【2018年大河ドラマ】 西郷どん part113
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>>344
たけし軍団の面々
枝豆、だんかん、水道橋博士・・・
破滅に向かってるのにイキってる姿がそっくり >>340
追記
「電文を持っていた」の部分はフィクションね >>323
放送時そこ見えたんだけど大久保が信吾の言葉を伝えたのかなと思ってた
何も触れなかったけどね >>303
総攻撃前に部下の助命と引き換えに投降するのは総大将の責務
函館戦争でも傷病兵の後送を持ちかけられた榎本ら幹部は
徹底抗戦だった他幹部をおさえて投降を決断している
西郷軍は負傷者が幹部級でも多数いて、彼らは戦えないから総攻撃時は殺されるばかり
なのに何の対策も取ってない 趣味みたいに死んでもしょうがないよ >>344
西郷隆盛 = 貴乃花親方
半次郎、新八、篠原 = 貴乃花部屋の若手力士
これなら、暴発して反乱を起こすのにピッタリ >>332
>>346
中原の口供は拷問で得られたものだと取調にあたった3名が認めてるのに?
もう1人の野村綱は内容的に明らかに虚偽の供述をしてるのに?
そんなの考えても無意味だよ
専門書でもあほらしいから扱ってないのが多い
ちなみに鹿児島では前年の11月中旬から、政府が密偵を送り込んで西郷を暗殺する
といううわさが流れている。川路が警官たちに会ったとされる12月末より1カ月も前
要するに自分たちが知ってる噂にあわせて口供を強要したということ >>310
俺も島津久光の演技好きやったわw
楽しめた セブンルールだけで観るよく分からない役者だったのにな青木 来年の「いだてん」の登場人物の三島弥彦の一族は、もと薩摩士族で、母親は「女西郷」なんて呼ばれてたとか
西郷さんの話にも触れたりするんだろうか
「真田丸」のときに、翌年関係の井伊家に触れた感じで >>353
中原が後年にあれは視察だったと言ってるが?
ボウズ話があったのは史実 だいたい暗殺の命令を、証拠がおもいっきり残る電文で送るかよとw >>358
電信で偵察の命令を送ってるけど?
証拠は残るだろ 政府密偵への拷問以外にも西郷軍のクズエピソードはたくさんありますのでいくつか紹介しましょう
また当時の薩摩は一枚岩ではなく、西郷党に反発する者も多くいたことが分かります
現在の西郷マンセー一色の鹿児島県よりもよっぽど健全だったと言えるかも ■
西郷軍はその後も「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく 8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。 ■薩士十二人虐殺
辺見十郎太、淵辺群平(高照)らは、熊本の戦線から鹿児島へ戻り、
士族兵の誇りも棄てたのか農工商の区別なく兵として募集し、
また獄中にいる囚人たちをも解放し兵とした。
そればかりか、官軍の偵察要員や兵を集めるのにでも使う
のであろう巡査を募り、軍資金や兵糧米なども強引にかき集め、
それに従わないものは捕縛する。
その兇暴さ、傍若無人振りは目も当てられないものだった、と記録されている。
春山文平、小倉友整、中村兼武、徳永喜八、有馬壮十郎、高山一角
池田周平、別府量輔、岩爪隆助、徳尾政高、山口一済、河地口口
の12名は自らの信念のため西郷軍への従軍を拒み、斬首された。
有馬宗十郎は市来四郎の実弟、徳尾政高と小倉友整の二人は市来の甥。 ■大河平騒動
現在の宮崎県大河平(おこびら)に西郷軍が侵攻してくると、
地場の有力士族であった大河平家の嫡子鷹丸は西郷軍に参加した。
焦土作戦をとる西郷軍は鷹丸に、鷹丸自身の屋敷を含む六十数戸に
火をつけさせ焼き尽くした。
ところが、飯野を守備していた大河平臣下の川野通貫・清藤泰助らは
これを聞いておらず、灰塵に帰した郷村に驚愕する・・・
以後、無惨な殺戮と報復が繰り返され、女性、乳児含む多数が惨殺された。
http://blog.goo.ne.jp/boat-swain/e/bfb9363319dd7cbb5c1e83e36cd1044f ■藤丸宗造警部惨殺
大分県佐伯警察署重岡分署長、藤丸宗造警部は、
西郷軍が熊本へ侵攻した知らせを受けると、部下たちを
避難させたうえで、単独で熊本へ潜入、偵察している
ところを西郷軍に捕まり、処刑された。
藤丸警部は、西郷軍へ参加するよう強要されたが
「自分は大分県警部で、大義の存する所を知る者である。
どうして賊軍などに屈しようか。早く命を断て」
と言い残し、斬首された。享年33。 ■有村隼治
鹿児島大口郷で「郷士年寄」という身分の高い家格をもち、
堀之内良眼坊とともに川内川開削工事を推進したほか、
木崎溜池の構築など伊佐市地域の産業振興に尽力した実力者でした。
明治10年、西南戦争が起きると西郷軍と対立し、妻スマ子と
ともに西郷軍に惨殺されました。 ■山下竹之助
菱刈郷の旧郷士で、『北伊佐史』(大正15年)によると、
その性格は「豪放闊達、事に当たれば必ず成し遂げざれば
止まざる底の人で、古英雄の風貌があった。」と伝えています。
郷の要職にあり、菱刈田中の開田事業や菱刈前目の
孝子萬太郎の墓の修復、川内川の川岸に居住する住民を
洪水被害を受けない場所へ移住させるなど、菱刈地方の
産業振興事業に大きく貢献した人物でした
西南戦争が起きると、鹿児島在住者でありながら政府軍に
身を投じ、戦死しました。 ■長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい脱出、
政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは、放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」 ■放火
田原坂で敗れた西郷軍の士気は衰え、戦術はもっぱら、
民家に火を放って逃走する放火作戦が常套手段になりました
佐土原、高鍋、真幸谷などを焼き払い、
真幸谷では一ヶ月間炊き出しで世話になった吉田宗吉宅をも火を放って逃げ去ったそうです 会津必死すぎワロタwww
お前らがどう捏造しようと西郷は鹿児島の英雄だからwww 鹿児島市
去年の観光客379万2000人
今年は去年を上回り過去最高の見込み
http://i.imgur.com/XcbC7Yg.jpg >>357
その話は中原の臨終の際に地元青年が「視察」という発言が実在したことを前提に
本人に聞いたとか言う二次史料だけど、実際にはボウズどうたらは中原と野村の口供をくっつけて
「そういう電文がある」と言われているに過ぎない
もちろん九州臨時裁判所の裁判資料にも出てこない
中原本人や高崎親章、松山信吾などこの時拘束された20人は後々に至るまで明快に暗殺説を否定してるし、
中原を取り調べた人間が3人ともあれはデタラメでございますと言ってるんだからデタラメだよ もしそんな電文が実在してたら、薩軍にとっては極めて有力な証拠だから
九州臨時裁判所の取調で存在を主張してないとおかしい
西郷は中原の口供が唯一の挙兵の大義名分なので、口供書を抱えて九州各地を移動してたほど
なのにそんな電文の存在は確認されてないし、裁判でも誰も言及してない
そもそも、川路大警視が与えた訓示を彼らはメモしていて詳しい内容まで再現できている
説得のために諸国の士族の情況までメモさせて送り出したのに、わざわざ指示を送る必要性なんて皆無
戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた情報 >>371
鹿児島の観光客増加は中国香港台湾韓国の4地域の外人客が増えてるからでしょ
もう10年くらい前からそんな感じ 中韓の悪夢、明治に逆らった西郷はあっちにも人気なんかな >>375
>戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた
ってどれのこと?
勝田孫弥の「西郷隆盛伝」は明確に暗殺説を否定してるぜ >>378
言った言わない
聞いた聞かない
これは一次史料ではないぞ
電文が現存していない限りはどうにもならん
確かにボウズヲシサツセヨについては、まともに取り扱われていないから、信憑性はないんだろうよ ジジイにまともな意見ぶつけてもしゃーない。マウントとって負けそうになると鸚鵡返ししててめえがツバ吐いた意見を勝手になすりつけてでっち上げる犯罪気質の人だから無駄
↑
イミフ、コロコロ、会津、盗んだテンプレで反論するんだろーけどw >>384
そもそも西郷どん以前に中原がボウズヲシサツセヨって電文を持ってたなんて
書いてる奴だれかいるのか? ボウズヲシサツセヨの文言はwikiにはなかった
中原のwikiには「西郷をシサツするために戻ってきた」と自白したとあった
山県有朋によると中原は「視察」と言ったつもりなのに谷口は「刺殺」ととったのではないか
・・・とあった
まあ、これが全てではないかと >>380
そうだよ。べつに伝記に依存しなくても、
裁判資料からは暗殺説は完全否定されざるを得ない。 最近二つほど目にしたものを意訳
保守系雑誌の「月刊日本」で薩摩の多分ネガティブな連載が始まったんだけど
ざっと見ると、薩摩藩は今で言う「先軍政治」であった
江戸時代に入り、他の大名家が幕府と協調し支配を受け容れて
用心棒が発展した軍事的支配者から行政機構に変容して民を平和に統治する方向に向かったのに対して
薩摩はあくまで軍事優先の支配体制を固持し続け、これは何れ天下取りの為としか思えない
また、武士の郷中教育がクローズアップされているけれども、
江戸時代に庶民の教育が国際的にも高かった日本にあって、
薩摩は武士以外の識字率、寺子屋の普及率が異常に低かった、と言う所で第一回終了
それから、「産経新聞」で原口先生による西郷隆盛のいわゆる「征韓論」の真意推測が書かれている
いわゆる遣韓論、その先に見ていたのはロシア問題であり、
明治政府でも一時期要職にあった勝海舟と通ずる所もあったのでは、確かこんな感じで だから中原がボウズヲシサツセヨなんて電文を持っていたってのは
西郷どんのドラマ内限定の創作だろ
なぜかたくなにそれを否定するんだ? 「刺殺」だけなら中原の口供に出てくるので、
薩南血涙史の加治木常樹が後で谷口に会ってそれを補強してるし、
南洲会が出してる谷口登太がらみの論考にも出てくるようだけど、
「坊主を刺殺」というのはどこに出てくるのか分からないね
>>391
中原は「西郷と刺し違える覚悟で」のような発言をしたこと自体は否定してないんだよ。
高崎親章もそれが誤解されたと言ってる。要するに中原の勇み足発言的な何かはあったわけ。
ただ、それは中原の個人的感慨であって、上からの命令は実在してないので、
それをでっち上げたのは取調をした3人が認めてる通り捏造。 >>393
その原口(泉)説は成り立たないでしょ
9月に黒田が征韓論をスピンさせるために樺太問題持ち出してるのに
西郷は無視して朝鮮計略に熱中してるんだから対ロシアはとりあえず念頭にない >>396
>戦後になって伝記作るときにもっともらしく「史実」にされた情報
って書いた以上は誰のなんてタイトルの伝記に
ボウズヲシサツセヨって電文のことが書いてあるか教えてくれよ
それとも延々と連投してる長文は全部デタラメってことでOK? >>396
Wikiでは>西郷と刺し違える覚悟 のセリフは
正式には「西郷をシサツするために帰ってきた」とあったよ
これが捏造とは書いてなかったような
後で見ます >>399
Wikipediaを過剰に信用すんなよ
誰でも編集できるんだからさw おれの手元にある「戦況図解 西南戦争」という解説本では、
「中原らから押収された電報には”ボウズヲシサツセヨ”と、記されており〜」と書いてあるけどね
さらに、BS-TBSでやった「にっぽん!歴史鑑定」では、中原が捕まった後、同じ密偵だった野村綱という元薩摩藩士が
鹿児島県庁に出頭してきて「大久保卿から情報収集の命令を受けた」と自供、暗号書と密偵の名簿を提出したんだとか
多分その暗号書で「ボウズ」が西郷のことと知れたんだろうけど、どっちみち拷問で中原から聞き出したんだろうから
あまり関係ないだろうが
ちなみに、中原が拷問の末に自供したときの供述調書があったんだけど、ドラマでもあった、西郷さんが軍服を焼いた時、
一緒に焼いてしまったんだとか
そう聞くと、電報自体は無事に現存してるのだろうか、とも思える >>401
その本って注釈とかに典拠になった史料名書いてある? >>402
残念ながら、ピンポイントでその史料名は出てないなぁ
巻末に「西南戦史」だの「西南戦争の考古学的研究」だの参考文献が、
50点以上書かれてるんで、その中のどれかに出てるのかもしれんが >>405
そっか、ありがとう
その先をたどれないと何も論じられないね、残念 >>401
野村綱については、西南戦争警視隊戦記に出てるな
その暗号解読書並びに電報自体が現存しておれば、何らかの本なり歴史番組で現物の画像ぐらい出てるだろうが、見たことあるやつはおるんか? >>410
片岡愛之助の歴史捜査の第2回で電文について取り上げてた気がするがよく覚えてない
西郷南洲顕彰館の館長がヒステリックすぎてトンデモ番組だと思ってすぐ録画消してしまった
電文の現物があるとかじゃなくて館長が発見した薩摩側の密書に電文について書いてあった程度の
フワフワした話だった気がするけど記憶に全然自信ないから録画もってる人いたら確認してくれ 鹿児島県人が"刺殺"にこだわる理由て何なんだ?
悪いのは刺客を送った大久保であり、西郷は被害者だということか?
しかしむしろ"刺殺"を大義名分に数万の兵を起こすほうが恥ずかしいんじゃないのか?
同時代人で西郷ファンともいえる福沢諭吉でさえ"刺殺"など本当なのかと書いており、もし本当だったとしても
それを理由に決起したとしたら賤しいことだと書いてるぞ >>412
落ち着け会津爺w
誰もそんな話してないぞw 60爺が20代だってwwwwwwww
380: [sage] 2018/12/27(木) 02:16:03.79 ID:/Cifj7K0
20代だよ(´・ω・`)もう寝ようよ
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1545099558/380
↓
↓
↓
↓
↓
「( ´∀`)」や「(´・ω・`)」系は自分が若いと思ってる一層痛くさい中壮年の顔文字に成り果てた
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/spv/1806/16/news029.html 無駄にイクサを起こして、無駄に純情な弟子たちを死なせたのと比べると、
逃げることで国内大戦争を避けようとした慶喜は、つくづく偉かった。
このドラマは面白くないながらも通してみていたが、ふりかえると拍手したいのは、
坂本龍馬と慶喜くらいしか、おもいつかない。 西郷軍がもっと士族の心を揺さぶるような感動的な声明を出していればそれに呼応する壮士が全国に出てきたかもしれない
(例えば承久の乱で北条政子が発した感動的な演説が御家人たちを奮い立たせ、日本史上初めて賊軍が天皇を倒したように)
しかし西郷軍がドヤ顔で発した声明は
「スパイが西郷を刺殺に来たので鹿児島士族全員出撃して大久保を尋問します!」
完全にキチガイだと思われただろうな >>401
自分も今回「ボウズヲシサツ」を史実と書いてあるムック本があるのを知って驚いてるんだけど、
専門書で史料を明示してそういってるものがある?
自分が目にしたものでは「ボウズシサツ」のソースを明示してるものは1つもない。 >>412
「視察か刺殺か」はメインの問題じゃないんだよ。
だって中原尚雄は「刺し違える覚悟で」みたいなことを言ったのは裁判でも否定してないし、
同僚の高崎親章も中原がそういう発言をしたのが利用されたんだと言ってる
問題なのは、中原の発言を「内務卿−警視庁からの指示」という風に捏造したこと
これは取調側の3人が拷問による捏造を認めてるから間違いない
だから論じても意味がないので、専門書では「視察か刺殺か」の問題には立ち入らない
とりあえず裁判所の資料だけ見てれば十分なので >>418
かりに刺殺だとしても大義名分が全くないのは>>412が言う通り
だから高知士族や鶴岡士族は立ち上がらなかった
しかし中原や警視庁警官らの拘束時期が弾薬庫襲撃の2日目以降で、
それ以前は存在を知りながら放置されてたことを考えると、
挙兵必至になったので急きょ彼らの口供を取って利用しようと考えたんだろうね >>398
ボウズヲシサツ云々と書いてある歴史書なんてどこにあるの?
>>375で言ったのは中原が戦後も重く用いられたのは
政府の関与があったからだみたいなことを堂々と垂れ流した西南記伝や
薩南血涙史みたいな反徒側の史料のことだよ。
もしくは谷口登太伝。>>396に書いてあるじゃん。
で、ボウズヲシサツのソースがないと
なんで自分が引用した九州臨時裁判所の裁判資料が全部デタラメになるの?
しょうがないじゃん裁判で私学校党の3人が私どもの捏造でございますと認めてるし、
同僚警察官の証言から見ても拷問で取った証拠に間違いないわけだが。 上の考察によると西南戦争に参加した多くの兵士にとって大義名分というのは重要なものではなかった
積極的に参加した兵士は、漠然と「西郷ブランド」のようなものを信じていた
消極的に参加した兵士は、参加しないと腰抜けのように言われる空気が鹿児島全体を覆っていたと証言している
従軍を拒否すると処刑されたとも >>426
>>従軍を拒否すると処刑されたとも
いやだねぇ
そういう部分も正確にやらないと、西南戦争の実像はわからないね そんな無知で純情で、勢いばかりあまっている若い連中が、愚かな性急さへ走るのは
ありえることだが、だからこそ西郷たち指導者たちには、若者たちの未来を大事にする責任があったと思う。 同じく佐々木克の研究によると
人吉攻防戦後から投降者が激増するがその多くは強制的に徴募された郷士層
戦争開始後の追加徴募では反戦的な言動の人間が難癖をつけて斬られている
デマで釣ったり、村八分で脅したり、直接殺害の脅しをかけるなど相当ひどかったらしい
戦争中も鹿児島には多くの密偵がいてこのような士気紊乱を直ちに報告しており
「官軍に降参する者は殺さず」という積極的な投降勧誘策を取り始める >>431
お爺ちゃん永遠のボッチだから察してやれ >>417
>>418
かなり美化した言い方だと自分になると思うけど、
林真理子版「西郷どん」だと大久保と西郷はギリギリまで相手の事を信頼していて
大久保は西郷が士族を抑えると思っていたし、
西郷は挙兵直前まで拳を振り上げれば大久保の方から飛んで来る、
そこで腹を割って対面すれば解決すると踏んでた
ぶっちゃけ、西郷は日本的見地に於いて勝ったらまずい立場で、
維新の策謀の先頭にいた西郷はそれを理解していたのかも知れない
挙兵上京に際して西郷が政治的にも軍事的にも本気で勝ちに行くと言う事は、
今の明治政府を否定する事になる。事によっては、
明治帝からの個人的信任によって、西郷が大久保から「玉」を奪い返す事になりかねない
そうなると、やってる事が幕末動乱に逆戻りになるし、
限界の政府財政で挙兵に従った士族にも報いなければならない。
それはやってはならない事だと、西郷自身がよく理解しているのではと。
だから、拳を振り上げながら大久保・政府相手の腹芸によって上手に負ける
そうでなければ、「負けなければならない」のが西郷の立場
同じ問題を徳川慶喜も抱えていて、鳥羽伏見の時点で「武装陳情」であって軍事行動ではない
だからこそ首の皮一枚繋がったとも言えるんだけど、
あの段階で慶喜が軍事的に勝ちに行ったら、旧幕時代に政治的に対立していた
会津桑名と幕府陸軍が一丸となって勝利する、そこに従来の譜代、親藩大名が馳せ参じると言う事だから
戦後処理が収拾つかなくなる。これから中央集権で近代化しなければならない時に、
会津、桑名を初め徳川三百年を支えた親藩、譜代大名にあたら功績を与えなければ薩長には勝てない事になる
結論を言うと、慶喜も西郷も、勝とうとすると言う事は、
「時計の針を巻き戻す」事に他ならなかった >>433
史実として西郷は勝つ気満々で挙兵してるよ
西郷賛美の歴史というのはまじめな若者を洗脳して、自己犠牲を押し付けてきた歴史でもある
たいしたことないリーダーや年長者が楽をするためにまじめな若者を洗脳してこき使い、潰しているのだ
太平洋戦争がそうだし、今でもブラック企業では同じことが行われている
西郷隆盛という人間に史実として命を捧げる価値があったのならべつにいい
いくらでも大河ドラマで英雄として描けばよいだろう
しかし巷で信じられている西郷像が虚像であるのならそれはきちんと修正したほうがいいだろう >>434
ソースは?
>史実として西郷は勝つ気満々で挙兵してるよ >>435
さすがにそれくらいググって調べろよ
そんなこともできない無能なのか?
【虚像】 西郷は武士の世を終わらすために不平士族をその胸に抱いて あえて勝てぬ戦に身を投じた
【実像】 西郷は勝つ気まんまんどころか自分の威光が凄すぎて、戦わずして政府軍は降伏すると思いこんでいたほどだった おれは
>【虚像】 西郷は武士の世を終わらすために不平士族をその胸に抱いて あえて勝てぬ戦に身を投じた
こんな嘘くさい通説は嫌いだな
やはり
>【実像】 西郷は勝つ気まんまんどころか自分の威光が凄すぎて、戦わずして政府軍は降伏すると思いこんで
こっちのほうがカッコいいぞ
そして負けて無念に死んでいくのがカッコいいぞ 西郷どん関連の史実が書いてある
本で、おすすめの本はありますか? 西郷は悲劇の英雄
義経とか楠木正成とかそういうポジ
そんな人が野心等で兵を揚げたとか描いてはいけない 深夜に映画の 変態仮面が福岡ではあるから、目覚ましかけて ちょっと寝ます。 まあ西郷は戦争にはならないと思ってただろう
幕末に薩摩が上洛する時は常に兵を伴ってたし
明治に西郷が上京する時も兵を伴っていた
しかも陸軍大将なんだから 西郷が明治6年に下野した時はまだまだ陸軍創成期で階級やら権限やらも曖昧な時代だったと思うが
明治10年になるとたった4年の間ではあるが創成期の4年なのでたいぶ変化があったと思う
しかし西郷や桐野の頭の中では自分たちはあくまで明治6年の時の陸軍大将や陸軍少将のままだったのだろうな(実際肩書は下野後も剥奪されてなかったし)
西郷は鹿児島の大山綱良県令に「大将の職権で、軍隊を率いて行くことができる。鎮台兵も服属させる」とお花畑なことを言って大山を困惑させているよ
徳富蘇峰は「西郷に常識があれば、無役の大将にそんな権限の無いことは
百も承知のはずなのに」と不思議がり「結局、自己過信の思いあがりに
陥っていたのだろうか」と疑った。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています