【2018年大河ドラマ】 西郷どん part113
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>>229
バンザイ突撃は戦争映画の演出で実際は万歳なんて叫んでなかったという話だよ。
そりゃ声上げて突撃する方が肉体的パフォーマンスも上がるからある程度声は出しただろうけど。 「大きく打てば大きく響き、小さく打てば小さく響く」
これって西郷に対する一種の皮肉だぞ
カリスマ性以外にこれといった能力があるわけではなく、人に担がれたり利用されたりすることでしか輝けない神輿
大きく打った人 → 大久保、斉彬
小さく打った人 → 桐野ら鹿児島士族 >>239
西郷を論じることでその人の本性が暴かれるのだとしたら、あなたの本性は美辞麗句をふりかざし思考停止した精神論を押し付ける老害といったところかな 西郷は好みや思想がはっきりしてるのでむしろ担がれにくいんだよね
道理道義の人と言える
道理や道義に合うなら廃藩置県や徴兵制もやるし
合わないならやらない
割とはっきりしてる人 >>222
でも一人で書いてるんじゃないんだろ?
チームでやってるの前に見たぞ
歴史考証の先生も含めて
でなきゃ自信持って書けないし 比較して思う所を書くと、
徳川慶喜は武家の棟梁としてあり得ない逃げ方をした
武士としては呆れ果てる逃げ方の上で恭順する態度を徹底した事で
「徳川将軍家」として継戦する事の「正統性」の目を完全に否定して
朝廷官軍とそれに逆らう者、を明確に差別化して後者への正統性を与えなかった
松平容保は、家臣の命懸けの働きを否定する事が出来なかった
松平容保が非を認め腹を切った場合、会津松平家としての忠義忠誠を決定的に否定する事になる
終わって見れば所詮は政争、そこに勝ち負けがあるとしても、
武士にとっては人格、尊厳に関わる一線がある
薩長政府が松平容保の首を取る、それを許してしまえばその一線が完全に崩壊する
いわゆる会津藩は形式上は会津松平家家中。その家長、父に当たる松平容保の首を差し出して命永らえた場合、
「忠臣蔵」の価値観で生きている当時の社会では家臣一同社会的に死ぬ
西郷隆盛は、「武士の世」と共に終わった
現代ではネガティブなイメージの徴兵制を、ドラマの西郷どんは皆が武士となり国を守ると誇らしげに語っていた
西南戦争、実の所その足元で起きていた民衆レベルへの残酷な弊害、
そういう残酷さを含めた支配者であり、そして庇護者であった野蛮で温かな「兄貴」としての武士の存在
武士の礼を以て切腹を勧めた山縣有朋に対し、
或いは民を巻き込み、支配しながら民を守って来た「戦さ人」として
最後の武士の戦さを前のめりにやり遂げる事で、
軍事も含めて民が武士と言う「兄貴」から自立する時代を象徴させた >>245
何言ってんの。
確かに俺は、信西ー頼長の関係性の推移を緻密に追った女史の高性能頭脳を讃えた。
しかし、そのカットによってショックを受けて拒食症になった?とかいう
真偽不明のタレコミについては、仮にそれが本当でも本件については
Pと演出家の方が正しいと意見した(上記関係性の推移からは明らかに過剰。
蜜月時代の同志的結合は、10秒ばかりの「論語ハーモニー」によってズバリ表現しえた)。
はさておき、ヒットメーカーだという西郷どんの女脚本家は、少なくとも
息の長い歴史劇には向いてなかったと総括せざるを得ない。
しかし、それはその人が「女」だからではない。 >>239
西郷人気は昭和初期がピークで、
戦後の高度成長期には坂本龍馬だの高杉晋作に取って代わられてるから
結局は皇国史観で政府が正当性を独占してることに対して
右異議申し立てができなかったときに代用品として利用されただけだよ
だから歴史家でも年代ごとに西郷に対する評価に巨大な断絶がある
戦前生まれの重鎮層は西郷、坂本龍馬、勝海舟あたりの定番に対する評価が凄いし、
下の世代になると比較的ドライ >>233
それ勝海舟の氷川清話ソースでしょ
氷川清話は老人になった勝の西郷びいきが炸裂してる回想録だから
半分くらい眉に唾付けて聞いとくべき
読めば分かるけど、何かと言えば西郷ガー西郷ガーでうんざりする
老人勝海舟にとっては自慢の種が西郷との交流だったのかもしれないけどさ >>252
西郷は戦前、戦後を通じて一貫して人気あるよ
皇国史観に利用されたのは楠木正成なんかで、西郷の場合は国権と民権、右翼と左翼、体制と反体制を問わずに支持されてきた稀有な存在
戦後になってからは、龍馬や新選組とか今までクローズアップされなかったスターが続々現れたことで、西郷一色でなくなったというだけ
むしろ平成も最後になろうとしてるのに、大久保の株が一向に上がらないのが特徴だな >>253
幕末明治にかけて、西郷を語らない方が不自然だろう
福澤諭吉や徳富蘇峰、中江兆民や新渡戸稲造といった毛色の違う面々も、みな代表的な人物として常に西郷を第一にもってきている >>255
完全にカルト
具体的に何が凄いかを説明せずに、誰々が凄いと言った、誰々も高く評価したなどと広告塔みたいに著名人の名前を利用する
神格化の基本
どうせ鹿児島県人なんだろ >>257
具体的とか、 説明とか 人物を評する場合には 意味ないんだよ
程度が低い >>247
西郷どんの原作は角川の編集者とチームで書いたと本人が言っていた
脚本は書いたら時代考証の先生にチェックしてもらって戻ってきたら
書き直して再提出してまたチェックしてもらうじゃなかっけ?忘れた
最終的にはPなんだろうけど
役者がアドリブしたらそれが伏線として繋がるように
臨機応変に書き直したりしてるとおもったけどどうなんだろう >>257
だったらお前が具体的に功績と共に人物をあげてみろ >>224
もう書かせちゃ駄目
できれば女の顔認証大河ドラマは無理に作らないでほしい >>262
女の大河ドラマは作らないでほしいだった
訂正 >>249
逃げるが勝ちというのはある意味、正しいのかもしれんな
慶喜が汚名を引き受ける覚悟があったかどうかはわからないが、あれで担がれることはなくなった
ああいう状況では、自らの意思じゃどうにもならんからな
大久保以上に冷徹で、センチメンタルな気持ちがまったくない江藤ですら担がれてしまった
西郷がああいう結果になったのは必然だろう ■西南戦争のガチ史実■
若手「西郷先生の命だけでも助けてもらいましょう。先生に我らの大義を法廷で明らかにしてもらいましょうよ」
桐野利秋「命乞いなどできるか!全員玉砕じゃ!よかですな吉之助さぁ」
糞どん「・・・・」
全員「(えっ?!)」
結局西郷助命嘆願の使者を政府軍に送る
政府軍「何人死んだと思ってるんだ?両軍で1万5千人じゃぞ。賊の大将の助命などできるわけなかろう
まずは西郷本人が潔く出頭してこい。西郷が出頭してくれば総攻撃は取りやめる」
山県有朋「わしが手紙を書こう」『西郷さんなりの大義があっての挙兵だったことは私は分かっています。
ですがもう手遅れです。すぐに切腹してください。あなた一人が切腹すればこれ以上両軍の死者を増やさずにすみます。
ていうかもっと早くあなたが切腹してればこれほどの死傷者はでませんでした』
若手「どうしますか西郷先生!出頭しますか?切腹しますか?」
糞どん「・・・・」
若手「(え?!)」
結局西郷軍はそのまま籠城になり政府軍から最後の総攻撃を受ける→全員死亡
一説によると西郷は玉砕直前にほら穴を抜け出し政府軍に投降を試みたという
桐野利秋に見つかって射殺されたとも ずいぶん、釣れてしまったな。
ちょっと想定外のヒマな時間が出来てしまったので、つらつらとレスします。
>>243
> これって西郷に対する一種の皮肉だぞ
もちろん皮肉ですよ。そのつもりでわざと引用した。自虐が過ぎて伝わらなかったかもしれない。
> カリスマ性以外にこれといった能力があるわけではなく、
「将に将たる器」とは、こういうことなのだと思います。西郷どんではうまく描写できてなかったが。
> 人に担がれたり利用されたりすることでしか輝けない神輿
その神輿の担ぎ手が当時一体何人いたと思いますか?西郷とは、桁ちがいのスーパー神輿です。
さらには、死に場所を探していたような一人の男のために、6千人が自発的に殉死してしまった。
こんな芸当は自分には絶対できない。
しかし、そんな男が、近代日本の建国の父(founding fathers)の筆頭格として論じられている。
良かれ悪しかれ、現代日本の既存の制度の大きな枠組みを決めてしまった人は西郷(と大久保)だ。
別の枠組みもありえたかもしれない。が、現実にはそうなってない。
築150年の使い勝手が悪くなりはじめてきた老朽家屋を改築するにしても、準備作業の一つとして、
最初にこの家を建てた人は何を考えてたか研究し理解しなければ、建て替えは絶対に成功しないと
自分は思う。もちろんこれは西郷を賞賛したりおもねることが目的ではない。あしからず。
そういうわけで、西郷どん明治編の留守政府のシーンがとても簡略化されてたのは、非常に不満です。 >>244
西郷は現代でも評価の分かれる人物で、嫌いな人はとことん嫌う傾向があるけれど、
どの辺の記述が「思考停止した精神論」のように感じられましたか?
勘違いを避けるため>>229でくぎを刺したつもりだったが、うまく伝わらないな。 >>268
史実は総攻撃の数日前に西郷が直接下山して出頭すれば許すということだったはずだが?
政府軍の総攻撃を3日後に控えた明治10(1877)年9月21日。
河野主一郎は同じ薩摩人の山野田一輔と共に城山を密かに下山し、当時政府軍の責任者の一人であった川村純義海軍中将に面会を求め、西郷の助命嘆願を交渉しようと試みました。
川村の妻は西郷の母方のいとこにあたるところから、川村なら西郷助命の力になってくれるはずだと考えたからです。
しかしながら、結局その交渉は上手くいきませんでした……。
政府軍は河野と山野田の二人に対し、「西郷を助命したいのならば、その本人である西郷自身が城山を下山し、政府軍本営に出頭することが条件だ」と言い放ち、彼らの嘆願を拒否したばかりか、二人をそのまま拘束してしまったのです。
翌22日、政府軍は西郷助命嘆願の交渉が決裂したことを薩軍幹部らに伝えさせるため、山野田一人だけを解放し、再び城山の薩軍本営に戻しました。
しかし、もう一人の使者であった河野は、そのまま人質として政府軍に抑留されることになったのです。
そして、迎えた運命の明治10(1877)年9月24日。
蟻の這い出る隙間もないほどに、城山を幾重にも取り囲むように布陣していた政府軍は、そこに立て篭もる薩軍に対し、雨嵐のような砲撃を加え総攻撃に出ました。
その日の政府軍の総攻撃により、西郷隆盛以下、桐野利秋、村田新八といった主だった薩軍将兵らは城山の露と消えたのです……。
また、河野と共に助命嘆願の使者をつとめた山野田もその日の内に城山で戦死しました。
一方、政府軍に抑留されていた河野は、最後まで西郷と共に行動するつもりであったにもかかわらず、山野田のように西郷に殉ずることも出来ず、彼は一人生き残らざるを得なくなりました。 >>268
>>273
これ60爺だろwwww
・年齢59才
・インバウンドの意味を知らない
・まともに計算が出来ない
・無職ニート
・毎日祝日
・wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwで誤魔化す
60爺のカミングアウトw
379: [] 2018/12/13(木) 16:06:28.35 ID:E0RIQwWh
前の東京オリンピックのとき4歳だった。
幼稚園が休みになったのと日本女子バレーボールが金だったのは覚えている。
バレーボールのルールもほぼ理解していた。今とはかなり違っていた。
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1544392890/379
380: [] 2018/12/13(木) 16:07:35.02 ID:E0RIQwWh
間違えた。5歳だった。
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1544392890/380 最終回に限ってみると良く出来ていたと思う。
ただ、そこにいたるまでの人物描写とドラマ構成が
芳しくなかったな。
とりわけ西郷を選んだ半次郎や新八、大久保を選んだ川路のキャラクター設定
を詳細にしてくれれば、より感情移入出来たのにな。
最終回での三人の活躍が西郷や大久保以上に大きかっただけにとても残念だ。
西郷や実質的な司令官の半次郎の助命は叶わないだろうけど、その以外の将兵の
命は救ってほしかったな。 このスレも過疎ってジジイの独り善がりになるんですね 幕末軍人の好み傾向で言うと
西郷嫌いは村田好きで村田好きは西郷嫌いなイメージ
性格能力的にも対照的 村田新八好きなやつはたいてい西郷好きだろw
とわかっててツッコミ入れてみる >>272
きみが引用した内容間違ってるよ
間違ってるというか、西郷の名誉を忖度して史実を改変してある
さらに西郷にとって決定的に不名誉な、山県の手紙を無視して若者たちを死なせたという史実が抜けているね
薩摩軍の嘆願内容は「西郷を助命し、裁判で薩摩士族の大義名分を説明させてほしい」
これに対して川村の返答内容は、生き残った河野主一郎が証言している
「政府軍の川村が言うに、もしも都城の戦いの時なら西郷の助命は通ったかもしれぬが今となってはもはや無理である」
「もし西郷が何か言いたいことがあるのなら本人が午後5時までに川村の陣まで来い。来なかったら総攻撃する」
そして山県有朋の手紙を持って山野田一輔が薩摩軍の陣営に返された
山県の手紙の内容は>>268にある
西郷は、自分一人が切腹すれば薩摩軍の若者たちの命を救う機会を与えられたにもかかわらず
それを鈍重に無視したんだよ
残念だがそれが史実 >>279
一番大事なお話はスルーですか?
9月19日、薩軍では一部の将士の相談の下、山野田・河野主一郎が西郷の救命のためであることを西郷・桐野に隠し、挙兵の意を説くためと称して、軍使となって西郷の縁戚でもある参軍川村純義海軍中将の元に出向き、捕らえられた。
22日、西郷は「城山決死の檄」を出し決死の意を告知した。
西郷は二人の使いを敵陣に送って挙兵の大義を説明させ自分たちは最後の決戦に臨む
以下は、西郷の絶筆である。
「今般、河野主一郎、山野田一輔の両士を敵陣に遣はし候儀、全く味方の決死を知らしめ、且つ義挙の趣意を以て、大義名分を貫徹し、法庭に於て斃れ候賦(つもり)に候間、
一統安堵致し、此城を枕にして決戦可致候に付、今一層奮発し、後世に恥辱を残さざる様、覚悟肝要に可有之候也。」
「今般、河野主一郎、山野田一輔の両士を敵陣に派遣した件、味方の決死の覚悟を敵陣に伝えるとともに、この挙兵の意義を以て、大義名分を貫徹し、理がどちらかにあるのかを明らかにして斃れるつもりなので、
諸君らは安堵して、この城を枕にして決戦するに際し、今一層奮発して、後世に恥辱を残さないよう覚悟して戦うように。」
「安堵」という言葉が印象的だ。
彼らが恐れたのは、「義挙の趣旨」と「大義名分」が世に伝わらず、後世の人間から単なる「不平氏族の叛乱」であるかのように見なされる事だったのだろう。
その心配はもうないから、「一統安堵し」て「城を枕にして決戦」しようと西郷は呼びかけたのである。
翌23日、軍使山野田一輔が持ち帰った参軍川村純義からの降伏の勧めを無視し、参軍山縣からの西郷宛の自決を勧める書状にも西郷は返事をしなかった。
9月24日午前4時、征討軍の砲台からの3発の砲声を合図に征討軍の総攻撃が始まった。 >>280
その檄文は西郷の絶筆では無いよ
それが絶筆だなんて言う専門家いません
なぜならその檄文の出典元にはこう書いてあることを専門家は知ってるから
「桐野は徹頭徹尾降伏に反対していたので
山野田・河野が政府軍へ助命嘆願に向かったことを察すると同時に
"西郷吉之助"の名を以て左の激を発し、最後の激を示したりき」
と、このあとに>>280の檄文が続きます
ようは薩軍内では西郷の助命や降伏に関して意見が割れており
徹底抗戦派の桐野が先回りして檄文を発したということ
つまりこれは桐野利秋の絶筆なんだよ >>281
桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか? >>254
人気がないからこの視聴率なんでしょ
初回から低かった >>280
無駄死にだね
当日、負傷者を大勢抱えた西郷軍からは結構な投降者が出ているが
幹部連が戦闘してる最中に降伏すると呼ばわって近づいてきたもんだから
銃撃されたり、報復感情に燃えた政府軍に斬られたりしている >>281
どうして吉之助なんだよw
>>283
人気がないのにどうして2度目の大河w >>282
薩軍内の檄文を"絶筆"と言っていいならそうなるよ
その檄文の出典元「西南記伝」中巻 684ページに
「桐野は 〜 西郷吉之助の名を以て左の激を発し、最後の決意を示したりき」とあるんだからね
また、この檄文は山野田が帰って来る前に発せられているので、時系列的に言っても、政府軍の返答をまだ受け取ってない西郷から発せられたものではない >>284
無駄なら誰もついてかないだろ馬鹿w
無駄だと思うやつは投降してるw
お前は早々と逃げるタイプw >>286
それで桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか? 鹿児島県民落ち着け
人気なんかなくても大河の主役にはなれるから 「西南記伝」の「城山の戦闘」の項目を見る限り
河野・山野田の動きに対して西郷はもう投げやり状態だね
桐野が檄文を発して取り繕ったけど、
「法庭に斃れる」はずの山野田が帰ってきちゃったので不機嫌になっている
>>285
大河になれば人気だってんなら、井伊直虎も人気だったことになるね >>290
お前が落ち着け会津爺w
誰だ?2回もなった人物て?w >>287
「西南記伝」によれば薩軍の戦死者は160名
「降る者200余名」であり戦死者を上回る投降が出ている(中巻2・701ページ)
野村忍介・別府九郎(晋介の兄)・神宮寺助左衛門 → 熊本鎮台に投降
坂田諸潔 → 第4旅団に投降
新納軍八・分陽五郎右衛門・仁礼新左衛門・長崎金兵衛 → 投降後に銃殺
市来宗助・伊東権平 → 降伏を拒んで銃殺
熊本鎮台に投降した小隊長・分隊長級の幹部は事前に約定して投降
なお戦闘経過を見ていると、投降希望者が拒絶され殺された例も結構あるので
戦死者にそう言う人も含まれる
各部隊ごとの戦況は以下の通り(捕虜や討死は重複記載もあるかも)
別働第二旅団 捕虜18名
第二旅団 討取83名 捕虜132名
第一旅団 討取50余名
第三旅団 降虜76名
新撰旅団 俘虜数十名
別働第一旅団 俘虜90名 >>294
2度目の視聴率が直虎以下じゃん…
しかも初回から低かった 大久保主人公のがまだ感情移入できる
糞人間だったとしても、やりたかったことは明確で理解できるからのお >>296
2度目決まったのか?
>大河になれば人気だってんなら、井伊直虎も人気だったことになるね >>286
桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか?
うんこ? ボウズハジサツセヨと言う人もいるけど、西郷どんは早くから戦死しようとはしてたんでしょ
自害でなく戦死にこだわるのは、華々しい戦死への憧れか、もともと切腹が嫌いだったのか
それとも、月照と自殺未遂したときに思うところがあったのか何なのか知らんけど 青木の島津久光は最後までマンガチックだったな
西南の役を起こした西郷を説得してと東京の政府から使者が来ても
「そもそもは東京の政府のほうが西郷をシサツせよと・・・シサツとは、視察ですかな、それとも刺殺のほうですかな」と
コントみたいな身振り手振りを見せ、使者があきれて無言になっていると「答えられんということですか?」とか
アホ丸出しの対応
まあ、西郷の説得なんて面倒なことには巻き込まれたくないので、アホのフリしてわしゃ知らんと逃げたのかもしれんが
「翔ぶが如く」の高橋英樹の島津久光とは似ても似つかない、マンガチックな振る舞い、あれでは遺族も怒りますわ
あのアホの島津久光の子孫が昭和天皇の奥さん、すなわち今上天皇の母親であるのかと思うと >>304
自分もそれ思ってた。青木の久光絶賛されてたけど、
ああいう顔芸演技はくどすぎてわざとらしいと思ってた。 >>301
よっ もうみんなここは用無しだってよ。お爺ちゃんの天下でよかったじゃないかwww 旧藩主の説得で言えば、
西南戦争で西郷軍に旧土佐藩勢力が加担しないように、
旧土佐藩主山内豊範(容堂はすでに死去)が高知県に帰って、説諭しているね マンガチックな脚本でマンガチックな演技になるのは仕方なくね
役者は脚本に合わせてやっただけだと思うが 木村拓哉が西郷で
香取慎吾が大久保
永田熊吉が中居正広
だったら
西郷どん篤姫を越えてたな 久光はコメディリリーフに見えて最後に貫禄出してきたと思うがな
別に高橋英樹をなぞるのが正解ではないし
喜怒哀楽の顔芸が激しいのは香川照之の弥太郎に近いものがあるな
結果、イマイチ薄かった久光の存在感が増して
親しまれたんなら成功といえるんでは >>304
高橋久光の時は西郷支援に乗り気だったが、蟹江大山に説得されて無関係(中立)を装った
結局大山が罪を一身にかぶって処刑されることになった
というストーリー >>310
まあそんな感じだね
高橋久光も悪くなかったが、久光のイメージをミスリードしてた気がする
青木久光の方が実像に近い感じがする フィクションのイメージにだまされて史実だと信じ込むやつwwww >>257
錯覚資産って知ってるか?
偉人とされる人は少なからずそういうのあるの当たり前
最初に斉彬公に認められた所から始まってる
全く無能なら錯覚資産もない 久光公が怒りっぽい性格だったのは間違いないようだが
怒鳴り声を上げるような怒り方をする人間じゃなかったそうです >>304
今まで久光と言えばアホで憎まれ役というのが定番だったが、今回は悪いイメージがなかっただけいい
つーか、あれほど西郷と仲の悪くない久光も初めてだが
逆になんで島流しされたか分からないぐらいだ >>307
西郷の友人だった庄内の菅実秀や勝海舟も、庄内藩士や幕臣が西南戦争に参加しないように止めにかかったね このなかで一番美人なのって真ん中だよね?深キョンレベルだと思うのだが
ちなみに向かって右は目も鼻も整形してるって本人が公言してるけどそれ抜きにして誰が一番美人だと思う?
http://bigsta.net/media/1933567086757747003_3564907098 既出だったらすまんが
大久保からの降伏を進める手紙に、従道が書き足しをしてて
兄ちゃんと鰻とりたいよ(;ω;)
と書いてある
https://i.imgur.com/aiE2wR7.jpg
https://i.imgur.com/LX4kneN.jpg >>323
それ創作だから
史実は>>268>>279あたり >>323
甲突川鰻は信吾のメッセージだったんだ
てっきり、一蔵どんが追伸として皆で鰻を採った話を書いたのかと思ってた >>324
どこが史実だ馬鹿
桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか? 西郷さん、山県有朋からの「死んでください」という手紙読んで絶句したらしいね
西郷さんの命は私が保証します、とでも言われと思っていたのかな 西郷さんを貶めたいのも結構だけど
一般人よりも貶めるのはどうかと思うな 西郷隆盛は一般人ではないのだから
当時の一般人は皆無名のまま死んだのだから よく考えたら「視察せよ」ってのもおかしな表現だな
普通、"○○を視察する"と言ったら見て回るという意味で、「西郷から目を離すな」という意味とは違うと思うが
当時はどんな言葉の使い方してたのかは分からんが、やっぱり「刺殺」が正しいだろうな 島津久光の写真を見ると青木の顔芸もありかなと思った ボウズが事業所名とか地名だったら視察だと思う
ボウズが個人名だとやっぱり刺殺だと思う
家にいなかったのも身を隠していたように感じる また、西郷どんみたい
再来年はオリンピックでロケ地が込み合ってるだろうから
次年度にして再来年も西郷どんでいい
鈴木良平はひーさま演じてみたいらしい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています