【2012年大河ドラマ】平清盛 Part179©2ch.net
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part178
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1492092790/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ やはり面白いんだが、見返すとあの歌が流石にウザい
歌の意味が全てなのは分かるが何度も何度も歌いすぎ
ここぞという時以外は別の歌をいくつか用意しとくべきだったと思う 個人的には清盛本編が神大河であの 歌もすきだったのでよかったが 歌がこのみに合わず視聴
やめたひともいたんだろうな 2年前の花藻湯はopが神だったので 本編はシエの次のワースト2だったが完走してしまった 大河清盛を罵倒しまくって昔はヨカッタと宣う
皆様の多くも絶賛するだろう大河新平家主演の仲代達矢氏が
松山君の清盛は新鮮でとてもよかったですよ
と評価していますな
https://dot.asahi.com/dot/2017090800117.html?page=3 そもそも完全版を見た人間がどれだけいるんだよ。
たった3時間ばかりの総集編で新平家を絶賛し、清盛を貶す際の規範と見なす人間が本当にいるのかはなはだ怪しい。
総集編の編集も芳しくないためか、仲代他の役者の名演技と端正な古典的格調は伝わってくるものの、
内容的には時代的制約を考慮してもはっきり言って酷くて、清盛とその時代に切り込んでいく作品とはいえない。
清盛と比較するのは失礼となってしまうので、昭和の名作に敬意を払いあまり言及しないようにしている。 > あと、藤本有紀ちゃんは、やっぱりもっと自由に描ける人主人公でやったほうがよかった気がする。西行先輩とか。
今見たら、2ちゃんにおける清盛罵倒の3トップの一人である遊び人が久々ツイってた。
前から何度も与太ってるワシの主張で新鮮味はございませんが。
これに反論したらすぐさま!反応したはいいが(2ちゃん与党なわけだから当然だ)、私は馬鹿は相手にしませんとのことで
何も再反論していない。
ミタニンすげー・パッパすてきーに続き、今年も森下女史の「自由」な創作を、ビジネスか本音かはともかく称賛。
反面、清盛とその時代へ切り込んでいった「有紀ちゃん」は、「自由」を失って精彩を欠いたのだそうだ。
たとえば、安徳の障子の穴開けという著名エピから引き出した「そこから眺め」という創作は、ミタニンが創作した春の
障子の穴開けと比べて著しく創造力や想像力が劣っていたとか、そのあたりを語ってくれ。
西行でやれについても既出。出家して表舞台から去った西行を主人公にどうやって50話もたせるのか、構想を語ってみろ。
以上、リアルに見ているだろうから頼むよ、晩ごは〜ん。 今日は直虎嬢と龍雲丸のチューで盛り上がってるので思い出した
新平家と違って清盛での常盤との関係は「とってつけた」ものなんだそうだ
確かに新平家では短い総集編にもかかわらず清盛と常盤とのラブが大きな
見せ場だった(もっとやることないのと呆れてしまった)
清盛の人生に歴史的に迫ろうとする姿勢からは蛇足でしかないこういう恋バナは
昔は良かった大河にそれこそ頻出する約束ごとみたいのものだが
大河清盛はこういう「とってつけた」ようなラブには見向きもせず
あくまでも勝者となった武家棟梁清盛の義務的行為(常盤たちの生存保証)
に特化していた。すなわち「とってつけた」衣を剥ぎとって物事の核心に
単刀直入に分けいったことが逆に「とってつけた」ことに見えたのだそうだ 主人公に感情移入して俺SUGEEEしたいタイプの人には辛い大河よね
小説でも一人称体の読み方しかできばい感じの >>1
大河を完全に破壊したい連中が総力を結集して作り上げた大河。 汚盛の色恋話がスベりまくったのは
龍雲丸のようなマチュアな男の感じが皆無だからさw 平清盛ってつくづく惜しいな
脚本がちゃんとしてれば名作になったのに 思い出すだけで恥ずかしい場面がいっぱいある
格調って大事やな 真田丸のラスト唐突な佐久間象山は平清盛のラスト唐突な日明貿易のパロディだと思う 別にあれは日明貿易というわけではないと思うが?
国同士の交易は足利の時代までなかったというナレで
民間レベルでは小兎丸が先頭に立ってやってたという絵だろ アンチはアンチスレで楽しくどうぞ
1年で10レスしか付かないからって本スレに書き込まないでね
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ どちらも物語終了時から見て将来起こる出来事をナレが言及した点で共通している
しかし信之の松代藩から幕末の鬼才佐久間象山が生まれたということと
それまで積み上げてきた真田物語とは何の連関もなくただ将来の史実を述べただけのことだ
このように人物や事象間の脈絡を欠き有名人なので言及しましたという扱いは
唐突と呼ぶに相応しい
他方頼朝ナレによる「足利の世になってようやく清盛が礎を築いた日中国家間貿易が
行われることとなった」という言明はまさに清盛が生涯かけて追求してきた目標の現実化に他ならず
これに言及しないまま終わったならば清盛物語は完結しないと言ってよいくらい
主人公清盛と強い関連性をもった出来事である
しかも頼朝ナレに被せて小兎丸が唐船で大海に漕ぎ出し咆哮するシーンを挿入したことで
日宋貿易を夢見て礎を築いた父兎丸と同志清盛の志は彼らの死によって失われることはなく
民間貿易として連綿と引き継がれたことが示唆された
すなわち日中貿易というテーマで積み上げられてきた物語の着地点であり長いプロセスの帰結
であった足利へ言及したことは唐突どころか必然だったのだ スレ違いですまぬが
銀河で「利家とまつ」が始まったので見てみたんだが
何これ?って印象で唖然呆然状態
これって辛抱して見続けてるといいことある?
ちなみに「義経」以降はずっと見てるけど、「江」だけは早々に脱落した 「利家とまつ」の脚本は「秀吉」と同じ人だよね
「秀吉」は原作が非常に面白かったので楽しみにしていたら
いい加減な内容で期待外れだったけど、一応完走はした 一向一揆門徒によるかの呪いの瓦文字を読んでしまった以上
利家とまつとかいう接近視角でこの時代の戦国有力大名を描くなんて耐えられない
なので単純に見忘れたのだが見る気がしない
昨今流行りのドラマなんだから史実なんてどうでも良い、面白きゃそれでいいじゃんか
みたいな刹那的な開き直りに与することはできない
清盛は史実ベースないし史実縛りを潔く受け入れた歴史劇展開において傑出していた
もちろんドラマである以上、史実とフィクションとの絶妙なブレンドが必要となる
この点に思いを馳せるとなおさらキツいフォーマットの枠組みの中で異様に濃い人間ドラマ
を紡ぎ出した藤本女史の天才にア然としてしまうのである
それにしても利家が獲得した視聴率は清盛の遥か上を行くわけね
その前の銀河放送天地人といいあまりの不条理に気分はブルーでありますよw 「利まつ」はトレンディー大河として21世紀の大河ドラマの方向性を決定づけた作品
ハイビジョン推しのための物凄い原色系ギラギラコントラストな絵作りや
女性主人公がいとも簡単に何でも難題を解決してしまう女性視聴者に配慮した展開 そうは言っても昨日録画で見た
今日は録画してない
どうやら一回限りのお付き合いとなりそうだ 何となく懐かしの人が回想で出てきたり一歩進めて幽霊となって登場するのも大河のお約束一つ
しかし清盛は「何となく」というのが皆無であり、再登場した死者は常にその時その場面で
〈新たな意味〉を担った(cf白河院の伝言回における白河と舞子)
最終回における幽体離脱清盛も然り
清盛は突然の熱病で急死(あっち死)したというのがまず押さえるべき史実だ
それゆえ新平家のように今際の際になってなお一門と時子と涙の別れを交わす暇も
なければ時忠に後事を託す余裕はなかった
しかしドラマである以上一門との別れの場面がない清盛物語はありえない
そこで活用された舞台装置こそ西行に乗り移ったユーレイ清盛だった
こうしてあの感動的な別れの場面は実現したのである
しかも急死ゆえそのままでは清盛は自らの生涯を総括しないまま死ななければならない
しかしこれまたそれでは清盛物語は完結しない
そこでここでも清盛の生涯を振り返り餞けの言葉を贈る役割が西行に割り当てられた
そしてそのためには清盛は瀕死の床から幽体離脱して西行の庵に赴く必要があったのだ
さらに重要なのは頼朝との「志」継承式でありこれこそが最終回のメインイベントである
清盛と頼朝はかの助命場面以降史上もドラマ上も一度も会っていないがドラマの後半両者は
隔たれた空間にありながら雄弁に「対話」し続けた(隔地者間の対話)
それゆえ敗者清盛から勝者頼朝へ襷を渡す継承式がなければこれまた清盛の人生は完結しないし
頼朝の武士の世造りも真の意味では始まらなかった(指を加えて眺めておれ→真の武士とは
いかなるものか見せてみよ〜前者が直接対話であった以上後半も直接対話であって然るべき)
こうして死せるユーレイ清盛は西行に化体して鎌倉の頼朝のもとに現れたのだった
別段大河では珍しくない幽体離脱や幽霊だけれどもここまで考え抜かれた無理どころか
ナチュラルで意味深いそれらが見られる大河はおそらく他にないだろう >>311
おばあちゃん、お薬飲み忘れちゃ駄目ですよ 時子時忠ドラマおわた。ムロも一回だけ出たよ。利家の中の人のリアル嫁も出てたよ。 だからあれは助命歎願からの流れから、3人の子を何の代償も
なく助けられたとなれば、常盤が自らの命を代償として絶ちかねないため
、常盤の肉体を代償として提供させることで常盤の精神的負担をなくし自害を
させなかった、清盛は心の内では亡き友に詫びながら常盤を抱いたという場面だろ。 まあオツムをショートさせたババアがワンフレーズすれば
話題が広がって大変よろしい あれで文句言ってるやつはジパング深蒼海流でも読んどけ 抱いたていにしとけばいい
清もっこりしなくてもいい お前ら!来月から銀河で義経が始まりますよ! 哲也清盛に慶子時子。ゴッシーの一人称は「み」です。ゴッシーの怪しい家来で草刈パッパも出ます 平清盛って残念な出来だけど、それでも2000年代大河では4位以内に入ってしまうのが恐ろしい >>310
それだけ説明を尽くさないとダメな大河ってなんだかなあ 俺が説明しないと分からない自分の脳味噌を嘆け
描かれていないことにつき行間を読み込み補足説明したのではなく
描かれたことをそのまま紹介しこれに寄り添う形で幽霊を用いた創作意図を
忖度したまでだ。最終回は
・熱病で苦しみ急死した著名エピ(史実)を出発点とした(新平家は無視)
・清盛物語をコンセプトに従い終結に導くために全ての素材は取捨選択され
軽重配分がされていた
・そのためには西行をキーマンとした超常現象の利用が不可欠であった
(東大寺再建勧進僧として鎌倉の頼朝のもとに下向したことは史実であり
幽霊といっても史実との融合がここでも追求されていた)
要するに描きたいことが明確に絞らた作劇上の必要が幽霊を生んだのであって
幽霊で虚仮威したいみたいな下衆な思惑が先にあったのではない
あっち死をシカトしたり清盛死後をただ事後譚的に流す凡庸なストーリー
で満足するのならば何もユーレイは必要はなかったのである
こんな程度で独自の解釈を(無理くり)施したとか言ってもらいたくはない >>321
残念なオツムには残念な出来にしかならないよ
煽ったつもりで煽られたのが悔しかったら残念な出来である所以を書かないとな >>322
これくらい批評できるくらいのドラマ性がなかったらむしろ脳味噌溶けるわ
普段どんなエンタメに接していてどれが傑作だと思うんだ >>325
多くの平清盛ファンが支持してる部分と、君が説く「平清盛の魅力」との齟齬は君自身よく理解しているはず。
そしてその部分こそ俺が平清盛を残念だと思う所以。君の批評にまったく異論はないし平清盛が秀作であるという点も同感
ただ、君のその姿勢に対して敬意が足りないレスだったことは謝罪する すまんがそのレス俺ではない
助命シーンと引き継ぎシーンは勝者敗者が入れ替わる形で完璧にリンクしていた
(清盛が敗者と確定するのは死後のことゆえ死者清盛の方から頼朝を訪う必要があった)
さらに言えば西行の餞けの言葉は初回舞子自身が解説した遊びをせんとやの極意を敷衍した
ものだ(面白き人生の核心→志半ばで無念だろうがお点前は「面白い人生」をやり尽くした
何と「美しい人生」だろうか)
弁慶によって時空を超えて運ばれ頼朝に突き刺さったエア矢(祇園社事件の核心は旧体制
のど真ん中に清盛という矢が刺さったことにある)も驚きの展開
こういう意味を連結させるようなスーパーロングパスは大河には相応しくないと言われれば
そうかもしれない(ふつうの善男善女はそんな昔のことは覚えていないし込められた意味
については解釈という作業が必要となるためいよいよ負担が大きくなる。要するにエンタメではない)
しかしツイやらブログやら2ちゃんで猛烈に貶し腐しpgrする連中が分かりません、ただの
荒唐無稽で反日で支離滅裂で歴史に敬意を払わないファンタジーな駄作ですではいかんだろう
罵詈雑言吐く前に正確に描かれたことを理解しろってことだ 北斎の娘の録画見た
中身はピンとこなかったけど凝った映像にこだわり抜いた美術はなんか既視感満載
白い粉いっぱい撒いてたし
そう清盛的画面であった
しかるにこの方面ではこちらはとっても評判良かったのに清盛の画面ときたら
汚いの大合唱に紛い物ではない美しさがかき消されてしまった
この点もダブスタが大嫌いな拙者としては納得がいかないのだけれども
コンスターチ含めた清盛的映像をNHKは放棄していなかったことを
確認できたことは喜ばしい 画面関係で接して一番唖然としたたわ言は
予算を早々使い果たしてしまって清盛後半はひたすらチープな画面となってしまった
そうした失敗例を反面教師として真田丸は最大の見せ場である大坂の陣へ向けて
余力を残し素晴らしいスペクタクルを実現した
大河で遊ぶじゃなかった大河を批評する自称権威さまたちによるコレ
反論済みだが馬鹿馬鹿しいのと酔っ払てんので今日はお休みなさい
しかし真田丸は史実と真摯に対峙したギリギリのせめぎ合いが緊張感溢れるドラマを生んだ
対する清盛は史実に無頓着に好き勝手出鱈目し放題、いい加減なドラマをでっち上げた
どこをどう見たらこうした真逆の評価が生まれるのか今以てナゾすぎる
おたくらちゃんと例証してくれない? もっとも権威さまの一人は
清盛の後半は史実を追うので精一杯でドラマの態をなしてなかった
とか
仏教的輪廻因果応報をやるつもりが時間不足で史実を並べるだけで終わってしまった
(大河研究に人生捧げる日本一の情報通で2ちゃん情報担当取締役氏は『NHK関係者』
から清盛は失敗だったとの証言を得たとのこと)
と仰ってましたけどね
幸いそのような『NHK関係者』がその後顕在化することはありませんでした もし仮にそういう清盛の基本コンセプトすら少しも把握していない「NHK関係者」
なるお方がいたのならばその場で「あなたは大河清盛を何一つ理解していない残念な人です」
と気の毒そうに言ってあげるのが権威のあるべき姿だろう
でわ >>339
ご新規さんですね。このスレ名物の長文さんをご存じないとは。
試しに清盛のここがダメだったってところを挙げてみなされ。
即興の長文で十倍返しで反論してくれるから。 長文自体が昔から2ちゃんでは嫌われている
お前こそ新参だろ 長文なんか誰も読まんやろ
レスあるとしたら自演のオナニー もはよ
すまんが俺ではない
しかし朝っぱらから重たいですの再再盛 いやあー久々リアル視聴してしまった(血曼荼羅回〜この著名エピからこんな壮絶な
ドラマを引き出してしまうとは・・忠盛退場回〜武士と清盛に残したレガシーの巨大さが
ナレ朝によって強調されそのような大きな忠盛を中井は演じきった)
あっちこっち場面転換しながら泉のように次から次へと話が湧いてくるが
すべてが有機的に繋がっているため多元的でありながらストーリーの凝縮力は揺るがない
回顧的には泉の源流はここでも1話にあった(死にたくなければ強くなれ→強くなったな清盛)
高野山造塔という初めての重責をまっとう〜西行の助言が大きかった〜した清盛は
頼長による家成邸襲撃に対する報復に駆り出されることを躊躇する忠盛に代わって
決然と美福門院の要請(企み)を拒否した
我々が太刀を振るうのは何故か?効果的に用いられた回想によってそれは武士の世を目指す
ためであって王家に良いように使われるためではないことが説得的に語られた
(対する源氏為義は地を這ってまでも摂関家の犬となって一門を養うのが自分の務めであり
誇りだと宣言、義朝と決定的に袂を別つ。統子の助言に従って両者を取り持とうとした由良の苦悩)
こうなればある意味忠盛を超えた清盛に一時はフラついた忠盛が平氏の命運を清盛に託すことに
迷いはなかっただろう
展望的には保元の乱がしっかりと見据えられ(摂関家内紛本格化、源氏骨肉の争い勃発、
病弱近衛を蔑ろにし専横を強める頼長への美福門院の怒り)、他方平家は雨降って〜家盛死〜地固まる
→血曼荼羅は宗子との和解のシンボル)
さらに忠盛の遺言シーンは支流が合流し大河となって流れ込んだ終着点である最終回の清盛の遺言
シーンと対応するものであった
厳島との出会いや(開放的なロケも美しい)雅仁崇徳孤独2兄弟の同居シーン(保元で敵味方となる、
気儘な弟と違って権力意思を隠せない崇徳にそこに気づいている鋭利な心理洞察家雅仁)もあり
2桁になろうかというアクターたちそれぞれの一挙手一投足が見逃せない怒涛の展開に
朝っぱらから目眩がしてしまいました DVDだけじゃなくて、ブルーレイも再販されないかなあ 今朝のT新聞にも広告出てた
篤姫、独眼竜、新選組、太平記、葵三代、黄金の日々、徳川家康、炎立つ
といった過去の大人気作や評価の高かった作品に
秀吉と清盛が新商品として加わり一段大きな扱いだ(一番の売りは当然新作の直虎)
こうして眺めると明らかに清盛だけが異質なことに気づく
何しろ最低視聴率という不名誉に輝き1年中マスコミや2ちゃん始めネットから
叩かれまくった作品なわけで
この異例のチョイスは再発売を望む視聴者の声がいかに大きかったかを推測させる
と共にNHKにとって清盛は失敗作どころか渾身の挑戦作にして自信作であり
一貫して高い評価を与えていることの証左にもなるだろう つくづく呆れつつも興味深くそして面白いと思うのは
昨今の大河はーの連中が非難する要素が当の本人たちが礼賛する
昔は良かったーの中にほぼ漏れなくいっそう盛大に検出されること
でその要素をほとんど見出すことができない清盛を蛇蝎の如く嫌っていること
この不思議で滑稽なパラドックスを誰か説明してくだされ -5と+10の要素の総合評価+5よりも
-10と+50で総合評価+40のドラマが見てえんじゃねーの(鼻ホジ 大河ドラマ 歴代オープニングテーマ曲一覧
http://youtubelib.com/taigadorama-song
1.1 2010年 大河ドラマ 『 龍馬伝 』
1.2 2011年 大河ドラマ 『 江〜姫たちの戦国〜 』
1.3 2012年 大河ドラマ 『 平清盛 』
1.4 2013年 大河ドラマ 『 八重の桜 』
1.5 2014年 大河ドラマ 『 軍師官兵衛 』
1.6 2015年 大河ドラマ 『 花燃ゆ 』
1.7 2016年 大河ドラマ 『 真田丸 』
1.8 2017年 大河ドラマ 『 おんな城主 直虎 』 ☆ 私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。総務省の、
『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
2017年10月22日(日)の国政選挙は、ぜひ投票に行きましょう。
平和は勝ち取るものです。お願い致します。☆☆ 家康殿は未だに前世のうだつの上がらないコミカル通憲さんのようだけど
ラスト10話でシリアス信西が見せた凄みを見せてくれるのだろうか
最後首を掻き切った際のサダヲ氏の鈍く光る目は怖かった
穴での清盛とのトボけた出会いに始まり穴からの悲痛な叫びで終わった信西
・俺は誰なんだー→誰でもよーい(から助けてくれ)→(誰でも良くない)清盛殿助けてくれ
→俺は平清盛ぞ(ゆえに迷える自分を導いてくれた信西殿の救出に参る)
・俺は誰なんだー→西光よ私は何者になりたくてここまで上ってきたのだ
→己が誰だか見つけたり我は信西入道ぞ
力んで叫ぶ青臭清盛を見事に脱力化した笑えるシーンが最後かくも悲痛なシーンに
連結されると予想できた者は絶無だろう
信西の最後を知っていれば最後の穴から遡及した最初の穴であったことはすぐ分かる
しかし信西単独の悲劇に止まらない、その後展開していった清盛と信西との関係性の深まりと
それが突然切断されたことのパーソナルかつ歴史的意味すべてを
穴と穴との対比と華麗なコトバのレトリックにより雄弁に一気に総括してしまうなど
凡人には及もつかない発想と構成力という他なく降参するしかない
伏線回収の大安売りは好きではないがこういうのをザ伏線と言ってもらいたい。 作り手の思惑が見え透いていて一種の感動ポルノ。
押し付けがましくて苦手だな。ー は?
確かにあれほどバカだ漫画だと息巻いていた今は無きというかおそらく武将何ちゃらで
提灯記事書き殴ってるゆうじんあん先生はw方向転換したのか大衆無視そして「見え透いた」作劇
なことに怒りの矛先を転嫁させましたけどね。
ところがところが直虎演出は清盛の渡辺だからーと初めから狙いをつけていた愉快なババアたち共々
「なーんにも見えなかった」そして今でも見えてない連中が「見え透いた」とは片腹痛い
まあ昔は良かった大河なんかはエピを並べていくだけで時空間跨るストーリーの連結とか
そのためのハイテク駆使とか複雑なシンボル操作とかある種の思弁とかとは無縁な素朴性ゆえ
ちょっとでもその類の「複雑性」が出てきた途端オツムがショートしてしまい藤本許すまじと
なるのもわかりますですハイ 感動ポルノ?
個人史とも歴史とも無関係にただ情緒に訴えた信西の最後なのかよ
そういう大河でお馴染みの安直な感動物語から遠いからあの場面は傑出していたのだ まだ見ていないが顔芸はいらぬ、渡辺のセイだと例のババアたちが本スレで喚いている
しかしノベを読む限り本日のキモは直政の般若顔つまり顔芸ではないか
気にくわないことが出てきても何故かこいつらは罵倒を森下女史には向けずに
「清盛の演出家」にもっていこうとする 言いたくないが新平家なんて誰と誰との悲しいお別れで感動誘う話だらけ
徳子入内にしても娘を手放す父清盛の悲しみという視点以上のものはないし
義朝常盤もぶっちゃけそれだけ。反対に清盛との脱線恋バナを延々とやったりする
忠盛と清盛との間柄も非常に情緒的で平氏興隆にとって忠盛が果たした役割
なんていう視点は何もない。またこちらも一応落胤説だが何ら掘り下げなかった
感動ポルノとやらどういうものを指すのか存じ上げぬが歴史を捨象して
扇情的情緒的な感動で誤魔化すのがそれだとするのならば清盛ほど遠い大河はない 清盛はジェットコースターのように人びとの感情が揺れ動き反転し爆発する
なので淡々と歴史を刻む大河に比べると主情主義的大河とみなす向きも多い
確かに感情の機微、多彩さにおけるダイナミックレンジの広さは屈指のものがある
しかしより明確に清盛を特徴づけるのはそれらの主情的要素が堅固な論理的構築物
のフォーマット上にいわば上部構造のように乗せられていたことだ
しかもその論理的構築物は歴史とは無縁に脚本家の夢想によりでっち上げられたものではなく
歴史叙述に忠実にその意味で王道ともいえる着実さに根ざしていた
例証は省くが(というか言い尽くした感がある)清盛を熱心に視聴した人ならばわかってもらえると思う
ファンタジー性豊かでも清盛には歴史と融合されない無意味なフィクションがないのである 井伊は一応 鎌倉時代から井伊谷を支配した名家で松下より名家だから松下から→井伊ってそんな無理はなかったんでは? 西郷どんに今度は徳子と西行か
最低視聴率大河に貢献してくださった役者さんの、いよいよご健勝な姿を拝見できるのは喜ばしい
とはいえ、清盛のときの強烈な魅力を凌駕したと思える役柄を、怒られるがその後見たことがない
信西も頼長も徳子も為義も時政も忠度も青年頼朝も忠清も兼実も
やはりキャラ造形という作業は決定的に重要だ。来年の弁慶久光なんかはどうなるのだろう? 遅ればせながら録画しておいたわろてんかを見た。今頃
「政子ぉー父の気持ちがわからぬかトホホ」の時政さんに、今にも消え入りそうな儚い高倉帝を発見(浦島太郎)
NHKによくある前世でのキャラを評価しての起用だろう
キースというのがガキンチョ平太とは解説読むまで気づかなんだ。大きくなったもんだ、というかもう5年経ったのね まーたその話?
ババアいつになったら「滋子巻毛によって表現しようとしたもの」について何か語れる時が来るんだ?
公式で堀河天皇を(とっくに死んでおり登場人物たりえないため)おそらく名無しの四角囲いとした
ことをもって「堀河をいなかったことにした」と喚き散らしあまつさえ本編までもが天皇家の系図すら
理解していない無知無能な制作側がーと糾弾(叔父子設定は何だったのだろうか?)
安徳への太平御覧があれっぽっちのわけないじゃないのーとドヤ顔し仮に全巻プレゼントしてたとしても
ドラマで再現しようがない無理難題を吹っかけては清盛についてのみこの種の重箱の隅で糾弾
ところがどっこい実際はほんの数巻を豪華に包んで献呈されたという考証が突き止めた史実を念入りに再現した
ことへの無知蒙昧を惨めにも晒しただけだった
ともかくこいつらは個別シーンを他のシーンと結びつけて意味を探求したりましてや全体構造の中で
いかなる要素として機能させられていたかなんてことは常に「ビヨンドアンダスタンディング」
美人の滋子が巻毛のわけないじゃないの無知無能な作り手がーとモノ考えぬオウムのように瞬間反発するしかない
(実際は美人がすべて長髪のはずはなく美人の規範に照らして長髪たらんと乙女たちの間で鬘が流行した
そして何よりも重要なのはそういう規範そのものがこれからの国づくりにおいて正すべき悪しき因習なのだと
諭した清盛の合理的精神である)
宋風婚礼も同じ
宋風にコーディネートされた滋子の婚礼といっても遠い国宋をイメージしたものにすぎず100%
宋の婚礼を再現できたはずがない。より重要なのは「日本風」ではなかったということだ
ロングドレスに髪を垂らすのではなく巻き上げ上手く言えぬが髪を覆う・・・これはまさに中国風であり
十二単の世界とは真逆の世界
それ以上に「まるで西洋のウェディングドレスでヴァージンロード」と一生縁がないババアたちが
怒り狂うのならば「憧れのウェディングドレスを諦めないで!」とご同情申し上げるしかないですですです ようやくそれっぽくなってきたサダヲ家康
思えばまだ身分という超えられない壁に阻まれて己の才能学識を発揮する場を見出せない通憲が
活路を拓かんと入道信西になった辺りの年齢にすぎない
未来の天下人、大御所様へと向かうペース配分的にはこんな感じで良いだろう
初めから自信家で国政への志と野望を滾らせていた信西とオドオドしながら碁盤相手に
生き残りのための方策を熟考してきた慎重な家康とはかなり異なるが
情勢が自己に有利に開けてくるや持ち前の能力を開花させて主体的に歴史を動かしていった点は良く似ている
サダヲ家康はまだ信西の凄みを発揮するまでには至ってないがこのままでは終わらないだろう
それにしても強烈な家臣団を育成統率した家康に対して頼るは自己の才能と極少数の側近と息子たちのみ
(宰相財務相外務大臣経済産業相総務相その他を一身で兼務)ようやく手に入れた権力を武器に
「正しい社会」を実現すべく目に隈を作りながら国事に奔走したものの強引な政治手法が反発を生み
あっけなく自爆してしまった信西の姿はあるべき政治家論にとって格好の教材であり続ける 長文さん、風林スレで暴れるのやめれ。
あと「リアルに泥臭いだけだと反感買うのは某平家モノ」って言われただけで
即座に清盛と結びつけるのは「情熱大陸に出て馬鹿がバレた俳優」って言われて
すぐ某俳優に結び付けるくらい失礼だぞ。 ああすまん酔っ払って開いてたら友人庵センセを見つけたもんで というか頼長さんから絡まれていたのでさっき何か書いたんだけど
ジェーンにはどちらも反映されてないような
幻を見たのか俺は
毎度酔っ払いすんませんでした わかったから大人の書き込みしなよセンセ他ババアたち。俺はお前らみたいのに
反吐を吐き続ける永遠のガキだ
ところで酔っ払ったついでにツイを見たらベストツイということで賛同を集めたのが↓
清盛は中盤まではとても面白かったが終盤失速した
フムフム何度も聞かされた話だ。でその心は如何に?と読み進めたら
・次世代へバトンが上手く渡ってなかった
・受け取ったのが頼朝になってしまった
なんだと
まさにまさに清盛を超える息子たちが一人も現れなかった、言い換えれば息子たちの
育成に失敗して真の後継者を作れなかったことが平家凋落そして族滅の最大の要因となった
これは紛れも無い正当な史実解釈だ
それだからこそドラマでは清盛を継承した人物は残念ながら宿敵源氏の頼朝であったと
明確に位置づけられたのである
いやはや平氏凋落を的確に描いたことをこの善女はドラマの失速と捉えているわけね
まあ悪意の無い人なので罪はないけどこれに飛びつく人間がいっぱいいてベストツイと
なるのはやはり悲しい なので賢人重盛が生きていればなーなる通俗的な見方~清盛ヲタも嵌った落とし穴については
何度もそれは違うと反論した
類稀なる人格者重盛であっても政治的には残念ながら「正しすぎればもはや誤り」(by時忠)
と言わざるを得ない矮小なスケールに止まってしまった嫡男であり、清濁併せ呑む図太さで
権謀術数蠢く政界を渡り歩いた清盛を決して超えることは出来なかった
藤本女史の政治家重盛に対する評価はそれはそれは辛辣を極めた(この小物めがby成親) LOVE虎さまの活躍で清盛の背中が見えてきた。
ビック3世代交代か! 最近の岩波新書ー日本の中世シリーズを読んでたら、五味大先生は「国王家」という表現をしていた。
東大系は王は用いても王家は用いなかったけれど、家長権を掌握した上皇が君臨する院政という
過渡期(古代→中世)における政治形態がもつ歴史的個性を把握するために相応しい概念は、
少なくとも「天皇家」ではあり得ないことについて、少なくとも学界レベルでは共通了解が
出来上がっていることの証しだろう。
ちなみに白河が石清水八幡宮に捧げた告文には、「王法は如来の付属により、<国王>興隆する」
と記されているとのこと。
ここで白河は自らを「国王」と自己認識していたようだ(素人としては、学術用語としての「王家」は、
権門分散化の趨勢にあって、それらを超越する天皇=共同体の王を再生産する院主宰のイエと考えたい)。 転生高倉院が朝ドラにてナレ死されたとのこと。
清盛における「死なせ方」のバリエーションの多彩さと的確さは何度か指摘した。
去年も話題となったが、ナレ死というだけでおざなりだ怠慢だと決めつける風潮にはウンザリした
(逆に、あたかも真田丸が発見した独創であるかのような提灯記事にも。もちろん清盛の独創ですらない)。
例えば、「死にたくなければ強くなれ」を受けて「強うなったな清盛」で終わった忠盛との別れがもたらす余韻は、
ジメジメした枕死では到底表現し得ない感動をもたらしたのである。
他方、死の床の家成を見舞う清盛をかなり丁重に扱っており、その時点でバランス的にどうかなと思ったものだ。
しかし、遥か後、鹿ヶ谷事件の首謀者であった成親と西光との会話に接するに及び、この場面は鹿ヶ谷へ向けた
初発の仕込みであったことに気づいて腰を抜かしたのである(親平家筆頭貴族の家成が託した息子たちが、
後白河院の近親として激しく清盛と対立し破綻を生じた帰結が鹿ヶ谷事件である~成親の自嘲と西光の憎悪)。 お戯れを。後年の鹿ヶ谷への壮大な伏線であることを長文様はかのシーンの段階
よりお気づきであったはず。
長文様を戴く本スレ、我らもスレ落ちせぬよう微力ながら拙いレスにて
全力を尽くしお支えする所存にござりまする。 頼長さんの毒牙にフリーズしてしまいなす術なく掘られた家盛クン
直政クンの運命は如何に⁇ 西郷どんの話題で信西の嫁さん役の名がついでに出てくるので
何のこっちゃとなって理解するのに四半時
スケバン刑事ってドラマがあったのね知らなんだw
朝子さんはちょっと危なっかしくて向いてなかったかも >>418
帰宅。まずもってJANEに反映されてないのでレスに気づかなんだスマン。
レス番もぜんぜん違う。何なんだろ。
腰を抜かしたは大袈裟でも、あの場面が成親の「我ら親不孝者でござりますな」に繋がるとは、完全に想定外。
ともかく、鹿ケ谷事件をかくも息の長い線的描写で描く大河は、(中期〜滋子を媒介とした提携とその死によるバランス崩壊、
短期〜謀略合戦と事件そのものの描写と合わせて)、大河清盛これ一度だけの僥倖だと思って皆様方見て欲しい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています