【2018年大河ドラマ】 西郷どん part113
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>>133
そんなことはない
西南戦争時、桐野が総司令兼四番大隊指揮長、篠原が副司令格の一番大隊指揮長、
村田は二番大隊指揮長でナンバー3だった
やはり西南戦争時の序列を考慮して建てたのでは >>112
半年かかった戦争をあっという間っていうのは日本語としておかしいな
>>121
あの3人はもう少し序盤から見せ場作ってほしかったね
一応川路、桐野あたりが禁門の変で
少しだけわちゃわちゃやってたけどw >>129
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% >>124
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% ワースト糞大河
糞盛
糞燃ゆ
糞どん ← IN!
直虎 → OUT! >>138
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% >>138
60爺の特徴w
・年齢59才
・インバウンドの意味を知らない
・まともに計算が出来ない
・無職ニート
・毎日祝日
・wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwで誤魔化す ラストサムライは意味がよくわからず見てました
でもおかげさまでもう一度見たくなりました 鹿児島県警の警部で西郷軍に加わった野村忍介の記事が面白い
城山の戦いでも生き延びて投降。
懲役10年の判決が出たが4年後に釈放され、鹿児島で新聞社を設立したという。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%BF%8D%E4%BB%8B ●史実にもとづく西郷隆盛まとめ
・政府からの給金が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円の超高給公務員。ブタの霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
・千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
・実際に会った人たちの証言「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
・低姿勢で西郷に協力を要請してきた島津久光を「ジゴロウ(田舎モン)」と罵倒
・自分は政府から年間2億4千万も貰っていながら、井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒
・自分は薩摩人を政府に大量コネ採用させていながら、大隈重信を「俗吏」と罵倒
・大隈重信「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、太政官に出頭してもただ板垣退助と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていった」
・大山巌 「西郷さんは人望を集めようといつも必死でした」
・福沢諭吉「恐ろしいほど教養が無い」
・木戸孝允 「たいがいにせい」
・藩命とはいえ、親友月照を海に突き落として殺害(月照が海に立小便してるところを後ろからタックル)
・子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる。奄美の老人「西郷さんの記念碑が奄美に建てられたときアイカナさんは碑を踏みつけ唾を吐きかけとった」
・江戸の町でレイプ、強盗、放火と卑劣の限りをつくして幕府を挑発。しかも自分では手を下さず雇った浪士にやらす
・西郷自身が江戸総攻撃を主張していながら、計画が頓挫すると西郷が総攻撃を止めさせ江戸百万人を救ったことに、いつのまにかなっていた
・盟友だった大久保利通と袂を分かち鹿児島に帰郷すると、会う人会う人に大久保の悪口を吹聴しまくる
・鹿児島で西郷が外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせていた
・西南戦争では前線で毎日若者が戦死しているさなか自分は後方の安全地帯で趣味のウサギ狩り(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・軍議の最中に一人だけ専用室で昼寝(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起したが玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願
・しかも助命の使者を満面の笑みで送り出した
・助命を断られると玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 部下の桐野利秋に見つかり射殺された 村田新八は独身のような描かれ方をしてたが、息子の岩熊も戦死してるんだよな
『翔ぶが如く』でも息子は出てこなかったし、ドラマ的にはすっきりするかも知れんが 「雨はフルフル・・・」
の美男子は新八の息子のことだっけ? 知らんけどあの歌は政府軍側を歌ったものじゃなかった? ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
村田新八 (1836年?1877年 西南戦争 城山で死す)
長身、目力、洋行、と西郷隆盛と大久保利通を足して割ったような男が村田新八です。
期待されていた逸材だったそうです。
西郷軍団の特徴として、西郷や桐野利秋のような海外経験の無い者たちが世界情勢を語り
政府は外国に弱腰だのと批判するという、そういう滑稽さがあるんですが
そんな中にあって村田はほとんど唯一の海外経験者でした。
村田が西郷軍団に身を投じたその真意は分かっていません。
兄事していた西郷隆盛への義理を重んじたとも。
西南戦争の大評定では村田は発言をせず黙然としていたそうです。
戦場では海外仕込みのシルクハットにフロックコート姿で戦い、
アコーディオンを手離さなかったと云われています。
笑ってはいけません。そこに村田の悲痛な叫びを感じるのは筆者だけではないでしょう。 西郷さん。明治の政治家で今もなお“さん”づけで呼ばれている人は貴方一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の念で見られたかもしれないが、後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることはありません。
あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人と見ています。
恥ずかしいことですが、実は最近まで、あなたがなぜそんなに偉いのか、よくわからなかったのです。
……私にはあなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。
それは私が、人間という観念ばかりにとらわれて、日本人という具体的問題に取り組んでいなかったためだと思われます。
私はあなたの心に、茫漠たる反理性的なものばかりを想像して、それが偉人の条件だと考える日本人一般の世評に、俗臭をかぎつけていたのです。
しかし、あなたの心の美しさが、夜明けの光のように、私の中ではっきりしてくる時が来ました。時代というよりも、年齢のせいかもしれません。とはいえ、それは、日本人の中にひそむもっとも危険な要素と結びついた美しさです。
この美しさをみとめる時、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでしょう。
あなたは涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の脆さを知っていました。
それから、責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。知っていて、行ないました。 ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
桐野利秋 (薩摩藩出身 1838〜1877年 西南戦争 城山で死亡)
ヤクザ組織でいえば若頭(擬似的長男)に相当するポジションの人物であり、
西郷を別格とすれば軍団ナンバー1の実力者がこの桐野であった。
青年期の旧名が“中村半次郎”で、京都薩摩藩邸に招かれていた兵学者赤松小三郎を
幕府のスパイと見抜き、斬ったことから“人斬り半次郎”の異名を持つ。
しかし桐野の友人の有馬藤太はこの事件の真相を「赤松はスパイではない。
薩摩藩の内情を知り過ぎてしまったというだけで、薩摩藩にとっての恩師を
犬のように斬り殺したんだ 」と後に暴露している。
親分の西郷隆盛が栄達すると子分筆頭の桐野も芋づる式に出世し、
ついには陸軍少将にまで昇り詰めるが、明治六年の政変で西郷が下野すると
桐野も陸軍を辞し、西郷を追いかけ鹿児島へ帰郷する。
西南戦争では西郷隆盛を推戴し、国内の内戦としては死者1万3千という日本史上でも稀にみる損害を出すことになるこの戦を主導した。
その大評議の場では、挙兵は無謀ではないかとの慎重論も多く出たのだが、
桐野の次の言葉で全軍挙兵が評決断行されたという。
「断の一字あるのみ、総出兵の外に採るべき道なし」という何の軍略的根拠も無い"精神論"であった・・・ 大久保の子孫は総理大臣
西郷の子孫は陶芸家
やっぱり知能も遺伝するんだなw 半次郎が最期まで西郷に付き従って戦死したのにはグッと来た。
陸軍少将の地位を投げ打って下野するとか現代人にはおるまい。
義を重んじる正にサムライの姿であった。
あと城山での最終決戦前夜に薩軍が和気藹々としてたのは事実なんじゃないかと思う。
もう吹っ切れていただろうし、敬愛する西郷と共に死ねるという高揚感すらあったように思う。
もちろん本当は西郷と共に勝利の美酒を呑みたかったんだろうけど… >>153
捕縛した近藤勇に対しても比較的礼を以て対応して
坂本龍馬の復讐に燃える土佐閥に押し切られた人か? ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
篠原国幹 (1837〜1877年 西南戦争で死亡)
戊辰戦争を歴戦し、新政府御親兵では桐野利秋と同格の少将であった。
近衛長官のとき、軍事演習を御覧になった明治天皇がその指揮ぶりに感心し、
「篠原に見習うように」と、その演習地を「習志野(ならしの)」と名付けたという説もあるが
じつのところ裏付ける史料は無い・・・
桐野利秋の知名度と比べると地味であり、実際に無口な男であったといわれる。
筆者の友人に習志野在住の者がいて、篠原のことを尋ねてみたことがあるが、知らないと言われた。 >>155
最高の死にばぁしょじゃーっ!
もう、なんと言うかドラマとしてあのノリ好きwとしか
つまり最終回でこれやりたかったんだなぁと
ひたすら悲壮で、死に際にやり残した事を思う新政府と
完全燃焼した西郷軍、勝ったのはどっちなんだと
まあ、それで終われる方は楽だとか
実際、西郷軍の足元での戦禍は、
今までの西郷のキャラでここまでやるなら描いて欲しかったけど
最後の戦いがやたら走って走ってだったのも
妙円寺詣りから繋がる青春の終わりと言う事なのかとか
「田原坂」だと、私学校自体が郷中教育の発展だとはっきり言ってたからな 田舎のヤンキーっていうか、なんか叫んでりゃ男らしいとか、ツバとばして目んたまひんむいてれば
野性味あふれるとか、発想が稚拙なんだよな
見かけ上のワイルドさなんて大河好きはどうでもいいんで、内容のワイルドさを求めているんだけど、
たぶんその意味わかんないだろうなぁ 何が面白いって
薩摩士族と戦っている間に鎮台兵がドンドン強くなってる所 基本的に差別とかきらいだけど、こういうドラマつくるうえではある程度の学力とか知能とか歴史の素養とかが要求されるのはどうしようもないね。
田舎のヤンキーみたいのか大和魂だとおもっているようじゃねぇ >>155
半次郎が付き添ったというか
西郷が半次郎に付き合ったんだろう >>154
菊次郎は京都市長やったし孫の吉之助は法務大臣やってるから西郷家もなかなかだよ >>163
西郷さんところは嫡流がすごかったからな
金遣いがw 史実の「ここらでよか」 → 戦を終わらせて他者を助けるために死ぬ
大河の「ここらでよか」 → 自分は満足した
意味合いが全然違うんだよ
まさに「こげん人じゃなか」だよ >>161
物語の登場人物が作者以上の知能を獲得する事は無いからな…
閉じた世界の話ならまだしも、
歴史上の偉人天才秀才達を表現するのは想像以上に難易度高いんだろう >>165
西郷は玉砕の前に政府軍に助命嘆願してるよ
それが史実
さらに山県有朋から心のこもった手紙が来て
「この戦は西郷さんの本意ではなかったことを私は分かっています
しかしこれ以上の死者を出さないためにも西郷さんが切腹してください
西郷さん一人が切腹してくださればすべては終わるのです」
と言われたのに西郷は無視して、結局政府軍に総攻撃されて全員死亡した
史実として、西郷は自分が死ぬことで若者たちの命を救う機会を与えられたのに、無視した
これは仮設や推論ではなく、確定史実です 脚本「こげん人じゃなか(脳内)」
役者「こげん人じゃなか(台本)」
視聴者「こげん人じゃなか(感想)」 >>155
>あと城山での最終決戦前夜に薩軍が和気藹々としてたのは事実なんじゃないかと思う。
薩摩軍幹部兵士だった綾部直景という人の回想録「血風薩摩士魂」という史料では、
薩摩軍の戦意は最後まで衰えることなく、しかも、確かに「なぜか陽気だった」んだとか
そういう気風なのか、やせ我慢だったのか
「真田幸村」の評伝を書いた小林計一郎という人は、太平洋戦争中南洋の島で守備兵として
日本軍の要塞に立てこもった経験があるそうだけど、周囲に味方がたくさんいたせいか、
アメリカ軍に包囲されてる状況なのに、なぜかみんな陽気だったんだとか
「大坂の陣の豊臣軍も似たような心情だったんじゃなかろうか」みたいに著作に書かれてるけど、
ひょっとして、薩摩軍もそういう一種「ハイ」な精神状態だったんだろうかね >>167
司馬さんが何故西郷に積極的な関心を示さなかったのか不思議でもあり謎でもあったけど、
司馬さんほどの人がその史実を見落とすわけがないからね。学徒動員で戦車兵として死んでいてもおかしくない
経験をした司馬さんにとって、上の者の愚鈍さによって、将来性ある若者たちの命が左右されるということに我慢ならなかったのだろうかね。 >>169
人間は緊張する場面ほど防衛本能働いて笑ってリラックスするのかな
関東大震災直後の写真で歩いてる住人が笑ってるの見た事あるし
神風特攻隊の離陸前の写真も笑ってるのを何枚も見た >>169
あげあしを取るようで何なんですが、城山で最後まで戦った戦闘員は全員死亡しています
したがってその綾部直景という人は最後まで戦っていませんし、薩軍の最後の様子を見ていないことになります
鹿児島人たるもの最後はこうあって欲しいという願望でそのようなことを言ったのでしょうか >>169
それが郷中教育の強みであり、同じ郷土出身者の団結や絆が強さになった。
新政府軍は徴兵制を採用したけど、敗戦により廃止されるまで郷土部隊という伝統を貫いた。
特に陸戦においては兵士の団結力が強く問われる。
逃げようと思えばいくらでも逃げられるからね。
あと将兵が最後まで戦い抜いた敗軍の将としては、石田三成や明智光秀が挙げられる。
どちらも後世において評判の良い人物ではないが、仲間が次々と討ち取られる敗戦にあってもその指揮の下
最後の時まで将兵は粘り強く戦い抜いた。
それは三成や光秀に正義があったらではなく、ひとえに人徳があったからだと思う。
この男の信じるものを我も信じたいと思う将兵が大多数であったからだろう。
余談だが、家康が松平姓から徳川姓に改姓したのは徳の重要性を知ってたからだしね。 >>171
特攻隊員は残される人を悲しませないために笑って出撃したという話があるね。 大阪府知事と大阪市長の辞職。大阪都構想や道州制構想は、米社
の思惑として、日本を東西に分断させて利害対立させたり、州軍
を保持させたりすることで、内戦を誘発する軍産複合体の戦略で
あり、維新の会を解散させた方が良い。2018年12月24日
毎日新聞朝刊1面。 @mainichijpnews
大阪府知事と大阪市長の辞職。大阪都構想や道州制構想は、米社
の思惑として、日本を東西に分断させて利害対立させたり、州軍
を保持させたりすることで、内戦を誘発する軍産複合体の戦略で
あり、維新の会を解散させた方が良い。2018年12月24日
毎日新聞朝刊1面。 @t_ishin #維新の会
共感の怪物。西南戦争は、戊辰戦争で長州以東を制圧して、傭兵
や移民を支配層として送り込んだので、長州以西を制圧するため
に各地で士族の反乱を引き起こさせた。大日本帝国を英米企業の
の傀儡軍事政権とするためである。2018年12月24日毎日
新聞朝刊2面。 @mainichijpnews #風知草
西郷人気を宣伝した資金を、誰が支出したかだが、大日本帝国を
傀儡軍事政権として朝鮮や中国への代理侵略戦争をさせるために、
木戸孝允や大久保利通が邪魔だったのだろう。長州の朝鮮系移民
を英米企業が傀儡として利用した。2018年12月24日毎日
新聞朝刊2面。 @mainichijpnews #風知草
「西郷隆盛が征韓論で下野した」と英社が宣伝し、失業した士族
を朝鮮半島への代理侵略戦争に動員しようとしたことが、宣伝の
目的であったと考えられる。西郷隆盛を神格化することで、朝鮮
半島への侵略を「明白な運命」にしようとした。
@mainichijpnews #風知草 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>167
それは違う
そもそも若者たちに決起に自分の命を授けたんだし、その死にたがってる若者たちが生き延びようなんてまずあり得ないな >>170
司馬さんは翔ぶが如くの前半では西郷や桐野を陽気な南国男児として描いているけど
後半では無能で不気味な全体主義軍団として描いてますよね
はっきり昭和陸軍の隠喩として描いていた
兵站を無視した前線拡大
人命軽視の突撃主義
さらには、今戦争をやめたらこれまで注ぎ込んだ人命が無駄になるという、自分の失敗を認めたくない無能者特有のしがみつき
西南戦争と太平洋戦争はそっくりだ
命を落とした若者たちは戦争で死んだのではない
無能だった桐野や西郷に殺されたも同然 >>180
司馬が批判的だったのは、実質リーダーだった桐野や篠原たちだろう
西南戦争での西郷は、ある意味天皇的な存在だな
司馬は対談やエッセイでもよく、西南戦争での西郷はわからないと言っていた >>172
いや、城山の戦いでも薩摩軍は全滅してないみたいだよ
城山の戦いに参加した薩摩軍は三百数十人で、戦後に回収された遺体が二百人くらいだったらしいと、
手元の解説本にある
野村忍介ら幹部数人は、裁判で薩摩軍の正当性を主張するためにあえて降伏してるらしいし
綾部直景が、城山の戦いに参加したかまでは知らないけど、仮に参加しなくても生き残りに
取材することも出来たのではなかろうか >>181
西郷ってやっぱり木戸が言ってたように大局を見れなかった人物なんだね
その場の感情で動くような所がよくある
自殺未遂も2回したかと思えば幕府倒す為なら猪突猛進の如く突き進み
政府に入って合わないと思ったら放り出して鹿児島に帰る
でも困ってる人を見捨てられない性格だから人に頼られる、惹きつける魅力あるんだろうね 西郷の事知れば知るほどバカに見えてくる
器の大きい人物というのは皆のイメージ通りで間違いないと思うが
情に厚く目的のためには突き進むけどブレーキ効かない融通の効かなさ
行き当たりバッタリに近い人生だな >>189
ごめんなさい
>>187の自分に言ってると勘違いした
>>189には同意です >>192
おまえ完全に宗教
池田大作とか大川隆法と同じなんだなお前らにとって西郷隆盛は >>192
>つまらない人間が西郷を語るほどつまらない話しはない
ワロタ >>170
桐野は郷士って時点で極々初歩的なミスを犯してるわなあ
翔ぶが如くは元々村田を主役に据える構想だったが、現存資料に乏しいために断念せざるを得なかったこと、だがそれでも村田の描写には固執していたようだが、結果的に非常に痩せた内容に終始したことを自身悔いていた。
単純ミスは犯すものだ >>192
これは研究者あたりのことを言ってるわけであって、多少かじったような人のことを言ってるわけでは恐らくない
西郷=偉人のイメージは一般的に浸透してるから、少しかじってみるとアホに見えるのは不思議でもない
家近の分厚い最新研究書等を読み込むと、用意周到で理詰めで動く人であることがわかる一方で、家近自身もかなりディスって書いてる面もわりとある
西郷はもちろんアホではないし、聖人君子とか博愛主義者でもないのはわかる >>189
何で?
西郷がバカというのは頭が切れる切れないの事言ってない
その場の感情で動いてるフシがある所がバカと言ってる
2度の自殺未遂の理由見ても激情型なんだよ西郷は
最後の戦争も志士と共に自殺みたいなもん ネットでよくある偉いか偉くないか、バカか利口か、善玉か悪玉か
みたいな歴史上の人物の個人の資質だけに終始した議論って
西郷どんのPや脚本家の主人公の私情や性格だけで描く手法と
本質的に変わらんしどっちもつまらん >>198
つまりID:dKdvmjf3みたいなのが馬鹿ってことか いい歳こいた糞ババアの脚本家が史実を無視して自己満オナニー大河にして鈴木亮平の努力を台無しにした1年だったね どうせなら大久保を現代人風な感覚の持ち主に、西郷を時代遅れの侍魂の持ち主に、って部分をもっと出せば良かったのに 従道の最後のうなぎのシーン。
泣いたと言ってる感想をよく見るけど、気持ち悪く思えたのは自分だけかな?
兄に政府に残れと言われて、嫁に国賊になるなと懇願され、故郷の家族に厳しくされ、嫁にイイコイイコされ泣いて終わるってなんかな。
従道だけ浮いてる。 >>195
『翔ぶが如く』は当初新八を主役に書くはずだったのか。
武田鉄矢さんが自身のラジオで『翔ぶが如く』を話題にしていた時に
新八のことが好きだと言っていたけど、この様ないきさつがあったんだな。 今更だけど、最終回に一番活躍した半次郎、川路、新八が主演を張っていたら、と思った。
維新三傑筆頭の西郷隆盛が主役だから、世間の関心も高まるし、ドラマに対する要望も高くなる。
しかし、上の三人は西郷程の知名度はないから、視聴率にも一喜一憂することはない。内容に関しても
西郷ほど期待されることもない。
そもそも原作者も脚本も女性なのだから、本音では西郷よりもイケメンを主人公にしたかったはず
だぞ(笑)
ちなみに林氏と中園氏は新八推し(笑) 最終話はBGMの選択が変だった
戦いの場面でゆったりした曲を流したり 昨夜の犬神家ではしっかり生首が出てた。
本作の西郷さんの最期も同じでよかったかなと思う 「西郷どん」全話平均総合視聴率は18・0% 前作「直虎」上回る
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181225-00000085-spnannex-ent
NHKは25日、16日に放送を終了した大河ドラマ「西郷どん」(日曜後8・00)の全47話の総合視聴率が平均18・0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったと発表した。
総合視聴率は、リアルタイム視聴率とタイムシフト視聴率の合計(重複は差し引く)となる。タイムシフト視聴率とは録画機器などで放送後7日以内に視聴された数字。
全47話のリアルタイム視聴率は平均12・7%で、タイムシフト視聴率が平均5・8%だった。
昨年放送された「おんな城主 直虎」は全50回で放送され、リアルタイム視聴率が平均12・8%、タイムシフトが平均5・0%、総合視聴率が平均17・3%だった。 <西郷どん>期間平均総合視聴率18.0% タイムシフトは5.8% 「直虎」上回る
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181225-00000005-mantan-ent
俳優の鈴木亮平さんが主演を務め、16日に最終回を迎えたNHKの大河ドラマ「西郷(せご)どん」の期間平均総合視聴率(全47回)が18.0%(ビデオリサーチ調べ、関東地区・以下同)だったことが25日、分かった。
期間平均のリアルタイム視聴率は12.7%、タイムシフト視聴率は5.8%を記録。2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の期間平均総合視聴率17.3%(リアルタイム視聴率12.8%、タイムシフト視聴率5.0%)を上回った。
タイムシフト視聴率は、録画しておいた番組を7日内(168時間内)に見たタイムシフト視聴の指標、総合視聴率はリアルタイム視聴とタイムシフト視聴のいずれかでの視聴を示す指標のこと。重複視聴分は除かれる。 三大ワースト糞大河
糞盛
糞燃ゆ
糞虎 ← IN!
西郷どん → OUT! >>205
歴史がわからないって言ってる女脚本家に大河ドラマは無理
平清盛花燃ゆ直虎も女脚本家 >>221
もし本当に歴史わからないにもかかわらず
1年以上本書き続けてたなら
とんでもない精神力としかいいようないなw
好きでもないし理解もできていない仕事を
そこまで継続なんかできないわ
個人的にはわからないなりにも
西郷隆盛とその周辺人物をに
慈愛の精神を持ちながら仕事に臨んでいたことを祈る
それこそが敬天愛人の精神 >>221
清盛の脚本家は台本の重要シーンを演出にズッタズタに切り刻まれたからな
のちに傑作時代劇 ちかえもん を作ったし
国父様が嫁を見つけたドラマ >>221
その脚本家は二度と大河を書くことはないから安心しろ >>220
ネームバリューからして勝たないと不味いでしょw
・・・つーか、直虎が善戦したと評価すべきなのか
直虎 リアルタイム視聴率が平均12・8%、タイムシフトが平均5・0%、総合視聴率が平均17・3%
西郷 リアルタイム視聴率は平均12・7%、タイムシフトが平均5・8%、総合視聴率が平均18・0% 瑛太はキャスティングミスだったなと思うわ
強面で冷厳な大久保を出そうとして、乱暴な言葉遣いや威厳ある言葉遣いを使ってはいたが、
顔がやさ男なので、チグハグな感じがあった
西南戦争で西郷戦死の一報を聞いて、苦悶するシーンの演技は良かったけど
瑛太は前と同じ小松帯刀役にして、大久保役は山田孝之が良かったんじゃないかな 瑛太大久保は気に入ってたけどなあ。
もちろん山田大久保でも良かっただろうけど。 小人の山田が大久保とかwwww
おまえら鹿児島県人は出身者なら何でもいいのかよ?
山田はいい役者だが鹿児島県人の土着ぶりにはウンザリしてるみたいで薩摩藩士役の出演依頼は全部断ってるってよ >>160
素人の新兵でも実戦を重ねて士官に適切に統率されれば、ふつうは戦に強くなります。
(強くなければ戦場で生き残れないからだ)
でも抜刀隊のような徴兵軍の理念と相いれない組織も西南戦争中には結成されてしまった。
後年のバンザイ突撃みたいな、帝国陸軍の非合理的狂信性の起源は西南戦争だ。 西郷どんとか大久保とかな長身なのかと
ガテンがいかなかったが、
薩摩では肉食の週間があったからという話をきいて
納得した >>170
司馬は、無様な戦争指導をした帝国陸海軍への怒りはあっても、鹿児島県民への軽侮はなかった。
(街道をゆく3「陸奥のみち肥薩のみちほか」司馬遼太郎、朝日文庫、1978 P181 より抜粋)
…もっとも私には、もう一枚これとは別な薩摩人についての経験がある。私にとって先生とか教官
とか隊長とかいったような人たちに、奇妙なほど鹿児島出身の人達が多かった。私にモンゴル語
を教えてくださった先生もそうだし、軍隊に入って初年兵という惨憺たる境遇の中で初年兵教官と
してわれわれを教えてくれた人もそうであった。また見習士官で赴任したときの最初の中隊長も
そうで、この人は目を見はるほどに薩摩隼人らしい人だった。やや長じて、べつにそれまで文学
青年でもなんでもなかった私ににわかに小説を書く勇気をあたえてくださった人──海音寺潮五郎
氏だが──もそうである。私にとっていつも自分の履歴のまがり角に薩摩人が立っているという
ぐあいであった。これらのひとびとはひとに対するときはかならず微笑をするという共通の表情を
もっている。それも唇を閉じたままくちの両はしにすこし微笑を溜めるという独特のもので、他の
地方のひとにはこういう微笑法はない。
むかしの薩摩では、
「三年に片頬(かたふ)」
といわれた。武士はげらげら笑ってはいけない。三年に一度ぐらい、それも片頬だけで笑え、と
いうものだが、歯をみせて笑わないにせよ、薩摩人はひとに接するときにはたえず微笑をしていた
ように見える。西郷という人もそうであったらしい。元来、薩摩の士族言葉というのはじつに優美な
もので、音韻的にも母音が多くてやわらかであり、抑揚も音楽的で、ひとに対する優しさのみを表現
しようとして出来あがったものではないかとさえ思えるほどのものである。歴史的薩摩人というのは
敵人に対して異常にやさしかったということはすでに触れたが、全体に心優しさというものが薩摩
の気風の特徴であったかとおもえる。私のまがり角にいた薩摩びとたちも心優しさという点では例外
なしに共通しており、とくにひとの性癖上のきずや失敗についてはじつに寛容なのである。それらの
ひとびとはいま五十五歳から七十余歳になられているが、薩摩隼人の伝統というのはその時期まで
のものであったのだろうか。… >>182
野村忍介や、あと永山弥一郎や池上四郎みたいな、私学校幹部とは距離を置いてた人物が
大河ドラマ西郷どんでは登場したかな?出番の無かったモブ扱いの人を論じても仕方ない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています