【2018年大河ドラマ】 西郷どん part113
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>>286
それで桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか? 鹿児島県民落ち着け
人気なんかなくても大河の主役にはなれるから 「西南記伝」の「城山の戦闘」の項目を見る限り
河野・山野田の動きに対して西郷はもう投げやり状態だね
桐野が檄文を発して取り繕ったけど、
「法庭に斃れる」はずの山野田が帰ってきちゃったので不機嫌になっている
>>285
大河になれば人気だってんなら、井伊直虎も人気だったことになるね >>290
お前が落ち着け会津爺w
誰だ?2回もなった人物て?w >>287
「西南記伝」によれば薩軍の戦死者は160名
「降る者200余名」であり戦死者を上回る投降が出ている(中巻2・701ページ)
野村忍介・別府九郎(晋介の兄)・神宮寺助左衛門 → 熊本鎮台に投降
坂田諸潔 → 第4旅団に投降
新納軍八・分陽五郎右衛門・仁礼新左衛門・長崎金兵衛 → 投降後に銃殺
市来宗助・伊東権平 → 降伏を拒んで銃殺
熊本鎮台に投降した小隊長・分隊長級の幹部は事前に約定して投降
なお戦闘経過を見ていると、投降希望者が拒絶され殺された例も結構あるので
戦死者にそう言う人も含まれる
各部隊ごとの戦況は以下の通り(捕虜や討死は重複記載もあるかも)
別働第二旅団 捕虜18名
第二旅団 討取83名 捕虜132名
第一旅団 討取50余名
第三旅団 降虜76名
新撰旅団 俘虜数十名
別働第一旅団 俘虜90名 >>294
2度目の視聴率が直虎以下じゃん…
しかも初回から低かった 大久保主人公のがまだ感情移入できる
糞人間だったとしても、やりたかったことは明確で理解できるからのお >>296
2度目決まったのか?
>大河になれば人気だってんなら、井伊直虎も人気だったことになるね >>286
桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか?
うんこ? ボウズハジサツセヨと言う人もいるけど、西郷どんは早くから戦死しようとはしてたんでしょ
自害でなく戦死にこだわるのは、華々しい戦死への憧れか、もともと切腹が嫌いだったのか
それとも、月照と自殺未遂したときに思うところがあったのか何なのか知らんけど 青木の島津久光は最後までマンガチックだったな
西南の役を起こした西郷を説得してと東京の政府から使者が来ても
「そもそもは東京の政府のほうが西郷をシサツせよと・・・シサツとは、視察ですかな、それとも刺殺のほうですかな」と
コントみたいな身振り手振りを見せ、使者があきれて無言になっていると「答えられんということですか?」とか
アホ丸出しの対応
まあ、西郷の説得なんて面倒なことには巻き込まれたくないので、アホのフリしてわしゃ知らんと逃げたのかもしれんが
「翔ぶが如く」の高橋英樹の島津久光とは似ても似つかない、マンガチックな振る舞い、あれでは遺族も怒りますわ
あのアホの島津久光の子孫が昭和天皇の奥さん、すなわち今上天皇の母親であるのかと思うと >>304
自分もそれ思ってた。青木の久光絶賛されてたけど、
ああいう顔芸演技はくどすぎてわざとらしいと思ってた。 >>301
よっ もうみんなここは用無しだってよ。お爺ちゃんの天下でよかったじゃないかwww 旧藩主の説得で言えば、
西南戦争で西郷軍に旧土佐藩勢力が加担しないように、
旧土佐藩主山内豊範(容堂はすでに死去)が高知県に帰って、説諭しているね マンガチックな脚本でマンガチックな演技になるのは仕方なくね
役者は脚本に合わせてやっただけだと思うが 木村拓哉が西郷で
香取慎吾が大久保
永田熊吉が中居正広
だったら
西郷どん篤姫を越えてたな 久光はコメディリリーフに見えて最後に貫禄出してきたと思うがな
別に高橋英樹をなぞるのが正解ではないし
喜怒哀楽の顔芸が激しいのは香川照之の弥太郎に近いものがあるな
結果、イマイチ薄かった久光の存在感が増して
親しまれたんなら成功といえるんでは >>304
高橋久光の時は西郷支援に乗り気だったが、蟹江大山に説得されて無関係(中立)を装った
結局大山が罪を一身にかぶって処刑されることになった
というストーリー >>310
まあそんな感じだね
高橋久光も悪くなかったが、久光のイメージをミスリードしてた気がする
青木久光の方が実像に近い感じがする フィクションのイメージにだまされて史実だと信じ込むやつwwww >>257
錯覚資産って知ってるか?
偉人とされる人は少なからずそういうのあるの当たり前
最初に斉彬公に認められた所から始まってる
全く無能なら錯覚資産もない 久光公が怒りっぽい性格だったのは間違いないようだが
怒鳴り声を上げるような怒り方をする人間じゃなかったそうです >>304
今まで久光と言えばアホで憎まれ役というのが定番だったが、今回は悪いイメージがなかっただけいい
つーか、あれほど西郷と仲の悪くない久光も初めてだが
逆になんで島流しされたか分からないぐらいだ >>307
西郷の友人だった庄内の菅実秀や勝海舟も、庄内藩士や幕臣が西南戦争に参加しないように止めにかかったね このなかで一番美人なのって真ん中だよね?深キョンレベルだと思うのだが
ちなみに向かって右は目も鼻も整形してるって本人が公言してるけどそれ抜きにして誰が一番美人だと思う?
http://bigsta.net/media/1933567086757747003_3564907098 既出だったらすまんが
大久保からの降伏を進める手紙に、従道が書き足しをしてて
兄ちゃんと鰻とりたいよ(;ω;)
と書いてある
https://i.imgur.com/aiE2wR7.jpg
https://i.imgur.com/LX4kneN.jpg >>323
それ創作だから
史実は>>268>>279あたり >>323
甲突川鰻は信吾のメッセージだったんだ
てっきり、一蔵どんが追伸として皆で鰻を採った話を書いたのかと思ってた >>324
どこが史実だ馬鹿
桐野の絶筆だと言ってる専門家はいるのか? 西郷さん、山県有朋からの「死んでください」という手紙読んで絶句したらしいね
西郷さんの命は私が保証します、とでも言われと思っていたのかな 西郷さんを貶めたいのも結構だけど
一般人よりも貶めるのはどうかと思うな 西郷隆盛は一般人ではないのだから
当時の一般人は皆無名のまま死んだのだから よく考えたら「視察せよ」ってのもおかしな表現だな
普通、"○○を視察する"と言ったら見て回るという意味で、「西郷から目を離すな」という意味とは違うと思うが
当時はどんな言葉の使い方してたのかは分からんが、やっぱり「刺殺」が正しいだろうな 島津久光の写真を見ると青木の顔芸もありかなと思った ボウズが事業所名とか地名だったら視察だと思う
ボウズが個人名だとやっぱり刺殺だと思う
家にいなかったのも身を隠していたように感じる また、西郷どんみたい
再来年はオリンピックでロケ地が込み合ってるだろうから
次年度にして再来年も西郷どんでいい
鈴木良平はひーさま演じてみたいらしい >>332
ボウズヲシサツセヨなんて電文を持っていたってのは創作だからな
そこからわかるのは大河スタッフは西南戦争を正当化したいんだなってことだけ
ドラマと史実をごっちゃにしてる人ほんと多いな やはり全国放送のドラマでデブが主役ってのはビジュアル的に厳しかったな
大相撲じゃないんだから 久光の青木は良い仕事したと思うけど
薩摩の篠原や桐野や村田は名前の知れた有名俳優使うべきだっただろう
親と兄と一緒に観ていて今の誰?って何度も聞かれた >>343
半次郎、新八、篠原の配役ですが
具体的に誰なら良かったですか? 久光のキャスティングも最初は若すぎると言われていたが
国父になる変化が出せて逆に良かったのか
高橋英樹のは最初から貫禄あって後の変化は少なかった >>344
たけし軍団の面々
枝豆、だんかん、水道橋博士・・・
破滅に向かってるのにイキってる姿がそっくり >>340
追記
「電文を持っていた」の部分はフィクションね >>323
放送時そこ見えたんだけど大久保が信吾の言葉を伝えたのかなと思ってた
何も触れなかったけどね >>303
総攻撃前に部下の助命と引き換えに投降するのは総大将の責務
函館戦争でも傷病兵の後送を持ちかけられた榎本ら幹部は
徹底抗戦だった他幹部をおさえて投降を決断している
西郷軍は負傷者が幹部級でも多数いて、彼らは戦えないから総攻撃時は殺されるばかり
なのに何の対策も取ってない 趣味みたいに死んでもしょうがないよ >>344
西郷隆盛 = 貴乃花親方
半次郎、新八、篠原 = 貴乃花部屋の若手力士
これなら、暴発して反乱を起こすのにピッタリ >>332
>>346
中原の口供は拷問で得られたものだと取調にあたった3名が認めてるのに?
もう1人の野村綱は内容的に明らかに虚偽の供述をしてるのに?
そんなの考えても無意味だよ
専門書でもあほらしいから扱ってないのが多い
ちなみに鹿児島では前年の11月中旬から、政府が密偵を送り込んで西郷を暗殺する
といううわさが流れている。川路が警官たちに会ったとされる12月末より1カ月も前
要するに自分たちが知ってる噂にあわせて口供を強要したということ >>310
俺も島津久光の演技好きやったわw
楽しめた セブンルールだけで観るよく分からない役者だったのにな青木 来年の「いだてん」の登場人物の三島弥彦の一族は、もと薩摩士族で、母親は「女西郷」なんて呼ばれてたとか
西郷さんの話にも触れたりするんだろうか
「真田丸」のときに、翌年関係の井伊家に触れた感じで >>353
中原が後年にあれは視察だったと言ってるが?
ボウズ話があったのは史実 だいたい暗殺の命令を、証拠がおもいっきり残る電文で送るかよとw >>358
電信で偵察の命令を送ってるけど?
証拠は残るだろ 政府密偵への拷問以外にも西郷軍のクズエピソードはたくさんありますのでいくつか紹介しましょう
また当時の薩摩は一枚岩ではなく、西郷党に反発する者も多くいたことが分かります
現在の西郷マンセー一色の鹿児島県よりもよっぽど健全だったと言えるかも ■
西郷軍はその後も「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく 8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。 ■薩士十二人虐殺
辺見十郎太、淵辺群平(高照)らは、熊本の戦線から鹿児島へ戻り、
士族兵の誇りも棄てたのか農工商の区別なく兵として募集し、
また獄中にいる囚人たちをも解放し兵とした。
そればかりか、官軍の偵察要員や兵を集めるのにでも使う
のであろう巡査を募り、軍資金や兵糧米なども強引にかき集め、
それに従わないものは捕縛する。
その兇暴さ、傍若無人振りは目も当てられないものだった、と記録されている。
春山文平、小倉友整、中村兼武、徳永喜八、有馬壮十郎、高山一角
池田周平、別府量輔、岩爪隆助、徳尾政高、山口一済、河地口口
の12名は自らの信念のため西郷軍への従軍を拒み、斬首された。
有馬宗十郎は市来四郎の実弟、徳尾政高と小倉友整の二人は市来の甥。 ■大河平騒動
現在の宮崎県大河平(おこびら)に西郷軍が侵攻してくると、
地場の有力士族であった大河平家の嫡子鷹丸は西郷軍に参加した。
焦土作戦をとる西郷軍は鷹丸に、鷹丸自身の屋敷を含む六十数戸に
火をつけさせ焼き尽くした。
ところが、飯野を守備していた大河平臣下の川野通貫・清藤泰助らは
これを聞いておらず、灰塵に帰した郷村に驚愕する・・・
以後、無惨な殺戮と報復が繰り返され、女性、乳児含む多数が惨殺された。
http://blog.goo.ne.jp/boat-swain/e/bfb9363319dd7cbb5c1e83e36cd1044f ■藤丸宗造警部惨殺
大分県佐伯警察署重岡分署長、藤丸宗造警部は、
西郷軍が熊本へ侵攻した知らせを受けると、部下たちを
避難させたうえで、単独で熊本へ潜入、偵察している
ところを西郷軍に捕まり、処刑された。
藤丸警部は、西郷軍へ参加するよう強要されたが
「自分は大分県警部で、大義の存する所を知る者である。
どうして賊軍などに屈しようか。早く命を断て」
と言い残し、斬首された。享年33。 ■有村隼治
鹿児島大口郷で「郷士年寄」という身分の高い家格をもち、
堀之内良眼坊とともに川内川開削工事を推進したほか、
木崎溜池の構築など伊佐市地域の産業振興に尽力した実力者でした。
明治10年、西南戦争が起きると西郷軍と対立し、妻スマ子と
ともに西郷軍に惨殺されました。 ■山下竹之助
菱刈郷の旧郷士で、『北伊佐史』(大正15年)によると、
その性格は「豪放闊達、事に当たれば必ず成し遂げざれば
止まざる底の人で、古英雄の風貌があった。」と伝えています。
郷の要職にあり、菱刈田中の開田事業や菱刈前目の
孝子萬太郎の墓の修復、川内川の川岸に居住する住民を
洪水被害を受けない場所へ移住させるなど、菱刈地方の
産業振興事業に大きく貢献した人物でした
西南戦争が起きると、鹿児島在住者でありながら政府軍に
身を投じ、戦死しました。 ■長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい脱出、
政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは、放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」 ■放火
田原坂で敗れた西郷軍の士気は衰え、戦術はもっぱら、
民家に火を放って逃走する放火作戦が常套手段になりました
佐土原、高鍋、真幸谷などを焼き払い、
真幸谷では一ヶ月間炊き出しで世話になった吉田宗吉宅をも火を放って逃げ去ったそうです 会津必死すぎワロタwww
お前らがどう捏造しようと西郷は鹿児島の英雄だからwww 鹿児島市
去年の観光客379万2000人
今年は去年を上回り過去最高の見込み
http://i.imgur.com/XcbC7Yg.jpg >>357
その話は中原の臨終の際に地元青年が「視察」という発言が実在したことを前提に
本人に聞いたとか言う二次史料だけど、実際にはボウズどうたらは中原と野村の口供をくっつけて
「そういう電文がある」と言われているに過ぎない
もちろん九州臨時裁判所の裁判資料にも出てこない
中原本人や高崎親章、松山信吾などこの時拘束された20人は後々に至るまで明快に暗殺説を否定してるし、
中原を取り調べた人間が3人ともあれはデタラメでございますと言ってるんだからデタラメだよ もしそんな電文が実在してたら、薩軍にとっては極めて有力な証拠だから
九州臨時裁判所の取調で存在を主張してないとおかしい
西郷は中原の口供が唯一の挙兵の大義名分なので、口供書を抱えて九州各地を移動してたほど
なのにそんな電文の存在は確認されてないし、裁判でも誰も言及してない
そもそも、川路大警視が与えた訓示を彼らはメモしていて詳しい内容まで再現できている
説得のために諸国の士族の情況までメモさせて送り出したのに、わざわざ指示を送る必要性なんて皆無
戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた情報 >>371
鹿児島の観光客増加は中国香港台湾韓国の4地域の外人客が増えてるからでしょ
もう10年くらい前からそんな感じ 中韓の悪夢、明治に逆らった西郷はあっちにも人気なんかな >>375
>戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた
ってどれのこと?
勝田孫弥の「西郷隆盛伝」は明確に暗殺説を否定してるぜ >>378
言った言わない
聞いた聞かない
これは一次史料ではないぞ
電文が現存していない限りはどうにもならん
確かにボウズヲシサツセヨについては、まともに取り扱われていないから、信憑性はないんだろうよ ジジイにまともな意見ぶつけてもしゃーない。マウントとって負けそうになると鸚鵡返ししててめえがツバ吐いた意見を勝手になすりつけてでっち上げる犯罪気質の人だから無駄
↑
イミフ、コロコロ、会津、盗んだテンプレで反論するんだろーけどw >>384
そもそも西郷どん以前に中原がボウズヲシサツセヨって電文を持ってたなんて
書いてる奴だれかいるのか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています