【2018年大河ドラマ】 西郷どん part113
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>>96
板垣は切り替えたとは言えんだろう
板垣の唯一の能力は軍事だよ。政治家になってからはまったくと言っていいほどポイントを挙げていない
自由民権運動はおまけみたいなもんだな。というか板垣自身、どこまで理解していたか疑問だ
あれこそ旗印にされたようなもんだろう 鹿児島弁を聞く機会がまずないのでそれだけでも新鮮だった >>73
龍馬を出すあたりからおかしくなったのは同意だけど
むしろ>>73の書くような古臭いフィクションの龍馬にするために
史実を曲げたのが原因だろ
久光上洛に乗じてテロを起こすために長州藩士が大挙して上京して
幕政改革をめざす薩摩と対立したあたりを不自然に隠して
西郷が脈絡なく早々と長州と協力して倒幕するんだと唱え始め
大政奉還は薩摩が事前に了承してなかったことにして不自然に怒らせ
鳥羽伏見ではなぜか絶対勝てると言い出す史実と真逆の西郷w 西郷中心の留守政府時代がちょっとクローズアップされたのは良かった
実際、近代日本の道筋の多くが留守政府時代に決まったからな
留守政府時代には法律や諸制度など、ソフト面の基盤がなされたのに対し、大久保時代は殖産興業やインフラ整備などのハード面の基盤が出来た
大久保内務卿、大隈大蔵卿、黒田開拓使長官、伊藤工部卿らの時代がもうちょっと続けば、もっと奥行きのある国家になっていたかもしれない >>99
そこら辺の状況はかなり複雑だし、短い尺の中で細かくやるのには無理がある
史実にしたってどうかわからん
諸説あるしな >>101
別に諸説はないだろw
久光上洛に乗じてテロを起こすために長州藩士が大挙して上京した史実なんて
花燃ゆでさえやってたぜw そこらへんは子役時代から出てるのに有馬新七の描写が篤姫よりも薄かったからな
西郷が現場にいないところは極力省略だから 西郷が下関で長州の連中の動きを知って久光との約束破って上京するのが
島流しの最大原因なんだから西郷は現場のまっただ中だろw
ストーリーの根幹でもある そういえばいたな
森山切腹とかカットされてたからだいぶはしょってたイメージだった 江戸時代の幕藩体制を見習って、日本政府の税源は、
東京および政令指定都市からの国税(所得税、法人税など)だけでいいのではないか?
残りの地域からの国税の税源は全部地方に移譲すべき
鹿児島でいえば、鹿児島県には政令指定都市はないので、
鹿児島からの国税の税源は全部鹿児島県庁に移譲
国も税収が少なくなればスリム化を否応なくするし、鹿児島県庁も税源が増えれば、
地方経済が活性化していくだろう 長期的にこれが一番いいと思われる そもそも封建時代とは言え、
室町幕府を維持してきた税収は京都一帯からの税収が主
江戸幕府を維持してきた税収は400万石といわれる幕府領からの税収が主
現代の政府も、東京と政令指定都市からの国税の税収だけで維持できるだろう 久保利通が廃藩置県後に、税制をほぼ国税にした
おかげで各府県は国からいちいちお金を貰わなくては、
何も統治できなくなってしまった
県庁の建物修理や新規建設ですら、国からお金を貰わなくてはできなくなった
その後、新たに地方税を作ることは法的に認められたが、
納税する地方住民からすれば、江戸時代も明治時代も税負担は変わらんのに、
さらに地方税として重い税負担を一層かけるのは、なかなか難しく非現実的だった
戦前戦後と地方自治の「権限」は拡充されたが、税構造は基本的に変わらんまま今に至る 先週の土曜日に再放送を見た。
史実では重要人物であるのに、このドラマでは完全モブ扱いだった半次郎、川路、新八の
活躍が最終回で見られて良かった。
半次郎と川路の対決はもちろんフィクションだが、ドラマ的にはあれで良かったんじゃないか。
覚悟を決めて半次郎に狙いを定めた川路と、川路に気付いて絶命の瞬間に笑顔を浮かべた半次郎
にグッと来た。
また初回から出ていながら、終始モブ扱いだった新八も最後の最後で活躍の場を与えられたな。
アコーディオンの見事な演奏と壮絶な自決のシーンは印象に残った。
そして外国のマドモアゼルとの秘めた恋には驚いたぞ。どおりで、長男の岩熊が出てこないわけだ(笑)
中園ミホ氏は新八を独身にしたかったみたいだな(笑)
西郷や半次郎の最期が史実に反するなど、賛否両論あるだろうけど、最終回に限って言えば最高の出来たっだと思う。 西南戦争は政府軍の圧倒的な兵力であっという間に片が付いたんだよ
鹿児島から熊本までしかいけなかったからな 最後の半笑いで寝っ転がって「完」って稚拙な終わり方だよな
国内最後の内戦にしては端折りすぎだし、知らない人が見たら一週間位で終わったような反乱に見えるんじゃないか 新八のフロックコートより、隆盛の「お召し物」の方が遥かに悪臭放ってるように見えたが…。 >>75
>ちょっとだけ弁護すると、神(視聴者)ならぬ西郷の立場で言えばデマとも言い切れない訳
>現実的に列強の脅威とも対処しなければならない訳だから、
>一見するとふきの聞き耳に過剰反応したみたいに見えるけど、過剰反応しなければならない立場でもあった
おれも、西郷どんが「慶喜を殺さにゃならん」と言い出したあたりから、ドラマにおける西郷どんのキャラに
ブレを感じ始めたクチなんだけど、ただおれが感じた違和感は、デマで動いたこと自体ではなく、慶喜を殺そうとするきっかけが
勘違いだったことが発覚した後の描写に対して
それ以前の西郷どんのキャラにおれが抱いていたイメージだったら、「禁門の変」の際に反省したはずの事を、今度は自ら
起こしてしまった事に罪悪感を感じるはずだと思ってたのに、スルーどころか「西郷が正しい」なんてことを周囲が言い出し始めたから
それ以降、ずっと周囲が西郷どんのやることなすこと全部肯定し始めて、逆に西郷どんに反対するヤツはすべて西郷どんをいじめる悪者だし
ひょっとして、それ以前は、基本的に西郷どんのキャラは「自分が正しいと思ったことに夢中で取り組むけど、時に失敗もする未熟な若者」だったのが、
時代を動かす偉大な人物に「成長」した、ということになっていたのか、とも思える
ただ、失敗も反省もしなくなることが、はたして「成長」なんだろうかと疑問なんだけど 島津久光の最後に来ての株上げは島津家から抗議でもあったのだろうか
それぐらいV字回復したと思うぞ、久光の印象は 慶喜は薩摩長州に戦で勝てたのに、戦を止めたのがな
英断なんだろうか 嘘はだめだが、批判的評価ぐらいは子孫も甘んじて受け入れろよ
織田信長を見習うべし 最終回は半次郎、川路、新八のトリプル主役だったな。
それぞれの見せ場があった。
物語序盤からこの三人を掘り下げて描写していれば、とつくづく思う。
主役の西郷の最期は全く印象に残ってない。
むしろ大久保の暗殺シーンの方が迫力あった。 >>111
史実の村田新八がイケメンだからね
脚本家にひいきされるのは仕方ない
それより私学校の生徒さんかな?ってくらい若く見えるのが気になった
同年代ちゃうかったんか 1877年9月24日、城山の谷崎谷の洞窟で官軍に包囲され明朝の決戦を控えた西郷ら薩摩軍
まず官軍の軍楽隊から楽曲が奉納された
そして西郷が返礼をしなさいと、薩摩琵琶を演奏したのは、若い漢方医で西郷軍に軍医として従軍していた松崎瑞謙
その音は官軍の陣営まで聞こえたと云われており、演奏後、「生き延びて戦後の復興を」と西郷に諫められ、松崎は薩摩琵琶を持って城山を下りた
この薩摩琵琶は江戸時代における薩摩の職人である伴彦四郎の作で『木枯』といい、平成24年には、松崎の子孫により漆と螺鈿の補修も行われた
勝海舟も、西南戦争で亡くなった西郷隆盛を偲び、4年の歳月をかけ「城山」という曲を作った >>122
脚本家にひいきされていたにしてはお腹こわしたり腹が鳴ったり
いつも腹ペコだったりする謎の設定 西郷が政府辞めて鹿児島に帰ってしまったのが全ての元凶だな
政府内で上手くやれなかったのが
別の反乱が起きたとしても西郷以外にあれだけの吸引力ある人物いないだろうし
それだけ惹きつける人物だから判官びいきで後の西郷人気になって大久保は不人気になったんだろうけど
俺の両親は鹿児島だから何度も鹿児島行ってるが
地元の大久保不人気は凄まじいw
大久保の立場からしたら反乱軍抑えるのは当然の役目だし故郷の士族と戦うのは心を鬼にしないと出来ないやりきれない思いだったろう 久光は俳優が当たりのが大きいね。
下手したらただのギャグキャラになりかねない。 >>122
最近の俳優がそうなのか、わからないが、線が細くて華奢で幼い感じの俳優が多いね
信吾、川路、新八、西郷の弟たちとか、みんなヒョロっとしてて
時代劇や歴史物には、もうすこし骨太なほうが合いそうだが 最終回の西郷の死に方は納得いかんな
仲間に斬られて死ぬのも最後の見せ場で華があるのに
大久保の死に方の方が回想シーン入れて良かった
真田丸の信繁も斬られるシーンやめて自決みたいな感じだったしな >>117
慶喜は水戸徳川家の出身
もし幕府が朝廷と戦うことになった場合、尾張徳川家と紀州徳川家は幕府側に付くが、
水戸徳川家は天皇に味方するとされてた。
これならどちらが勝っても徳川家は残せるからね。
ゆえに水戸は傍流で決して将軍を輩出してはならなかった。
その水戸学の影響を受けた将軍慶喜が賊軍とされれば新政府軍と戦うハズはなかった。
もちろん国内分裂による欧米列強の介入を防がねばならないという考えもあっただろうけど。 土曜の再放送ってニュース速報テロップ何もなかったよね?
札幌爆発のテロップ邪魔すぎた 南州墓地の西郷の両サイドは桐野と篠原になっている
桐野は文句ないが、もう一方は格からして村田新八だろ >>133
そんなことはない
西南戦争時、桐野が総司令兼四番大隊指揮長、篠原が副司令格の一番大隊指揮長、
村田は二番大隊指揮長でナンバー3だった
やはり西南戦争時の序列を考慮して建てたのでは >>112
半年かかった戦争をあっという間っていうのは日本語としておかしいな
>>121
あの3人はもう少し序盤から見せ場作ってほしかったね
一応川路、桐野あたりが禁門の変で
少しだけわちゃわちゃやってたけどw >>129
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% >>124
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% ワースト糞大河
糞盛
糞燃ゆ
糞どん ← IN!
直虎 → OUT! >>138
関東 関西 北九
直虎 12.8% 14.1% 11.6%
西郷 12.7% 15.8% 17.2% >>138
60爺の特徴w
・年齢59才
・インバウンドの意味を知らない
・まともに計算が出来ない
・無職ニート
・毎日祝日
・wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwで誤魔化す ラストサムライは意味がよくわからず見てました
でもおかげさまでもう一度見たくなりました 鹿児島県警の警部で西郷軍に加わった野村忍介の記事が面白い
城山の戦いでも生き延びて投降。
懲役10年の判決が出たが4年後に釈放され、鹿児島で新聞社を設立したという。
https://dic.nicovideo.jp/a/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%BF%8D%E4%BB%8B ●史実にもとづく西郷隆盛まとめ
・政府からの給金が現在価値で月2千万円 年収2億4千万円の超高給公務員。ブタの霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
・千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹
・実際に会った人たちの証言「偏狭であった」「人の悪口が多い」「人望を得ようと計算している」
・低姿勢で西郷に協力を要請してきた島津久光を「ジゴロウ(田舎モン)」と罵倒
・自分は政府から年間2億4千万も貰っていながら、井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒
・自分は薩摩人を政府に大量コネ採用させていながら、大隈重信を「俗吏」と罵倒
・大隈重信「西郷には実に困った。彼は一般の政務には関心なきが如く、太政官に出頭してもただ板垣退助と相対しつまらぬ話に打興じ、やがて家に帰っていった」
・大山巌 「西郷さんは人望を集めようといつも必死でした」
・福沢諭吉「恐ろしいほど教養が無い」
・木戸孝允 「たいがいにせい」
・藩命とはいえ、親友月照を海に突き落として殺害(月照が海に立小便してるところを後ろからタックル)
・子供を二人産ませた奄美の妻アイカナを捨てる。奄美の老人「西郷さんの記念碑が奄美に建てられたときアイカナさんは碑を踏みつけ唾を吐きかけとった」
・江戸の町でレイプ、強盗、放火と卑劣の限りをつくして幕府を挑発。しかも自分では手を下さず雇った浪士にやらす
・西郷自身が江戸総攻撃を主張していながら、計画が頓挫すると西郷が総攻撃を止めさせ江戸百万人を救ったことに、いつのまにかなっていた
・盟友だった大久保利通と袂を分かち鹿児島に帰郷すると、会う人会う人に大久保の悪口を吹聴しまくる
・鹿児島で西郷が外出するときは、地上での土下座では恐れ多いと百姓たちを道のわき溝に飛びこませ水から首だけ出して出迎えさせていた
・西南戦争では前線で毎日若者が戦死しているさなか自分は後方の安全地帯で趣味のウサギ狩り(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・軍議の最中に一人だけ専用室で昼寝(西南戦争は自分のせいじゃないアピール)
・「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起したが玉砕の5日前に“自分だけ”政府軍に助命嘆願
・しかも助命の使者を満面の笑みで送り出した
・助命を断られると玉砕当日城山の洞窟から逃走 → 部下の桐野利秋に見つかり射殺された 村田新八は独身のような描かれ方をしてたが、息子の岩熊も戦死してるんだよな
『翔ぶが如く』でも息子は出てこなかったし、ドラマ的にはすっきりするかも知れんが 「雨はフルフル・・・」
の美男子は新八の息子のことだっけ? 知らんけどあの歌は政府軍側を歌ったものじゃなかった? ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
村田新八 (1836年?1877年 西南戦争 城山で死す)
長身、目力、洋行、と西郷隆盛と大久保利通を足して割ったような男が村田新八です。
期待されていた逸材だったそうです。
西郷軍団の特徴として、西郷や桐野利秋のような海外経験の無い者たちが世界情勢を語り
政府は外国に弱腰だのと批判するという、そういう滑稽さがあるんですが
そんな中にあって村田はほとんど唯一の海外経験者でした。
村田が西郷軍団に身を投じたその真意は分かっていません。
兄事していた西郷隆盛への義理を重んじたとも。
西南戦争の大評定では村田は発言をせず黙然としていたそうです。
戦場では海外仕込みのシルクハットにフロックコート姿で戦い、
アコーディオンを手離さなかったと云われています。
笑ってはいけません。そこに村田の悲痛な叫びを感じるのは筆者だけではないでしょう。 西郷さん。明治の政治家で今もなお“さん”づけで呼ばれている人は貴方一人です。
その時代に時めいた権力主義者たちは、同時代人からは畏敬の念で見られたかもしれないが、後代の人たちから何らなつかしく敬慕されることはありません。
あなたは賊として死んだが、すべての日本人は、あなたをもっとも代表的な日本人と見ています。
恥ずかしいことですが、実は最近まで、あなたがなぜそんなに偉いのか、よくわからなかったのです。
……私にはあなたの心の美しさの性質がわからなかったのです。
それは私が、人間という観念ばかりにとらわれて、日本人という具体的問題に取り組んでいなかったためだと思われます。
私はあなたの心に、茫漠たる反理性的なものばかりを想像して、それが偉人の条件だと考える日本人一般の世評に、俗臭をかぎつけていたのです。
しかし、あなたの心の美しさが、夜明けの光のように、私の中ではっきりしてくる時が来ました。時代というよりも、年齢のせいかもしれません。とはいえ、それは、日本人の中にひそむもっとも危険な要素と結びついた美しさです。
この美しさをみとめる時、われわれは否応なしに、ヨーロッパ的知性を否定せざるをえないでしょう。
あなたは涙を知っており、力を知っており、力の空しさを知っており、理想の脆さを知っていました。
それから、責任とは何か、人の信にこたえるとは何か、ということを知っていました。知っていて、行ないました。 ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
桐野利秋 (薩摩藩出身 1838〜1877年 西南戦争 城山で死亡)
ヤクザ組織でいえば若頭(擬似的長男)に相当するポジションの人物であり、
西郷を別格とすれば軍団ナンバー1の実力者がこの桐野であった。
青年期の旧名が“中村半次郎”で、京都薩摩藩邸に招かれていた兵学者赤松小三郎を
幕府のスパイと見抜き、斬ったことから“人斬り半次郎”の異名を持つ。
しかし桐野の友人の有馬藤太はこの事件の真相を「赤松はスパイではない。
薩摩藩の内情を知り過ぎてしまったというだけで、薩摩藩にとっての恩師を
犬のように斬り殺したんだ 」と後に暴露している。
親分の西郷隆盛が栄達すると子分筆頭の桐野も芋づる式に出世し、
ついには陸軍少将にまで昇り詰めるが、明治六年の政変で西郷が下野すると
桐野も陸軍を辞し、西郷を追いかけ鹿児島へ帰郷する。
西南戦争では西郷隆盛を推戴し、国内の内戦としては死者1万3千という日本史上でも稀にみる損害を出すことになるこの戦を主導した。
その大評議の場では、挙兵は無謀ではないかとの慎重論も多く出たのだが、
桐野の次の言葉で全軍挙兵が評決断行されたという。
「断の一字あるのみ、総出兵の外に採るべき道なし」という何の軍略的根拠も無い"精神論"であった・・・ 大久保の子孫は総理大臣
西郷の子孫は陶芸家
やっぱり知能も遺伝するんだなw 半次郎が最期まで西郷に付き従って戦死したのにはグッと来た。
陸軍少将の地位を投げ打って下野するとか現代人にはおるまい。
義を重んじる正にサムライの姿であった。
あと城山での最終決戦前夜に薩軍が和気藹々としてたのは事実なんじゃないかと思う。
もう吹っ切れていただろうし、敬愛する西郷と共に死ねるという高揚感すらあったように思う。
もちろん本当は西郷と共に勝利の美酒を呑みたかったんだろうけど… >>153
捕縛した近藤勇に対しても比較的礼を以て対応して
坂本龍馬の復讐に燃える土佐閥に押し切られた人か? ≪ 西郷軍団 メンバー紹介 ≫
篠原国幹 (1837〜1877年 西南戦争で死亡)
戊辰戦争を歴戦し、新政府御親兵では桐野利秋と同格の少将であった。
近衛長官のとき、軍事演習を御覧になった明治天皇がその指揮ぶりに感心し、
「篠原に見習うように」と、その演習地を「習志野(ならしの)」と名付けたという説もあるが
じつのところ裏付ける史料は無い・・・
桐野利秋の知名度と比べると地味であり、実際に無口な男であったといわれる。
筆者の友人に習志野在住の者がいて、篠原のことを尋ねてみたことがあるが、知らないと言われた。 >>155
最高の死にばぁしょじゃーっ!
もう、なんと言うかドラマとしてあのノリ好きwとしか
つまり最終回でこれやりたかったんだなぁと
ひたすら悲壮で、死に際にやり残した事を思う新政府と
完全燃焼した西郷軍、勝ったのはどっちなんだと
まあ、それで終われる方は楽だとか
実際、西郷軍の足元での戦禍は、
今までの西郷のキャラでここまでやるなら描いて欲しかったけど
最後の戦いがやたら走って走ってだったのも
妙円寺詣りから繋がる青春の終わりと言う事なのかとか
「田原坂」だと、私学校自体が郷中教育の発展だとはっきり言ってたからな 田舎のヤンキーっていうか、なんか叫んでりゃ男らしいとか、ツバとばして目んたまひんむいてれば
野性味あふれるとか、発想が稚拙なんだよな
見かけ上のワイルドさなんて大河好きはどうでもいいんで、内容のワイルドさを求めているんだけど、
たぶんその意味わかんないだろうなぁ 何が面白いって
薩摩士族と戦っている間に鎮台兵がドンドン強くなってる所 基本的に差別とかきらいだけど、こういうドラマつくるうえではある程度の学力とか知能とか歴史の素養とかが要求されるのはどうしようもないね。
田舎のヤンキーみたいのか大和魂だとおもっているようじゃねぇ >>155
半次郎が付き添ったというか
西郷が半次郎に付き合ったんだろう >>154
菊次郎は京都市長やったし孫の吉之助は法務大臣やってるから西郷家もなかなかだよ >>163
西郷さんところは嫡流がすごかったからな
金遣いがw 史実の「ここらでよか」 → 戦を終わらせて他者を助けるために死ぬ
大河の「ここらでよか」 → 自分は満足した
意味合いが全然違うんだよ
まさに「こげん人じゃなか」だよ >>161
物語の登場人物が作者以上の知能を獲得する事は無いからな…
閉じた世界の話ならまだしも、
歴史上の偉人天才秀才達を表現するのは想像以上に難易度高いんだろう >>165
西郷は玉砕の前に政府軍に助命嘆願してるよ
それが史実
さらに山県有朋から心のこもった手紙が来て
「この戦は西郷さんの本意ではなかったことを私は分かっています
しかしこれ以上の死者を出さないためにも西郷さんが切腹してください
西郷さん一人が切腹してくださればすべては終わるのです」
と言われたのに西郷は無視して、結局政府軍に総攻撃されて全員死亡した
史実として、西郷は自分が死ぬことで若者たちの命を救う機会を与えられたのに、無視した
これは仮設や推論ではなく、確定史実です 脚本「こげん人じゃなか(脳内)」
役者「こげん人じゃなか(台本)」
視聴者「こげん人じゃなか(感想)」 >>155
>あと城山での最終決戦前夜に薩軍が和気藹々としてたのは事実なんじゃないかと思う。
薩摩軍幹部兵士だった綾部直景という人の回想録「血風薩摩士魂」という史料では、
薩摩軍の戦意は最後まで衰えることなく、しかも、確かに「なぜか陽気だった」んだとか
そういう気風なのか、やせ我慢だったのか
「真田幸村」の評伝を書いた小林計一郎という人は、太平洋戦争中南洋の島で守備兵として
日本軍の要塞に立てこもった経験があるそうだけど、周囲に味方がたくさんいたせいか、
アメリカ軍に包囲されてる状況なのに、なぜかみんな陽気だったんだとか
「大坂の陣の豊臣軍も似たような心情だったんじゃなかろうか」みたいに著作に書かれてるけど、
ひょっとして、薩摩軍もそういう一種「ハイ」な精神状態だったんだろうかね >>167
司馬さんが何故西郷に積極的な関心を示さなかったのか不思議でもあり謎でもあったけど、
司馬さんほどの人がその史実を見落とすわけがないからね。学徒動員で戦車兵として死んでいてもおかしくない
経験をした司馬さんにとって、上の者の愚鈍さによって、将来性ある若者たちの命が左右されるということに我慢ならなかったのだろうかね。 >>169
人間は緊張する場面ほど防衛本能働いて笑ってリラックスするのかな
関東大震災直後の写真で歩いてる住人が笑ってるの見た事あるし
神風特攻隊の離陸前の写真も笑ってるのを何枚も見た >>169
あげあしを取るようで何なんですが、城山で最後まで戦った戦闘員は全員死亡しています
したがってその綾部直景という人は最後まで戦っていませんし、薩軍の最後の様子を見ていないことになります
鹿児島人たるもの最後はこうあって欲しいという願望でそのようなことを言ったのでしょうか >>169
それが郷中教育の強みであり、同じ郷土出身者の団結や絆が強さになった。
新政府軍は徴兵制を採用したけど、敗戦により廃止されるまで郷土部隊という伝統を貫いた。
特に陸戦においては兵士の団結力が強く問われる。
逃げようと思えばいくらでも逃げられるからね。
あと将兵が最後まで戦い抜いた敗軍の将としては、石田三成や明智光秀が挙げられる。
どちらも後世において評判の良い人物ではないが、仲間が次々と討ち取られる敗戦にあってもその指揮の下
最後の時まで将兵は粘り強く戦い抜いた。
それは三成や光秀に正義があったらではなく、ひとえに人徳があったからだと思う。
この男の信じるものを我も信じたいと思う将兵が大多数であったからだろう。
余談だが、家康が松平姓から徳川姓に改姓したのは徳の重要性を知ってたからだしね。 >>171
特攻隊員は残される人を悲しませないために笑って出撃したという話があるね。 大阪府知事と大阪市長の辞職。大阪都構想や道州制構想は、米社
の思惑として、日本を東西に分断させて利害対立させたり、州軍
を保持させたりすることで、内戦を誘発する軍産複合体の戦略で
あり、維新の会を解散させた方が良い。2018年12月24日
毎日新聞朝刊1面。 @mainichijpnews
大阪府知事と大阪市長の辞職。大阪都構想や道州制構想は、米社
の思惑として、日本を東西に分断させて利害対立させたり、州軍
を保持させたりすることで、内戦を誘発する軍産複合体の戦略で
あり、維新の会を解散させた方が良い。2018年12月24日
毎日新聞朝刊1面。 @t_ishin #維新の会
共感の怪物。西南戦争は、戊辰戦争で長州以東を制圧して、傭兵
や移民を支配層として送り込んだので、長州以西を制圧するため
に各地で士族の反乱を引き起こさせた。大日本帝国を英米企業の
の傀儡軍事政権とするためである。2018年12月24日毎日
新聞朝刊2面。 @mainichijpnews #風知草
西郷人気を宣伝した資金を、誰が支出したかだが、大日本帝国を
傀儡軍事政権として朝鮮や中国への代理侵略戦争をさせるために、
木戸孝允や大久保利通が邪魔だったのだろう。長州の朝鮮系移民
を英米企業が傀儡として利用した。2018年12月24日毎日
新聞朝刊2面。 @mainichijpnews #風知草
「西郷隆盛が征韓論で下野した」と英社が宣伝し、失業した士族
を朝鮮半島への代理侵略戦争に動員しようとしたことが、宣伝の
目的であったと考えられる。西郷隆盛を神格化することで、朝鮮
半島への侵略を「明白な運命」にしようとした。
@mainichijpnews #風知草 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b) >>167
それは違う
そもそも若者たちに決起に自分の命を授けたんだし、その死にたがってる若者たちが生き延びようなんてまずあり得ないな >>170
司馬さんは翔ぶが如くの前半では西郷や桐野を陽気な南国男児として描いているけど
後半では無能で不気味な全体主義軍団として描いてますよね
はっきり昭和陸軍の隠喩として描いていた
兵站を無視した前線拡大
人命軽視の突撃主義
さらには、今戦争をやめたらこれまで注ぎ込んだ人命が無駄になるという、自分の失敗を認めたくない無能者特有のしがみつき
西南戦争と太平洋戦争はそっくりだ
命を落とした若者たちは戦争で死んだのではない
無能だった桐野や西郷に殺されたも同然 >>180
司馬が批判的だったのは、実質リーダーだった桐野や篠原たちだろう
西南戦争での西郷は、ある意味天皇的な存在だな
司馬は対談やエッセイでもよく、西南戦争での西郷はわからないと言っていた >>172
いや、城山の戦いでも薩摩軍は全滅してないみたいだよ
城山の戦いに参加した薩摩軍は三百数十人で、戦後に回収された遺体が二百人くらいだったらしいと、
手元の解説本にある
野村忍介ら幹部数人は、裁判で薩摩軍の正当性を主張するためにあえて降伏してるらしいし
綾部直景が、城山の戦いに参加したかまでは知らないけど、仮に参加しなくても生き残りに
取材することも出来たのではなかろうか >>181
西郷ってやっぱり木戸が言ってたように大局を見れなかった人物なんだね
その場の感情で動くような所がよくある
自殺未遂も2回したかと思えば幕府倒す為なら猪突猛進の如く突き進み
政府に入って合わないと思ったら放り出して鹿児島に帰る
でも困ってる人を見捨てられない性格だから人に頼られる、惹きつける魅力あるんだろうね 西郷の事知れば知るほどバカに見えてくる
器の大きい人物というのは皆のイメージ通りで間違いないと思うが
情に厚く目的のためには突き進むけどブレーキ効かない融通の効かなさ
行き当たりバッタリに近い人生だな >>189
ごめんなさい
>>187の自分に言ってると勘違いした
>>189には同意です >>192
おまえ完全に宗教
池田大作とか大川隆法と同じなんだなお前らにとって西郷隆盛は >>192
>つまらない人間が西郷を語るほどつまらない話しはない
ワロタ >>170
桐野は郷士って時点で極々初歩的なミスを犯してるわなあ
翔ぶが如くは元々村田を主役に据える構想だったが、現存資料に乏しいために断念せざるを得なかったこと、だがそれでも村田の描写には固執していたようだが、結果的に非常に痩せた内容に終始したことを自身悔いていた。
単純ミスは犯すものだ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています