【2012年大河ドラマ】平清盛 Part177©2ch.net
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part176
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平清盛 考証スレ Part5
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《2012年大河ドラマ》平清盛 ネタバレスレッド10
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【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ それ以前に、有能信頼を早くから登場させ、東国における義朝との絆を、
主軸がそこにあったのではなく、また平治の乱に3話くらいしか割く余裕のない
清盛主人公大河で描くことはちょっと無理。
〇〇説をとることの是非は、学説の優劣ではなく、ドラマ性(白河落胤説)や
主題との距離から決まってくる面が大きいだろうし、尺といった形式面も無視できない。 >>759
しかし、信長は「平信長」と名乗ったと最終回の紀行でやってたな
>>760
信長は阿波忌部氏じゃないの 3話の競い馬での「父は振り返らなかった【そうだ】」というナレ朝の伝聞体(間接話法)は、初見時違和感をもったものだが、
25話の上西門院主催献杯式で粗相した頼朝に対する清盛のお返しの言葉と、その時は何のことやらわからず義朝に問うたところ、
父が披露し頼朝が直接聞いた若き日の競い馬の記憶とが対比の上リンクされていることを知って、たまげたのを思い出した。
ふだんは淡々と無機的に進行する頼朝ナレ(客観)が、節々で見せる突っ込みや心情吐露(主観)、さらにメタ発言は、ナレもまた
物語に欠かせぬ構成要素をなしていたことを示す。
一心不乱に算木を動かす信西に心酔し、その姿に生身観音を認めて拝む師光。これが後の信西原理主義者西光を生んだ
(そこが信西の教えを柔軟に適用する清盛と比べてみた場合の西光の限界でもあった)。
このシーンは、何人かが強調しているように、後に激しく対立する清盛vs西光に向けた重要な布石となった。
そこまではわかっていたのが、今回ノベも読み返して重要ポイントだと思ったのは、もともと師光が惚れたのは、
「目的のためには手段を選ばないマキャベリスト」である苛烈な信西であったのが、権力奪取後における崇拝対象は、
死者たちの無念を胸に獲た権力をひたすら国家再建に向けて行使する無私の国士信西に変わったこと。
融通が利かない信西原理主義者西光は、信西に生き仏を認めなければ生まれなかったし、権力を公のためにのみに用いる
無私の人間性なくして信西は生き仏にはならなかっただろう。 織田氏は鎌倉〜室町時代には藤原氏を、信長は平氏を称した。
忌部(いんべ)氏ではないかとの説もある。
一応、鎌倉時代にも鎌倉幕府御家人ではあったらしい。
周防大内、越前朝倉なども室町幕府になって急速に台頭した家なんで、実際の出自は何とも。
清盛つながりでは、信長は清盛の孫、平資盛の末裔を称したんだっけね。
鎌倉北条氏の御内管領(筆頭家来)の長崎氏も平資盛の子孫を称してたんだったか?
わりとそういう話はあったのかもね。 >>765
熊野詣のルートとしては正しい。
京から熊野詣する場合、淀川を下って大阪の八軒屋浜に着き、そこから熊野までの間に点在する九十九王子と呼ばれる神社を順番に参拝しながら熊野を目指す。
田辺までは海に近いところを通るが、そこから熊野本宮大社を目指す中辺路と呼ばれる山道になる。 >>772
参拝ルートなのね。最短の十津川ルートがあまりにも未整備なのかと思った。 >>773
十津川ルートは修験者コースでは?
熊野へ参るには 紀路と伊勢路のどれ近し♪ 清盛と西光どちらがホンモノの信西の弟子か?こう問われれば明らかに清盛に軍配が挙がる
保元の乱軍議における頼長との孫子解釈バトルでは頼長が正統的な解釈でドヤって墓穴を掘ったのに対し
信西は戦に勝利するために必要な作戦は何かという観点から、目の前の現実に合わせて
孫子を大胆に読み替えることで勝利した(祇園事件で平氏を擁護したのも今や平氏の武力ぬきに
政治秩序は成り立たないとするリアルな現実認識があったから)
確固たる政治ポリシーがあってもそれだけで自足する理想であってはならずそれが現実に適用され
国と民を豊かにして初めて意味をもつ
信西による相撲節会という古儀(それゆえ新し物好きの後白河はすぐ飽きて宋の茶に目がいってしまった)
復興は復古的政策ではなく、低下した天皇の権威を高めることで弛緩した政治を正すことを
目的としたものでありリアルポリティークの一環であった
この点を西光は理解することがなくひたすら信西が言ったことやったことを金科玉条反復すること
をもって正義と見做してしまった
清盛はそうではなく「信西ならば今最も優先してやるべきことは何か」という視点から
現実に即して原則を修正する柔軟さを持ち合わせていた
頼長助命では相入れなかったものの宋銭流通では意気投合した両者がにわかに険悪な関係と
なったきっかけが西光が再度持ちかけた相撲節会再興だったのは興味深い
しかしながら清盛にとってもはや相撲節会は他の喫緊の施策を犠牲にしてまで固執する政策課題
とはなり得なかった
信西が生きていたとしたら彼もまた状況がまったく異なるあの時点で相撲節会を言い出したりは
しなかっただろう
そこに後に凄惨なリンチを食らいながらなお清盛を罵倒し続けた不屈の闘志、信西原理主義者西光
の限界があった しの 触るでない‼
ヤッス 碁石((((;゚Д゚))))))) 誰でもよいから助けてくれ‼ そのまま再現するだけで面白そうな原作ありに向いてるのかな?
込み入った技巧を駆使して再構成するって基本できないでしょ。 触るでないとガタガタはヲタなら誰しも連想したはず。
水垢離で願掛けする直虎と直親襲撃シーンをクロスオーバーさせたあたりは、
藤本女史も絶対こういう構成とるのではと。見事な構成そして人間ドラマだと思う
(爺様たちのナレ死は疑問)。
中でも
直親:「井伊はどっちだ」
直虎:「戻ってきたのか」
直親:何も答えず、直親はただほほえんでいる
直虎:「直、親・・・」と膝から崩れ堕ちた
直親:死
のシーンは、離れ離れの兄弟2人が死の直前交感しあった家盛落馬のシーンと、
頼長の死を告げるオウムちゃんを思い出してしまった。 ヤフーに信頼出演歴を抹殺されたぶーちゃん
いまこんなに大活躍してるつーのに
面白うないのーw 死者たちのためのRequiemイイ評言だなー
・信西救援に行くべきか否か~清盛vs重盛、リスク計算に基づく平氏利益最大化の
見地からは明らかに清盛に分があった(何度も述べたので理由略)
再度強調したいのは本作は賢人重盛を政治家としてはまったく評価しておらず
長期的ビジョンと戦略的思考に欠けた矮小しかし比類なき人格者として描いていたこと
あと今さら強調するまでもないが、出会いの穴での2人の「誰なんだ俺は」「誰でもよーい」
「誰でも良いから助けてくれ」の青臭清盛とコミカル信西の面白シーンがかくも
シリアスな場面に転換されて、熱きパートナーシップを結んだ両者の悲しい別れを導くとは・・・
こうもレトリックが嵌った例は少なくとも大河では見たことがない(というか清盛ように
レトリックやシンボル操作を駆使するような大河はないーだから保守層にはチンプンカンプン嫌われる) 「誰でも良いから助けてくれ」→「清盛殿助けてくれ」だけではなく
「俺は誰なんなんだー」の青き咆哮が(さんざんうるせーとディスられたシーン)
何故信西救援に赴くのかに対する回答を見出し力強く確言する(「俺は平清盛ぞ」)清盛を引き出し
さらに人生の最後の最後で「私は結局何者だったのだ」と悲痛な問いを発する大宰相信西を
<新たに>招来したことが重要
彼が与えた最終回答こそが「己が誰だか見つけたり!我は信西入道ぞ」である 三条殿襲撃はセット撮影なのにこの迫力・臨場感。
なんで清盛後、映像・美術面で再び坂を下ってしまったのだろうか(八重会津城は良かったが)。 >>781
主役様が履歴から清盛を抹消してる位だからな あのゴッシー付きの公家は準レギュラーだったろ
ドランクドラゴン塚地、大河ドラマ初レギュラー出演「西郷さんとNHKに仕える」
http://natalie.mu/owarai/news/226187 それ訂正記事?確か信頼で出演とかなかったはずだが。レギュラー初出演という
限定も付されていなかったはずだが。
いずれにせよ、50話全部でないとレギュラーにならないのか?御冗談を。
鳥羽の遺言回から登場した信頼は平治の乱のキーマン。準ではなく正レギュラーだ。
その記事書いた記者はどこまでもいい加減、しったかというだけのこと。
こういうデタラメ記事がでたら、ふつうは物を書いて金もらっている以上マズいでしょ、
となるはずが、ここぞとばかり飛びついて「信頼なかったことにされているザマー」とか、
「塚地自身が忘れようとしているのねきっとpgr」とやり始めるのが>>785やババアども。 世は平治なり、花の都は平安城、我らは平氏なり!
平の文字が三つ揃って此度の戦に勝たんこと何の疑いやある、いざ参る!
我こそは平清盛の子、左衛門左重盛なり!
名高い重盛の口上は平治物語より。これに応戦するは義平
平の文字が三つと言うたか、我こそは源義朝の子鎌倉悪源太義平!
四つ目の平の文字は我が名にあり、いざ戦わん!
これは藤本によるオリジナルのはず。かの有名な重盛の口上を負かすほどの切り返しだろう
はともかく新平家は重盛ではなく清盛の啖呵へと改竄していた
このことはすなわち清盛が前線に出っ張り一兵卒となって戦ったことを意味する
平治の乱で何よりも特筆すべきは清盛が後衛の六波羅に陣取って双六の駒を一つ一つ
進めるように戦況を完全にコントロール、源氏を翻弄し圧勝に繋げた歴史描写である
これがあって初めて大将どうしの一騎討ちは荒唐無稽から逃れることができた
大河清盛は大河お約束、大将が雑兵と大立ち回りするナンセンスを断固拒否したのだった
一騎討ちファンタジーばかりに目がいって平治の乱本戦について実にリアルな歴史描写
がなされていたことを看過してはならない
一騎討ちはここでは簡単に。このシーンを最後の競べ馬と位置づけるツイを多数見た
もちろんその通りだが物語のロジック上はやはり父親世代による殿上闇討ち回との
リンクの方がより重要と考える(源平それぞれが貴族に対して十分な力をつけてから
武士長者決定戦をやろうではないかby忠盛) 義平が阿倍野で清盛一行を待ち伏せするとの風聞が立ち一行をビビらせたものの
実際は義平が派遣されることはなかったーこれは史実
このドラマにかかるとそのロジックは、焦燥にかられ「清盛との<早まったナンバー1決定戦>」
を望んだ義朝が清盛の入京を「好機到来」と捉えたがゆえに義平の進言を退けたからとなる
ちかえもんで顕となった「虚実皮膜」が平清盛では一見年表風史実展開の下で密かに行われていた
これが本作の一番難しいところであり日曜8時にこれで良いのか?といわれても仕方ないところ >>790
ノベでは平安城
元々王城を中核とする王権都市なのだから間違いではない。平安京と区別して用いられる
こともあるようだ 一騎打ちの場面良かった!!
マツケン・タマキン
すごっ!!
殺してればもっとよかったけど。 家貞が奈良まで鎧や武器を持ってきててどや顔してたけど、着ずに京都まで戻ってきたなら京都に置いてたら良かったんじゃないの?と荷物持ちは思ったはず まだ見てなくて考えが変わるかもしれないが
「お前はもう死んでいる(歴史上は長田に囲まれての自害あるいは殺害だが清盛との関係においては)」
と当時解釈したw
歴史上の平治の乱とは区別された異空間でのバーチャル一騎討ち(まだ早すぎる)とする見方をとったゆえ
(もっとも完全にバーチャルなのではなくリアリティもあるー荒ぶるマツケン玉木の荒い息が聞こえてきそうだー
つまり虚実皮膜) 大将同士の一騎打ちで決着つけるなら軍勢率いて戦なんてしなければいいのに。 だからさお兄さん
平治の乱は一騎討ちで決着ついたんでないんすよ
ではまたねハアト いっそのこと、そこで義朝に首をとられて「完」で良かったのでは。 この時代の一騎打ちって軍勢の前に出てきて
「我こそはー」「おーおー我こそはー」なんだろけどね しかし、何でイチイチこのシーンは真田のアレだとなるのだ?先にあった大河はどちらか知ってるのか?
だいたい真田の戦とは脚本からしてましてや映像込みとなれば全然レベルが異なる。すまんなオバサンたち。
それと一騎打ちシーンは、ノベからも2人の男だけの世界で行われたのが明瞭である
〜「軍勢から抜け出した二騎の馬が」。
予算上、大勢が見守る中でのそれができなかったのではない(本郷先生余計なこと言わんでよ。。。)。
ともかく、内容上の賛否とは別に、マツケン、玉木が魅せた一騎打ちでの演技は賞賛しかない。
これだけの長尺で、重装備を纏い馬を駆り、ダイナミックな男の戦いを見せてくれた大河が
他にあったら教えてもらいたいほどだ。
俳優2人が精進に精進を重ねたであろうこのシーンに対してすら冷笑で迎えた連中に、
媚びることはいっさいやめると決めた一騎打ちだった。 >>800
違うけど何か?おもちゃの宋剣がーをまだやりたいのか?
やってもいいけど、その前に清盛の武威のシンボルは何が相応しいか(剣、鎧〜実際に伝領、その他)
自分の意見を述べな。 とりわけ真田最終回の家康vs幸村の正当化のために、こちらを持ち出すのはやめてもらいたい。
昌幸が仮に生きていたとしたら、2人のタイマン対決はドラマ上ありえた。
しかし、幸村と家康との間には長年にわたる「宿命のライバル」などという関係性は何もない。
確かに小田原開城交渉では家康陣営から「お主しかいない」とウソみたいなミッションを託された。
それも真田礼賛者によると、最終的に失敗したから???何とか官兵衛の功績は奪ってない、
不自然な行動でも主人公上げでも何でもない、何もやり遂げていない、だから江とは違うのだと。
となれば逆に、家康は信繁をスカウトしたのはなぜだ?と聞いたら能力評価とは無関係なんだそうだ。
いやはやいやはやとなってしまったのだが、ともかく、家康と信繁が最後にタイマン対決で決着するほどの
関係性を切り結んできたとはとても思えなんだ。
おまけに、あのスカスカのススキの野っぱら、せめて他に誰もいないシチュエーションであれば
まだ意図はわかったのだが、後方には少数の家来たちが控えてリアルさを出す中途半端ぶり。
平安の1対1の戦いではない、さりとて大坂夏の陣における激烈な集団戦でもない、いかにも中途半端な
ものに終わってしまった。しかも、いざという時に2代目が現れ家康の窮地を救い、追い詰められたら
忍者佐助がこれまたいつものように都合よく現れ煙幕を張り神社へと脱出の巻。。
もうホント清盛の一騎打ちと並べて語るのはホントホントやめてー。。。 >>803
> 家康は信繁をスカウトしたのはなぜだ?と聞いたら
> 能力評価とは無関係なんだそうだ。
家康が後藤又兵衛や真田信繁をスカウトしたのは人材を欲したと
いうよりも内通してるんじゃないかと思わせることで城内の結束を
乱すのが狙いで、又兵衛の無理な突撃と討ち死にも周囲から裏切る
のではないかと疑惑の目で見られたことが一因となってる。
そんなに真田丸を目の敵にしなくてもいいのに。 朝鮮ドラマ「平清盛」
王家が!王家が!王家があああああああああ!!!
日王は滅びるべき。 鎌田正清の一族って、鎌倉幕府ではあんまり重用されてないな? 娘が尾張の地頭になったらしいけど 由良と常盤は、こないだは江戸時代で主従になっていた >>802
なんだ、ケンカ売ってんのか?
クソガキがw
早く死ね 表面的には伝統踏襲まんまのようで中味は藤本オリジナルを押し通した頼朝助命物語
源平物語の中間総括にして新たな起点、義朝頼朝のクロスオーバーにはため息しかでなかった
しかしマツケン、髭切突き刺し=返還の意味を読み解いた政子も頼朝挙兵によって灯した自らの目力も
この時は知る由もなかったはずなのに
お父ちゃんが宋剣突き刺して尻叩いたあの「死にたくなければ強くなれ!」を意識して演じたのだと
阿部サダヲも僕歴史知りませんと告白しながらあの信西
一流役者の直感と洞察ってやっぱ凡人とは何かが違う(マツケンはあれこれ読むのをやめて台本だけに
集中したとのこと) >>808
例によってダンマリ以外答えがないのか。では纏めてみる。
・清盛の武威を象徴するアイテムは何か?
・保元平治の乱で身に纏った唐皮の鎧は、忠盛から実際伝わったアイテムであっても、
肌身離さず常時携帯するアイテムとはなりえない(あくまで戦乱という非常時にのみ有効)。
・それゆえ武威の象徴はあくあくまでも刀剣でなければならない。
・しかるに平氏重代の名刀抜丸は史実上正妻の子頼盛に伝わっており、これを動かすのはNG。
・では無名の日本刀をでっち上げるのは適当か?一門内では頼盛が抜丸を保持し、
ライバル源氏はかの髭切を棟梁のシンボルとしているのに、平氏棟梁清盛が身につける太刀が、
何の由来ももたずしたがって無個性とならざるをえない無名の日本刀であってよいはずがない。
・したがって、清盛必携の太刀は無名の日本刀を捏造することから離れて、清盛の個性を強く刻印する
何らかの太刀・剣を創作する必要があった。
・それこそが宋剣である。生涯宋趣味を持ち続けた清盛にとって宋剣は、偏頗な国粋主義なんぞ
一笑にふせる平安版グローバリスト清盛の個性をこの上もなく刻みつけるアイテムである
(実際、福原では宋女を侍らせ、高倉厳島行幸に際しては、院のためにのみ唐船を準備した。
さらに世界に開かれた視野をもつ帝に成長することを願い、当時の代表的世界情報誌「太平御覧」を
言仁(安徳)にプレゼントした)。
・すなわち宋剣は、アホウヨどもがアホ面晒して必死こいて罵倒した「おもちゃ」どころか、
清盛の個性と武威をズバりシンボライズした必携アイテムなのであった。 >「平清盛」は、明らかに、後半で描くつもりでいてた「平家の公達」連中の描写が、クソレベルに薄っぺらだったし、
>ホント、ドラマとして崩壊してたんだけど、それでもええんや!って命令が下ってたんじゃないかな?って気は、してる。
> 「平清盛」は、悪左府とか信西とか、わきのキャラが良かっただけに、残念な感じがハンパない
> 「平清盛」ってタイトルのwわりにゃ、皇室のスキャンダルや、弁慶とか源氏の連中の動向ばっかやってて、
>本場の「戸隠そば」って暖簾の店入ったら、うどんとナポリタンしか置いてないぐらいの、ブチギレ寸前の詐欺感は、
正直あったよな。マジ
今見たらどこの阿呆か知らぬが↑のような与太話が投下されていた。
これって、実はババアその他阿呆どもの共通見解でもある。
せっかく再放送されているのだから、自称歴史系ブロガーだのバカッターだの、ダンマリ決め込んでないで、
再度清盛攻撃を始めろや! 追加
>「平清盛」ってタイトルなのに、前半は天皇のスキャンダル、後半は源氏の連中に、重きを置きすぎだったし、明らかなる設計ミスだったと思うんだけど、
>次股源平合戦やらせてもらえるかわからないから、体裁崩壊してもいいからやっときや!って上からの命令が下ったと、邪推してる。
逝かれたオツムでここでも自己主張してね!!! >平清盛」は、部分的に、評価に値すべき点があっただけに、全体的に、クソって言うのが、本当に、、許せないんだよ。
だから阿呆ここに降臨しろや!(爆、酔っ払いすんませんw)。 お遊びはさておき、本日決定的に重要なのは、頼朝助命のロジック。
その場での事例判断なのではなく、これまで描かれてきた
忠盛vs為義、清盛vs義朝すべてを総括し、これから描かれる清盛vs頼朝
すべてを俯瞰した上で位置づけないと清盛の真意がわからない髭切り突き刺しシーン。
後のほうはそれを見ないかぎりわかりようがないわけで、本放送時この場面が
決定的に重要であったことを真に理解できた者は、拙者含めただの一人もいなかったという
トンデモ大河であった。2回以上見ないとほんとのところがわからない大河って・・・ >清盛が頼朝と義朝を処断しなかったのは歴史的に見てやはり理解しがたい… #銀河盛
すまんなマジメな疑問に酔っ払いが絡んで。こういのは誹謗中傷では全然なく建設的意見。
歴史的には理解できるだろう。なぜなら歴史的にはその時義朝は死んでいないのだから。
だから、ドラマ的に清盛がとどめを刺さなかったことを理解できるかだ。
思うに、義朝への温情で止めを刺さなかったという見方は、一番つまらない解釈だと思う。
なにしろ、清盛はこんな形での源平合戦はやりたくなかったのにもかかわらず、
信西の晒し首を目の当たりにしたことで、「もう取り返しがつかない、平氏は源氏を滅ぼす」
と苦渋の決断をした人間なのだ。
歴史上の平治の乱に完勝した清盛は、ドラマ内在的論理の帰結である源平長者決定戦に
おいても義朝をボコボコにした。すなわち源氏は滅んだのである。
したがって、勝敗が決した時点で、「義朝よお前はもう死んだのだ」と解するべきだろう。
死んだ者にとどめを刺す必要はもはやない。
「双方わかっていただろう。これが互いにあいまみえる最後のときであったことを」byナレ朝。
このナレは義朝はもはや死んでしまい「不在」となったことを意味した。
頼朝助命については少々既述。源氏は義朝の死によっていったん滅び、グランドゼロからの
再出発を余儀なくされたのが頼朝である。生気をすっかり失った伊豆頼朝の初期設定は、
以上の経緯に鑑みれば説得力抜群だろう(虎視眈眈と復讐を期する頼朝ではない。 >>810
いいからはよ死ね
クソジジィw
誰も困らん 木登りのシーンをしかと覚えている者にとっては、義朝の最後は風呂場での殺害ではなく、
愚管抄風の自害となることはあまりにも明らかであった〜共に落ちる(愚管抄をアレンジ)。
これに対して、史実は風呂なのに何なのよーという脱力系批判が沸き起こった。
義平斬首シーンをやらずナレ死で済ました無能な制作側―も懐かしい。朝長が青墓で死んだのに対して、
義平は独自の行動をとったあげく、その後京に潜入したところを捕縛されて斬首された。
なので、義平の斬首シーンを映像化するとしたら、頼朝助命シーンとならぶトピックを設定し尺をとるしかない。
しかし、義平はストーリー的にはそのような重要人物はありえず、一戦闘要員以上の存在ではない。
本作が義平に脱線せず頼朝助命シーンに力を注いだことはあまりにも当然の選択であった
(平家物語にあるのに義平斬首シーンを省略したのは、制作側の無能の証明なのだそうだ)。 誰からも賛同を得なかったが、池禅尼が思わず白湯を飲んでしまったのは、ハンスト失敗→終了ということだ。
つまり家盛に似ているからという理由での助命はここで遮断された。
これにより、頼朝助命はひとえに棟梁清盛の主体的決断にかかることとなった。それがあのリクツである。
27話唯一のほっこり場面は、ただコミカルなシーンを挿入した以上の意味をもった。 新平家は、常盤とのラブを主題化して総集編ですら長々と尺をとった。
脱線恋バナを断固拒否してきた清盛はそういう真似はしない。
すなわち、裸のまま放りだされた常盤と子供たちの生存を顧慮するという
勝利した敵方棟梁の義務的行為に特化したシーンが常盤手籠めシーンである。
これに対して、「とってつけた常盤&清盛pgr」と喚いたのがババアどもである。 平家にあらずんばスレの皆さま
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投票はお早めに!! 初見で毎話とても楽しく見てるけど、義朝退場は本当に淋し過ぎる。
正清との最期のシーンは、生涯忘れないと思う。 >>796
今昔物語集を百回読んでから出直しなさい。 清盛と義朝のライバル物語が終わり、清盛と頼朝のライバル物語が始まる中間点。
28話は清盛、義朝、頼朝の3人がことごとく素晴らしかった。全員MVP。
玉木はワイルドで強くて繊細で弱い義朝を演じきり、本放送時「この子誰?凄い」と
感嘆の声があがった中川若頼朝は何度見ても「この子凄い」。
全清盛の中でも要求水準の高さからは屈指の回だった助命回での清盛。
すっかり貫録がついて義朝の死の報にも動揺を見せなかった清盛は、最後鬼の形相となって、
義朝への無念、自らの決意、頼朝への叱咤(実は期待)その他思いの丈をぶちまけ咆哮し涙した。
難所の一つ助命シーンは、マツケンの傑出した演技がなければ成り立たなかっただろう。
本日滋子の婚礼は、巻毛というトリッキーな設定、たった一つの説明原理から、清盛・後白河・滋子の人間性
(因習迷信嫌い〈清&ゴッシー〉、新しもの好き〈同〉、宋趣味〈同〉変わったもの好き〈後白河〉、タフネス〈滋子〉)を引き出し、
併せて滋子を媒介とした清盛と後白河の提携という、平治の乱後の政界の基本構図(二条vs後白河を挟んで)
を最初に提示した重要な政治劇回でもある。たいした朝ドラですねw
ここでも後白河の嗜好を利用してピンチをチャンスに変える、清盛お得意の逆転の発想がものをいった。
また、平安貴族の美女の基準は「長い黒髪」であることに対する理解が作劇の前提であったのに対して、
「平安美女は長い黒髪以外いるわけないでしょ、そんなことすら知らない無能な制作側がー」と例によっておっぱじめた
滑稽な連中を楽しむ回でもあった。
当時の社会意識の水準を遥かに凌駕していたのが、ある種の合理主義者であった清盛の真骨頂である
(正すべきは巻毛にあらず、巻毛を醜いとする古来からの根拠のない因習のほうだ)。 >>823
義朝と鎌田親子の退場が寂しくて、もうクライマックスは済んだ
後は消化試合なんて思ってたら、天下を手に入れた清盛が徐々に
おかしくなっていく過程がさらに面白かったという。
>>824
めんどうなんで三行でお願い 真田で話題 になったナレ死
なぜ話題になったかというと、ナレ死へのダンドリまで省略したのが多かったため
唐突さを拭えなかったからだ(これが画期的だとのこと)
ドタバタドタバタあっという間に重要人物たちが消えていった(忠勝、清正、薫など)
そもそもナレ死は何も真田の専売特許であるはずもなく登場人物を退場させるための
大河のデフォルト。真田のやり方がふつうではなかったため「ネット騒然」と喧伝された
にすぎない。ナレ死の嚆矢を清盛とするなど馬鹿馬鹿しいにも程がある
重要人物についての清盛のナレ死は(清盛死後は別)今回の美福門院、家貞、次回の忠通に
見られるようにこれまでの彼らの人生を的確に回顧し花を持たせるという
ダンドリを踏んだ上でのものでありおよそ唐突感とは無縁の丁寧でオシャレな退場方式
であった(その極地が忠盛ナレ死、一方妻宗子は丁寧な枕死)
ぞんざいな退場方式を揶揄するワードがナレ死ならば清盛のそれはまったく当たらない 31話からが話のトーンが重いんだよねまた
清盛はのし上がっていくのに何かがおかしくなっていくという
成功と凋落が同時に描かれていくのは見応えあるけど疲れる ラブコメでほっこり。
前回と明日があれなので文句はないが、平治の乱を勝利に導き独り勝ちとなった清盛が、
念願の公卿さらに参議に昇ったこと(やっと国政に参与できるようになった)、
二条と後白河に対する強かなスタンス〈アナタコナタ)、そして、更なる上昇へ向けての戦略が
きちんと描かれていたことも忘れないでね。
とくに、二条帝を政治的に支え(時子を乳母とする)、後白河へは「つかず離れずほどよい間」を保ちながら、
経済的奉仕に限定するスタンスで臨んだことが重要。この時期の清盛は天皇の権威に従う立場
つまり親政派よりだったのだろう(だから後白河はこんなものでわしの機嫌をとったつもりかと
青磁器を投げつけた。自分が指名したわけではない二条帝が政治への意欲を示すや、父であっても
後白河院は無力化する。ドラマのゴッシーは再び疎外感に苛まされていた)。
そこで清盛は、朝廷へ食い込む駒滋子の入内先を二条帝と狙いをつけて時忠を通じて画策したところ、
思わぬ形での滋子&後白河のフォーリンラブによって頓挫し、あーなってこーなったのが本日の展開。
後白河への滋子入内により(とりわけ憲仁誕生後)「後に日本一の大天狗と呼ばれる後白河院と婚姻の
かかわりを結んだことが、この先、平家一門の賽の目を目まぐるしく変えることとなった」byナレ朝。
最後遊びをせんとやをハモったシーンは、やがて成立する清盛と後白河の提携関係を象徴したものである。 ・滋子が蝶番となり清盛と後白河の提携が成立する。滋子が媒介役となりえたのは彼女が後白河最愛の寵姫であったからだ。
したがって、後白河が滋子の美貌(巻毛をよう似合っていると賞賛!)と聡明さそして強い信念に貫かれた人間性に
ぞっこんとなった描写が不可欠。
その滋子もまた(「滋子の心は滋子のもの」)、孤独な内面を抱える「暗君」後白河の人間性を誰よりも理解し愛した女性とされた。
このように後白河と滋子との恋愛模様と精神的絆の描写は、単なるラブコメではなく歴史描写の一コマであり、
反対側から言えば、本作はただ漫然と男女が恋バナを咲かすことには関心を示さなかった。
(明子最愛の視点も、後の時子&宗盛vs重盛との葛藤抜きに成立しない。清盛&常盤も恋バナ視点を排除)。
・滋子の婚礼について暇で暇で暇でその上内容理解能力ゼロのババアがつけた暇な難癖
1 滋子ごときの入御に披露宴なんかやるはずないじゃないのぉーーー
2 ヴァージンロードを歩む滋子は西洋風ウェディングまんまpgr
1
帝が内裏で朝廷儀式に則って挙行する婚礼ではなく、院の御所(法住寺)において院主催のもと行った半ば私的な婚礼だ(cf鳥羽九の宮披露宴)。
しかも、ゴッシーは自らの元服式をセルフコーディネート、堂々白拍子を乱入させるハチャメチャぶりで人を驚かし、
そういう自分と他人の反応を楽しむような奇人変人である(もちろん創作だが史実上も同種のエピに欠かない)。
最愛滋子のために婚儀を整えることぐらい、むしろ「美意識において新奇とバロックを本領」(by棚橋)とした後白河の十八番だろう。
2
見とれていた基実がはたと思い当たった。「絵巻で見たことがござります。宋国の衣装かと」「宋国の・・・?」忠通が聞き返した。byノベ
つまりそういうことだ。宋風の音楽に宋風の衣装。そんなものを聞いたことも見たこともないくせに、
自分が見知ったヴァージンロードとウェディングドレスに似ているというだけで、西洋風に捏造したーと喚く惨さといったら・・・合掌 1 崇徳はなぜ怨霊となったのか?言い換えれば、讃岐の地で住民と触れ合い愛されながら
静かな余生を送ることが出来なかったのか
→いくども強調されてきた執政への執念(直接的なきっかけは今回の出来事であっても)
2 崇徳死後、不安の時代(鹿ケ谷前後)に人々の社会心理面で「出現」した怨霊とはせず、
平家納経と崇徳没年とが同年であることに注目し、両者をリンクさせて生霊とした超絶技法
→平家納経は、崇徳の怨念との壮絶な戦いを克服して初めて厳島に奉納することができた。
3 怨霊崇徳の現象形態→雨月物語と歌川国芳のイメージをよく研究して最大限再現
4 共同体の不安心理は、怨霊(生霊)を手厚く慰撫することで解消され、社会秩序は回復を見る。
荒れ狂った崇徳を人間に戻し安らかな死を迎えさせたものは何か?→曙光、慎ましく生きる民の声、
自然音、鳥の声、西行の祈り・・・そして清盛の執念であった(平家の繁栄のためだけではない、
上皇様含むすべての死者たちの無念を背負い作ったのだ。これを海に捨てるは皆の魂を捨てるに
同じぞ!)
なにしろ凄かった。のみならず、平家納経の制作過程は美術面でも永久保存ものだろう。
ピンと背筋を伸ばして摂関家の家宝を差し出し、摂関家生き残りのために清盛に頭を下げる
誇り高き忠通の退場は、時代の変遷を感慨をもって振り返ざるをえなかった(初回、殿上回、叔父を斬る回)。
さらに、元海賊にして海のプロ、博多交易のバイヤー兎丸からヒントを得た「京の隣に博多をもってくる」
という発想もここで芽生えたのであった。福原京、大輪田泊構想の誕生である。 ホラー的なのが苦手なので、崇徳上皇様が怖すぎた。
それにしても濃い大河だ。
リアルタイムで観られなかったのが悔やまれる。 だな、怨霊崇徳上皇様と海の底の都が映像化される日が来るとは思ってもいなかった。
リアルでは政宗から見ているが個人的には一番の神大河だわ。 おっかなかったけど、最後に穏やかな顔に戻ったのが印象深い 大河の崇徳様全体を通して、ほんとにみんなが
夢みたまんまの愛すべき崇徳様だったような気がする 夜叉化した崇徳上皇もそうだったけど
全体的に実況向けの大河だったな 親身に世話をやいた讃岐の優しい民たちと交わるうちに、政治への激しい意志を過ぎ去った
記憶の中に封じ込めていた崇徳。
ところが、大乱を引き起こし多くの犠牲を生み出した反省から真心こめた写経した大乗経は、
憲仁によってビリビリ破かれた上、酷薄な後白河から送り返されてしまった。
そこにダメ押しとなったのが、かつて即位を熱望した愛する子重仁死去の報。
こうなれば、儚くもおいたわしいだけではない激しい統治意志の持ち主であった崇徳が、
怨霊となる以外の選択肢はなかった(怨霊は道真始め「政治的怨念」を抱いた人物が「なる」)。
これほど不条理な人生を送った人間がかつていたことは、我々現代人にとって驚きであり、
崇徳怨霊化をかくなる精度で描いた平清盛に対して感謝するしかないのである。
Evaluation: Average. 銀河で見てるがこれ凄いね
週3回これだけ濃いもの見るのは正直良い意味できついのとじっくり見たいから空いた時間にまとめて見てるけど
頼朝の処遇決めるところで義朝にだぶらせて想いをぶちまけるシーンは目頭が熱くなった
史実の重いシーンと男達の暑苦しいくらいに熱いぶつかり合いのシーン盛りだくさんで本当名作だと思う まず日本会議が王家問題でNHKに噛み付き
次に創価学会が不評主役の責任転嫁のために脚本と演出を叩き
脚本家とスタッフは一時は再起不能に思われたほどであった
カルトの集団バッシングは尋常でなかった 鎌倉悪源太義平は残虐なイメージがあるが、平治の乱の折、平氏がなかなか攻めてこないことに業を煮やして
椅子(?)を蹴るシーンではちゃんと部下をどかして怪我をしないようにしてから蹴るという
優しさを見せている。
さらに欠伸をしただけで義朝に叱られる朝長をフォローしてやるなど兄らしいところもある 時子:殿・・・ありがとうございます
清盛:わしはただ上皇様に借りを作りとうなかっただけじゃ。またこれをしおに
宋との商いにも弾みがつけば良いと思うてな
優しい殿の照れ隠しという面もあったけど、宋風婚礼をコーディネートして騒動を
収拾しつつ後白河との双六を一歩優位に進め合わせてちゃっかり果実まで手に入れよう
という一石三鳥を狙った清盛の戦術眼が光った
和歌もどきで披露したピンチをチャンスに変える発想と粘り腰がいよいよ冴えてきた
思えば 無頼の高平太くんずいぶん遠くに来たもんだ >>842
そうそう、意外に優しいよね。
朝長が死んだ直後、自分は別の所に行くって速攻立ち去ったのにはおいおいってツッコミたくなったけど この脚本家は基本が歴ヲタなんだろうな。そこが良い。 初見者に信じてもらえるかわからんけど本放送時2ちゃんでは
王家がー、汚い白いはさて置いて内容面では
歴史にまったく興味関心がない無知な素人、おまけに人物への敬意の欠片すらない
無能な脚本家(制作側)がー
と今となってはウソみたいなそれはそれは卑しい波状攻撃が執拗になされたのだよ >>826
平良文と源宛が部下の讒言で険悪に
すわ合戦かと思いきや二人が名乗り出て一騎討ち
お互いの技量を褒め称えてその後は仲良くしましたとさ 熊(野)のプーさんことただ乗りさんも随分ご出世遊ばされたもんだ
なんて世迷い言はNG
何しろ源平合戦本番は清盛死後の出来事ゆえ活躍させる余地はなく人物整理の対象となっても
おかしくはなかったのに「誰が統治エリートに相応しいか」を決める「文化的一騎討ち
(歌会=もう一つの政治の場)」であった摂関家との歌合戦において清盛から平家方エースに指名され
一歩も引かずに堂々摂関家エース兼実と渡り合ったのが忠度
スポットライトを浴びたのはほんの一瞬だが清盛平家が王朝文化を担うに相応しい存在に成長
したことを対外的にアピールすることで平氏系新王朝樹立に大貢献したのがムロ忠度である
ドラマ上の重要度は同じく和歌の名手しかし存在感が希薄な文系として描かれた経盛を
遥かに凌駕した(下手するとチョイ役扱いされているが) >>845
昨今の脚本家業界は少ないのだから>暦ヲタ
藤本さんが最後の人。 >>851
他は山本と三谷位か。
藤本が良いのは、満遍なくどの時代も好きそうな所 東京新聞連載王朝の歌人たちはここ2回西行を取り上げている
北面ではきっと同僚清盛と未来を語り合ったであろうとか、3人の青年による
「強き美しき面白き人生」なる青き抱負開陳シーンを思い浮かべてしまった
最終回の銀猫、三十一文字は吾妻鏡。ノベでは兵法書捨てちゃったも書かれているが
本番は京随一のもののふは我にあらず清盛だよーん部分だけを採用して清盛との志継承式を
セッティングした(上手すぎ)
竹馬エピも木下強奪エピから遡及したのはおそらく確かだが、汚れを知らない無垢な
少年時代を懐かしみ詠んだ新古今西行からも発想されたものかもしれない
ともかく高橋大先生が危惧したというのは平安末期に歴史学的なアプローチをする力が
受けた当時藤本にはなかったというだけで元々古典教養に関しては現役ナンバー1だったのだろう
そしておそらく猛勉強によって平安末期への歴史学的なアプローチについても急速に
マスターしていったものと思われる。その成果は至るところで確認することができる 今日からしばらくはお勉強大河
この間の地味だが重要な平家の上昇過程をたぶん初めてきちんと描いた作品
『平家物語は「保元の乱に始まる平氏の勃興期を正面からは扱わない。ギボンが
ローマ帝国繁栄の頂点から始めたように平家物語も平清盛の絶頂期から筆を起こす』
(古川訳平家物語池澤夏樹解説)
その意味でも清盛はレア大河 武士の世とは世襲社会であり、信西が思い描いた中国の科挙社会とは違うものだた。
ふむう。 信西どの、ついに大河主演の座を射止められましたか。
祝着至極に存じます。 現時点の直虎の衣装を見てると、清盛も
白っぽい画面取っ払って作り直して欲しい
と思ってしまう 今日からオープニングの清盛様が踊っててビックリした。
義朝ロス状態だけど、相変わらず面白いなぁ。 末の世の賢帝におはします二条帝が早逝しなかったらゴッシーどうなってたんだろ
シカトされたまま過去の人へ?
策略用いて打って出て世は再び天下大乱?
清盛が軍事面政治面でしっかり二条をサポートしてたから前者のような気もするが
憲仁即位→徳子入内→外戚→平氏系新王朝という実際の歴史の流れからは
清盛が後白河と組んで二条追い落としを目論んだ可能性も否定できない
いぅれにせよ今や清盛は押しも押されぬ政界のキーマンとして君臨し始めた >>858
衣装が相当汚いよw
清盛が若い頃と戦の時
でもそれがいいんだけどな
やたら汚い汚いと訳の分からんキャンペーンされて気の毒だった >>858
これはもう好みの問題としか言いようがない
清盛の画面を堕落とすら決めつける意見が大勢を占めた一方で(2はもちろんこちら)
大河の映像表現を一気にリアルにそして豊かにしたという少数意見もある
両者は話し合って握手する関係には残念ながらない
なのでお互いの趣味を尊重すれば良いのに汚い白いは絶対悪のような物言いが
なされるものだからこちらも物申さなければならない
個人の嗜好を言えば一部やり過ぎはあっても清盛の映像のクオリティを一度体験
してしまうともはや後戻りはできない
その後の大河は清盛の成果を生かすどころか退行しているとしか思えないし
中国韓国時代劇は中身以前にキンキラ画面に萎えてしまう
そういう困った人間を生み出したりもしたのね大河清盛さんは >>859
武士から次第に公家化する平家を表していて
この途中でオープニングが変わるという趣向はよかった
その後の八重の桜?だかが真似して?オープニングを変えていたが
変えりゃいいってもんじゃないよね
視聴者に感慨を与えるタイミングでドンと変えないと煩く感じるだけ というか砂塵が舞うインフラ未整備の京、汚い破れ門、悪所、病者貧者乞食をリアルに写したからこそ
やんごとなき宮中の美しい世界が映えた
台頭する平氏は金持ちなのに質素、ダメさん屋敷はいかにも貧乏風情とここでも細かく差異化していた
その上歴代大河と比較しても恵まれていたロケ数とそれに応えた美しい映像(光の用いられ方など)
さらに鳥羽エア矢、青墓、五節の舞などの宮廷行事における幻想耽美。手間暇かけたであろう平家納経の
脅威的な美術面での達成
何故清盛は汚い映像面で台無しとなった大河なのかさっぱり分かりませんわマジで しかしアイドルだという頼盛君は芝居うまいな。
もっともっと出してやってくれ。 しかし相変わらずバロックですのぉ、悪僧引き連れて息子の弔問に現れたゴッシー殿w
この二条帝弔問は坊主たちによる額打事件を借用したもの(死者の供養なんぞ二の次であった党派闘争)。
ほとんどが何もないところからの創作ではなく、重要エピからヒントをえた創作だった。
それにしても異常な親子関係ばかりであった王家。父子間でいっさい心を通わすことのなかった
この後白河−二条の異常さもまた、現代人の理解できるところではなく痛ましい。
そもそも生育環境からして父とは疎遠であった二条。この真摯に執政に取り組む若き賢帝が、歪んだ人間性と
統治者としての自覚に欠ける父後白河を忌避したのは、ある意味当然であった。
慌ただしく六条に譲位したとき、「上皇に政をさせてはならぬ」と悲壮感露わに遺言した二条の姿は、
愛情をかけてもらったことのない父への恨みではなく、統治者がもつべき責任感に満ち溢れていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています