【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1517382105/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 相変わらずアンチの嫌いな理由が至極くっだらないことでワロタ 芸スポで「大河ランキング」なるお遊びスレが立てられている。
そこに昔は良かったーたちが押し寄せ、独善的な礼賛と一方的な批判で埋め尽くされる
いつもの展開にゲンナリ×100万。
で、そこに欠かせないのが、大河板ではすっかりダンマリ決め込んでる連中が、
100万回繰り出してきた陳腐な清盛攻撃をまたぞろ仕掛ける展開。
本日もまた、王家がー、兎丸がー、海賊王がー、最終回ダイジェストがーだもん、
いい加減引退させてくれよトホホ しかも、めちゃくちゃな物言いに具体的に応答した反論内容を踏まえた
再反論なんてまずない。
ただただ同じことをオウムのようにヨタるばかりなのだから嫌になる。 >>376
対応する方もコピペにすれば?人生がもったいないよ。何万回と同じこと反論しても報酬もらえるわけでなし ちかえもん、一気見。面白かった。小池徹平のあほぼん役がはまり過ぎていた。
見返すと、いろいろ伏線が張られていたことに気づくのだろうか? >巧妙に仕組まれた伏線と鮮やかな回収劇に色々な人の人生が同時間軸で描かれる多重構造演出。
>それ故にながら見勢に厳しくリアタイ視聴率は振るわないがツイッター民に高評価 何かと清盛と被る。
クドカンも高度でテクニカルな作劇技法を駆使する人で有名らしいが、今のところ唸らされるというほどではない、いだてん。
時空間を縦横に往還するのは、多視点そのものが目的ではなく、あくまでも「歴史の流れとダイナミズム」を体感させるためだろう。
しかし、ドラマの半分が主人公が一生懸命走るだけでは、これに志ん生視点が加わったとしても、多重構造といえるほど
の複雑性も多元実況中継的ダイナミズムも生まれようがない。すまんが、どうもごちゃごちゃとりとめがないように自分には思える。
このぐらいで「あっちこっち飛んでついていけない」と非難する人々が続出するようでは、皮肉なことに、清盛が回を追うごとに
善男善女を振り落としていった事実にも合点がいく。 >清盛はキャラ造形とか演出とかピンポイントで光る部分はあったけど
>物語の展開がとっちらかってたからなぁ。。。。
ソリャ毎日毎日〇〇先生商法で阿呆面晒してるうちに自分までビッグになってしまったらしい
おんなネトウヨのオツムじゃ、↓のような感想はでき来ないわさ。
>巧妙に仕組まれた伏線と鮮やかな回収劇に色々な人の人生が同時間軸で描かれる多重構造演出。
>それ故にながら見勢に厳しくリアタイ視聴率は振るわないがツイッター民に高評価 何かと清盛と被る。 清盛のリメイクなんてありえんと思うけどな
平家側から見た源平という意味では清盛は決定版でこれを上回る大河はこれからも出てこないと思います
あえてもうちょっと見たかったというなら清盛没後の平家の運命がダイジェストになってることかな
主人公亡くなった後の出来事だからからはまあ仕方ない
もしもリメイクするなら清盛ではなく平家一門の物語という視点でその一族の最後まで追う形での脚本かなあとはおもうけどな まあ近年の大河視聴層が源平はからっきしになってきたのが原因だな
ツイなどを見るに同じような名前ばかりですわけわかんないというのが多いってことが信じられなかった >>386
御意
新たに何かやれるとしたら
・その後の頼朝&政子に後鳥羽を加えた清盛の続編。
・吉川から離れて、も一度精査し直した「新新平家物語」
の2路線だろう。
清盛にスポットを当てた新大河なんて、大河清盛がある以上、生まれる余地はない。
末尾ながら、昭和の名作新平家をいつもネガる材料にしてしまいすんません
(時代的制約を念頭に置く必要がある。なんせあっちが本物の歴史ドラマだっちゅーこと
らしいので)。 >40年前の重盛と後白河の双六→44回の双六→清盛による法王幽閉とか、忠正叔父の竹馬→木下→源頼政の反旗とか、
>そもそも白河院そっくりになっていく清盛や舞子を思わせる仏御前など、伏線の長さが尋常じゃない
解約してしまったので総集編1話は見なかったゴメソ。
感想見たら、俺の駄文が言いたかったことの一つが見事に文章化されていた。
しかし、この徹底的に構造化され、広げられたあらゆるパートが機能的に連結された大河の、
どこをどう見たら「とっ散らかっていた」なんて感想が出てくるんだろ???
おやぬみ >>388
このスレの半分くらいは特定個人による投稿なのであまり気にせずにガンガン感想を落としてくださいw
そうでなくても「難易度が高い」と評されたこともある脚本なので作品のマニアの頭も堅苦しいのでありますw >>338
先祖が伊東祐親と義経に仕えた熊井という者らしい。 >>376
これのことですね。
【ドラマ】<最高だった!>歴代のNHK大河ドラマランキング...3位草燃える(1979年)、2位葵 徳川三代(2000年)、1位は? ★3
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1549228014/
あとで全部読んでやるつもりだが、まあええやないですか。それぞれの大河にひいき客がつくのは必然。
だといって他の大河を攻撃する気は起きないけど、彼らには言いたいだけ言わせてやれば。 >>386
> 清盛のリメイクなんてありえんと思うけどな
それはどうだろう? 『新・平家物語』から40年の時をへだてて『平清盛』が誕生したように、
いまから40年弱あとの未来に、新しい清盛像を描こうとする挑戦者が出現するかもしれない。
これは予測というより願望です。演劇界でも進歩や革新がなければ停滞するだけですから。 まあその通りですけど、例えば西郷。
翔ぶが如くの西郷さんがある以上、これに屋上屋を架すことなく新たな西郷像を
打ち立てるのは難しい。一方で西郷像の見直しが学会レベルでは進んでいるようだ〜
そんな事前の期待を抱いて視聴を開始した。
しかし結果はと言えば、何一つ西郷像を更新できたようには思われない。そもそも、
「男からも女からもモテた西郷さんでエンタメしましょう」というのがコンセプトというのでは、
多くを期待する方が間違いだったかもしれない。
清盛像がこれから先不変である保証はどこにもないので、将来再び「さらに新しい平清盛」
が生まれることを歓迎したい、、、んだけど、ドラマとしてこの清盛を超える作品が出てくる
とは正直思えない、ということね。 リメイクするなら、清盛わざとらしくみすぼらしい格好していたのは改めた方がよい。
熟国の受領を経て、武家はおろか、並み公家では並び立つ者のいない富裕な家に生まれついていたのだし。
良い物を身に着け、風雅詩文に親しむ素養は、家として清盛誕生以前からあったのだ。 正盛の代にようやくお前誰やから脱却した伊勢平氏だけどな みすぼらしい格好なんてしてないよ。ちゃんと当時の武士の服を身につけていた。
ワザと貧乏臭くしたという批判もまた、大河清盛に付き物の典型的なフェイクに過ぎない。
将来、体制破壊者となる無頼の高平太の荒々しさや規格外さを、身なりという身分コードで
表現しようとするあまり、ツッパリ汚し演出が少々行き過ぎただけだ。
これは反省点だが、若き清盛やドラマ初期の平氏を乞食のように描いたというのは、明らかに誤り
(忠盛平氏が大金持ちであった描写も欠かしていないー密貿易、得長寿院献堂、荘園をバーターとする
強訴対応、豪奢な宴など。しかも、台記で頼長が賞賛したように、忠盛はその深謀遠慮により
華美を避けたのであった。当時の六波羅の屋敷はあんな感じであったに違いない)。
そして、文化的素養獲得に勤しむ清盛ではなく、臆することなく外界へ飛び出して広い世界を見聞し
経験値を高める行動的、外向的な清盛が強調された。
これも、若き清盛の如何なる特性が未来の体制破壊者、交易国家の創始者となる清盛を生み出したのか?
という切実な問いへの応答だろう。
お行儀良くお勉強に勤しむ清盛では、未来のあの清盛は生まれなかった。
和歌下手(史実)、舞下手を巧みに創作に取り入れていたことも見逃せない(和歌もどき回など)。
しかも、清盛は平家上昇のためにはかかる王朝文化の摂取が不可欠であることを弁えており(高橋)、
重要な文化戦略と位置づけて息子たちに仕込んだいった(私は下手ですが息子たちは・・)。
これを主題化したのが、「文化闘争ーいずれが王朝文化の担い手=相応しい統治者か」と位置づけ可能な
摂関家との舞&歌合戦。しかし、合戦がーたちは、これもまた形を変えた熾烈な合戦であったことに
気づくことはなかったのである。
いずれにせよ、清盛のリメイク云々の文脈で、汚盛がーというのは理由薄弱。
全業績を踏まえた清盛像の見直しが進み、本作のような清盛が過去のものとなる時が来るならば
(あまり考えにくい)、新たな「新平清盛」が作られる好機となる・・いつのことやら。。。 >>402
またか。
少しは耐性を付けよ。
頼長にぶっとい生ワクチンでも打ってもらえ。 ま、北面になってからも市井の庶民や職人同様の汚らしい埃塗れの萎烏帽子、白の無染の民衆直垂、括り袴。
忠盛が晴れて昇殿したのに、いくら何でもこりゃ無いぜ。 えっ、庶民の格好とはぜんぜんちゃう。
ドラマストーリー前編p12の清盛、p78の忠盛の格好なんてまさに武士だね。
ぜんぜん汚れてないwよく見ると結構上等な生地を用いているのがわかる。
清盛くんの場合、暴れ回ってるうちに汚くなっちゃたんだなw
まあ、アタシのキレイな平安どーしてくれるのよーのババアには見えなくても、
アンタには見えるだろ。。、
いずれにせよ、どーでも良くはないにせよ、だからリメイクなんて話にはならない。 >清盛は大河らしい立身出世物語を早々に平治の乱で終わらせ、その後に主人公の悪堕ちという鬱路線に転換した問題作
>それに保元平治の乱に後の大物俳優の退場、オリンピックが加わり、視聴率ナイアガラになった
真面目な分析なので紳士的にお答えした↓
おいおい、清盛が出世街道を驀進するのは、一人勝ちとなった平治の乱以降だよ。
後白河との提携と確執を軸とするこの地味な政治過程に、源平もので初めて真正面から取り組んだ
(義経の渡は既に出来上がった老人清盛で、あっという間に太政大臣そして入道となる。
しかし、晩稲の政治家清盛は実際のところ、まだ発展途上の精力的な壮年である)。
いずれにせよ、外部要因に加えて、この辺りのパートはほとんど知られていないため、
視聴率的にマイナスに働いたのは否めない。
また、ブラック清盛への転換と言っても、唐突にではなく脈絡に貫かれていたことについても長文した。 >>407
不自然にきれいな格好したやつ見たいならチョンドラだけでも見とれや 三谷氏のシャーロックホームズの舞台劇で
以仁王がホームズ
家成卿がワトソン
以仁の中の人って、舞台やミュージカル方面では主役張るような名優なのね。
令旨の読み上げは、真田丸のイケボの人のようには話題にならなかったけど、
見事だった。 家のしつらえとか
食べてるものがあるあまり高価に見えなかったのは当時の階級社会による弊害もあるんじゃね?
たしか寝殿造とかに住めるのは一部の貴族階級の特権だったはず 白米食えるのとそう
衣服は普通に段々とゴウジャスになっていってるね
元服前や明子北の方の時代は仕方ない
金は使うべきところには惜しげも無く使うが無用なところには金をかけないという感じで
質素豪胆な忠盛平氏を表していて良い 衣服に関してはむしろ清盛見た後だとかこの大河でさえ随分ファンタジーな作品が多かったんだなあと思ったけどな
汚しで批判されたが今の形の風呂が普及したのは江戸時代になってからでそれ以前は温泉などは別としても風呂の習慣は蒸し風呂が主流で宗教的な意味合いが前提にあり入れる日にちなどが決まっていたんだよ
だから今みたいな子綺麗な汚れひとつない人たちなんていない 着物の洗浄も基本手洗いで
良い洗剤があるわけでもないから
ささくれなんて当たり前、高価な衣服でも使い回しが当たり前だったんだよ 王家を凌ぐ藤原摂関家(こんな大雑把な括りでいいのか?)の勢威を示すため、忠盛の舞には酒をぶっかけるのではなく、輸入したバナナの皮を投げて欲しかった。
ムッツリ唐物かぶれの忠盛に赤恥をかかせるにはふさわしい。 キレイ汚い関連でいっそう解せぬ批判が、
・宮中の高貴な美女をストーンウォッシュなる手法で汚したー
・当時の京は湿地帯で埃なんか舞わないキレイな衛生都市だー
の2つ。
後者は、pが考証などに取材した内容がドラマストーリーに紹介されている(紹介済)。
前者はもう言うの疲れたけど、個人的に特に印象に残った待賢門院にしても、
娘の上西門院にしても、彼女たちはデタラメな演出、デザインによって汚されてしまったのだろうか?
自分は、キンキラキンの戦国の姫風でもない、ましてや韓流風でもない、平安王朝絵巻から
飛び出してきたようなシックで高貴な女院を堪能できて、今でも眼福の思いだ。
また、かの五条大橋の決闘を見て欲しい。義経のそれは耽美的なまでに美しい。
一方の清盛での五条大橋と周囲は、ぶっちゃけペンペン草が生えているようなそれで、決闘自体も
青木と神木のダイナミックな動きに禿が登場するという劇性に富んだものだ
(この「出会い」ならぬ「再会」がもたらした感動もまた、為義ー鬼若以来の長い因縁ゆえ)。
ただし、五条大橋についてはどちらが優れていると断ずる類いのものではなく、等しく楽しみたい。
しかし、清盛のそれは義経のそれと比べて美しくない、などという難癖は成り立たない。 五条大橋
義経>清盛>武蔵坊弁慶
衣川立往生
武蔵坊弁慶>>>>清盛≧義経 今モット上手ニ殺ッテルンダロダンパー問題ソノ他急速ヴェノム物件・銀行問題業界ゴト潰レル?利凍ル公害重イル?
虐待死刑スタッフ以外ニグループマイナス経常ケタチガイ葬災熱湯強烈薬害毒死多繋ガル看後死
1000件以上介護保険税金ムダ泥棒マダゴーン今環境殺ッテマス100オツムオムツ借金漬ケ棺桶型国家
森友ノロウイルス焼肉嘔吐虐待スイッチ押死耶手ゲローン戦争ソンポ部死テルン盗難
郡大老害山林焚書死テa麻薬王振戦違反重々ヤットストレス足ダシ若竹口爆発害ヤンキーノ種死ネ世
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/welfare/1461959989/ 五条大橋については、映像そのものに優劣をつけるのは個人の好みの領域と考えるので、
イーブンと申しあげた。
大河清盛でもこの場面は、義経ー弁慶という歴史劇屈指の主従関係成立のきっかけとなった点で、
他の義経ー弁慶ものと変わりはない。
しかし、この大河ほど、「何故、弁慶は義経の従者となり彼に殉じたのか?」という問いに対して、
説得的な解答を与えた時代劇はないだろう。五条大橋での「再会」は、そのターニングポイントとなった。
立ち往生は、やったこと自体蛇足との批判が多かったため、そうではないことを力説してきた
ー頼朝覇権確立の視座。
他にさらに素晴らしい立ち往生があるとしても、役年齢よりかなり若い青木弁慶のそれは、
ここでもダイナミックな演技で最後まで義経を守護してみせた。
とはいえ、清盛における立ち往生は、単体で他と比較して優劣を語る場面ではない。 >>417
武蔵坊弁慶をDVDで見返してみたら五条大橋が思ってた以上に残念でワロタw
衣川立往生も尺の長さのぶん有利ではあるけどハリボテ&スイーツ成分が感じられたので減点w
結果的には義経弁慶って4番手パートくらいなのに大河清盛スゲーじゃんてなことになったとさ@俺調べ 青木弁慶には、死して表情を和らげるまでの尺がなかった。
惜しむべし。
いきなり死ぬな〜!って感じ。
中村吉右衛門は瞬きもせずにさすが。疑似死線期呼吸、絶息、のっぺりとした死顔になっている。
マツケン弁慶はイッケイ泰衡の「九郎殿〜、九郎殿〜、お許しくだされ〜!」のセリフの後、死した直後なのに眉の付け根の緊張が取れ、少し安らかな顔になった。 青木弁慶の死に様は大河源義経の緒形拳に寄せた説があるね 緒形拳に似せたというより
顔を避けて胴体だけブスブスの演出があり得ないだけだろ
マツケンの弁慶に至っては失笑モノのマネキン立往生 最後顔面に突き刺さっただろ。
青木の表情は迫ってきたよ。
耐えに耐えてあそこで目ひん剥いてバタンと息絶えジエンドで不足はない。
余韻は中村吉右衛門でどぞー。 >>396
60分3回の総集編では、すっかりよさが消えてしまいますね。
昔、花神の総集編を作る際にあまりに盛り沢山過ぎたため、
異例の長さになったという話を思い出しました。 炎立つ時任三郎の立往生もなかなか。
いかにも急襲され、突然死を迎えた感じ。
矢を射かけられて堪える様が生々しい。
武蔵坊弁慶のに次ぎ、大袈裟な平清盛の上。 清盛の義経弁慶は尺がないんだから仕方ないだろ
多分2人で正味1話分もない
こっちをメインにすれば視聴者も逃げなかったのに >>427
総集編はタイトルロールの清盛の人生に焦点を絞った構成になっていてこれはこれで見所があると思う
難解な構成や伏線で振り落とされてしまった視聴者も素直にすっきり見ることができるんじゃないかな
ナレーションも若々しい頼朝視点ではなくNHKアナウンサーの客観的な立場から安心して観られる >>429
@平家パート
A朝廷(王家)パート
B義朝〜頼朝(東国)パート
C義経・弁慶パート
大河ドラマ「平清盛」である以上はこの優先順位に揺らぎはなく
極めて限られた尺のなかでも義経と弁慶の物語を紡ぐことができたことを称えるべき
大河義経の時も源氏側より平家側のほうが魅力的だったという人が一定数いたし
大河ドラマの敵対パートが魅力的に映る現象はある程度仕方がない 清盛晩年〜死後あたりスタートの源平とか鎌倉時代の大河を作って欲しくなるな。北条義時とか泰時主人公でできないんだろうか 五条大橋の弁慶との殺陣のシーンはどちらも好きだな
義経はファンタジー路線(夜桜演出含めて)はとても綺麗なシーンで大好きだが、
清盛の荒れ果てた大橋での再会のシーンも好きだよ
二人の出会いが意味のある再会にしたあたりの脚本は素晴らしい
映像の綺麗さということに関しては清盛は本当に美しい作品なんだよね
色の陰陽の対比というかとても美しいシーンがたくさんあるがカムロの羽の描き方(うさぎ丸の最後のシーンとか)ぞくっとするほど綺麗なんだよなあ
自分もまた中世の大河みたいです
本来は源平ものって昔から日本人に愛されるテーマだったはずなのになんで描かなくなっちまったのか? >>429
大河平清盛でありながら、途中から義経主従をメインに据えろって主張じゃないよね
(当時そういう主張をする者が現にいた)。
んでもって義経ものは大河義経でもうやってる。
清盛主人公大河における源氏の扱い、また源氏の中での義経主従の扱い、いずれもバランスが
とれていたと思う。
立往生については、大河平清盛のそれを義経ものと同次元で比較すること自体フェアじゃない
(それでも立派な水準)。
清盛にダメ出しするのなら、立往生のような清盛的には端の端のエピに噛みついてないで、
本筋で勝負してもらいたいね。貴殿のことではないので悪しからず。 >子どもがいる親の再婚で血縁関係がない方の親が子に暴力を振るう問題、そいつらに数年前の大河ドラマ平清盛を見せてやりたい。
>清盛が再婚する時、先妻の子である重盛らが新しい母親に不安を口にした時の清盛の叔父が子供たちに優しく語りかけたあのシーンを。…
何ってこったという事件に接し(事案は異なるが)、暗澹たる思いでいたところにこのツイ。
繰り返すまでもなく、平氏一門における忠正の設定は完全フィクション、しかし頗る巧妙なフィクションだー離反分子頼盛との入れ替わりなど。
にもかかわらず、この忠正はフィクションがもちうる威力を見せつけたことを賞賛した。
まさか、こんなアクチュアルな問題で想起されるとは思わなんだ。 も一度敷衍
複雑に入り組む保元の乱における平氏方対立軸が清盛vs忠正。
この2人が早くから疎遠で接点はなく、戦場で初めて会いました・・ではドラマにならない。
そこで、既に平氏の外に出た人物ではなく、血統を重んじるうるさ型の「平氏内」保守派として一門を引き締め、
「外様」清盛のカウンターパートの役割を担った重鎮が、このドラマでの忠正だ。
このスタンスは正妻宗子の子頼盛に受け継げられ、正嫡でありながら棟梁の座を清盛に奪われた頼盛は
(兄家盛は、本作が分厚くドラマ化したように急死によって。頼盛は年少のため可能性なし)、生涯
平氏内離反分子として清盛に歯向い続け、最終的には清盛の大きさに屈した(史実→ドラマでは、福原京構想を
清盛から打ち明けられ圧倒され兄を見上げた)。
そして見事だと感嘆したのが、保元の乱直前の「入れ替わり」。史実においても頼盛は崇徳方につく気
満々だったが宗子の命により止まり不承不承清盛と行動を共にしたという。
ドラマでは、ほぼこの史実展開に沿った上で、平氏の血を絶やさない強い信条をもつ忠正が、宗子の
懇請を受けて最終局面で頼盛に代わり崇徳方につくべく平氏の外に出た(「絆なんぞ鼻っからないわニヤリ」)。
ドラマを成り立たせるために不可避な改変を、ギリギリのところで史実と平仄を合わせた力技に脱帽。
さらにドラマでは、一門全体利益から兄に物申す弟というキャラも忠正から受け継いだ。
こうした忠正→頼盛のキャラデザインからは、西海落ちに同道せず鎌倉の頼朝に降った最後の離反行為は、
平家の血を守らんとする頼盛の決意がなさしめた極めて自然な行動であった。
それにしても、最終回、西行と並ぶキーマンに頼盛を据えて、清盛が唱え続けた「平家は皆一蓮托生」を
他ならぬ離反分子頼盛に確証させた脚本には仰天してしまった。 昨日、Eテレでエア矢のシーンが流れたらしい。
完全に鳥羽法皇に憑依してしまった三上氏の鬼気迫る表情は凄かった。
ただ、あんまり凄くてすべてを持って行ってしまったためだろうか、
超展開のファンタジーを三上迫真の演技で誤魔化して何とか成り立たせたとの批判も強く、
いくつかあった(とされる)トンデモの代表例として挙げられることの多いシーンでもある。
しかし、このエア矢が30数年後、時空を超えて不信を募らせた頼朝(あんなに大きなお方だったのに
・・)に突き刺さり、決定的に重要な役割を果たすことになることは、今では誰もが知っている。
しかも、
・院政期の意思決定過程の特徴を踏まえた創作ー公卿会議への諮問と激論を経てなお、最終決定権は
治天鳥羽に留保されていたーであり、恣意的な罪刑専断性ー鳥羽の胸先三寸(ブラックボックス)ー
についてのシンボリックな表現であった点で(おかげで清盛は軽い罰金刑で済んだ)、超展開ならぬ
史的プロセスを反映したものであった(もっとも、この事件に関しては、優柔不断な鳥羽は早くから
平氏寄りの姿勢で臨んだらしいー親平氏の信西や家成が述べたように、もはや平氏の財力と武力が
院政に不可欠。しかし、それではドラマは身もふたもない)。
・ある種の合理主義者清盛の人物像、涜神事件を引き起こした清盛の後退ー棟梁の座危し(+家盛の台頭)など、
多角的に描かれた祇園社事件について、脚本家はその核心的意義を、「清盛が神輿に放った矢は、
社会を震撼させただけではなく、体制のど真ん中(鳥羽)を穿つことで体制そのものに対する挑戦状となった」
と再解釈した。並々ならぬ歴史センスの持ち主でなければ、このような洞察はなし得ないだろう。
(→後に頼朝は、エア矢によって清盛が孤軍奮闘果たしてきた歴史的使命を悟り、リスペクトを新たにする)。
以上の点で、エア矢もまたトンデモどころか、まごう事なきそしてキレキレの歴史的シーンなのである。 忠正は普段から疎遠な叔父、侍根性の普通の男としてちょくちょく描けばよかったんではないかな。
平家だとて、個人の動静は時流と実入り次第だし、あの頃の侍なんぞ所詮は一人一流。
まして鳥羽院に勘当されて馬寮を離れざるを得ず、摂関家の家人となって飛び飛びの小所領で食いつないでいる忠正が、鳥羽に近く、受領を重ねて富裕を誇る忠盛家とそれほど仲が良いわけがない。
兄への僻目と、会ってないので訳が分からん甥清盛に対して、一丁儂も巻き返したるかと崇徳側についたでよかったかも。
負けたら負けたでさっさと退き、ほとぼりを冷まして何とか理屈をつけて甥らに泣きつけばよかろ、殺される訳でなく息子達もいるし、と打算の行動こそ侍らしい。
実際はそうならなかったけど。 高校の教科書に必ず載ってる平氏、源氏、王家、摂関家の対立図式をとくと見て、
これをドラマ化するにあたって、疎遠な叔父忠正をドラマストーリー上にどう位置づけるのか、
ご教示いただくしかないっす。
後半の頼朝パートのように、その時源氏はという対比が成り立つ程、忠正パートが独自の存在理由を
持ちうるとは到底思えない。
貴殿の力説は、より史実ラインで忠正をドラマ化しようという観点からは優れているかもしれないが、
大河清盛というフォーマットの中で忠正にドラマツルギー(とくに社会的相互作用に着目した作劇)
を注入しようと模索する場合には無理がある。 逆から言うと、清盛が基本設定レベルであえて史実から離れたのは、
ドラマツルギーを確保する上でどうしても必要であった、平氏における忠正の位置どり、
及び清盛vs義朝のライバル設定ぐらいだろう(これについても必要性と許容性について詳論した)。
未だにしばしば投げかけられる呆れた誤謬と偏見に、
・昔は良かったーや真田丸は、真摯に史実と向き合いギリギリのところで???創作を混ぜていた
のに対して、清盛は史実の取り扱いが至ってぞんざい無頓着であったことが低評価の理由。
・清盛好きは、黄金の日日や花の乱のように、史実どうでも良い系の物語性を追求するタイプの
大河を好む人たち。
というのがある。
しかし、清盛の真骨頂は、厳格な史実縛りをあえて受け入れた上で、ちかえもんに匹敵する
ファンタジックな物語性を紡ぎだしたことにある。 本人の生涯と一族の興亡が十分にドラマチックなんでねぇ。
熾烈な権力闘争に明け暮れて、時に変節しつつ、クーデターをも経て武家政権を打ち立て、通貨経済の基を築き上げ、全き勝利を手にしたように見えた。
しかし、地方や王家・朝廷内部、近くの寺社勢力の深刻な反発を招き、最後は不安の内に死に、結局敗れ去りました。
彼の死により、プレ武家政権は重大な欠陥が露呈して瓦解。一族も大概は海の藻屑、嫡男とその子も刀の錆になりちゃんちゃんでええ。
ま、でっかい目でみたら、日本史で何度か繰り返される東西の争いの彩りのひとつが清盛さんでした〜、面白かった?じゃぁね〜で構わんわ。
西から東やってきた義経、頼朝も最後はうまいこと始末されていくし。 清盛で一番驚いたのは実は清盛一派の伊勢平氏は平氏の血を引いてないかも説が実際にあることだな
白河法皇の御落胤説は目から鱗だった 落胤説の真贋については、どちらかと言えば最近は否定説が優勢なんではないの?
とはいえ、平氏研究の2トップ(高橋、元木)が唱えている以上、現在でも無視することのできない有力説の地位を保っている。
それゆえ21世紀の今、落胤説に立った清盛大河をやったからといって、荒唐無稽の学説にしがみついた
旧套以前の清盛像ににとどまった、などという批判は成り立たない。
である以上、落胤説にたって大河清盛はどのようにストーリーを展開させたか、そのことによってドラマの
面白さや深さは増したのか否か?が問われるはずだ。この点、
大河批評の権威某氏は、落胤設定が清盛物語全体を差配するまでの影響力をもったことを批判した。
自分は逆で、このような清盛の全体像を規定しうる特異な初期設定をあえて採用した以上、、この設定を徹底的に消化できたか
否かが評価のポイントとなると反論した。
結果はどうであったであろうか?もうクドイほど述べてきたので長文はしない。
・2人の巨大な父ー専制君主である治天白河&躍進する新興武門の長忠盛ーに挟まれた清盛は、誰もが通過する青年期一般の
それ一般に還元できない、古今東西例をみないアイデンティティクライシスを体験した。これほど歴史的個性を有する自我危機は
そう滅多に見ることはできない。
・自我危機を案外あっさり克服した清盛は(海賊回のテーマの一つ)、崇徳に対して「私はもう克服しましたよ、あなたもいつまでもウジウジしてないで、
ご自分の人生を追求しなさい、とアドバイスした。
・意識面における克服にもかかわらず、、意識下においては白河の血は後々まで清盛を支配し続けたーかの名場面「ここはわしの世じゃー」=白河の血
(暴君、エロ爺性)の再帰。
・ネガティブな方面のみならず、パワフルな白河の血は、彼への反逆を通して清盛の正の創造性をも生み出した
→自己救済に向けたタテへタテへの国造りではなく、当時としては異例の公共性へ開かれた横へ横への国造りー厳島平面プラン、宋銭流通による貨幣経済。
★落胤説に立った以上、それに相応しいドラマ内容が求められる。大河清盛は、求められる以上の豊かな内容を盛り込むことでこの要求に答えた。 落胤否定説に立ち、概説書で「落胤などという俗説に惑わされることなく」とか書いている本郷氏が、
白河そのものになってしまった本作の清盛を見て、「藤本さんに降参です」と宣ったことも理解だろう。 白河の血というが、彼は別にもののけだった訳でなく、最初ちと不遇だった後三条の子(親王宣下は父の即位後)として生まれただけに過ぎぬ。
出自そのものはよくあるわびしい皇族のパターン。
父とともに摂関家との融和を常に図り、一部で親政、またその後退を経てきた。
白河に権力が集積したのは、父帝の意向の頓挫、白河実子の堀河天皇への譲位とその予想外の崩御、更には摂関家内部の混乱という外的要因にて、家長として働かざるを得なかったからという理由によるもので、かの人自体の個性によるものとはいえない。
また彼に特異な個性があったかと言われたら、幼帝の即位・崩御、また幼帝即位、摂関家の心許なさで、家長として必死だったから頑張ったド根性としか表しようがない。
白河院は長生きの血を持ってはいるであろう(それを化け物、物の怪といわれたらそうかも知れない)が、子や後継者に先立たれ、表舞台に出続けざるを得なかった人に共通する、よくある史伝中の人物。
特に冷酷非情の帝、院ではなく、よいと思った人に力を注いだだけだ。 おっ、仕事の流儀が始まったわ。
江戸前からしたら邪道と言われるような外連たっぷり、まさに大河平清盛のような寿司回。 できればその蘊蓄、ドラマ内在的に展開して欲しいだよね。 てな訳で、清盛は初回からいろんな方向に間違っていた。 じゃあ、それを克明に提示するのが御主のミッションだ。
楽しみにしてまっせ、おやぬみー いだてん頑張ってよー、
一桁なんかが続くと毎週、連中が汚盛がー、巻毛がー、埃がーと蒸し返すに決まってるので疲れるよw いだてんはぶっ壊れてないし面白いので無問題
清盛は清盛や兎や滋子やナレ朝の演技が壊滅的でリカバリ不能 その4人が最高というつもりはないけれど、仮に一つの作品をぶち壊すレベルで酷かったとしても
(不同意)、他の名作大河とされる作品も、必ずやその作品を引っ張る演者が残念ながら複数いる。
昔は良かったーに出てくる文字通り学芸会レベルの子役や若手、芸人、プロスポーツ選手の
あれこれは何なのだ?
そういう瑕疵があってもなお名作とされるのが、真の名作だろう。
繰り返すが、松ケンと加藤は、「あの清盛と兎丸」を代替する役者を見いだすことができない次元で
演じてくれた。落ちぶれた元京貴族、流人頼朝に岡田まはどハマりしてた上、ナレの既成概念からは
異質で、実際当初はこなれていなかったとしても、付き合っていくうちに何ら違和感を持たなくなった
(NHKアナやベテラン俳優だけがナレに相応しいのではない。唯一無比のナレというのはないところ、
最終的勝者頼朝をナレに起用して物語を総覧、総括することに拘った藤本女史の見識に、
岡田まは十分応えた)。
成海滋子ちゃんについては、頑張ったでも難役すぎたとコメントした。 成海滋子ちゃんをディスる奴はあっかんべー攻撃をくらえ 「昭和元禄落語心中」を見た限り、岡田に壮年以降を演じる力はまだない。
「平清盛」では、比較的若い時代の頼朝だけで何とか助かったといったところ。
例えば「武田信玄」の中井貴一(彼は主役だけど)、柴田恭兵みたく、加齢による落ち着きをみせ、声のトーンや間を変える演技は難しい。
ナレで壮年期の頼朝を声で演じろといわれたら、老いた八雲みたく酷い一本調子、稲川淳二もびっくり、何の怪談もどきかと思うようなことになったであろう。 >>463
落語のドラマはDVDに焼いた程なのに、いまだにちょこっとしか見てない。
ただ、ドラマ関係の賞では岡田まの老人演技が相当評価されているのでは?
清盛での頼朝はその通りだと思う。あくまで失意の源氏貴種、流人頼朝に
最大のポイントを置いたキャスティングだろう。
ただ、野性児政子から生命力を吹き込まれて覚醒、東国武士の棟梁として俄かに
逞しさを増していった頼朝についても、岡田まはなかなか頑張ったと思う。
そこから先は、当時の彼ではまだ荷が重い。今ならという興味は持てる。 NHKで4月以降の編成が発表されて、朝ドラBS再放送はまたぞろおしんだという。
大河再放送について発表されていないのは、枠が廃止されたということではないの?
たくさんの人があれだけrerunで要望しているのに無情な話だが、清盛再放送は基本諦めた方が良い。 成海ちゃんは随分叩かれたな
演出面での髪型等はまあ面白い設定だとは思ったけど
本人の棒演技がどうにも....
嫌いじゃなかったけどね 茂子
大酒飲みで糖尿で亡くなったっていう話とか色々知れて楽しかったし(そういう説があるんでしょう?)
当時の貴族社会でお亡くなりになる病気は糖尿病多かったんだろうな
食べ物の栄養バランス極端に悪そうだし、甘いものはあまりなかったからか?(だからこそ唐果物がこれほど珍重されたんだろうな)
お酒をみんな極端に好きだよね
清盛見てて何が楽しかったかってそういう時代的な文化とか民謡学的な設定の芸の細かさもあった 未だにブルーレイでの発売が予定されてないのは残念だよね
本放送を全てブルーレイに落としといて良かったよ
でもブルーレイってちょっとの傷ですぐ見れなくなるから扱うのがすごく面倒なんだが....
自作ものだからパッケージも何もないしな
発売されるのならセル版絶対買うのだが ブルーレイ版が再販されないのが本当にもったいないよね
NHKスクエアではいまでもDVDの売上しか見込めないのかな? DVDが売れてブルーレイが売れないということはないでしょ。
NHKを潤すコンテンツに成長したものの、特別の売れ筋とまではいけてないということじゃない。
たとえば、みをつくし他、新設された土曜時代ドラマはみな評判良かったが、
ブルーレイになったのは大評判とったアシガールだけではないの。
特に長編大河ともなれば高額商品となるので、よほど売れる見込みがない限り再商品化は困難なのだろう。 廉価版ブルーレイというのはないだろうしね。
たぶんDVDの2倍近い値段になる。
噂を聞いてこれから初見という人が、10万円近い商品をホイホイ買うとは思えない。
ただ、ド嵌り系大河なので、レンタル等で見て沼に嵌った人間ならば、高くても絶対買いたいと欲する者も多いはず。
なので、過去作の中ではもっとも需要が見込まれる作品であることも確かだろう。
ということで、再放送しないのならばブルーレイ頼んますぜNHKどの。 DVDボックスとか場所とりすぎて困る。
一度購入したらダウンロードしてテレビ、タブレット、スマホ
好きな端末でいつでも見られるって時代がはやく来ないかしら。 NHKの廉価版大河DVDは厚みが普通のトールケース2枚分だから値段だけじゃなくて置き場所にも優しいよ
1999年以前のSD制作作品はDVDで良いけど2000年以降のHD作品は買っててモヤモヤする
もういい加減ブルーレイも普及したんだから廉価版BDも出してくれればいいのにな
それにNHKオンデマンド特典が付いてくれれば最高だね にわかがひっそり楽しむ分にはいいが
これを名作大河のように喧伝するのはやめてほしいな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています