【2012年大河ドラマ】平清盛 Part181
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■前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part180
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1517382105/
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●スレ立て宣言と誘導は必ず行い 無理な場合はすぐに申告すること
●スレを立てられない人は 次スレが立つまでレスを控えるように
【2012年大河ドラマ】平清盛アンチスレPart28
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1356934811/ >>844-845
いまのところ、こうなっているらしい。あの大河は視聴率失速のタイミングが早すぎる。
553 名前:名無しさん@恐縮です[sage] 投稿日:2019/05/09(木) 10:27:41.42 ID:dsaj8/KW0.net
歴代大河視聴率ワーストランキング
第1位 7.1% いだてん 2019年04月28日 第16回「ベルリンの壁」
第2位 7.3% 平清盛 2012年11月18日 第45回「以仁王の令旨」
第3位 7.7% いだてん 2019年05月05日 第17回「いつも2人で」
第4位 7.8% 平清盛 2012年08月05日 第31回「伊豆の流人」
第5位 7.9% 平清盛 2012年10月21日 第41回「賽の目の行方」
第6位 8.5% いだてん 2019年03月31日 第13回「復活」
第7位 8.7% いだてん 2019年03月10日 第10回「真夏の夜の夢」
第7位 8.7% いだてん 2019年03月17日 第11回「百年の孤独」
第7位 8.7% いだてん 2019年04月21日 第15回「あゝ結婚」
第10位 8.9% 平清盛 2012年10月28日 第42回「鹿ヶ谷の陰謀」
すでに半分以上を占拠 >>849
それだと相当因果関係がないでしょう。書く順番をひっくり返すのならありうるけど。
大河ドラマ平清盛で描こうとしたテーマのひとつは「政権交代のありよう」だった。
2009年に政権交代がおきなければ、清盛は制作されなかったかもしれない。
というか、たいていの大河には、その時々の政治を批判するトゲのようなものが隠されている。
いだてんの低迷の一因は、そのトゲや毒針の存在が希薄だからだろうね。 平安のマージナルマン西行
平安のノマド弁慶
だったっけ?今でも間違ってないと思うぞw
>>850
そういう青春活劇パートに飛びついてすべてを否定したババアども、しかもジャンプ大好き人間にとっては、
清盛は「芸術的」すぎましたぁー。ただし
こういうのが出てくるので、義朝とのライバル設定やとりわけ師匠信西との関係性を「友」というフレーズで
表現するのは出来れば避けてもらいたかった。「友の妻」「友を見捨てない」とか。
しかし、内容はフィクション込みですこぶるガッテンw。 >>852
貴方の言うことは一つの分析として成り立つ。しかし、どうも納得できない。
「なぜ今〇〇か?」という切実な問いがないと、21世紀の今、あらためて大河をやる理由はない。
この点、清盛には、新平家を更新しなければならないれっきととした理由が存在した。
ただ、そうした内在的動機は、清盛がそうであったように、時の政権への批判的スタンスとは別のものであるべきと思う。
実際、清盛がそうした政治的な思惑から採用されたとは思えんのです。
それだけに、時の政権からの圧力やら政権への忖度やらが盛んに喧伝され、どうもそういう面が払拭できないような大河が
最近現れたのは不幸な事態だ。
しかし、いだてんはオリンピックを盛り上げる国策大河というには、斜に構えたクドカン始め制作陣の批判的視座が冴えている。
この部分は率直に評価したい。 清盛いだてんの視聴率最下位争いで大河の戦国幕末無限ループに拍車がかかると辛い
清盛視聴時に鬼若青木が出世してお前弁慶だったのかって驚きは新鮮だった
明雲もキャラが立ってたけどその死まできちんと描いて欲しかった >>854
「別のものであるべきと思う」という、べき論にはあまり関わり合いたくないな。
べき論は自分も好きです。それは芸術としての理想だから。
ただし、現実に存在しているNHKは、予算編成を政治家に干渉され、常に政治とせめぎ合う宿命を背負った放送局。
だからNHKがつくる大河ドラマにしても、政治家の干渉や意向や忖度から完全に無縁でいられる可能性はない。
でもその制約の中で、彼らは精一杯がんばってきた。毒針を政治家に見つけられないように、こっそりと。
むしろ芸術とは、その制約の悩み苦しみへの強烈な反発、反骨精神から誕生し成長していくものなのだ、と思います。
江戸時代の歌舞伎だって浮世絵だって、幕府からさんざん取り締まりされ弾圧されても、それでも大きくなっていったじゃないですか。 >>855
清盛死後、しかも源平合戦というより源氏と後白河との戦さである法住寺合戦を、大河清盛でやれー
なんて無理難題を押しつけないでよ。。。
結構強烈な脇役の中で、為朝と並んで自然フェイドアウトに相応しい人物だね、明雲は。 バガボンドが流行れば武蔵が製作。
不景気になれば上杉鷹山や良寛、吉宗が見直される。
吉宗はもっと不景気にしたけど(この点は八代将軍吉宗で軽く触れていたと思う)。
男女同権かまびすしくなれば、篤姫や江、花燃ゆなんてゴミに等しい仕方なく作った大河が。役者とセット、スタッフ、予算の無駄遣い。
東日本大震災の後には八重の桜。後半失速し話しが粗くなったが、作りは細かく、なかなかに見応えはあった。
流行りや何かで製作を決めていて、政権がどうのなんて関係ないかもしれん。 >>854
あと「政治的な思惑から採用された」大河は過去にいくつもあると思います。
たとえば、1973年の「国盗り物語」は今太閤・田中角栄内閣の誕生と無関係でなかったろうし、
1984-86年の現代史三部作(山河燃ゆ・春の波涛・いのち)が、そのころ緊張の高まってきた
日米貿易摩擦(または日米関係の再構築)とまったく無関係に成立したとは全然思えない。
1992年の「信長 KING OF ZIPANGU」や1995年の「八代将軍 吉宗」と政治改革との関係も同様。
政治もまた社会問題・社会風潮の一環であります。社会人をメインターゲットにつくる大河ドラマが
社会の動きや流れを完全無視するなんて無理だと思う。ただ、政治家が露骨に露出してしまうのは
不快極まりなく吐き気がおきる。だから、興ざめしないように、隠し味程度に使うのならよしとしましょう。 >>858
はやりすたりの流行物に過敏なのもNHKの特徴かもしれません。
企業CMなく受信料とりたてで視聴者とじかに向き合うせいだろうか。
でも、視聴率至上主義におちいったら、だれがやってもそうながされてしまう。(そういうのは嫌いだが、多勢に無勢)
あと、いまの内閣はなにかとNHKを締め上げたがっていたけど、そうじゃない内閣も過去にはありました。
こわい鬼さんがいなくなったあと、どんな悪戯をしかけてやろうか、とたくらんでる人が何人もいてそうだ。 >>860
「鬼のいぬまの洗濯か?!」
ところで、平家一門と源氏一門、ついでに北条一門って、それぞれ花押が似ていると最近気付いた。
程度に差はあっても、それぞれバラバラで内輪でヘゲモニー争いをしていても、似る物は似るのか。
はたまた当時はそれほど個性を出そうとしなかったのか。 腹筋善之介さん?
明雲を演じたこのお方もとっても強烈だったのに、清盛以降見たことがない。
たしかに、清盛は多くの若手にとってホップステップジャンプとなったが、一方で
これをきっかけにブレイクして欲しいと願った役者が足踏みしたり、酷い場合は引退してしまった例すらある。
それまで目立たなかった真田丸出演者が、それ以降も脚光を浴びドラマ出演の機会を得、ご本人たちも度々同窓会を開いて意気盛んなご様子を見るにつけ、
何か不公平を感じてしまう。成親とか西光とかもっともっと脚光を浴びてしかるべき役者だろう。
こういうところまで斟酌すれば、マスコミからヨイショされ愛される大河となることは、低視聴率とクオリティは関係なーいと嘯く一方で、
絶重要な現実的課題と痛感せざるをえない。 嫌いな国歌の1、2がわが君が代と「音楽性ゼロ」のUSAのあれ。
好きな国歌の1、2がインターナショナルと宿敵ヒトラー最愛のプロイセン・グローリア(大好きなんす・_)、
じゃなかった、感動感動の旧ソ連国歌(プーチンロシアもこれに戻した)と我が最愛のハイドン作ドイッチュラント国歌。
そういう俺からすると、大河清盛は大いに「愛国大河」であったのだよ、アホウヨw 8時は先週見逃した日曜美術館モロー見てたすんません。
なんと きたやまおさむ御大がゲスト。
清盛的にファムファタールといえば、もちろんたまこさん。
「出現」サロメとクリムトのユディトを同時期に日本で見られる幸運に感謝しつつも、
待賢門院たまこはもっと知られて欲しい。あんだけ檀れいさんが魅惑的に演じてくれたのだから。 従来の歴史では、清盛が源頼朝を殺さずに生かしておいたことは一生の不覚だとか激しく後悔したとか説明されてたけど、このドラマでは頼朝が挙兵したことで清盛は武士に戻ったって説明するんだよな
これはこれで斬新ではある 助命シーンにおける清盛の真意を読み解き演繹すればそういう帰結となるが、この清盛のリアクションを
予想できた人は一人もいない。この種の「驚き」がもたらすカタルシスが大河清盛の真骨頂であり、
一筋縄ではいかない難しい部分だった。
助命シーンと頼朝挙兵自体はオーソドックスに展開しつつ、それらのピースが連結されることで
筋道立った一つのオリジナルな物語が紡ぎ出される。
言ってみれば、清盛は虚実皮膜のスケールを大きくした(より史実基盤に立って創作された)「ちかえもん」だ。 頼朝挙兵時の平家は多数の熟国の受領や顕官を務める権門であり、既に武士のカテゴリーからは脱却している。
見事にその時点での目標を果たして、我が世の春を謳歌している只中。
郎党を雇い、召し使う普通の大貴族と意識は変わらない。
頼朝挙兵で武士に戻ったなど、意図的に視聴者を曲解させるための珍説、虚偽に過ぎぬ。
当時の清盛には武士なんぞに戻る必要がなく、本人にそんなつもりは毫もなかったはず。
多くの私兵を動かしうる地位にあるが、それと武士であることは同値ではない。 この「解釈」をマジに受け取って血相変えられても(これが清盛の真実だ!なんて、作り手はこれぽっちも思ってない)、
長文はとしては
asshole アッそー
と一言レスするしかありませんわw
つか、またちかえもんやるんだな。清盛はムリなのでーというのが現時点での俺の「解釈」。
平日の夕方じゃ家事労働に勤しむおばさん労働者しか見られないよ。。
朝ドラ夕方再放送の時代劇版か。 >>869
いまでこそ関東は大繁栄しているが、平安末の関東は北海道・沖縄並み扱いの僻地だった。
まさか伊豆のような地の果てに流した男が、平家に反旗をひるがえし、しかも京も本州四国も
ほぼ制圧されるなんて、平家一門にとっては全くの想定外だったろう。痛恨の判断ミスでした。 つー訳で、藤本有紀なる一座、集合体は耳目を引くために奇を衒ったものの、かなりトンチンカンな話を作ってしまった。
スペクタクルをやらなきゃという力みが感じられ、結果、大いに滑った。
野心作、良い大河ではあるが、ズレてしまった。 一つ付け加えれば、史実に独自の解釈を施せないような脚本家は、大河という物語を創作するだけの力量を欠く。
それが上手くいったか滑ったかは別問題だが。大河はドラマである以上、ただ史実を羅列していくのが任務ではない。
信玄が四郎を後継にしたのは母が湖衣姫で、その母が初恋の娘と瓜二つだったから・・・
義時が壇ノ浦に参戦したのは!?愛する茜を西に追っていった末。その後も瓜二つの茜2号に判断を惑わされる・・・
このように、歴史的事件と主人公たちの関わりについては、どんな大河でも史実と創作を混交させての
「解釈」が不可欠だ。
すまんが、この2つの解釈は俺にとっては荒唐無稽。他方、藤本が首尾一貫した物語に位置づけた「頼朝挙兵」は
頗る論理的で説得力があった。こういう事柄に関して真逆の評価をする人がいても、同意はしないが否定もしない。 藤本有紀一座?
なんだお前だったんか?
核となる人格が不在の架空ユニット・・・そのような妄想は>>839にて打止めにしとけ。
ボスが複数の助手を使ってるとかそんな話してるんじゃない(「機械的助手」はいるかもしれないが、
工房的制作体制もなさそうというのが俺の推測。もし助手ぐらいいるからーと言うのがお前の
言いたいことなのなら、それこそどーでもいい当たり前の話)。 見たところ
もうどうしようもなく好評で、再放送情報が出るやまたまたツイ界隈では熱狂の嵐→ちかえもん
朝ドラフリークたちの記憶に刻み込まれ、いつのまにかすっかり名作として認知されている→ちりとてちん
これらの比べると
清盛はまだまだ盤石の再評価とは言い難いのが現状。大河愛好家主流派を自負するこいつらが、永遠に罵倒を浴びせる大河である以上、
ハードルは高い。
自分としては、清盛再放送はあまり期待できないので、黒木&森山のみをつくし2をはよやって欲しい程度にヘタレている。
どうも、柴田監督が厳しすぎて演者がその気にならなーい、との噂はほんとなのかと訝ってしまっている。
あの終わり方は、明らかに続編を予告したものなのだから、責任をもってよNHK。 平清盛でも源頼朝でも徳川家康でも、戦国大名の誰かでも、なぜ天皇家に取って変わろうとしなかったんだろう? >>879
それもろ網野善彦問題。それが解けて論文書いたら東大でも京大でも文学博士号(歴史学)もらえるよ。 みをつくしみたいなラノベかつ民放の二番煎じを
藤本にやらせてどこが面白いのか全く分からん
成海の大根っぷりも相変わらず 成海は、どの作品でも成海璃子を演じているだけ。
沢尻エリカと共演した「1リットルの涙」からほとんど変わっていない。
財前五郎の愛人2号をやれれば大したものだと思うが。
撮影はとっくに終わったので、いつの日にか。 『平清盛』第四回「殿上の闇討ち」を鑑賞した。
NHKは、もうそろそろ駄作大河ドラマの打ち切りを真剣に検討したほうがいい。もはや「ひどい」というレベルを超えている。
清盛が少年時代の寝小便を叱責されたことを璋子殿の前で語って恥を掻く等、もう脚本という名に値しない。
せめて「幼稚」「未熟」ならば改善への希望が持てるが、現時点での藤本脚本は愚劣過ぎて見るに耐えない。
清盛の描き方も、粗野で無教養な点が杜撰に描かれ、怒号や絶叫が多い描写にも、脚本の浅薄さが出ている。
「愚劣なものを作れば若者が支持してくれる」と考えるNHKスタッフの安易な思考は噴飯物である。
忠盛が貴族達からいじめられ辱めを受け、水をかけられるシーンも、公家・武家の関係が短絡的で、脚本のまずさが露呈している。
中井貴一氏の顔面による説明演技も底が浅い。
公家が忠盛に水をかけるなんて、愚かな演出だよ。
このドラマでは公家は軽薄な存在として描写されているとはいえ、公家を演ずる人達にも品格を出せるひとが少なくなってきたなあ。
「王家の犬になる」という台詞もまずいね。「王家」に藤本さんこだわりがあるみたいだね。
為義が忠盛にコンプレックスを抱いているという設定も粗雑である。
義朝と清盛が友情を抱きあって、怒鳴り合う等、愚劣の極みです。
忠盛が清盛に父性愛を示す大詰めも台詞で説明するので、空虚である。
『平家物語』に説かれる忠盛の智慧の物語をこれほど軽薄に改悪してしまうのは、ある意味凄いと思う。
藤本有紀氏の筆力では時代劇を書き続けることは無理だろう。このままでは、日本のテレビドラマのスタッフ達は、『平家物語』を読めていないと世界に恥を晒しているだけだと、スタッフは気付くべきだ。
軽薄な脚本に悲しみを覚える。
不勉強で怠惰なスタッフの自己愛露出の軽薄ドラマ国民の受信料で制作されている。
『平清盛』は一日も早く終了すべきだ。
見るに耐えない醜悪作品だ。
合掌 これも3度目ぐらいかな?
気楽に見たいところがババアたちが乗り込んでくるのが目に見えたので、気は乗らなかったが参戦した。
現に、藤本憎しのババアたちときたら、ファンでも何でもないのに、原作の凄さを台無しにした駄作ぅーと
相変わらず意気軒昂だった。
部分的に散漫で同工異曲な原作を引き締めて凝縮したドラマに設えたとでも言うものなら、
純粋なファンからも総スカン食らった。
そういう楽しくないオンエア時の思い出にも関わらず、身をつくしは素直に物語に入っていき感情移入できる
素敵な人情時代劇であり、しかも藤本一流の構成力が光っていた点で、誰が脚本書いても同じラノベドラマとは思えませぬ。 >>883
そんなゆうじんあんだか武将ジャパンwだかの与太話を、此の期に及んだコピペしてないで、
現時点での、オツムの弱いアタシの主張!をやれ! >>883
後日、円盤を借りて再検証するつもりだが、すくなくとも2点、この論証に違和感を感じた。
> 忠盛が貴族達からいじめられ辱めを受け、水をかけられるシーンも、公家・武家の関係が短絡的で、
> 公家が忠盛に水をかけるなんて、愚かな演出だよ。
貴族社会に仏教の価値観倫理観が深く浸透し、殺傷をタブー視していた時代では、その殺傷行為を
にない治安維持にあたる武士の、貴族からの評価や与えられた地位は、著しく低かった。
さらにこの時代は、俗に鎌倉新仏教とよばれる、武士の存在を肯定したり前提とする宗派が日本には
まだ登場してない。権力からも宗教からも武士は捨て置かれていた。
だから、平清盛が描きだそうとした社会は、よく見る時代劇の「武士が偉いのが当たり前の時代」とは
まったくことなる社会だ。武家と公家が並び立つ、または武家が公家を上回る権勢をもった承久の乱
(1221年)以前の日本なら、清盛の演出はさもありなんと感じた。
ゆえに、短絡的とも愚かとも全く感じません。
> 為義が忠盛にコンプレックスを抱いているという設定も粗雑である。
当時の源氏が平家にたいして出世競争(任官・知行地)で遅れをとっていたのは客観的事実です。
平家一門が壇ノ浦に沈み、源氏が武家の棟梁であるのが当たり前の、よく見る時代劇の見過ぎだ。 「よいか、平太!今のおまえは平氏に飼われている犬だ。俺のもとにおらねば生きてはゆけぬ弱い犬だ。死にたくなければ強くなれ!」
と忠盛は言った。
また、時期を変えて、いろいろな父親像を清盛に見せてもいる。
弱さも垣間見えたが、全体的には良い父親イメージで通した。
ここで対比したいのが、炎立つ第一部で、源頼義が嫡子義家(現代の年齢なら孫、当時なら曾孫でも通用する)に言った言葉。
弓馬の道では名を成した父親を遥かに凌ぐ天稟を持ち、武士として真っ直ぐに歩む義家に対して、全てが自分以上と褒めながらも、
「もっと穢れよ」
とのたまった。
武士の役割は何よりも土地の経略と富の蓄積。
相手を騙そうが、利権を奪ってその地に根を張ればよい。
騎射はあくまでも武士の添え物、除目で受領となり、河内源氏を真に強くするには、手の込んだ汚い手段を時に平然と用い、朝廷の功課定で実績をアピールし、各地の武士団にも一目置かれなければならない。
頼義はいつも側近と密議を凝らしており、義家が現れると、側近は去っていく。
やがて義家はそんな父に不審を覚え、穢れよと言われる。
犬だ身体の軸だ何とかカンとかと変に格好を付けずとも、こんな直截な言い方もありだと思う。
第二部の義家は見事に穢れ、やること為すことに周到な細工を施し、自分を利用した清原真衡を逆に謀殺、清原一族を内紛でボロボロにし、一時、陸奥の覇権を握る。
しかし、その先には…。例の毒づき長広舌。大河屈指の名シーンあり。
清盛以上に分かりにくい時代を見事な流れで見せてくれた。 >>883
> 粗野で無教養な点が杜撰に描かれ、怒号や絶叫が多い描写にも、脚本の浅薄さが出ている。
あれは脚本が浅薄なのでなく、あえて演出がそうやっていると感じた。
あと、大河ドラマをみる人には高齢かつ保守的性向の人が多いのだろうなと感じた。
粗野・無教養・怒号・絶叫、これみな全部、若者が生きる世界ならばありふれたものだ。
清盛評を読むたびに、ジェネレーションギャップや世代間戦争のようなものを感じる。
>>885
まじめにレビューを書いたのは失敗だったのかな? 睡眠時間も減り、損したな。 粗野で無教養で杜撰で絶叫と怒号ばかり
これ松ケンそのものだろw
あんなアホを送り込んだ上で
脚本と演出の所為にしてバッシングする
やはり創価は日本会議とグル
望み通り作品が潰せて良かったな >伊集院さんは、宗盛が源仲綱の愛馬を蹂躙した件をくだらないと評したけど、
>くだらなくさせなかったのが #平清盛 の竹馬のエピソードよ。 #100分de名著
んだ。伏線回収!の大安売りは嫌いだが、これぞ伏線オブ伏線 本屋に立ち寄ったら、本郷奥様の「院政」(講談社新書)を発見、ゲト。
とりあえず4章「白河院の時代」をチラ読みしたが、必読でっせ。
「白河の賢子に対する愛情の深さ、執心の強さを物語る話だが、それ以上に、天皇と穢れとの関係において白河が
型破りの行動に出る人物だったことが示されている。天皇とその住居である内裏は、もっとも清浄であらねばならず、
穢れからは隔離されてなければならないかった。最上級の穢れである死穢は、もちろん厳重に遠ざけられるべきものであり
・・・(というのに白河は)以下略」
賢子をたまこ、内裏を院御所におきかえて、初回のあの舞子射殺場面を振り返ろう。
いまだに、タブーも知らない無知無能な制作側がーと喚き続けているババアたち如何? このようなことで大騒ぎされてしまったのは不幸であるし、憤りを禁じ得ない。
そんなことよりも、忠盛はなにゆえ、血の繋がらない清盛の養育を引き受け、突き放しつつも大きく育てて自分の後継者に据えたのか?
この点に説得力をもたせることのほうが、ドラマ上は遥かに大事なテーマであるにもかかわらず、
そのような関心は、落胤設定をとる他の清盛ものには皆無であった。
もちろん、ババアたちにとっても、そんなことはどーでも良いテーマであった。
大河清盛は、舞子射殺場面によって初めてこの疑問に答え、尋常でない説得力を生み出したのである。
その他、作劇意図なんぞなーんにも踏まえずにわめき散らしたこいつらのお笑い罵倒事例には(自分の好きな大河については、
何一つ「捏造」について疑問を生じない)、
・何で頼長の相手は義賢でないのよー、捏造許せん!
・何で殿上闇討ち事件に為義が出てくるのよー、捏造!
というのがあった。何かおかしいですかー? 教授が論文盗用でうやむや依願退職
名前も公表しない懲戒解雇もしない
創価大学経営学部なんじゃそりゃ!
学問の府じゃねーよな
長文コメントしろ 何だそれ知らないよ興味ないしw
ホントウならクビだよクビ!当たり前。
維新嫡流そのものの丸山某だって、とりあえずクビ(党除名)だろ。ほんとは議員辞職ものだが、
松井とか吉村とか同志が姑息な復権の道を考えての措置だろう。
トンキンとか蔑称されて、いだてん絡みでも一極集中東京の歪みを感じないではないけど、
吉本やそこまで言って何とかが世論をリードし、維新が大勝する「大阪都」住人でなくてヨカタすんません。
しかし、あの元フジテレビ長谷川何とかが維新比例で当選しそうってさ、どうなってんだよ。
東洋英和の神学先生、コレは笑った。「大権威」岩波大先生が騙されて返金まで応じるってさ。
こんな壮大なウソをシレッとつけるのだから、大河脚本家に転生すればいいよマジで。 明後日公開「居眠り磐音」。加藤登紀子さんの評を読み、さもありなんと期待した次第。
長大な原作を一遍の映画シナリオに纏める力量が要求される本作。
脚本の比重は大きいはずだが、「浮き世の画家」同様、ここでも藤本女史は裏方に徹して表に一切出てこない。
番宣であるいはオンエア中に、ペラペラ自作を語りアピールし、終わってからも「弁明」するような
スター脚本家たちと比べて、なんと慎ましく謙抑的な態度なのだろう。
長らく顔すら見せなかったこういう姿勢が、「架空脚本家」疑惑を招いている点も否定できないのだが・・・ 「居眠り磐音」は山本耕史のイメージが大きい。
清盛で攻めた男色を演じた山本耕史気持ち悪いと思ったら
居眠り磐音の再放送見かけてやっぱかっこいいやんなんて思った記憶。
松坂桃李は山本耕史を超えられるのか? >>880 そうなんだ、返信サンクス、天皇家って不思議な存在
男系ってのも、藤原氏(中臣氏も由来は親族らしいが)や平清盛が天皇家に取って変われなかった理由だよね、孫は天皇にできるけど、
網野史観って日本は農業国ではなく工業国だった 、農民は海運業や商業や
他の物も作っていた、秀吉の刀狩りでわかるように国内は刀で溢れていた 明治維新ですぐに富国強兵に成功したのはその基盤があったから >>899
天皇が男系だったから、藤原氏は摂関政治をしたし、男系だったから藤原氏の摂関政治が終わったんだね
女系天皇って天皇の父親が一般人ということ
今まで父親が一般人の天皇の例はない
男系って天皇家を途切れさせないための原理らしい
男系でなかったら有力者によって天皇家は途切れていたわけだ 道鏡が天皇になってたら天皇制は今とは全然違うものになってたろうな 居眠り磐音で刀を回し、平清盛では男の尻を回した山本耕史。 実は原作も読んでなければ、悪左府版NHKも見てないスンマセン。
番宣での松坂押し(これは当然だろう)を読む限り、「史上最も優しい剣豪」というアンビバレンツなイメージに照らして、
磐音のイメージを固めた山本頼長磐音に引けを取らない磐音が見られるのでは?
蛇足ながら、松坂氏はアイラブ望月イソコさん映画でも主演を務め6月公開とのこと。
彼を一生応援することに決めましたw藤本女史ドラマの常連になってやー へー、ソーカも辞職勧告しないのかw
平和云々のCMたれ流してんじゃねーよクソが 朝6時はともかく人がいる時間帯に再放送やったら
実況凄いことになるだろうな 清盛を贔屓してくれてるPHP歴史街道さんが、平治の乱についての論考を載せて話題のようだ。
「日本史上屈指の完璧な戦い」とはまさに正鵠を得る。
六波羅の後衛から睨みを利かせ(大河デフォの前線での大暴れを封印して)、状況を完璧にコントロールしつつ、
予め描いた戦略・戦術を一つ一つ双六の駒を進めるように(現にドラマはここでも双六がモノをいった)、
起こった変則事態にも余裕で対処し自己に有利な方向へと運んだ清盛。
この「完璧さ」を完璧に再現したのが平治の乱@清盛だ。
別に合戦がショボいとは思わなかったが(軍記物の誇張からは遠かっただけ)、合戦それ自体よりも、
平治の乱でとった清盛の行動の核心を抉る描写に力点を置いた卓越性を改めて強調したい。 後方指揮なんて、大河頻出なんだけどな。
いま再放送している葵徳川三代や太平記、信長など。 別に唯一とか言ってないが?
また持ち出してすまんが、仲代が前線で大立ち回りするようでは平治の乱
の真価は伝わらない。
状況を完璧にコントロールした清盛描写が卓越していたということ。 居眠り磐音、出だし好調のようで何より。近々見に行く。
話題作の初日はこんな感じで盛り上がるのが普通なのかもしれないけど。
ツイの好評の何割かは脚本に向けられても良さそうなのに、ほとんどがスルーなのも藤本女史らしい。
まあ今回はコケて戦犯指名されることはなさそw
しかしこの方、元々恋愛物が得意で、今回時代劇でその本領を発揮して足を運んだ皆さまの涙腺を刺激してるようね。
一方、清盛での恋愛は、男女の切ない心理の綾を描くというよりも、歴史劇の観点から必要な取捨選択がなされ、
全体における比重、内容が定められていた。
(もちろん男女の愛そして葛藤はあったが、大河デフォの「脱線恋バナ」はなし) ほとんど見ないのに律儀にお布施し続けてるNHKオンデマンド。
頼長版磐音が特選にあるのでこれから見ようと思う。
山本の磐音を刷新したーだのドヤする松坂ファンなんて一人もいないのに、
「わたしの磐音はコージさん、受け付けない」と反撃に出ている女たち、
せめて俺同様、まずはちゃんと見ましょうや。 >>901
>道鏡が天皇になってたら天皇制は今とは全然違うものになってたろうな
男系だから、道鏡は天皇になれなかったんだね
(称徳天皇(女性)の恋人の道鏡(一般人)は天皇になろうとする)
天皇は一人の例外もなく男系で、それは有力者に天皇家を途切れさせられないため
歴代の女性天皇は例外なく未亡人(夫は天皇)か独身
それは女性天皇の配偶者が有力者になり権力を握らせないため
→道鏡が皇位につこうとした時は全力で叩く皇室 >>914
道鏡が天皇になれなかった背景って
当時日本へ仏教の大波が押し寄せ政治介入が甚だしいことの反発があったんだ
平安京遷都は仏教排除のためっていうもんな 仏教排除というよりは力をつけた仏教勢力から距離を置くということだろ
そんな平安京も力をつけた比叡山に圧されることになるんだけど 来た!見た!波がコンコン!
家貞さん、相変わらず良い味出してるね。
やっぱどこか頼りない番頭の盛康さん、安定のチンピラ義平君を発見。
清盛風味はあまり感じさせないが、同じ江戸ものの「みをつくし」を大いに連想。
あと30分程度尺をとって、説明台詞部分を映像化できたらなお良かった(ムリらしい)。
しかし、松坂くんには惚れてしもうた。殺陣のみならず内面表現も傑出。
長政やすぐ見るのやめた朝ドラではあまり印象なかったけど、こちらは素晴らしい。
芳根京子ちゃんの可憐さにクラクラした。ただ最後の手紙読みはまだまだの逸材。
一番惚れたのが木村文乃さん。磐音を思う、だがこの段階では芳根命の磐音を懸想する
江戸乙女の心情を見事に捉えていた。演技もナチョラルでとってもお上手。
ということで、彼ら彼女たちが新たな(囲い込み的仲良し軍団という意味ではなく)
藤本組となられんことを!なお特典もゲトしたので、ちゃんと脚本読む。 >>916
なるほど サンクス!
大仏開眼をインド人がやって ローマの終着は奈良だったんだ >>916
せっかく平安京を作ったのに(寺院は建てたらダメ)
比叡山を作ったのは
早良親王の怨霊など親王らの怨霊を恐れた(自然災害)からなのか?
持統天皇(女性)は草壁皇子の子供を即位させるために高内皇子を暗殺してるし、皇位候補者やまっとうな人間は暗殺や流刑で潰していって でも怨霊は恐いってことなのか?
もう祈祷師に行政してもらえって感じなんだが
東大寺大仏開眼式典もベトナム人の僧もいてインド人導師が開眼して音楽を奏でて一万人の僧が招かれて >>922
明治天皇も大政奉還の時に
まっさきに←
崇徳天皇の怨霊を鎮める式をやるって
怨霊に左右されるって 凡人にはわかりずらい こういう狂言回し的な落語の活用法はいいね。
交錯しない2人の人生を並列させても群像劇とは言えないが。
もし藤本女史がこの回を書いたら、あちこち重ね合わせるこういう忙しない手法をとったかも。
清盛おばさんたちのほとんどがいだてんファン兼務であるのが、何となくわかった。
居眠り磐音は、この種のテクと自身の作家性ををほとんど封印して、原作に寄り添う姿勢が顕著。 でもさ世界的な名著と言われてるトルストイのアンナ・カレーニナだって主人公格のアンナとリョーヴィンが実際に会うの一回だけだよ。
それでもでも群像劇として成立してるんだよ。
「いだてん」の低視聴率で駄作呼ばわりされるの悔しい。
おばさんじゃなくておじさんだけど。 1回会ってるだろ、コレ決定的w
というか、物理的・時空間的に接点がなくても、意味上の接点があれば両者は立派に交錯する。
京の清盛と伊豆の頼朝が最たる例。
大河清盛はその上で、助命以後会うことのなかった2人を結びつけるべく、あれこれ手練手管を
総動員していた(既述)。 いや、レベルとしては日本橋で金栗四三と志ん生が交錯するのと同じくらいだと思う オーソドックスでありながら、最後まで見た者にはとんでもなく独創的な助命シーンに先だって、
本邦初であろう、清盛vs頼朝の初顔合わせとなった上西門院殿上始めの描写ー
ここで中川頼朝は「巨人清盛像」を(虚人であろうとなかろうと)しかと植えつけられたー
を持ってきたことの意義深さをシミジミと実感。
迷走する清盛に対する頼朝の不信、幻滅の原点は、実にこのシーンにあった(この不信を払拭して
再リスペクトするきっかけとなったのが、弁慶の記憶によって運ばれた鳥羽エア矢。
どこまでも時空間繋がりまくる「トンデモ大河」)。
時空間入り乱れるのが凄いとは思わぬが、やるなら清盛を目指せ!(もっとも、他方で清盛は「年表大河」なんです)。 >>929
それなりに応答すべきレスだと思ったらお前か。また損した。 いきなり盛国が「ヤメヨー」って馬鹿なの、それまでただのイエスマンだったのにー
とか偉そうにドヤしたババア。そうではないと具体的に指摘してもその後ダンマリ
(盛国の婉曲的な諫言は、第2話の漁網焼き捨てー白河による殺生禁断令ーを見事に援用したもの)。
で、何事もなかったように新たなケチつけ。情けなくないのババア? >>902
居眠り磐音はたぶん山本耕史より松坂桃李のほうが原作の雰囲気を反映しやすい役者だと思う
まだ見てないからたぶんとしか言えないが。それに原作は長い。今後、2、3と制作できるかな。 >>933
続編製作のため、映画館に何度も足を運んで差し上げなさい。 >>922
平安遷都されて以後、最澄の天台宗や空海の真言宗が重用されたのは、宗教改革の側面もあるよ。
桓武天皇は、奈良の都の頂点にいた天武天皇系から長くうとんじられていた天智天皇系のおかただ。
だから奈良の南都六宗とは基本的にそりが合わない。天武天皇系とのつながりが深かったから。
巨大化し政治に介入するようになった南都六宗の影響力をそぎ落とすために比叡山を開山させたら
前と同様か前より強烈な圧力団体ができあがってしまったのはまったくの歴史の皮肉。 >>934
そだね。病院から退院したばかりなんで近日中に見に行きます。いやあ生還できてよかったよ。 落語でなくて講談なら有り得る
最初は西行がナレーションという話もあったよね 江戸以降の落語や明治から流行った講談を、平安には持ち込むのはムリポ。
世界感がぶち壊される。
語りとして用いられたのではないが、清盛が今様を大活用したのは大正解。
落語講談しながら今様ってのはない。 >>938
平安末期のことを今の言葉や技術、価値観でテレビドラマという体裁で放送しているので、何をどうやろうが矛盾せず、工夫の範疇となる。
セリフなしの無音劇や、ノーナレ、活弁士に喋らせても構わない。
重衡を寿司屋にして、人形にするのももちろんあり。
また当時は新古今が胎動した時代。
今様に拘る必要など取り立ててなかった。 ナレに正解はないというのが拙者の持論。
NHKアナ、出演俳優、ナレ専門俳優声優、その他これしかないというのはない。
頼朝ナレは、「勝者による敗者へのオマージュ」に拘った藤本女史のポリシーによるもの。
中国の史書のように、歴史を総括するのは勝者が常だけれども、清盛の場合、
歴史の目撃者それゆえに歴史の総攬者に相応しい人物は頼朝に限られない。
王家は堀河、源氏は弁慶、そして平家サイドは西行だ。西行ナレも十分あり得た選択肢。 はあ?キーマン後白河と新古今なんぞ関係ないが。今様は大有りすぎるが。 >>941
後白河の今様は当時のメインストリームではない。 平安末期の時代相を表現する芸能として、上から下まで熱狂した当時の流行歌今様を
わざわざ避ける理由はどこにもない。 メインストリームであろうとなかろうと、後白河は「古典」よりもポップスが好きだったのだ。
上級国民だけが文化を独占していたのではない。そしてゴッシーはこの方面では庶民と積極的に交わった。
その素晴らしい描写があの幻想的な青墓。今様は、平安末期に生きた人々の心性を最も直截に体現
する芸能であった。今様じゃなくて落語に講談ってさ、平安に何を見たいのだ? ついでに思い出したのが相撲節会。
豊真将さんたちがあんな頑張って力相撲してくれてるというのに、
古典芸能より最新の文物が好きなゴッシーさん、すぐ飽きてしまい、
宋の茶器で釣ろうとする清盛の作戦にまんまとハマってしまったのでした→大宰第弐ゲト作戦。 青墓の描写はなんかおもろかった、
どうみてもヒップホップ?ブレイクダンス?の踊りをしてるストリートダンサーまがいの芸人とかw千と千尋の神隠しにでも出てきそうな式神みたいな面つけた童とか
全部想像で歴史的には正しくないのかもしれんがいろいろ想像力を掻き立てられるような幻想的な映像だったね >>944
千載集は後白河の意向が終始強く反映されて和歌集だ。 梁塵秘抄編纂に執念を燃やした後白河。
他方で、和歌が好きでも嫌いでも、治天として文化一般に関わるのは当然だろう。
しかし、後白河の個性を際立たせているのは、半端ない今様フリークであったことにある。
もちろん、本作は和歌にも目配せして、ストーリーに巧みに採り入れている
(名手崇徳、彼のサークルにいた西行。和歌下手の清盛→「和歌もどき」で歌会を異化、
新棟梁の所信表明の場へ転換→後の「逆転の清盛」に連なる状況打開能力を披露。
忠度をクローズアップした摂関家との「和歌合戦」)。 そのうち琵琶法師が語る平家物語がドラマ化されるかもしれない 昔やった人形劇のドラマ版みたいなのを見たい。
大河枠ではなく。歴史物というより文芸物でね。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。