みすぼらしい格好なんてしてないよ。ちゃんと当時の武士の服を身につけていた。
ワザと貧乏臭くしたという批判もまた、大河清盛に付き物の典型的なフェイクに過ぎない。
将来、体制破壊者となる無頼の高平太の荒々しさや規格外さを、身なりという身分コードで
表現しようとするあまり、ツッパリ汚し演出が少々行き過ぎただけだ。
これは反省点だが、若き清盛やドラマ初期の平氏を乞食のように描いたというのは、明らかに誤り
(忠盛平氏が大金持ちであった描写も欠かしていないー密貿易、得長寿院献堂、荘園をバーターとする
強訴対応、豪奢な宴など。しかも、台記で頼長が賞賛したように、忠盛はその深謀遠慮により
華美を避けたのであった。当時の六波羅の屋敷はあんな感じであったに違いない)。

そして、文化的素養獲得に勤しむ清盛ではなく、臆することなく外界へ飛び出して広い世界を見聞し
経験値を高める行動的、外向的な清盛が強調された。
これも、若き清盛の如何なる特性が未来の体制破壊者、交易国家の創始者となる清盛を生み出したのか?
という切実な問いへの応答だろう。
お行儀良くお勉強に勤しむ清盛では、未来のあの清盛は生まれなかった。

和歌下手(史実)、舞下手を巧みに創作に取り入れていたことも見逃せない(和歌もどき回など)。
しかも、清盛は平家上昇のためにはかかる王朝文化の摂取が不可欠であることを弁えており(高橋)、
重要な文化戦略と位置づけて息子たちに仕込んだいった(私は下手ですが息子たちは・・)。
これを主題化したのが、「文化闘争ーいずれが王朝文化の担い手=相応しい統治者か」と位置づけ可能な
摂関家との舞&歌合戦。しかし、合戦がーたちは、これもまた形を変えた熾烈な合戦であったことに
気づくことはなかったのである。

いずれにせよ、清盛のリメイク云々の文脈で、汚盛がーというのは理由薄弱。
全業績を踏まえた清盛像の見直しが進み、本作のような清盛が過去のものとなる時が来るならば
(あまり考えにくい)、新たな「新平清盛」が作られる好機となる・・いつのことやら。。。