【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
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二十八回 【開戦前夜】
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前スレ
【第二十七回】太平記 part.27『公家か武家か』
http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1463725409/ >>896
ついこないだ後醍醐天皇陵に行きたくて、吉野山の中心部(金峯山寺周辺)から如意輪寺まで、
徒歩で往復してきたけど、なかなかの山道だったよw
途中で蛇とか出てきて結構焦ったし、蒸し暑い日だったので、かなり汗だくになった。
しかも帰りに喉が乾いたので、如意輪寺境内の自販機で飲み物を買おうとしたら、
見事に全部売り切れだったし・・・。 >>892
太平記みるまで知らなかったな。
若き義満が、斯波義将に管領罷免で恐喝されたのは知ってたけどね。 師直最初見たときは真面目で寡黙ながらこつこつひた向きにこなす仕事一筋人間かと思ったら後半公家嬢レイプしたり酒癖悪かったりいやらしい顔つきしたりとイメージ真逆になったなあ >>892
ドラマでは師直の妻が尊氏・足利家を倒せとそそのかすけど
実際はどうだったのかな?
師直兄弟が足利家を滅亡させたら戦国の明智みたいな3日天下になっていたのかな? 妻というか、あれは元々師直に盗み出された二条の君だな。 >>902
京に来てからは判官殿と同じバサラ武将になりました 師直っておれのなかで勝手にガタイいいイメージだったから
えもっちゃんだとちょっと違うんだよなあ
このドラマではいいキャラしてるとは思ったけど >>904
悪妻は側室の二条の君じゃなく正室の方じゃなかったけ? 師直の正妻って出てきた?
尊氏暗殺唆して扇子でぶん殴られたのは二条の君だよね 師直の正室は出てきた記憶がないな。
師直に尊氏殺害をけしかけようとしたのは、森口瑶子が演じていた二条の君のはず。
二条の君は二条道平の妹で、師直に盗み出されて、師夏を産んだ人物。
師夏の生年が暦応2年(1339年)だから、盗み出されたのは恐らくその前年。
なお観応の擾乱当時だと、二条家は家が分裂状態で、道平の嫡子良基が北朝方である一方、
良基誕生前に道平の猶子となっていた師基(実は道平の弟、二条の君の兄)は南朝方にあり、
ドラマでも二条の君が南朝と内通していて、師直をいろいろ煽っている設定になっていた。 正妻(?)が出てきたのは足利貞氏、尊氏、直義、新田、楠木正成くらいだよ。
判官殿の妻子も見たかったw 師直兄弟はおとっつぁんは官僚タイプの真面目そうな人だったのに
なんであんなのが生れたのか・・・
確か共演はしてないよね?
役者の年齢的に親子に見える感じじゃなかったし 直冬をくれって言ったシーンや直義が寝込んでるシーンに居たよ 新田嫁は勾当内侍との比較対象として出ただけだったなw 直義は最後は兄上を殺してやろうとまで思ってたんかな 大河板のなかで真田丸関連、武田信玄スレに次いで三番手の勢いになった太平記スレにあっぱれぇっ!! >>917
それは絶対にあり得ないと思うなあ
義詮には嫌われちゃったし基氏くんと静かに暮らしたいくらいに考えてたんじゃね? 結局師直は天国にいけたのか地獄に落ちたのかはっきりしろ!! 師直が女の人をレイープするシーンがあったのは
何話ですか >>913
尊氏が直義邸に来た時にあいさつしに来たな。体が悪いとかですぐ引っ込んだけど >>923
イシとかいう勝手にフェードアウトしたよくわからない役
史実にいたのか死んだのかすらわからない 塩冶判官の妻への恋文を判官から直々に断られて周りから失笑される師直ワロタ >>928
原作にも居ない大河オリキャラ。自分だって戦でバンバン人殺してたのに武士disするばっかりでよーわからんやつだったね。
disるわりに恩賞目当てでさもしい事してたし、ブレブレのキャラだった。 >>926
直接攫って襲ったのは二条の君だけじゃね? >二条の君
こんなの本当に存在したのか謎
腐っても摂家当主の妹が師直なんかの愛人になるのか? こんな懐かしい板あるの嬉しい。
大好きな大河だった。
みんなちゃんと調べてる人多くて尊敬する。
自分は大学んとき平家物語やってたから、そっちの知識は多少あるけど、南北朝は教科書程度です。
今、古典「とわずがたり」読んで、後深草と亀山兄弟までさかのぼって確執調べてます。
弟ばかり溺愛されて仲の悪い兄弟までやったんやね。
これがのちの南北朝へ >>934
バカばっかりだよ
今年になってもうすぐ4スレ目
ドラマと関係ない話ばかりしてる >>934
皇統分裂のきっかけになったのは後嵯峨の亀山びいきだけど、これが南北朝に発展するんだもんなぁ。
よっぽど後深草を毛嫌いしてたんだろうな。
ちなみにこの後嵯峨を強引に天皇に推挙したのは名執権泰時サンだ。 でもこのスレ面白いけどな。変なキャラに人気があって自分も実は好きだったりして 934だが今になってやっと私本太平記読み出した。遅すぎ。
やっぱり小説の中でも高時おかしな人だね。
脳内で勝手に鶴太郎に変換されてしまう。
放送当時、日本史のおじいちゃん先生が、鶴太郎の高時を絶賛してた。あんなアホな高時はすばらしい!って。 佐々木判官「悟舎弟殿はぁいまいち好かんン!」
高氏「判官殿も直義に好かれてるとは思えなんだ」
佐々木判官「…………フッハッハッ!!これはしたり!…したり!!」 >>942
間違ってたらすまん。
祖父は元寇のときの追っ払った人かい?
親父は聞いたことないなあ。名君だったの? 具体的にどんな? >>944
サンクス。
余裕できたら、上の方に出てきてる資料?史料?なんかも見てみるわ。 >>933
二条の君が実在しなかったら、師夏の母親は誰なんだ?
>>936
皇位継承候補が、土御門の皇子か順徳の皇子かの二者択一なら、
当時の幕府が後嵯峨を選ぶのは仕方ない。
>>945
名君かどうかは分からんが、鎌倉幕府の歴代の得宗のなかで、
最も大きな権力を手にした人物だろう。 祖父…北条時宗(鎌倉幕府8代執権)おっしゃる通り、元寇の襲来を追い払った人
父…北条貞時(鎌倉幕府9代執権)得宗専制体制を確立させた人 えー?
その血統でアホが生まれるんですか?
病弱なだけじゃなく、なんかの発達障害でもあったのかねぇ。 讃岐守御願文を調べた
詳細を知りたい奴は手を上げなさい 高時のかーちゃんって普通に生き延びてる上に足利に援助してもらってるのな
あのとき皆と一緒に死んだとかではなかったのかよ・・ 父、祖父だけじゃなくて、その前も義時、泰時、時頼だからなあ 今、佐々木道誉と、石が、ダウンタウンDXに
出ているね。 >>954
元トレンディー俳優()としては石は老けすぎ、陣内変わらなすぎw でも親父の貞時って晩年ヤル気なくして酒びたりになってたんだね。
一体どーした?
父親のそういう背中見て育ったのも悪影響だったかなあ。 得宗家は北条の分家に加えて
安達家とも近親婚が多かったから
短命とか発達障害が早逝が結構あった
という説があるやね。 得宗家(赤橋・金沢含む)の家系図眺めてんの楽しいよね
あとゴダイゴ周辺の天皇家と >>955
陣内さんは、佐々木道誉本人と同じく長く活躍するかもしれないよね。 >>956
貞時がヤル気をなくしたのは、嘉元の乱が原因とされる。
ただ貞時が死んだときに高時は数え9歳という年齢だし、
父親の政治姿勢とかをしっかり記憶している年齢ではないだろう。
ただ嘉元の乱でヤル気をなくして執権を辞めた貞時と、
嘉暦の騒動でヤル気をなくして執権を辞めた高時とは、
行動パターンがよく似ているのは間違いなく、やはり親子って感じはするね。 >>958
というか得宗家って、まともな年齢まで生きた当主は泰時が最後で、
時氏以降はことごとく短命だよね。
当時の幕府内部での微妙なパワーバランスのなかでは、
得宗という地位にあること自体が相当なプレッシャーで、
それだけでも寿命を縮める原因として、かなり大きなものがあったという説も・・・。 >>965
プレッシャーとかストレスというなら、都から連れてこられた将軍という名の親王の方がキツかっただろうなあ…。 >>968
ただ自ら権力を持とうとして、それが宮騒動や宝治合戦に繋がってしまった頼経はともかく、
完全に得宗の傀儡となってしまった宗尊以降の親王将軍は、プレッシャーってあったのかな? >>969
プレッシャーていうかさ、こんなとこ無理やり連れてこられていたくねうなあ、っていう居心地の悪さみたいなもんはあったさなあ、と。 「北条時宗」での宗尊親王退場シーンには笑わせてもらった >>972
あの剃髪されながら「憎し鎌倉、憎し時宗!」と叫んで呑気に和歌を一首朗々と詠んでから
また金切り声で恨み事を叫ぶ、なんともエキセントリックな退場だったな。
まあ原作者が炎立つの時からあんまり朝廷側の人間に好意を持ってない作風の人だから、こんな案配かなと当時は思ったけど。 >>970
でも当時の貴人って、すべて周囲のお膳立ての上で生活していて、
自分で主体的に何かをやるっていうわけでもないし、
しかも頼嗣・惟康・守邦に関しては出生地自体も鎌倉だからなぁ。
そんな感情ってあったのだろうか? >>973
あの作者って、トンデモ説大好きで少々ブッ飛んだ人だとは思うけど、
でも「炎立つ」の最後のほうでは、後白河はなんとか平泉を守ろうとしていたのに、
頼朝が強引に奥州に出兵して滅ぼした、みたいな描写になっていなかったっけ? 宗尊親王が鎌倉に来なかったら上杉さんも京にいたままだったろうから
つまり尊氏直義が生まれてなかったんだよなあと思うと感慨深いな 次スレ
【第二十八回】太平記 part.29『大塔宮逮捕』 [無断転載禁止]©2ch.net
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1475236682/
タイトル誤り訂正しといた >>977
タイトルについてだが、当時から、逮捕ではなくて、捕縛がいいだろうと思っていた。 そういや宗尊親王の兄弟は大覚寺統と持明院統の始祖なんよね >>978
んな事言ったってそうなんだもん(;ω;) そういえば鎌倉時代の摂家将軍(頼経・頼嗣)が源頼朝の同母妹である
坊門姫の子孫というのは割と知られた話だが、実は摂家将軍だけでなく、
その後の親王将軍も宗尊以外はいずれも坊門姫の子孫に当たるみたいね。
wikipediaで坊門姫の項目を見て、最近偶々知ったのだが・・・
坊門姫 (一条能保室)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%8A%E9%96%80%E5%A7%AB_(%E4%B8%80%E6%9D%A1%E8%83%BD%E4%BF%9D%E5%AE%A4) そこで讃岐守御願文ですよ
詳細を知りたい奴は手を上げなさい >>984
何で?
讃岐守御願文は、貞氏が坊門姫の祖父である藤原季範にあてた願文なんだが >>982
何を当たり前のことを今さら。鎌倉殿頼朝の権威つーか貴種性を舐めてるでしょ。父親はさることながら母親の実家は藤姓熱田大宮司家だぜ。ほんまもんのサラブレッドなのよ。んで天下人になってさらに泊がついた。頼朝の血縁以外に鎌倉殿になれるわけないっしょ >>987
教えて「やろう」って書き方がみんなに無視される理由だと何故気がつかん?三河屋臭いからスルーされてんだよ >>987と>>988はどちらも三河屋だと思うが、何でIDが違うのだろ? >>990
スルーしよう。擬態してもしっぽ丸見えなんだから 藤姓熱田大宮司家は三河
頼朝・尊氏は三河生まれ
足利宗家は三河で滝山寺が宗家の菩提寺
に貞氏は三河で出家と新たな妄想が追加されました Amazonで宇多田ヒカルのアルバム買おうとしたら……つい気になって、「関東公方足利氏四代」もポチった。
今日届くよ。スゲー楽しみ。
太平記Blu-rayにならんかな。
「私本太平記」は二巻を読んでるとこ。貞氏父ちゃんあんま出てこないんだね。 長文隠して三河馬鹿隠さず
畜生にも劣る品性下劣極まり 太平記をフルHD
叶うならば4kで見たい
みんな若返って生き返ればいいのだが 男性は抵抗あるかも、だけど、古
典「とはずがたり」を漫画化した、海野つなみの「後宮」オススメだよ。
後深草院の愛人の一人二条の日記なんだけど、
後嵯峨と母女院の偏愛、後深草と亀山との確執、皇統の分裂…が詳しく描かれてます。かなり後深草が陰湿な人間にかかれておりますが。 >>992
由良御前が義朝と結婚した時、正確には元大宮司の娘だからな
大宮司職を譲ったあと、季範が三河に戻って隠居したのなら、頼朝は三河生まれの可能性が大だ 足利尊氏直義は、足利氏の屋敷、大門屋敷の南方すぐ近くにあった上杉氏の屋敷で生まれた可能性大
■上杉氏
太田亮
上杉−勧修寺家支流と称するが疑問が大きい。
丹波国何鹿郡上杉庄より起り、上野を本拠として、越後や関東各地等に分る。
『東鑑』を含め確実な史料には、先祖重房の下向記事が見えず、足利家家人の上椙三郎入道(上杉頼重)より前は不明。
その出自は難解であるが、三河の日下部(穂国造一族か)と関係をもった場合も考えられ、その場合は、同国の足利被官で藤姓を称した杉山氏や大草氏と同族か
足利尊氏、直義が生まれただろう日名屋敷
■日名屋敷(事実上の始祖である上椙三郎入道(上杉頼重)の 屋敷)
鎌倉末期に三河国額田郡日名(三河県岡崎市)にあった上杉氏の屋敷。
足利貞氏室となり尊氏・直義を産んだ上杉頼重の娘清子が、暦応2年(1339)10月15日に丹波国光福寺(現綾部市安国寺)へ日名屋敷を寄進、
翌年4月5日に清子の甥上杉重能がこの屋敷を光福寺雑掌へ渡すよう岩堀右衛門三郎に命じている。
頼重は額田郡を含む足利氏所領群を管理する奉行人のひとりであったから、現地支配の拠点として上杉氏がこの屋敷を所領とし、頼重から女子清子に譲与されたものであろう。
日名屋敷跡伝承地の近くの墓地に14世紀後半の宝塔の笠1個がある。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。