【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1517382105/
●荒らしと思われるレスには各自スルー またはNGで対応
●>>950以降の有志が次スレを立てる
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ 落胤否定説に立ち、概説書で「落胤などという俗説に惑わされることなく」とか書いている本郷氏が、
白河そのものになってしまった本作の清盛を見て、「藤本さんに降参です」と宣ったことも理解だろう。 白河の血というが、彼は別にもののけだった訳でなく、最初ちと不遇だった後三条の子(親王宣下は父の即位後)として生まれただけに過ぎぬ。
出自そのものはよくあるわびしい皇族のパターン。
父とともに摂関家との融和を常に図り、一部で親政、またその後退を経てきた。
白河に権力が集積したのは、父帝の意向の頓挫、白河実子の堀河天皇への譲位とその予想外の崩御、更には摂関家内部の混乱という外的要因にて、家長として働かざるを得なかったからという理由によるもので、かの人自体の個性によるものとはいえない。
また彼に特異な個性があったかと言われたら、幼帝の即位・崩御、また幼帝即位、摂関家の心許なさで、家長として必死だったから頑張ったド根性としか表しようがない。
白河院は長生きの血を持ってはいるであろう(それを化け物、物の怪といわれたらそうかも知れない)が、子や後継者に先立たれ、表舞台に出続けざるを得なかった人に共通する、よくある史伝中の人物。
特に冷酷非情の帝、院ではなく、よいと思った人に力を注いだだけだ。 おっ、仕事の流儀が始まったわ。
江戸前からしたら邪道と言われるような外連たっぷり、まさに大河平清盛のような寿司回。 できればその蘊蓄、ドラマ内在的に展開して欲しいだよね。 てな訳で、清盛は初回からいろんな方向に間違っていた。 じゃあ、それを克明に提示するのが御主のミッションだ。
楽しみにしてまっせ、おやぬみー いだてん頑張ってよー、
一桁なんかが続くと毎週、連中が汚盛がー、巻毛がー、埃がーと蒸し返すに決まってるので疲れるよw いだてんはぶっ壊れてないし面白いので無問題
清盛は清盛や兎や滋子やナレ朝の演技が壊滅的でリカバリ不能 その4人が最高というつもりはないけれど、仮に一つの作品をぶち壊すレベルで酷かったとしても
(不同意)、他の名作大河とされる作品も、必ずやその作品を引っ張る演者が残念ながら複数いる。
昔は良かったーに出てくる文字通り学芸会レベルの子役や若手、芸人、プロスポーツ選手の
あれこれは何なのだ?
そういう瑕疵があってもなお名作とされるのが、真の名作だろう。
繰り返すが、松ケンと加藤は、「あの清盛と兎丸」を代替する役者を見いだすことができない次元で
演じてくれた。落ちぶれた元京貴族、流人頼朝に岡田まはどハマりしてた上、ナレの既成概念からは
異質で、実際当初はこなれていなかったとしても、付き合っていくうちに何ら違和感を持たなくなった
(NHKアナやベテラン俳優だけがナレに相応しいのではない。唯一無比のナレというのはないところ、
最終的勝者頼朝をナレに起用して物語を総覧、総括することに拘った藤本女史の見識に、
岡田まは十分応えた)。
成海滋子ちゃんについては、頑張ったでも難役すぎたとコメントした。 成海滋子ちゃんをディスる奴はあっかんべー攻撃をくらえ 「昭和元禄落語心中」を見た限り、岡田に壮年以降を演じる力はまだない。
「平清盛」では、比較的若い時代の頼朝だけで何とか助かったといったところ。
例えば「武田信玄」の中井貴一(彼は主役だけど)、柴田恭兵みたく、加齢による落ち着きをみせ、声のトーンや間を変える演技は難しい。
ナレで壮年期の頼朝を声で演じろといわれたら、老いた八雲みたく酷い一本調子、稲川淳二もびっくり、何の怪談もどきかと思うようなことになったであろう。 >>463
落語のドラマはDVDに焼いた程なのに、いまだにちょこっとしか見てない。
ただ、ドラマ関係の賞では岡田まの老人演技が相当評価されているのでは?
清盛での頼朝はその通りだと思う。あくまで失意の源氏貴種、流人頼朝に
最大のポイントを置いたキャスティングだろう。
ただ、野性児政子から生命力を吹き込まれて覚醒、東国武士の棟梁として俄かに
逞しさを増していった頼朝についても、岡田まはなかなか頑張ったと思う。
そこから先は、当時の彼ではまだ荷が重い。今ならという興味は持てる。 NHKで4月以降の編成が発表されて、朝ドラBS再放送はまたぞろおしんだという。
大河再放送について発表されていないのは、枠が廃止されたということではないの?
たくさんの人があれだけrerunで要望しているのに無情な話だが、清盛再放送は基本諦めた方が良い。 成海ちゃんは随分叩かれたな
演出面での髪型等はまあ面白い設定だとは思ったけど
本人の棒演技がどうにも....
嫌いじゃなかったけどね 茂子
大酒飲みで糖尿で亡くなったっていう話とか色々知れて楽しかったし(そういう説があるんでしょう?)
当時の貴族社会でお亡くなりになる病気は糖尿病多かったんだろうな
食べ物の栄養バランス極端に悪そうだし、甘いものはあまりなかったからか?(だからこそ唐果物がこれほど珍重されたんだろうな)
お酒をみんな極端に好きだよね
清盛見てて何が楽しかったかってそういう時代的な文化とか民謡学的な設定の芸の細かさもあった 未だにブルーレイでの発売が予定されてないのは残念だよね
本放送を全てブルーレイに落としといて良かったよ
でもブルーレイってちょっとの傷ですぐ見れなくなるから扱うのがすごく面倒なんだが....
自作ものだからパッケージも何もないしな
発売されるのならセル版絶対買うのだが ブルーレイ版が再販されないのが本当にもったいないよね
NHKスクエアではいまでもDVDの売上しか見込めないのかな? DVDが売れてブルーレイが売れないということはないでしょ。
NHKを潤すコンテンツに成長したものの、特別の売れ筋とまではいけてないということじゃない。
たとえば、みをつくし他、新設された土曜時代ドラマはみな評判良かったが、
ブルーレイになったのは大評判とったアシガールだけではないの。
特に長編大河ともなれば高額商品となるので、よほど売れる見込みがない限り再商品化は困難なのだろう。 廉価版ブルーレイというのはないだろうしね。
たぶんDVDの2倍近い値段になる。
噂を聞いてこれから初見という人が、10万円近い商品をホイホイ買うとは思えない。
ただ、ド嵌り系大河なので、レンタル等で見て沼に嵌った人間ならば、高くても絶対買いたいと欲する者も多いはず。
なので、過去作の中ではもっとも需要が見込まれる作品であることも確かだろう。
ということで、再放送しないのならばブルーレイ頼んますぜNHKどの。 DVDボックスとか場所とりすぎて困る。
一度購入したらダウンロードしてテレビ、タブレット、スマホ
好きな端末でいつでも見られるって時代がはやく来ないかしら。 NHKの廉価版大河DVDは厚みが普通のトールケース2枚分だから値段だけじゃなくて置き場所にも優しいよ
1999年以前のSD制作作品はDVDで良いけど2000年以降のHD作品は買っててモヤモヤする
もういい加減ブルーレイも普及したんだから廉価版BDも出してくれればいいのにな
それにNHKオンデマンド特典が付いてくれれば最高だね にわかがひっそり楽しむ分にはいいが
これを名作大河のように喧伝するのはやめてほしいな 大河ドラマ平清盛完全版DVDセットが
NHKスクエア楽天市場店で人気商品ランキング1位だわw
やっぱ円盤は売れる作品なんだなー 大河に革新をもたらした柘植デザイナーのブログが話題。
清盛愛に満ち溢れている。
プロにとっても魂を吸い取られるような作品なのだろう。 >>477
オンデマンド配信が盛んになっているとはいえ
手元に残しておきたいものはやっぱりブルーレイ買うよ
配信のほうがずっと安いじゃんというけど
それならリアタイはもっと安い訳で >山内一豊やったじゃないか
>正直清盛のスズキ丸は職務怠慢で何もせずつまらないの極み
>上川本人がつまらないのか主役がアレで職場放棄したのか知らないが
>それ以来大河にもNHKにも呼ばれないのは納得
いまだに麒麟スレにてこのような愚劣な攻撃をやってたので、転載。
わたしの上川さんどーしてくれるのよー、まだやる気?惨めに思わないのババア?
時忠・忠清・盛国いずれ劣らぬ清盛股肱の臣三者間で役割に応じた緻密なキャラ造形上の差異化がなされていた(さらにオリキャラ兎丸も)。
寡黙、勤勉、賢慮、戦術的指南(時忠〜口達者、時に謀略担当)よりも修羅の道を歩む清盛の精神的支え。
両者の関係の本質は、土地を媒介とした御恩=奉公的な即物的なものではなく情誼的主従関係にあった(漁師から登用されたことへの生涯変わらぬ感謝)。
それゆえ、ひたすら謙虚に清盛に寄り添う頼れる存在であったものの、暴走する清盛のストッパーとしては限界を露呈した。
だからこそ、怒髪天を衝くがごとく大音声で発した一世一代の諫言「ヤメヨー」(清盛そのものに向けられたものである)がど迫力で響き渡り、
辺りを黙らせ清盛を「泣かせた」のである。
盛国にとっては清盛が全てゆえ壇ノ浦では既に戦闘意欲を喪失しており生きる屍。そして清盛に殉じた餓死。
★このような卓越した造形が施された盛国に上川氏が魅せられ、話始めると止まらなかった、という記事を読んでも何ら不思議ではなかった。
盛国の出自ははっきりとはわかっていないはず。
ドラマでは、清盛の信頼を得て盛康の養子としたうえで武士に取り立てられた。
〈外から〉飛び込んできて清盛に運を呼び込んだ縁起のよい鱸というエピ(平家物語)のアナロジーを用いて、
股肱の臣盛国について、武士身分の外部から清盛のもとに飛び込んできて終生清盛を支える元漁師という
設定がなされたのだろう。
おそらく、清盛の下に集ったさまざまな出自と個性をもった臣下を、いくつかのカテゴリーに分けて差異化することで、
平家の人材の厚みと多様性を表現したかったのだろう(最たる者は元海賊兎丸)。
こうすることで810の言うように、忠臣間においてもまた熱いドラマが生みだされた。
有力説である盛康の子説を養子に変形させて設定された(ありふれた親子形成原理)鱸丸(漁師)→盛国(武士)は、
特別奇異なものとはいえないし、毎度のことながら、初期設定がとことん生かされたことのほうにこそ注目すべきだろう。
鱸丸=盛国のキモは、一介の漁師を武士に引き立ててくれ、あまつさえ筆頭家人へととりたててくれた
清盛への生涯変わらぬ感謝の念と、二人の一心同体ともいえる強い絆にあった。
・破格の待遇に応えようと立派な武士になるべく刻苦精励、さっそく学問をマスターし子供たちの師匠となる。
・さらりと藤原氏の歴史を講釈して「お前なんでそんなこと知ってるんだ」と清盛を驚かす。
・沈着冷静、謙虚な姿勢で清盛を精神的にサポート(でしゃばらない)。要所で的確な判断を下す他、一門の調整役でもある。
・崇徳の怨霊パワーで荒れ狂う海、沈没寸前の船を屈強な「鱸丸」に立ち戻り操舵して危機を脱する。
・寸白で瀕死の清盛の枕元に寄り添い、周囲が止めるのも聞かずに看病。殿の死は自分の死であると。
・修羅の道を歩み始めた清盛に婉曲話法で諫言しつつも(非人道的な大輪田普請)、覚悟を決めた清盛との運命共同体の生き方を選ぶ。
・反面イエスマンの危険性〜清盛との強い一体性ゆえ(情誼的主従関係)迷走し始めた清盛のストッパー役
としてはあまり機能せず(cf直言する重盛、西行)。
・それゆえこそ効果満点だった大音声ヤメヨーのど迫力。これは清盛自身に突き刺さったのである。
・同じ忠臣ながらタイプの異なる侍大将忠清との対比(時を隔てて胸ドンしあった両者は共にビクともせず、変わらぬ忠臣ぶりを披露)。
・清盛に殉じた最後〜壇ノ浦の段階で生ける屍となり戦闘意欲ゼロ、鎌倉移送後食をたって自害。
・積み上げられた清盛との関係描写ゆえ、清盛の遺言(「いいや鱸丸」)と盛国の応答はすこぶる感動的なものとなった。 盛国は保元の乱でもお留守番だったし平治の乱でも部隊を指揮したとか全くない課題、やっぱ元漁師ということで戦訓練はあまり積んでなかった設定なのかな? DVD売れてるならブルーレイも廉価版売ってくれないかな >>481
その通りだよ。史実うえも盛国は戦闘員じゃない。 うえも→上も
酔っ払いが最近おつまみにしてるのが、コンビニ納豆スナック。ヘルシーで上手い。
で原材料を見たらコンスターチとの表示が!だけんど全然白くないぞオイw
はともかく、芸スポでいだてんバッシングスレが大盛況のようだ。
低視聴率となるや連中がおっぱじめる「川に落ちた犬を叩く」スレの醜悪さを見るにつけ、
どうしようもなく7年前の悲惨な状況が思い出される。
正直、いだてん応援団にはなれないので、魅せられて人々は、ツイ界隈の仲間内で面白いーと
やってないで、5ちゃんで正々堂々反駁すべきだ。
何だかんだ言ってもここは、マスコミが参照しいい加減な流言を垂れ流し、もって
大河に関する公論を決するだけの影響力をもちうる主戦場なのだ。 尾崎豊が嫌いなのではなく、尾崎豊ファン(の一部)が嫌いという心理。
人名は変えてもらって結構。 今更ながら録画しておいた「平清盛」一気見やってるんだが、とてもいいな清盛。
平安末期の混沌がよく出ている。平家物語とは違った解釈も面白い。
そして中井貴一と吹石一恵がとってもいいな。毎回泣いてるわ。
オレ的に来週末くらいには最終回かなw 矢沢永吉は好きだけど熱狂的な信者が怖くてコンサートに行けないファン心理と
清盛は好きだけど狂騒的な信者に呆れてスレに近づけないファン心理は似てる だからさ、盛国はただの置物ぉーと喚くババアたちが主流を成し、これまでさんざ反論しても、
昨日もこれだ。まるでモグラ叩きのよう。
しかし放っておくと、盛国はただの置物だったなるフェイクが真実になってしまうんだよ。
トランプに始まりアベにも通ずる、世界中を席巻しているポストトゥルースの大河ヴァージョンね。
コスト的に割に合わなくともいちいち応接していかないと、操作されたマスコミにも援用されて
遂にはデマが勝利してしまう。これがインターネッツの時代。もっとも既にヒトラーの戦略でもある。
清盛ファンたちが魅力を語るだけでなく、謂れのない批判に対しては、きちんと根拠を挙げて
反論する地道な作業をやってくれれば、俺は心置きなく引退できる。 よくツッコミどころ満載だけど面白いーと言われる。
しかし、よりツッコミどころ満載なのは、昔は良かったーや昨今の人気作の方であり、
史実と違うというだけでツッコミする野暮はさておき、清盛で具体的にツッコミどころと
された諸点については、これこそ時代と人物の核心に迫りうる創作なのだと強調してきた。
鳥羽エア矢、和歌もどき、一騎討ち、滋子巻毛などが代表例。
おやぬみ 清盛は己が家礼を増やすことに性根を入れず、一族も並べてボンクラなのか、それを重要視しなかった為に最後に政権の命取りになった。
「炎立つ」第二部の源義家が語った、都の腐った公家から武士が陸奥や全国を切り離して経略するのとは違い、所詮は旧来の律令制枠内で一族を受領、顕官に据え、富を蓄積しようとしただけ。 >>480はあくまで設定や脚本意図であって
長文がその深遠さを延々と説明したところで
演者がそれを理解して画面で表現できていたかは別 上川氏はちゃんと理解していたけど・・・
でなきゃあのヤメヨーの迫力はでないし、遺言時のニコっと笑った「もったいのうござります」も、
壇ノ浦船上での茫然自失の態も、餓死寸前の瞑目する盛国もない。 じゃあ客観的な証拠を挙げて上川氏が盛国を理解してないことを証明しなよ。
具体的な場面における上川氏の表情や動きを挙げての評価が単なる主観ならば、
何が「客観的証拠」となるのか、当方見当もつきませんけどね。 上川隆也:平清盛の忠臣・盛国は次元大介? 大河ドラマへの思いや松ケンの印象を語る
2012年03月18日
https://mantan-web.jp/article/20120317dog00m200026000c.html
...略...
上川さんは盛国について「丁寧な言葉をしゃべる(マンガ『ルパン三世』の)次元大介です。ルパンは清盛様で、盛国はいつでも後ろから銃を撃って、正確に射撃ができる男。戦い以外でも清盛様をフォローし続ける……というイメージです」と同役やドラマへの思いを語った。
...略... <盛国の役作り>
上川
「盛国はあまり歴史上に出てこない人物です。だからこそ今回の脚本でも漁師から取り立てられたという自由な描き方をされています」
いそぴー
「何をしたのかどういう人物なのかよく分かっていませんが、清盛のことを調べてくると、まわりでよく盛国の名前が出てきます。
重用され、親しい人物だったのではないかと」
上川
「役作りのとっかかりにしたのは、『清盛が盛国の自宅で死んだ』ということです。
どういう理由で盛国の家で亡くなったのかは分かりませんが、あれだけ権力を誇った人が、最期の場所として盛国の家を選んでいる。
その二人の距離感から盛国像を作っていきました。
また、これは現場に入ってからですが、忠盛が清盛に対して『鱸丸は軸が出来ているから船上で転ばない』というシーンがあったので、鱸丸は軸をブラさない男でいこう、と」
http://makitaiga2012.blogspot.com/2012/09/in.html?m=1
ま、こんな程度のやっつけですわ。
天下の上川に取っての盛国は。 はあ?何がやっつけなんだ?
ほとんど分かってない人物である以上、文献をたくさん読み込んだところで始まらない。
数少ない知られた史実や台本や現場で浮かんだイメージから、自分なりの盛国像を
作っていくのが当然ではないか。
鱸丸が操る小舟上で忠盛が提起した[心と体の軸]の問題は、清盛のみならず(途中ブレまくる)、
盛国の一生をも規定した。
怨霊回で盛国は、少しもブレない強固な軸を発揮して大船を操舵し、荒れ狂う崇徳の呪いから
清盛を救った(cf初回の小舟。大船を我が物にするほど盛国自身が強く大きくなったということだ)。
それ以前、海賊を舐めた忠清に物申しど突かれながらビクともしなかった鱸丸は、立場が変わって
今度は忠清をど突いて(こちらもブレない)、死を覚悟した忠清の変わらぬ忠臣ぶりを証した。
初期の現場体験から上川氏は、このように[心と体の軸]が主従関係全般にわたるキーワードとなることを
見抜いていたのである。さらに、ルパンからの次元のイメージも盛国像にピッタリではないか
(口数少なく背後に控え、沈着冷静、正確無比な仕事人にして全人格的繋がり)。
おたくの紹介は、逆に上川氏の高い理解力を証明するものとなってしまった。アリガトン 中国語をまるで話せなかったのに中国人の発音を完全コピーで
「大地の子」の主演を演じきった上川隆也は天才 そもそも、実際に上川氏が演じた盛国を具体的に論ずるのではなく、役者が役について
こう述べましたというのを「客観的証拠」としている時点でアレなんですけどね。 映像表現に客観的な証拠を示せというのは悪魔の証明だな そうそう、これまたそもそもなんだけど、役者は演ずる役についてすべてを知り、
すべてを理解していることは求められていない、というかそんなことは不可能。
必死こいて演じてくれた結果が稀代の名演技になったりもする。
それが出来る人も名優だ(盛国に関しては上川氏の高い理解力を示した、念のため。
それでも手探り直感的に演じた部分もあるだろう)。 >>500
だからそんなものはないと言ってんだよ。お前のただの主観と言われたもんで。
ただし、評価する以上、根拠を挙げて論ずるべき。俺はやってるつもり。
社会科学的証明、ましてや自然科学上の証明をやってるわけではもちろんない。 ともかく
盛国はただの置物!これが「証明主題」。
これを上川がどう言ったではなく、映像に即して説得させるのがババアたちの使命!
でわ はっきり言えば、ちょっと身体の具合の悪そうな一豊や隆元をやってるのと変わらない訳ですわ。
上川隆也がやった平盛国なんて。
大河上川の基礎の基礎編。
所詮、架空のオリキャラに限りなく近いオマケなんでね。
そこんところをよく分かってるのか、分かってないのか知らないけど、次元やらを適当に持ち出し、それまでの大河でやってきた役から軸がぶれない(「龍馬伝」中岡慎太郎を除けば大差ない)範囲で演じた。
奇矯な「平清盛」の中で、いわば据え物を演じて安牌を切ることで、上川らしくあくまで無難に乗り切ったといえる。
(役者の心情、事務所の方針としては、とにかく低視聴率の戦犯指定を回避したかったのか。)
時代劇で何度か演じた柳生十兵衛や浅野内匠頭、「白い巨塔」の関口のように、野心や突然の変化でギラリと切れる面は、盛国では出しにくかったのだろう。
まさに役不足だった訳だ。 >>505
まだやってんの今地下鉄9段↓
もう忘れたよ。じゃあその部分は撤回。余計なことをペラペラ喋る奴という記憶はないがな。
別に全然影響しないので。
そんで>>506もお前だろうが、もはや中傷するしかない無内容なお前の駄長文に
説得されるオメデタは、100田とかミズ田に騙される連中ぐらいだろう。 何しろどこが置物だったのかについて、具体的な反論を踏まえて答えるべきところ、
このババアの答えときたら、盛国はただの置物ぉーなんだからさ、
もうトホホだよw 冷静沈着というより終始冷ややか
アイコンタクトも愛もない
仮面夫婦のような主従だったな>清盛盛国 いつか言ったはずだ、お前(ババアだろうと爺だろうとこの際どうでも良い)の物言いは、
この盛国に魅せられて全力投球した上川氏をとことん愚弄するものであることを(ゴッシー風)。 >>509
えええーとしか言い様がない。
阿吽の呼吸ですべてを了解するほどの情誼的主従関係だってあれだけ強調したのに、
長文寂しいでっす。。。
終始冷ややか??仮面夫婦??どこの平行世界なんすか? ルパンと次元をやるつもりが仮面夫婦で置物になったのか
さもありなん
要するに現場でもお互い疎遠なんだろ 結局、阿呆が盛国と上川の中傷をやってるだけだった。
主従関係のバラエティと深度においても特筆される大河清盛にあって、
主従像の一つの極北に位置したのが盛国。
主人にすべてを捧げる臣下という意味では典型的ながら、寡黙で賢慮に満ち慎み深く行動する様は、
重みのある筆頭家人盛国の地位そして人間性に相応しいものだった。
とまれ、この機会にドラマでの盛国の位置と意義が再確認できた。
【参照】
清盛ー盛国、時忠、忠清、兎丸
忠盛ー家貞 家盛ー維綱 頼盛ー宗清
為義ー通清、義朝ー正清、義経ー弁慶
崇徳ー教長
こうして振り返ると、清盛は主従ドラマでもあったことを痛感する。
どれもが個性的で強烈な印象を残した。これほど様々なタイプの主従関係が描かれた大河も
珍しいだろう。ちなみに女のタイプも、良妻賢母からファムファタールまで網羅的だったw >>513
具体的にどの場面の盛国が仮面夫婦みたいだったの? >>514
ひとりで舞い上がって、太鼓持ち根性丸出しで何でも持ち上げて、上川盛国もすごい演技とか言って騒いでるおじいさんがいるだけだろ。
上川にしちゃ、平盛国自体、手は抜いてないが平均的な仕事。
役者として過度に入れ込んで役作りしなきゃならなかったようなものではない。
長文じいさんには、「トクサツガガガ」と同じ、「平清盛」が我が心のエマージェイソンになって何でも良い風に解釈しなきゃダメなんだろう。 >>515
清盛が暗黒落ちしていくのを隣で見ながらも知らぬ存ぜね決め込んで
仏御前が殺されそうになるにいたってようやく「ヤメヨー」
こうした態度が実のない仮面夫婦みたいと揶揄されたのではなかろうか 知らぬ存ぜぬ?
そういうのは清盛に対する無関心な態度のことを言うのだ。
あのグッと堪え続けた盛国が無関心だと?
阿呆のお前がやってることは、頓珍漢でそれこそ勝手な主観、印象批評でしかないということ。
あげく中傷に逃げ込むイマココ。 ではない。
人道を顧みない強引な大輪田泊建設を見かねた盛国は、父を死に追いやった白河の殺生禁断令を
引き合いに、清盛に対して婉曲的な諫言に及んだ(清盛は「何が申したい盛国。
わしが白河院のようになってしまったと言いたいのか」と応じる)。
このどこが「知らぬ存ぜぬ」なのだ?フェイクを撒き散らすデマ野郎。
また盛国は、もちろん精神的コンサルタントだけではなく、例えば徳子入内の際は
後白河の裏の意図を読み解くなど、意思決定に関する清盛の参与としての本来的役割を果たしている。
のみならず、原田恫喝や殿下乗合事件処理においては、明らかに清盛や時忠に加担する
「悪党」ぶりも発揮している(おそらく裏のシナリオライター)。
このように盛国は、ただの善良な執事ではない強かな 面も見せていたのである。 上川隆也さん:
「松山くん、本当にお疲れ様でした。実は裏で、VTRを見ている松山くんの表情を、モニターを通して拝見していました。
僕は松山くんと1年2ヶ月付き合ってきましたが、あんな表情、一度も見たことがなかったです。これが松山ケンイチの素の顔なんだな、と想いました。
と同時に、この1年2ヶ月のあいだ、松山くんが”どれだけ清盛という役柄に入り込んでいたのか。この作品にどれだけの情熱を傾けていたのか”を思い知らされたように想います。
それだけ作品に全てを傾けて演じることが出来る役者、『松山ケンイチ』という男と、1年2ヶ月ともに演じてこられたことを、僕自身誇りに想います。
彼は最後の瞬間まで、僕らにとってかけがえのない、最高の殿でした。本当に改めまして、1年2ヶ月、お疲れ様でした」
https://www.nhk.or.jp/dramatopics-blog/100000/137483.html
上川本人のインタビューから逆説的にいえば、少なくとも松ケンほどには役柄に入れ込んでおらず、醒めていたってことだな。
上川のキャリア、力量からしたら至極当然ではあるのだが。 セリフがちょっと出てこないんだけど
闇落ちしていく清盛に対して最後まで付き合うよ発言した回は感動したなあ 盛国 >>523
そうです。
飄々と失意の頼朝を支えつつ、政子とのカップリングの際は恋のキューピット役を
買って出た塚本藤九郎は、鎌倉殿の生みの親の一人。子孫も鎌倉幕府で重きを成した。
アリガトン 本作も着目したように、青田買いといえば野菜を差し入れる時政お父さん。
ナヨナヨ頼朝の苦境を理解し、彼が本来持っているポテンシャルを見抜いて粘り強く寄り添い、
ここぞとばかりに政子とくっつけた藤九郎もまた、歴史に残る戦術眼の持ち主だろう。 たけし控えめだったので面白かった、との意見が多かったのに視聴率惨敗。
確かに、たけしパートと時間軸行ったり来たりする二元中継が、上手く行ってるようには自分も思わない。
物語上の必然性をさして感じないので。
落語パートをオミットして見れば面白いということは、金栗パートが面白いということなんだろうけど、
これが個人的にはまったく面白くないのです、すんません。
朝ドラ方面では、即席ラーメンを試行錯誤しながら延々尺取って完成させました、メデタシメデタシ。
だけどこれで終わりじゃ話が終わってしまうので、今度はなかなか売れませんでしたで引き延ばします・・
この辺りがイマココのようだ。こういうテンプレ展開は見なくて想像できてしまう。
正直、いだてんのイマココは、出場決まったーでも金がない何とかしたい、お兄さんありがとう!
みたいなどこにでもあるような感動物語で、よく知らぬが池井戸日曜劇場と代替可能なんでは?
無名に近い主人公にしては朝ドラ並みの予測可能性満腹の展開で、だったら朝ドラでやってはどう?
と言われても仕方ない。
大河の固定観念を決めつけるのは不当だけど、これを大河がでやる理由あるの?と思われてしまった
ことが、いだてん苦戦の一番の要因ではないだろうか。歴史のうねりを感ずることは今のところ困難だ。
清盛も時空間往還するテクニカルなドラマであったけれど、常時この方式を採っていたのでは
もちろんない。概ね、いわゆる伏線や回顧映像を駆使して過去と現在とを結びつけるやり方だった。
そんな中で、本格的に現在と過去を往き来しながら、現在を確認しさらに未来を展望する高度なストーリーを
展開したのが白河院の伝言回(松ケンはこの回をターニングポイントと述べている。流石)。
清盛は史実情報も創造的な創作性も豊かな大河であったが、話が足りないのであれこれ技巧を凝らして
引き伸ばしましたとは真逆に、高度な技巧は常に分厚い歴史と人物の核心へと向けられていた。
清盛おばさんたちも、アンチ清盛のババアたちも、リテラシー一味も、本音はともかく皆クドカン支持に
回っている様は、自分にとってはちょっと不思議な現象。このノリでは最高傑作にもなりうる。。。 TBS「グッド・ワイフ」の安定な運び(アメリカでシーズン化されてるから当然か)と比べると、「いだてん」の大芝居が、三島天狗だけじゃなく暑苦しく、わざとらしい。
前者は殆ど同じセットを回って説明しているだけ(かつての大河も特に中盤はこうだった)なんだが。 頼朝にはゴッシーの前で天狗倶楽部の天狗音頭を踊って
後白河天狗を煽ってもらいたい 磯Pが語る大河平清盛の背景
>困難は史実の問題。史実は学説によっても大きく異なり、真実は誰もわからない。
>ドラマでは東大の本郷教授と神大の高橋名誉教授が考証。
>「東と西で全然違う歴史観を踏まえて色々と混ぜないと、ドラマとしてバランスが取れない。
すぐ思いつくのは次の3点
・落胤→落胤説に立ちながら、清盛の上昇は彼の実力と努力(と忠盛の遺産)の賜物であって、決して血統とかコネによるものではなかった。
←本郷は、落胤説は清盛の実力を看過する結果、平氏政権の樹立過程を見失ってしまうと批判する。
落胤がどのように生かされたかは既述。
・武士発生論には踏み込まず(必要がなかったこともあり)→高橋がリードした軍事貴族論にも本郷が固守する在地領主論にも立っていない
(軍事貴族論優勢の中、本郷は史的唯物論者ではないが、彼らが先導した在地領主論を現在も支持している)。
・権門体制論と東国王権論→王家はもともと権門体制論から発する用語。いっぽう、二つの王権論は鎌倉幕府の(自立的な)在地権力性を重視する。
視点を変えると、源平合戦は武門平氏vs源氏ではなく、朝廷政治vs在地領主の戦いであり、清盛平家は軍事力で都を支配する朝廷の政治体制
だったとするのが本郷説(朝廷を乗っ取り体制内化していった清盛。都へ向かわず鎌倉在地政権を志向した頼朝)。
清盛はどちらへも挨拶していた(六波羅幕府論ー福原遷都による京と朝廷との物理的精神的距離問題も含むーは、朝廷政治の範疇にあるものの、
他方で清盛平家の自律志向が認められる→頼朝に影響を与え鎌倉建設のモデル?。高橋説自体が折衷的といえるかもしれない)。 何が?
落胤の扱い、京と後白河との距離の問題、鎌倉都市建設など
いずれもドラマでテーマ化された問題なんだけど 個人的にちょっと不満なのは福原の都の映像が本編では結局清盛の館周辺しか出てこなかったことかな
特番でcg映像をわざわざ制作してるのにそれをなぜ本編に生かさない...... 大輪田泊と福原京の臨場感に欠けたことが欠点の一つ。
海賊船で大金はたいた皺寄せが、後半このような形で現れた。
早くも金を使い果たして中盤の保元の乱や平治の乱すらショボかったーなる難癖は、
そもそも平安の戦いを理解しておらず成り立たない(予算を十分取ってあのような映像となった)。
また、厳島ロケや幻想的な最後の五節の舞に見られるように後半、映像そのものがチープになった
事実もない。
さらに、清盛不在の富士川を大規模ロケするはずないし、登場人物を退場させる舞台装置
に位置づけられた清盛死後の源平合戦で、壇ノ浦だけをちょこっとだけ小さなセットで描いたのも、
当初から予定されていたシナリオ、演出だろう(さらに碇知盛と時子&安徳ドボーンに特化)。
ひとえに予算不足は、大輪田泊と福原京に現れたと思っている。CG画像を駆使する方法も
検討されたのかもしれないが、統一感を損なうデメリットを優先させたのではないだろうか。
それにしても、海の映像や多少のCGを使って瀬戸内海らしい開放感を出していた大河義経と
比べても、窮屈で圧迫されるような閉塞感漂う映像は残念だった。
もっとも、大輪田泊普請の現場をロケで大々的にやったり、福原京全体を眺めるセットを
作ることは甚だ困難であったことも確かだ。 源平合戦の様子はむしろよかったよね
当時の武士の戦い方 馬上からの弓の打ち合いという描写を始めて具体的に表現した大河ではなかろうか?
オジキとの一対一の打ち合いのシーンかっこよかったなあ
あとこれは少々やりすぎ感はあったけど鴨川合戦の平家の弓攻撃は迫力あってよかった
大げさかもしらんがグラディエーターの冒頭のゲルマン戦思い出した 忠正の兜に急に鍬形がついて、甲冑レンタル予算を圧迫したんだろう。 合戦描写より、そこまでのプロセスや戦後処理に興味がある拙者としては(この部分がいい加減な大河の何と多いこと)、
清盛の合戦描写自体を評価する意見に接することができ、大変うれしい思いであります。 631 日曜8時の名無しさん 2019/02/21(木) 23:25:50.32 ID:omurs+5O
>>579
だからお前はミタニンすげー、パッパすてきーだけやってろ。
アホ丸出しで下らんレス、毎日毎日何十やってんだ。 ★じゃ、ついでに視聴率スレに投下したのを再掲しますね。頼朝パートは、たけしパートと同じく無理やりねじ込んだのだそうです。
清盛の肉体は死んでも、清盛物語はそこでは終わらない。
中でも武士の世への突破口を拓いた清盛から、武士の世を(ほぼ)完成させた頼朝への「志の継承」は不可欠なものだ。
清盛の死でジ・エンドは、起承転結の結部分を欠いたまま終了することを意味する。しかし、それでは物語を閉じたことにはならない。
逆に、同じ密度で清盛死後を描かなかった、源平合戦をダイジェストで済ました―と当時喚く人間が何と多かったことか(ジャンプの打ち切り)。
こちらも同じくナンセンス。この辺りのバランスが大河清盛は絶秒で、最終回のあり方についての模範を見せた。
両者の関係は、本邦初描写となった上西門院殿上始めでの出会いに始まり(頼朝圧倒される)、著名な助命シーンを経て、
伊豆への流罪によって空間的には離れたものの、さまざまな工夫(アイテム)によって、ドラマ上は常に連結されてきた
(千鶴丸の悲劇に見られる作用・反作用→赤子を殺したのは、怖い清盛という虚像を信じ込み伊豆に持ち帰った京大番役祐親。
清盛は伊豆の頼朝の子をいわば「殺した」のだ。また、滋子死の際の臨時課税に不満を募らせる東国武士たちのように、
その後の挙兵を準備する描写も不可欠。さらに、清盛への不信を募らせついに挙兵した後は、頼朝からのベクトルが重要となる
ー鎌倉都市建設にヒントを得た九条防衛構想など)。このように、無理やりどころか常に機能的にリンクしていたのが、両者の関係だ。
武門の覇権を争う宿命のライバルである以上、源氏パートのない平家物語など本来ありえないところ、清盛は忠盛ー為義、清盛―義朝の各世代を通じて、
源平間の力関係の推移を対比構造をとりながら執拗に追っていく大河であった。であるのに、最後の清盛ー頼朝の対比描写を欠いていいはずがないだろう
(頼朝パートなくして頼朝挙兵の衝撃は、京の清盛にも視聴者にも伝わらない)。
そこでいう場所的離隔は、ドラマにおける意味上の接点がないことを意味しないのである。
ちなみに、夕方書いた長文で忘れていたのを追加すると、京の清盛と伊豆・鎌倉の頼朝との作用・反作用においてもっとも劇的だったのが、
言うまでもなくかの鳥羽エア矢ね。
30数年の時日を経て、弁慶の記憶(というアイテム)によって運ばれたこの矢によって、堕落した清盛に不信を深めつつあった頼朝は、
あらためて旧貴族体制を穿つ清盛へのリスペクトを新たにしたのだった。 頼朝から清盛へと放たれたエア矢は頼朝の弓術の腕前からして当たってないと思われる エアー矢の伝達はのこう来るかだったな
弁慶を散々立ち回らせ始めはうざいだけの存在だったんだが、その意味もあったな
ところでなんで弁慶は平家が嫌いなんだ?
為義殿があまりな気の毒だったからか?
それとも清盛が強訴中に矢を向けたからか?
どんどんブラック化していく清盛ではあるが少なくとも庶民目線では良い政治としてたと思うのだが
平家憎しの家族にとっては許し難き存在ではあったが、うさぎ丸が死んだ回だったか?平民に感謝されてる描写があったはず 八重はともかく、2014年以降のクソ大河なんていらないからこの脚本で室町時代まで見たかったなー
あ、もちろんいだてんもクソ大河な
2014年に鎌倉時代初期(実朝暗殺まで)源頼朝「ここはわしの世じゃ」
2015年に鎌倉時代中期(承久の乱〜元寇)北条氏「ここはわしの世じゃ」
2016年に鎌倉時代末期・南北朝時代(後醍醐天皇挙兵〜両統迭立まで)後醍醐天皇「ここはわしの世じゃ」
2017年に室町時代前編(足利義満の死まで)足利義満「ここはわしの世じゃ」
2018年に室町時代後編(室町時代の没落・応仁の乱)日野冨子「ここはわしの世じゃ」
これくらいの濃度で見たい >>542
ちょい待てよ。お遊びレスに何だけど、しかも、明後日の方向に的を外して
政子から「教育的指導」を受けたシーンがどの辺りであったか、即座に詳しくは
思い出せないけれど、頼朝→清盛のエア矢(最終タイマン対決ー息子や孫たちに委ねるのではなく、
清盛自身が直接出馬する決断を促す→後白河との最後の双六勝負へ)は、最終局面49話での出来事だろう。
政子から尻を叩かれて鍛錬した結果、この時点ではだいぶ上達してたと思うよw 平清盛の視聴率スレは
ないんやのう
それとも当時はあったけども落ちちゃったのか 今日のエア再盛はあらずんば回か。
毎回のように侃侃諤諤の解釈論争を巻き起こした大河清盛にあって、この時忠のあらずんば発言は、
従来の奢れる平家像に修正を迫る破壊力をもったミステリアスなシーンであり、今もって忘れがたい。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています