【2012年大河ドラマ】平清盛 Part186
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【2012年大河ドラマ】平清盛 Part177©2ch.net
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■前前スレ
【2012年大河ドラマ】平清盛 Part184
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1581677081/
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●>>950以降の有志が次スレを立てる。
●スレ立て宣言と誘導は必ず行い、無理な場合はすぐに申告すること。
●スレを立てられない人は次スレが立つまでレスを控えるように。 >>365
つまり、インプロージョンに失敗した訳ですよね。
で、興行としては致命的な傷物大河になったと。
まるで水爆実験(インチキ)に成功したと喧伝し、配給する薪もない有様の国のようだ。 ちなみに俺的ベスト家康は、真田太平記における家貞さんのお父さん。
この狸親父とジャニ氏とは、自分の中でまるっきり結びつかない。
このギャップに期待する。 題名からして盗作疑惑の「遁げろ家康」 (池宮彰一郎)を連想させてなんだかとっても不安。
滝田家康は鳥居強右衛門とか長篠の脱糞とか非常に印象に残ってるけど松潤に脱糞させるのかよってちょっと期待してみる。 松潤って花もゆの彼女の元カレだか現カレで、セクシー女優とどうのこうの賑わせた人なのね。
いかなる評価で家康を担うことになったのかは、脚本家氏の推薦の弁からは分からないけど、
磯Pの「慧眼」を信頼すれば、古沢氏(フルサワと読まないのね)が目指す新たな家康像にピッタリ
なんだろう。 馬鹿馬鹿しくて素通りしたいのだが、脱糞は野糞シーンのみ。
ホントに汚い京描写も、実は最初期に限定されたものにすぎない。
時子さん憧れの光源氏ー光る君の対局にある脱糞男ー光らない君清盛との出会い(もう台無し!!!)、
その光らない清盛に惚れてしもうた時子さんとの睦まじい夫婦仲。そして、このシーンが四面楚歌に陥った清盛を、
遥か後年ー49話で慰めるシーンにおいてすこぶる効いていたことにつき何度も述べてきた。
脱糞ネタはお下劣で済ますような安易な創作では決してなく、王朝絵巻的キレイな世界に対する
アンチテーゼなのである。 玄人の松ケンで失敗したのに素人の松潤起用とは磯のヤケクソ具合は蓮舫並みだなw 失礼ながら酩酊状態で見た松浦が唯一の松潤ゆえ、役者としての才能については何もわからない。
もっともウチのやつらは松潤ステキーと嬉々となってますわw
一つ気になったのは、磯Pのコメントを読むと、古沢氏が閃いた「俺が抱いたちょっと違うイメージの家康」を
企画の出発点としてること。
これはチト疑問で、清盛がそうだったように、「史学の成果によれば歴史上の家康は実はこんな人だった」
に立脚してもらいたい。
とまれ、コメディ云々と早決めつけられているが、有能な脚本家と共に歩むだろう家康大河がそんな
軽い内容で終わるわけがない、と信じたい。 よかったな清盛より下の大河をこれでもかこれでもかと製作してくれてw 昔は良かったーの爺婆たちがいうほど、昔の大河が本格重厚歴史大河とは思ってない。
むしろ本筋から脱線した恋バナがない、あるいは「戦は嫌じゃ」をシカトしたものを探すの方が難しい(戦争を体験した世代の昭和の価値観だからーと
現代の価値観を持ち込むなーたちは擁護する、、、)。
そして、史実を踏まえた上でそこにドラマを見出し緻密に再構成していく力技となれば、清盛といくつかの近時の作品と比べた場合に、
いたっておおらか(雑)なものが多く、しかも清盛や真田や直虎やいだてんのような強烈な作家性に唸らされる作品は少ない。
逆にいえば、伏線、対比、象徴表現みたいな手練手管を駆使するテクは嫌われ、ふつうに時系列でエピを積み重ね、そこに恋バナやホームドラマを挟む作風が
昔は良かった―たちの好むところなんだろう。
他方、これだけ大河の低迷が話題となり糾弾ネタとなってしまった以上、なんとか新たな顧客を獲得して再浮上させたいとNHKが必死であるのも確か。
そうは言っても、いわゆる「骨太王道歴史劇」を復活させれば大河が「再興」するとか主張しただけでは、それは時代錯誤の戯言にすぎない。
NHKはわかっている。
だから、爆死を恐れて、マイナーな題材でチャレンジする時は三谷のような才覚に縋り、そうでないときは、西郷に家康といった「またかよー」
とうんざりさせられるザ定番に縋りつつ、その枠内で「子どもから大人まで誰が見ても楽しめる」作りを模索する。
主役起用についても、女性に人気のアイドルに目をつける(松本氏がダメというのではない)。
そういった試行錯誤を繰り返しているのが今の現状だと思う(一番やめて欲しいのが「国策大河」)。
清盛は、とりわけ海賊回そして為朝キャラなんかを見れば、決してエンタメに背を向けた大河ではない。むしろこういうところを捉えて「漫画大河」なる難癖が
展開されたほどだ。
しかし、全体を総括すればちょっと例をみない「シリアス重厚歴史劇」であったことは論を待たない。
肩が凝る、息がつまる、遊びのないゴリゴリの作風ーこれが最低視聴率を獲得した少なくとも一つの要因である。 汚い絵面で学芸会だからの惨敗なw21世紀以後の比較でもダメダメが清盛w 女大河がーに応接する気力はほとんどなくなってしまったが、
今でも元気なババア主導による原作なしがーには腹立って仕方ない。
コピペ見つからないのですまんが、原作ある無しで大河の成果は決まらないことにつき
具体例をもって反論してきたのに、このババアは一つも答えずに今だに原作がーをやってる、トホホ。 直近で読んだ呆れた戯言においては、
麒麟は原作なしのオリジナルのため、長谷川始め役者たちは、本能寺の「真実」を知ることができずに、
そこへ向けての役作りができずに迷走しているーーーーんだそうだ。 オウムちゃんの名演技(ロボット含む)に異論を唱える者はいない。
なんせQ右爺まで褒めとるw
あと上西門院のニャンちゃんとか(古代エジプトに遡る貴顕たちのペット)、ダメさんちのお猿さんとか
(魔除けという)も良くできました!
あの可愛い品の良い白猫ちゃんはもうこの世にいないみたいね、哀悼。
清盛役者が皆々、研鑽を重ねて役作りに励んだことにつき、映像を見れば疑問の余地はない。
ただ、清盛だけの特徴ではないと思われるが、歴史好きで各種資料を読み込みノートを取って
役作りをするタイプは、杏ちゃんとあと少しぐらいではないの。
興味深いことに、松ケンは当初あれこれ手を出したがある時点でやめて、台本読み込みに徹し、
そこから自らの内面に浮かび上がってきた清盛像に集中したのだという。
このアプローチも素晴らしい。歴史上の人物へのアプローチにおいて杏vs松ケンの優劣を
つけることはナンセンスである。 一方、戦いに敗れ哀れ散った愛犬岬丸は、忠盛→清盛「死にたくなければ強くなれ!」
を引き出すアイテムである。
清盛に待ち受ける、勝つか負けるか、乗るか反るかの厳しい「生存競争」を、
この「負け犬」は体現し予兆したのだった。 要するに松ケンは途中で諦めて大河清盛は負け犬である事を受け入れたんだなw これOA当時は人間関係ややこしくて挫折したけど
今さらすごく見たくなった
でも現在は上皇が実在されるから再放送はしないだろうな
TSUTAYA行くしかないか
平清盛なのに弁慶の立ち往生もやったんだね
頼朝と清盛の対比の為か 鎌倉殿へのプロローグとして太平記の後にやってくれんかな 清盛にも北条義時ちらっとでも出しとけば面白かったかも。
「君の名残を」ってSF歴史小説で興味を持った人物だけど
まさか大河の主役にまでなるとは思わなかった。 >>388
wikiで確認したけどぜんぜん記憶になかった、ごめん。 義時はたしかに出てきたが台詞があったのかすら思い出せない
文字通りのチョイ役なのですっかり忘れてしまった人はドンマイ >>385
何せ上皇で御名の読みがなあ…あなかしこし、かしこし 清盛大河で義時をクローズアップする余地はなかった。それでもちょっと触れるとしたら、
早くから頼朝お気に入りの子分義時だろう。
もっともこれを清盛物語で語る意義はほぼない。
反面で、時政一家が政子と地味な母一人というのも不自然なので、バッサリ省略せずしかもそこにいるだけ
とした義時の扱いは、人物の取捨選択と軽重配分に冴えを見せた清盛らしい選択と言えるだろう。 どうする家康でどーすんだと思ってたら磯Pが1stなのかよw
いまNHKが製作している時代劇のかなり多くには磯Pの名前があるけど
(BSから地上に下ろしている子連れも立花登も磯P案件)
大河清盛で終わった人扱いじゃなくてよかったw 近代物ならば、日本資本主義の父渋沢栄一より、はちゃめちゃな人生を送り最後は悲劇的な死を迎えた、
日本人とは思えない行動力の持ち主ーアナーキスト大杉栄をやってもらいたかった(人生短すぎるが啄木も)
時代状況を真正面から描くことができるし、才女たちとの狂おしい恋バナにも欠かない点で大河にうってつけ。
もちろん実現可能性はゼロゆえただの妄想です。
何を言いたいかといえば、社会主義だのアナーキズムと一切関係ない清盛もまた、
「その時代の通念や常識に激しく抗し、破天荒な行動力で新たな時代を拓こうとした激情の人」(考証1)
であった点において、大河主人公にもっとも相応しい人物なのである。
正直、溢れ始めた渋沢便乗本を読む気がしないのだが、鹿島茂大先生が浩瀚な準研究書をものにして
いることを知った。紹介を見たら大杉同様、異文化就中フランス体験を重視する視角のようだ。
で、大河渋沢情報を側聞するに、日本資本主義の父よりも、渋沢から見たあるいはモブで参加した幕末維新が
メインだとのこと。んなバカな、、フェイクであって欲しい。 時忠「されど、いささかアンチすぎましょう。アンチすぎるということは、もはや清盛推しと同じにござります。」 >清盛で終わった人扱い
んなわけないでしょに。記念朝ドラを任されたのもこのお方(どこが良いのかわからぬまま
脱落しました、すんません)。
おまけに麒麟のPは、実権はなかったとはいえ清盛のセカンドP。
これらが意味するところは、清盛に対するNHKの内部評価は、最低視聴率で終わったにも関わらず最高
ーーーということ(この「Q的にあってはならない現実」を前にして目を背けたい連中は、
「馴れ合い」「人材枯渇」「無責任体制」だと喚き始める)。
終了後間もない時期におけるドラマ部長の総括発言(清盛は最高の人間ドラマーーー)からしても
既に明らかであったが、その後のP、脚本家、演出家の重用ぶりを見れば、
マスコミそして連中が牛耳る5とそれによって代表される世間とやらの「低い評価」に、
NHKは常に泰然として対峙してきたことが判然となる。
政治報道はともかく、ドラマ部門ではNHKは公共放送の使命を果たし続けている。 >>395
ここでの義時はアラレ政子におけるガッちゃんだった >>404
「ここは今から倫理です。」の味を取り入れた、近代劇バージョンを作ればよいかも知れん。 ほろ酔いにて家康スレに投下↓
フリーハンドの三谷みたいのは除き、いきなり歴史素人の脚本家が題材を持ち込むことはないでしょ。
NHKが複数の候補を提示して、「俺、私がやりたい、これならやれそう」な題材に絞られていく
ー通常はそんなプロセスを踏むのだろう。たしか龍馬伝はそうだったはず。
決めた時点での古沢のコメントが少々明後日であっても、Pと考証のコントロールに支えられつつ、
自身の研鑽によって名作大河となる期待は大いに持てる。
清盛長文にとって何も知らない人であるが、確固たる実績と評価を有する現役屈指の脚本家というではないか。
歴史劇についても、お門違いと落胆するのでなく、そのポテンシャルに期待するべきだ。 今日はまだ、たぶん8時も見られない。
運営江守爺と愉快な仲間たちの自演シナリオに釣られて消耗なスレと化した麒麟本スレ。
さすがに早麒麟後はそれぞれの立場からいろんな人が賛否両論戦わせて面白い。
どっちもそーねと共感したくなり、いや待てよとなる。
こうした議論を澎湃させる大河は、いろいろあっていろいろイレギュラーであれこれ足らずで
お気の毒であったけれど、良い大河だと思う。 もはやNHK内じゃ大河製作は左遷ポストになってるなw やっと見た。
暴君度をいや増す信長排除を望むABCD煽り包囲網説か?
そこに個人的にどんどん膨らんだ違和感(より内面的な動機)に伝統的な折檻→恨みが加わる。
噂では長宗我部絡みの新説にもご挨拶?
こういう総花方式は好きではないが、明智を本能寺に着々と追い込む段取り的には、
単純怨恨説や特定黒幕説よりもドラマ上の説得力は増すかもしれない。
しかし、信長vs光秀の息詰まる打擲シーンを見ると、平家はほんと仲良しだったなー、とホッとする
(信長と光秀は同族ではないが。兎丸は特殊なので置くが、主従間でこのような殺伐とした関係
に陥ることはなかった。清盛と臣下たちー盛国、時忠、忠清ーとは生涯信頼によって結ばれていた)。
とはいえ、一連托生を掲げる一門で生じた微妙繊細な軋轢葛藤もまた、大河清盛が放った魅力の一つである。 命を賭した忠清の諫言→宋剣振り上げての尻もち(体の軸崩壊)ってのもあったけどね。
しかし、信長と光秀との間の、隙間風吹き荒ぶギクシャクした関係とはまったく異なる。 あれもこれもの総花方式は好きでないと書いたのは、
どうしてもそのやり方では、唐突(いきなり)、断片的(一つ一つが薄い)、ご都合主義による接合、
整合性の欠如が生じがちだから。
麒麟もその傾向を否定できないが、統一感が失われていないのは流石だと思う。 帰蝶ルビコン川説(悩む光秀をプッシュ)なる完全オリジナルも加わるのか?
だったら、さんざ軍師帰蝶として活躍しながら再開後行方不明となり、今頃突然復帰して
いきなり信長who?と「離間」した扱いはよろしくない。
さすがにこれは、コロナと川口嬢のスケジュールに由来する「手抜き」だろう。 清盛は折檻どころか人死するくらい蹴りまくり。
ま、一族もどこがどう仲が良かったのやら。
贔屓目に見ても、清盛が壮年になってからは近しい内輪もバラバラだったし。 「源氏に対して比較的仲が良かったとされる」byナレ朝
実際もそうだし、しかしそこに内輪揉めがないわけないし、
そしてこの点をしっかり理解しながら作劇がなされていたのは、
ナレ朝からも明らかである。 内輪揉めがなかったばっかりに武士業界のトラブル管理のスキルが全くなかったのが伊勢平氏 「仲良し一門の水面下で戦わされた葛藤」をテーマ化した傑作回、
それが殿下乗合事件回である。 水面下なら後に全員行く事になるから必要なかった回である >>415
西光への凄惨なリンチは政敵を葬るもので身内や部下に対するものではないよ。
明子が死んだ時の坊主キックもそう。
なお、いずれも物語的には「もののけの血」が爆発したもの。
時子&宗盛vs明子腹重盛との軋轢葛藤は後期平家の対立軸をなし、ドラマ最大の見どころ
の一つであったと再三述べてきた。
しかし、彼らは決してバラバラではなく強固な絆を維持し続けた。 家盛亡き後の正妻宗子の実子「正統頼盛」も、清盛のカウンターであり続けた。
歴史上の頼盛は、清盛政権にとって常に「離反分子」でありながら、結局は清盛に敵わず屈服した。
この史実を踏まえて、ままならぬ出世に不満タラタラの頼盛に向けて、ドラマの清盛は
絶妙のフォローをした。
それが福原京構想を腹心をスルーしてまでも真っ先に頼盛に明かして「一連托生」を求めたシーン。
清盛の信頼を受けた頼盛は、改めて清盛の大胆で雄大な構想に平伏したのだった。
ドラマではこの頼盛の位置づけを「耳の痛いことを兄に直言する忠正」の後継者と捉え(これは創作)、
正統の自負から清盛に不満を抱いて何かと反逆する弟でありながら、最後の最後で忠正同様、
「一門の外に出ることで平家の血脈を救う」「誰よりも平家の繁栄を願う」パラドキシカルな男として描いた。
頼盛は西行と並ぶ最終回のキーマンに据えられた。それで良いの頼盛さん?と心配気に頼朝から尋ねられた
離反分子頼盛が、やや自嘲気味ながら力強く「平家は皆一連托生ーー」と確証したことで、
清盛のスローガンは初めて「べき」から「である」に昇華したのである。このパラドックス!
その他諸々、ジャンプの打ち切りがーpgrと嘲笑われた、しかし誠に凄まじい最終回でした、、、。 いつも同じ連中が牛耳ってるのだから、大河スレでも芸スポでも未だに
昔は良かったーたちの悲鳴を毎日聞くことになる(昨今はーの枕詞は阿呆の自己紹介でしかない)。
中でもアホらしいのが、最後の重厚歴史大河は姫しゃまーの風林で、そこにせいぜい八重前半と真田
が加わるのみーで団結する愉快な仲間たち。
こいつらに重厚歴史大河の基準を(あるべき要素)(あってはならない要素)を挙げて尋ねても、
何も答えは帰ってこない。恐ろしいまでダブスタ連中なのだから当たり前。
そんで、こいつらに清盛は「重厚歴史大河」じゃないのーと質せば、チロリンチロリンニャーゴを
至高とする連中は、海賊王がーと喚くしかないのだ。 映像面では龍馬伝が画期となり、作劇面では平清盛が、昔は良かったーの地平を大きく凌駕前進させた。
失敗はあれど大河は進化し続けている。
家康大河を早攻撃し始めた連中をみれば、松潤起用と相まって「新しい家康」に大いに期待してしまう。 信濃の女ネトウヨ侘助とか京のウヨ婆資盛はともかく、論調を見ると、リベラル系でありながら
藤本罵倒でお馴染みのお姉さんたちが、カムカムに対してどう反応するかは興味深い。 頭悪いヤツが楽してマウント取るにはホリエのように逆張りだけしてりゃいいw 昔と昨今の定義をちゃんとやってから始めろよって希望はある
9年前(光陰矢の如し)の清盛は、常識的にはなお昨今だろう
苦笑い Q右爺も一度ぐらいは「あたまのよさ」を開陳してくれよ
たのんます 大爆 と72年も74年も大した間違いじゃないとホザいたバカなホリエのダブルスタンダードでマヌケな独り言でしたw たいした間違いではないよ爺。
いずれにせよ70年代初期なんだからw 堀部氏をホリエと勘違いしたことは大した間違いでした。
改めてお詫びします。 >>246
西光の加藤虎之介はもっと売れるかと思ったがテレビでは顔が大大きくて使いにくいのかな 大した間違いじゃないと自分自身に甘かったからホリエは自己像に比べてパッとしない人生なんだなw >>434
そんなことはない。
圧巻の西光演技で応えても、その作品がボロクソ貶されては、いつまでもこの人誰?でとどまってしまう。
そこが悔しい。
一方、三谷人脈に連なる真田役者さんたちが(力演はその通り)、調子になって仲良く自己アピールし、そのことで
またぞろ三谷組と可愛がれて登用されるーそうしたサイクルは俺の好みとはかけ離れた嫌らしい世界なんす。 >>434
加藤虎ノ介には加藤虎之助(清正)を演じてもらいたいと思っているんだが、実は先祖は小西行長だっていうんだからややこしい。 評価された者がさらなる上のステージへ。評価された事がないバカのホリエはこんな簡単な事さえ理解出来ないんだなw Q右爺さー
ここで評価されて、今や大活躍の彼彼女らてんこ盛りなのが大河清盛なんよ。
その中で、クオリティを高める上でなくてはならぬ貢献したのに、現下の不遇な現状に納得できないのが
後白河近臣の二人。
この二人なくして大河清盛なしと断言できるほど、加藤吉沢両氏は素晴らしかった。 政治ドラマを全部カットしないと今の視聴者は絶対に観ないよ。
平家物語は軍記ものなんだから合戦シーンだけで充分。
政治や宮廷みたいな不純物はいらない。 つまらなくなきゃ見るよw清盛はつまらないから見られなかったんだよw 大衆ウケしないのはわかる
でもこの作品を遺した意義は大きい CMで「僕が僕であるために」を歌っている杏ちゃんが、頼朝をあしたに連れていく政子に見えた。 カルトにも上級国民にも全国民平等に受けなかったのが清盛w 「連れていけとは女々しいお方じゃ。共に参ろうぞ、まだ見ぬ明日へ」
っていう台詞が好き。
文覚が義朝のしゃれこうべ持って来るよりいいかもね。 藤原竜也と松ケンのダブル主演で推理物とか見てみたいわ
藤原竜也が天才的な名探偵で、松ケンが三枚目のワトソン役
ヒロインは黒木華さんでお願いします 細かいエルってど根性ガエルのことかと思いきや、デスノートってやつね。
窪田くんが出るというので怖々見てみたんだけど、10分でKOされました。すんません。
それ以前に松ケンがやって評判とったのは知っているが、ガリガリだったのか。
そこで思い出したのが、高平太がかなり太めで登場し「役作りがなってない」と叩かれたこと。
たしかに、2話での初登場はまだ厨房ぐらいなのだから、普段より絞ってさらにヤンチャなガキ感を
出してもらいたかったかも(鈴木亮平氏は西郷に合わせて増量した反対方向で。もちろん無理はNG)。 老害清盛まで射程に据えた松ケンの役作りは、批判に対する防衛上、セカンドベストと言ってきたが、
総括すれば見事であったと言うしかない。
清盛全生涯を演じ切るとしたら、各ステージでベスト清盛を求めるべきではない。
なので、平治の乱直後からして老人入道演技の渡清盛を持ち出して
(実際のところ、そこから精力的な仕事人ー壮年清盛が開始された)、松ケン貫禄がないだの連中が喚き始めると、
俺はいつもテンパるしかないのです。 松ケンはア○ナミンVのCMじゃあもったいないよ。
もっと連続ドラマやって欲しい。
あーそういえばアリナ○ンAのCMは深キョンだったね。 松ケンはど根性ガエルと言う代表作が有るのが救いだなw 一人の大人物について、青年から老年に至るまで目眩く変遷していった多彩な相貌(にも関わらず終生変わらない
コアなキャラ)を理論的に整序して組み立て、これに一人の役者が応えた作品は他にあるのだろうか。
2010年代1、2位輝いた大河の主人公も、現在日曜にやってる昔の名作の主人公も、基本ダイナミックレンジの狭い
「一個のキャラ」で推移した。そういう特徴をもつ主人公を、売れっ子の大スターたちは見事に演じたということだ。
清盛をやったばかりに松ケンが埋もれて良い謂れは一つもない。
その後の活躍(ブルーリボン賞も取っている)からして幸いそんなことはないけれど、
大スターへの王道から逸れて、目下いささか裏街道を歩んでいるとしても、それは役者松ケンにとって大いなる肥やし
となるだろう。 >>462
松ケンは全然埋もれてないと思うけど
大スターって例えば同世代だと誰なの? 久しぶりに主人公にダークな事をやらせられたという意味でも大きい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています