【第二十八回】太平記 part.28『公家か武家か』 [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
二十八回 【開戦前夜】
http://www2s.biglobe.ne.jp/~tetuya/REKISI/taiheiki/taiheiki28.html
前スレ
【第二十七回】太平記 part.27『公家か武家か』
http://nhk.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1463725409/ >>797
水軍の船は、奪わないでしょう。無用な敵は、作らないのが、兵法の大原則だと思いますよ。 我らが大将軍は、掠奪するまでもなく、行く先々で歓迎心づくしのおもてなしを受けてたのかもね。菊池さん以外。 将軍その日は、筑後入道妙恵が頼尚を以て進上申したりし赤地の錦の御直垂に、唐綾威の御鎧に、御剣二あつり
頭の殿は、同じく妙恵が進らせたりける赤地の錦の御直垂に紫皮威の御鎧、御馬は栗毛、是も昨日宗像の大宮司が進上申したりしにこそ召されける
もらいもの御兄弟でござった 第一回目の入京戦の時、コテンパンに袋だたきにあった後、西に向かったのはなぜかな?
赤松の手引きがあったにしろ、彼はもともと尊氏とはソリが合わなかった大塔宮派だったし、よく信じる気になったな。
まぁこの大味おおざっぱさが英雄たる気質なんだろうが。
安全策ともいえる東国に逃げ帰り割拠してたらどうなったかな。
治承・寿永の乱のようになったかもしれないな。 東には北条恩顧の武家も多いし、新田北畠も東に本拠があったからじゃね?ドラマの赤松は絶対的に尊氏を崇拝してたし西に逃げるのは定石じゃないの? 東北から北畠が攻め込んできたから
反対側の西国に逃れる
って理由だったりして 争いに敗けた場合
地位が高い武将達は逃げればいいけど
土地に縛られてる農民たちや在地の実務家たちは
支配者が変わるたびに大変そうだな
関東の北条領なんて
倒幕後は新田の領地になり
やがて足利に占拠され、足利反旗後は北畠に蹂躙される
結局、誰に服すればいいんだ
なんて所もありそう 東に遁走すれば勇猛果敢で足利家庶流一族の三河武士が助けてくれたんじゃねえ? >>805
大将クラスや取り巻きにはさぞオモテナシしたんだろうな。
飲み食いオンナという具合に。
そういった上級者が略奪をツツシメといっても最前線で戦う下っ端の兵士は収まりがつかないだろうな。
陣中にやってくる遊女にあぶれたヤツが悪さしちゃうんだろうな。 北畠軍、東北をほっぽり出してきたけど、蝦夷の反乱はどうなったんだ? >>802
東から北畠軍が尊氏を追いかけて西上してきているわけで、その状態で東へ向かうのは無理。
それにあの段階の赤松は、後醍醐や廉子派とは既に完全に切れているだろうし、
むしろ赤松を取り込むことで、建武政権への不満分子という点では同じ旧護良派を、
足利方に靡かせたいという意図もあったかと。
また赤松と同じ旧護良派の新田が後醍醐方にいることから、足利方が赤松を取り込めば、
新田の勢いを挫くことも期待できる。 だいたい北畠が東から攻めて来てんのに東に敗走って狂ってると思うの 結構気になるところは道誉殿は単なる利害だけで動く人じゃなくて高氏との思いをも大切にする人物なのか 尊氏が最高の神輿だと確信してたんじゃないの。人間そんなに格好よくないよ でも道誉は最初は高氏なんか踏み台にしてやろうとしてたのに結局尊氏だけは(ドラマでは)裏切ってない。天性の人たらしには勝てんてw まあ史実道誉は違うかもだがなぜかバサラな陣内道誉は信じたくなるw てか2ちゃんで太平記見たやつで人気投票したら道誉がダントツな気がするw
次点で高時、新田、馬之助かな 尊氏も思い出してください。自分はダントツで尊氏贔屓。
貞氏、道誉、北畠、円喜、高時は鉄板な気がする。
新田と直義、正成は票が割れそうな気がする。
正季、廉子は悪票の方が多くて、いつの間にか消えた坊門ちゃんは一周回って好かれてたりな。
師直師泰兄弟は微妙。役としては面白かったけど。
右馬助はどっちだろう。原作から創作や、映像化に創作キャラって微妙。
史実から居ても微妙なのは直冬くんですが....... 武田信玄の次は太平記をやってほしいけど、秀吉が来そうだなあ
再放送のなにがいいって字幕が出るところがとてもいい
太平記も字幕付きで見たい 大河で後醍醐天皇か楠正成や北畠親子をやったら
太平記オタは発狂するん? >>821
南朝史観もウェルカム
亜相殿御存命の間にもう一度南北朝を >>821
要はキャラとかストーリーの面白さよ
まあ難聴は魅力なキャラがいなそうだが 人気投票するなら俺は
道誉〉高時〉義貞〉北畠父〉長崎〉高氏〉師直〉正成〉イシ
だなあ
三位局はなに考えてるかわからんし楠木弟はDQN、後醍醐も髭前は聖人感は好きだったが後半の無能っぷりは失望した すまん修正するわ
道誉〉貞氏〉高時〉高氏=義貞〉北畠父〉長崎〉師直〉正成〉イシ 貞氏
ジレンマと苦悩の生きざまの合間に見せる息子らへの愛情、渋い
高氏
威厳保ちつつ一方でときたま見せる明るくノリの軽い人当たりの良さ、かっこよすぎて男の自分でも抱きつきたい
直義
暑い人情派だが内政手堅く進めるバランス感覚のあるオールラウンドの良さ、ただ感情が不安定なので好かれやすいが反面嫌われやすくもありそう 道誉・高時・円喜・守時・後醍醐・坊門・北畠父ははまり役だったと思う 長崎円喜が憎ったらしくてなぁw
フランキー堺は上手だった
ほんとうに憎たらしかったw >>833
でも最後の腹決めたとこはなんか少しだけ同情しちまったよ イシって太平記ファンからはいらないと思われてそう
俺は好きだが 太平記リメイクしても
長崎父だけはやれる人おらんよねw
陣内道誉はともかく30で死ぬ高時は鶴ちゃんには無理か…
楠木は武田じゃイメージカッコ悪いから出来るだけ早く他の人に
演じて欲しい
別に武田嫌いってわけでもないけどね 円喜と貞氏はもう見れないな
太平記キャスト好きな順
バサラ>>円喜>>高時>>貞氏>>直義
>>後醍醐帝>>親房>>高氏>>大塔宮>>新田
>>楠木>>金沢>>右馬助>>日野様>>闘犬の犬
>>赤橋>>子役直冬>>とうこ>>藤夜叉>>花夜叉
>>顕家>>義詮 日野の人もなかなかよかったよなあ
日本史の教科書だと名前だけさらっとしか出てこないのが悲しい 教科書に載ってる人ってどのあたりまでだろ?いまいち記憶がない
高時は載ってるだろうが長崎親子とか金沢さんとかはなかったような?
あしょーどのとかは習ったかも
直義は去年だか一昨年だかのセンター試験に出たというから高校の教科書には載ってるのか? >>842
金沢文庫は載っているはず、詳しい参考書なら長崎親子も内管領平頼綱の後継者
三木一草も高一族もいるが佐々木道誉はいない
土岐頼遠は歴史にしっかりと足跡を残している 北畠父は神皇正統記の著者として必ず載っている
今川了俊も有名 >>842
日本史研究て社会人になっても全然使える教科書には高時らは勿論日野、円喜、赤松がかろうじて載ってるな
一番好きな判官殿がいないが 判官「まったく後世においてもワシだけうつけ扱いとは、これはしたり!ハァッハッハッハッ!!」 孤立する尊氏を寂しく見てたときに出てきてくれる判官の安堵感 真田広之がエキストラ無しで流鏑馬とか
身長が高ければなぁ・・・ 讃岐殿!まだ執権どのへのご挨拶
承ってはおりませぬぞ!
これは長崎円喜にあらず
北条得宗の名代ぞ!(#゚Д゚)
…お座りめさ…れっ( ̄ー ̄)コンコン >>841
しかし日野俊基に焦点を当てたお陰で、正中の変の責めを一人で被った日野資朝は、
仕方ないとはいえ、存在感皆無になっちゃったけどね。
>>842
長崎円喜・高資は、高校の用語集に記載あり。
ただ高資はともかく円喜が教科書に載るようになったのは、「太平記」放送以降だと思う。
直義に関しては、建武政権の組織(鎌倉将軍府)の説明と、観応の擾乱の話でしっかり登場する。
高校の日本史Bレベルなら、観応の擾乱に触れていない教科書はないだろうし、
この絡みで師直や直冬も言及される。 >>843
金沢文庫とそれをつくった実時には言及があっても、貞顕個人への言及はほぼないと思う。
守時に関しては、最後の執権として、申し訳程度に名前だけは載っている教科書もある。
道誉は、バサラ大名の代表例として師直や頼遠と一緒に言及されたり、
三管領四職の説明のところで京極氏の実質的な祖として言及されたりしていることもある。
ただ「三木一草」の語は、この用語自体に言及している教科書はないと思う。
詳しい参考書ならわからないが。
あとこの大河に出てくる大物のなかで、教科書での言及がまずない意外な人物は、阿野廉子かな。 >>848
吹き替えねw
真田広之にスタントマンは使えなかった。何故ならどんなスタントマンより剣殺陣もスタントも豪快で華があり上手かったから。
スケジュール都合で影の軍団で覆面忍者でスタントマン入れてたけどバレバレだった。
50越えてもまだ「ヒロがスタントするぞ」というと他のスタジオのスタントマンが見学にくるほどのレジェンド。 雷電に豪快に引き回される見事さよwww
あんなのプロスタントマン顔負け >>854
高氏が捕らえられて放免の嘆願に来たときに円喜に対して強気の無言帰宅で唯一反抗心見せたとことか特にかっこよかったです(小学生並みの感想) 北条衰退で金沢文庫が廃れた後に、
上杉が援助して下野・足利学校に寄贈したんだよな。
今はその古文書の数々が国宝や重要文化財になっている。
遡れば、上杉の血を入れた足利頼氏〜貞氏のお蔭でもある。 高氏が無罪放免されたとの報せを受けた貞氏の安堵の表情が…。その後の大の字ジャンプ?が記憶に残ってます。
もちろん、無罪放免に一役かった判官殿の証言には…もう笑うしかないですなぁ。(^ω^) 何にせよ陣内は良い役貰ったよねえ。バサラで友思いでゲスでカッコよかったわ。判官殿は >>857
あったなあw
ノリがあそこだけ朝ドラのそれよw 貞氏は史実にあまり残って無いから、あの貞氏が生き生きしてたよね。
高氏、直義の父として、非力ながら源氏の棟梁として凄く魅力あった。 鎌倉期の足利氏の歴代当主のなかでは、発給文書の残存数は貞氏が一番多いらしいよ。 この物語上の役柄でいうと、吉良の爺さんがもっと長く生きてたら
観応の擾乱は怒らないような気がする >>857
「この判官が出会った足利尊氏はもっと大男でゴザッタァ〜」ってヤツが。 西園寺に虐められる高氏なんていうのも意外
六波羅探題の威を借りてるだけだろあんなの 足利宗家の中ではなんだかんだ言っても貞氏の時期が安定していたんでは?
北条に虐められてもそれなりの地位も守って耐え忍び割と平和に長生きもしたし
家時以前は夭折したり戦乱の中枢にいたり突然出家したりで大変だった 人となりが分かるような史料が無かったと思う(貞氏)
書簡とかは残ってるけど私的なのって無いんじゃ無いっけ?
派手な息子らに比べると逸話が無い分演出で魅力的な人物に出来たと思う。 >>866
三河は調べたか?
1301年に三河で出家したらしいが、讃岐守願文というのがある >>859>>863
ニコニコ動画で判官殿の証言が投稿されています。
「佐々木佐渡判官高氏登場」判官殿の証言にコメントが…集中してますね…ハハハ…(*^□^*) >>864
あれは西園寺家の別荘であった北山が、後に義満によって半ば強制的に奪われる伏線かもなw >>865
貞氏の発給文書の残存数が多いのは、足利の当主であった期間が長いから、というのも大きい。
父親が死んでから自らの臨終まで47年もあるわけで、
そのうち、元服前の時期や、高義に家督を譲っていた時期、病床にあった最晩年を除いても、
自ら文書を出していた期間は通算40年にはなるはず。
鎌倉期の足利宗家で、当主であった期間の長さで貞氏に匹敵するのは、他には義氏くらいかな。 達筆な貞氏もヘタれた書家の父親の家時も豪放書家の息子の尊氏も狂人説があり
義氏の父親の義兼も息子の泰氏も突然出家
足利家って面白い 普通の文書のウネウネ文字だと知識のない自分には上手い下手がよくわからんが
写経の楷書とかだと個性がわかりやすくて見てて楽しいね
宝積経要品は初見でも誰がどれを書いたか一目でわかるww本当字は人を表しますなあ >>873
足利宗家の発狂気質は、室町期の子孫にもしっかり受け継がれているよ。
義教とかがその代表だろうが。 >>877
太平記では温厚だけど史実では「こいつ躁鬱じゃね?」ってとこ多いよw 中先代の乱の後、突然出家したりとか、尊氏も十分にブッ飛んだ頭をしていると思うぞw >>879
あれは理由があるべさ。後醍醐天皇に朝敵とされるのを避けようと自分が身を引こうとした。
史実では出家するする詐欺や死ぬ死ぬ詐欺やりまくっるし、自分の領地ゴリゴリ削って恩賞ぽんぽんやったりずーっと変な人だってw 何デタラメ言ってんだ?
矢作川の戦いの戦況を聞いて、出家すると言い出したんだから、負けるとは思いもしなかった三河で負けたのがショックだったからだろ
矢作川の戦いをノリノリで臨んで何が朝敵だ、馬鹿かお前は >>881
ちゃんとみたんか?台詞でもあるぞ?セル見直せや。勝ち負け云々で髪落としたんちゃうぞ?太平記では >>883
ココは大河の太平記スレだろ。大河の太平記が全てでしょーにwホンがそうなってるんだからそれでいい。
間違ってる!!!とか言うのは大河ドラマ観るのむいてねーよw >>881と>>883は明らかに同一人物に見えるのだが、何でID違うんだろ? >>885
スマホじゃポコポコID変わる、或いは泣きながらPCやスマホ繋ぎ直してんじゃねーの? >>880
なんか尊氏って直義の所領を自分の名前で人にあげちゃったりしたこともあったらしいとこの間知ってクソワロタ
さすがに事前に相談はしてるんだろうがそれでいいのか直義 まあ鎌倉期の発想なら、一門の所領の最終的な処分権は惣領に帰属するって考えも、ないというわけじゃないが・・・。 IDかえてる時点で負け認めてるんだからもうほっとこうや >>889
鎌倉初期は息子娘均等相続だっけ?
時代を経るコトに所領が零細化し、さらに貨幣経済の発達でやりくりに困った御家人が土地を手放す例が多かったみたいだな。
貞時が徳政令も一時しのぎだし、結果一族一門の長が全ての所領を支配する惣領制へと移行したんだったか。
鎌倉末期はもうそうだったのかな。 師直が尊氏の屋敷を囲んだことは大事件だと思うけど一般的には知られてないよな すまん
南朝はどうなったですか
ごだいご天皇陵にお参り行きたいです >>890
変えるのが負けではなく、いちいち必死に調べる奴が負けなんだよw
たかがIDでレス付きすぎだろう >>893
結局北朝にまとまった(京に居るしね)。後醍醐天皇の陵は奈良の吉野の如意輪寺内に塔尾陵があるよ。
京に尊氏が建立した天龍寺とかもあるけど、京への思いがこもった塔尾陵は普通は南に向けるとこを京のある北に向いてて切なさがある。
失敗してボロクソに言われても「何かを変えよう」
という改革への志を思うと切ないね。 >>895
自分も付けてんじゃん......スルーっしょjk >>894
自分も福原のソープ行く前に、必ず湊川神社に参りますw
産経新聞の「楠木正成考」での集会あったの、参加したかったな。 >>891
鎌倉期の分割相続は、形の上では兄弟姉妹に名義を分けて土地を相続するけど、
一方で土地は本来的には一族全体の共有物というような意識も根強くあるから、
庶流の者が相続している土地についても、最終的な処分権は惣領にあるって考えが一般的だよ。
そしてこの土地は本来的には一族全体の共有物という意識が根強いからこそ、
特に女性が相続した土地については、その土地が一族の手から離れてしまうことを防ぐため、
「一期分」という制約が掛けられることも多かったわけで。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています