこう鋭いこと言ってきたような気もする。
ああ、それは違うなと思ったこともあるけど、へぇっ、と思うことのほうが多い。
あの声が苦手という人もいるだろうな。
喋り方なんだろうが、あの喋り方で食ってきたんだろうし。w 「雨ニモ負ケズ」は、厳密に内容を分析すれば、あの時代あの地方あの観念においてしか意味や価値を持たないはずの詩であった
現代の今ここにおいて、ある本を、今ここを背景として解釈しようと、当時の時代や地域の背景を想像して解釈しようと、いくらかはどうしても、今ここにいる読者の価値観や考え方に基づいて解釈してしまう
ある本が、各時代各地域どこのローカルな解釈においても有益なのであれば、結果的に、その本は時代や地域によらず有益であると言ってしまって構わない
もちろん、未来や未知の地域や宇宙人においても有益であるという保証はないし、読者の年齢もかなり関わるのだが
また、ある本を、その当時の時代背景を前提にして解釈することが正解というわけではない
例えば一時の怒りや昔からの憎しみが筆を執らせただけなのに、理屈がたまたま、時代背景と内容が合致しただけかもしれない、たまたま普遍性を持ったのかもしれない
さらに、著者の人生はもとより、立場、門地、職業、思想、家族、性別、出身県、星座、誕生日、血液型を基にして解釈しても、もっともらしい説明ができてしまうかもしれない
あなたがもし、ある本を、限られた条件でしか理解できない場合、それは必ずしも、その本が限られた条件でしか理解できないということを意味しない
そうすることでしか理解できない、実は理解しようとしない、ひょっとしたら理解したくないあなたがいる、ということかもしれない
もしかすると、その本を、あなたが嫌いなタレントが理解し評価していたから、とか
そうやって解釈しなければ理解できないと考える人も、いるかもしれない
答えはこの本にはない、読んでいる君の中にある >>782
番組内でその事については伊集院が言及してたと思うけど 戦前の弾圧下にあった言論界と、現在のSNSで起きる炎上を結びつけてるような言い方は疑問に思う 三木清のターンはなかなか興味深い
「偽善者」はテレビの中にいっぱいいそうだナー 「嫉妬は己を高めようとするのではなく他人を低めようとする」
「嫉妬は平均化を求める」
福沢諭吉の学問ノススメで似たようなものがある。
「怨望は、他の心の働きの陰に隠れているようなもので、進んで取るようなものでなく、
他の人の有様と自分を比べて不平を抱き、自分のことは考えないで人にばかり多くを求め、
その不平を満足するために使う手段はというと、
自分を良くしようとするのでなくて他人の足を引っ張ろうとするものである。」
「たとえば、他人が幸せなのと自分が不幸せなのを比較して、自分に不足する所があると、
自分が進んで満足するような方法を考えないで、
むしろ他人の方を不幸に陥れ、他人の有様を下げることで、自分と相手の差を平均しようとするのである。」 なんか納得できないものを感じるんだよなあ
例えば、マンガ家になりたいと思っている少年Aがいて
同級生ですごくマンガ描くのがうまいBがいて、彼(彼女)に対して激しい嫉妬心を持ったとする
それって同じクラスの、または同学年の、通っている学校の、はたまた同じ学区の生徒たちの
マンガを描く能力が等しくある事を求める感情だろうか?
それは違うと思うんだが
少年AとBには、共通する「価値の背景」があるから、そこに生まれる価値の大小で「嫉妬心」
もまた、生まれるんじゃなかろうか
そしてその背景を共有できない者の間では、嫉妬心は起こりようがないように思える
共通の「価値の背景」内では、確かに三木の言う平均化が嫉妬心の原因に思える
しかし、それが起こりうる「範囲」とはなにか、その問題をぬきにしては嫉妬心の考察は中途半端な
段階でしかないのでは >>779
伊集院の噛み砕き方はかなり助かってる
俺がラジオリスナーなのもあるけど解釈の仕方のヒントになるのであの感じでやっていってほしい
今のアシスタント嫌じゃないんだけど前のおっぱいアナウンサーの夏衣装を楽しみにしてたからその点は非常に残念 最近思うんだけどさ、ネットの投稿掲示板だと自分の頭が良いアピール合戦になりがちなんだよな。
とくに理系サイト、哲学系サイトとか。
けっきょく学問は人間とは何か、どういうふうに生きたらよいのかということに最終的にはなるんじゃないのかな。
勉強は生きていくうえでの知識を学ぶための予備段階で、社会に出てからの知をどのように獲得していくかの基礎能力を養えば良い。
何人かの学者さんや著述家が指摘していることだが、明治政府は官僚養成として教育制度をつくったんだが、国民の中から官僚として優秀になりそうな人を選抜するわけで
そこでは記憶が主な内容ということになる。
そういう観点から教育することになり、とくに戦後ではそういう勉強が目的になっていて、クイズ番組とかでは暗記知識量の争いで勝ったものが頭がいいことになっている。
本当は社会で生きていくための知が目的なんだと思うけどね。
いや、いろいろと自身を振り返ると、そういう煮詰まった毒を浴びていたんだなあと思ったりする。
クイズ番組でたまたま難問で正解したりすると喜んでいる自分に苦笑する。
流れに関係ない投稿、失礼。 知は手段であり目的では無いんだよなあ。
この歳になって気がつくなんて。
知は力であり、知についての知もまた力であり指針なんだろうなあ 遊びとしての知はあっても良いけど、けっきょく生きていくうえでの必要な知がメインということかな。
知を獲得するための知もまた問題でもあるわけか。
これはいわゆるハウ・トゥーものかな。 いや、今年祖母ちゃんが亡くなったんだが、生きていくうえで恥ずかしいことをしたことは無いと亡くなる前におれ達に話していたが
叔母や大叔母たちもその言葉に嘘は無いと言っていた。
恥ずかしいことをしないで済むだけの力と倫理観が無いといけない気がしている。 人間が不完全である以上、無邪気な子供の頃も、怒りに我を忘れたときも、愛する人の死に接したときも、老人になり物忘れが酷くなっても、「恥ずかしいこと」を全くしない存在には、絶対になれない
「彼(彼女)は恥ずべきことを一切しない人だった」と言われるとき、
彼(彼女)は、人によっては恥ずべきことであったはずの行動、失敗を、「恥ずべきこと」とはみなさなかった環境、文化、人間関係の中で生きてきたということだ
そして、アレフレッド・アドラーより
人は失敗を通じてしか学ばない。
勇気の最も優れた表現の一つは、不完全である勇気、失敗をする勇気、誤っていることが明らかにされる勇気である。
「仕事で失敗しませんでした。働かなかったからです」
「人間関係で失敗しませんでした。人の輪に入らなかったからです」
彼の人生は完全で、そして最悪だった。 だからさ、生きていくうえで、と限定している。
倫理的に恥ずかしいことをしたことはないのだと。
あらゆることで恥ずかしいことをしなかったとは言っていない。
叔母が、そういえば姉さんは言訳しない人だったとも語っていた。
そういう人が傍にいたことの幸運を思っただけだ。 岸見先生はアドラーの人か。
アドラーは分かりやすかったけど
三木清は難しい!
前半は分かりにくかったけど孤独のとこは何となく理解しやすかった。
今の北朝鮮には強力な秩序があるんだろうが
そこに暖かな秩序は無いみたいなものか。 秩序については、はっきりと当時の世相に対して焦点を当てているな
世相を抜きにした言葉だけの秩序論なら、老荘思想の混沌と対比させて語ることだってできるはず
あと、解説の先生、価値多元主義の危うさと説いていたが、オレなら「価値相対主義」の言葉を選ぶな
多元主義は、様々な価値を認め合いましょうの考え方で、相対主義は絶対に価値のある考えなどない
という否定の思想、解説されていたところのニヒリズムに通じるものと感じるんだが 絶対は絶対無いということかな
ある人がヒンズー教の場合夫が死ぬと妻も、ということだが
価値相対主義だと止めるのが難しいとも語っている
こういうのはどういう風に゜対応すべきかなとも思うが。 話し方が優しいアナウンサーに変えてほしい
今の人の話し方が本当に嫌 これでも4年前の明るいキャラのアナウンサーだぞw
その次の伊東敏恵アナウンサーのときは、暗くてどんよりしていた。 アナウンサーがほんとにウザい
今回は朗読も聞きやすくていいなと思ってたのにいちいちアナウンサーが出しゃばっててちょっと黙ってろって言いたくなる 三木清は近衛文麿内閣で国策の研究をしていたって知ると、
治安維持法で逮捕され敗戦後も釈放されず獄死したって話が、口封じなんじゃないかと勘ぐってしまう。 伊集院は常に神進行してると思う。
才気煥発。
伊集院のコメントに対して、ゲストもしょっちゅう瞠目してない? >>811 伊集院さんですか?
なんてことはともかく、時々面白いこと言っていたリする
たまにエっ、というような発言もあるけど 素人代表としてはまあまあ当たり率は高いね
半分くらい「うちら芸人はー」って自分語りしだすのがうざい たまに食指が動かない名著があるんだよなあ
三木清は典型かな
一回目だけ見たんだが、そこそこ面白そうだなと思っても録画しているだけだ
今日で最終回だし
来週は三国志か
漫画でしか知らない w 全体的には良かったし猿之助の語りも聞きやすくて良かったけど
さらっと南京大虐殺は無かったとかいう歴史修正主義とかぶっ込んできたのはガッカリした。
歴史が作られる段階で捏造される歴史もあるのに。 歴史は捏造するものできるものしていいものだという側から見ればそういう感想になるだろうがね 旧陸軍のカイ行社が各地の旧陸軍兵士の証言で、七千人規模の虐殺を認めて謝罪していたよな。
とりあえずは在ったという結論。 さすがに何も無かったまでは思わないけど
何十万人っていうありえない数を主張するのも歴史修正主義なんじゃないかって話。 無かったという主張だと思ったので
まだ観て無いんだ
何十万なんてのはさすがに
洞口?さんだかは、かなりの数に上ったと主張しているけど、怪しくなってきた感がある
この辺は難しいよなあ
慰安婦問題はなあ
あと百人斬りか
これは当時級友が、親戚の人が真剣で人を切ったことがあるらしく
百人なんか名人達人じゃなきゃ難しいと叔父さんが話していて、かなり怪しいと話していた 戦闘中の話だとでも思ってるの?
捕虜を試し切りしてたって自分で自慢していたじゃないか
当人の言からすれば、戦闘員でさえなかった可能性もある
名人達人である必要さえない話 ○「南京大虐殺は無かった」
△「南京虐殺は無かった」
これが普通の歴史認識
正しくはこうなる
?「南京虐殺は旧日本軍によって行われた」
?「南京虐殺は共産党軍によって行われた」
ましてや30万人とかどんどん数字が膨れ上がっていくほうが修正主義でしかない
試し切りで数十万もどうやって殺すんだよってかその死体はどこに消えたんだよ ヘイトスピーチガー歴史修正主義ガー
公共の電波にこんなもん乗せんなよ まあ、「俺様は普通」だと堂々と言い張れる人は哲学書やこの番組は見る意味がないと思う ある意味普通であることが一番困難な気がするけどな。 ロンドン塔にぶち込まれた知識人かなにかが歴史書書こうとして
下の騒ぎをみて、誰がやったかれがやったと証言がバラバラで
書くのを断念した話があったよなあ。
でも何かはあったんだよな。 どこぞに、中国と日本の歴史家の話があった。
日本の場合は信公記だっけ?秀吉が干渉し放題でいろいろ捻じ曲げたのは。
中国では先代の王様を謀略で亡き者にした王が歴史家の叙述に怒って殺して
次の歴史家も事実を書いて、また殺して次の歴史家にするんだが
同じように事実を書くんで、王が歴史家とはこういうものかと諦める話が面白かった。 伊集院の解説に色々意見が出されているが
「この部分、モーレツに美しいじゃないですか!」
こういう大仰な言語センスは、俺は好きになれないな
あと
岸見「現代でも南京虐殺やホロコーストはなかったとか、そういう歴史的な事実に対する解釈が多々あるわけですけど
歴史を改ざんしようとすることは歴史を尊重していないということ」
「南京『大』虐殺は無かったというのが歴史修正主義だとぉぉ!」
さすが普通の日本人サマの耳は違うなあ >>829
明の永楽帝に対して「燕賊簒位」と書いて処刑されたという逸話もあるけどね >>829
その後に大神君閣下の暗黒時代が来るがなw
秀吉が関与というか書かせたのは甫庵信長記であって
信長公記はノータッチだろ 「南京大虐殺があったかどうか」は
その人がどういう立ち位置の人間かを知るのに
とんでもなくものすごく有用だなw
岸見は「そういう人間」ってことだなw >>833
アドラー編は良かったんだけどな
今回は政治臭くて見たら速攻で消してる アドラーのは残している
俺の立場は、どうやら七千人くらいは否定できないようだというもの
さすがに三十万とかはうそ臭い 何十年も前の朝生かなんかで南京大虐殺の回で
中帰連の元軍人さんが証言してたけど
一般に言われてる「南京では日本軍が大勢の民間の中国人を鎖でつないで
虐殺した」って話について
日本軍じゃなく中国軍が市民を鎖でつないで逃げられないように並べて
盾にして攻撃してきたって言ってたな
中帰連の人間でさえ 本多勝一だったかの百人切りはどういう話だったかな。
かなり前に読んだからな。 >>838
それこそ証拠も何もない元出征軍人だったじいさんのホラ話だろ 東亜板でやれよ
お仲間がたくさんいて、そっちの方が楽しいだろう 北村も意表だったがシマユリの髪型と衣装にワロタ
久保田祐佳かと思ったわ 納得いかなかった点
漢が滅んだ理由を、儒教道徳が緩やかに体制を衰退させた、みたいな解説をしておきながら
次代のビジョンを持つ人々は儒教知識人(名士)だったと言う
それは自家撞着ってもんだろう
漢が衰退した理由か、次代のビジョンか、どちらかの認定が間違ってないか? 北村一輝のめがねとか雰囲気がラストエンペラーっぽかった 今回、映画をつないだだけじゃん・・・(;´・ω・) 三国志好きってわけじゃないけど
なんか浅いのだけはわかる。
コアな話してるわけじゃ無いみたいだし。
北村一輝の朗読のところが正史の内容ってだけで。 劉備を表す漢字が「情」っていうのが何だかなって感じだな
100分で歴史書って難しいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています