【1991年 大河ドラマ】太平記part.54
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【1991年 大河ドラマ】太平記part.53
https://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1608872437/ 少年ジャンプで取り上げられたんで南北朝界隈の書籍が
全力で乗っかろうとしてるのがいいぞもっとやれ 今頃どうしたのかと気になっている人物ベスト3
宍戸知家
新田氏義
不知哉丸に似ていた少年 >>835
赤松と楠木については、それぞれの遠祖と三川乃国藤姓熱田大宮司家との繋がりを考査する必要がある
赤松則村と楠木正成の遠祖は、足利氏の遠祖たる熱田大宮司藤原季範が三河の親分だった時代に三河守になっている
源義家(1039-1106 )
源義家→義国→義康→義兼→義氏→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
藤原季兼(1044-1101)
藤原季兼→季範→範忠→女→義兼→義氏→泰氏→頼氏→家時→貞氏→尊氏
赤松則村
季房(三河守)→季則→頼則→則景→家範→久範→茂則→則村
楠木正成
良国(三河守)→良村→良正→良成→成氏→正俊→正玄→正成 須藤凜々花は東京都出身(笑)
太平記面白かったなあー。何といっても北条一門がサイコーだった
フランキー堺みたいな芝居出来る役者いまいないよね 高時を演じた鶴太郎が今はあのザマだからな
まあ演出が悪いんだろうけど 本日の発見1
「わしは何度か神仏のような者をみたことがある。子供のころに出会った新田義貞殿、京に上った折に拝した帝・・・」
義貞、尊氏に後醍醐と同列の神仏と思われていた。
発見2
「正成殿、義貞殿、守時殿を殺し・・・」
金沢貞顕を殺したことに何一つ悔いも後悔もない >>960 金沢様のことは名前をわすれていた可能性が
尊氏「アタックチャンスのひとは何ていったっけ・・・まあいっか」 しかし師直は登子が「不思議なお方でございますな」とか言っていたと思うのに、
いつから「乱暴者」のくくりになったのやら >>916
正成は「大楠公」補正がかかるから実際はどうか分からんけど、
『梅松論』のほうだったか楠木、名和などは横暴な振る舞いが目立つ・・・みたいな描写があった気がする
今の土岐、高兄弟状態ということになるか 実際の師直は和歌を詠むような教養人なんだよね
悪評も女絡みがほとんどで、それもどこまでが事実かわからない
反論するような有力な末裔もいないから言われたい放題
あげくが仮名手本忠臣蔵で悪役にされてしまった >>963
登子「しかし師直殿は不思議なお方でございますね。もう何年もいるのに
いまだに初めて遭った心地が致します」
この頃から十分師直の底知れない怖さがにじみ出ていたような… >>964
正成は朱子学を学ぶ程度よ教養があったから戦場では暴れても、それなりのインテリだったんじゃないかな
序盤で反乱を起こした安東氏よりも蛮族感が溢れてた赤松円心の描写はどうかと思うがw
北条時宗で海賊のように描かれた佐志房に対しては松浦の人達からクレームがあったらしいけどね リアル視聴しようとして寝落ちしちゃってたから
今朝、久しぶりにみたが
中先代の乱で関東に下る頃は
皆さん
我らの身内が戦っております、死んでおります
酒でも飲まねば、やっておれませぬ!
なんて言ってたのになあ >>966
セリフ全部はそうだったっけ
でも、それだと何となく「腹の底の読めない男」的だったし、尊氏に出陣促す宴会のときも乱れてはいなかった。
花夜叉一座のときは田舎武士っぽさもあったけど。
>>967
どうなんだろうな、実際は
義貞は太平記、梅松論通じて「乱暴狼藉、青田刈を禁じる武士の鑑」で統一されているけど。
建武期にブレイクした武士の中でも悪評がないのは唯一新田(まあ、尊氏もか) 義詮が登場したのに、書きこみがないな
太平記の続編やるのなら、孝太郎に義詮役で出てほしい ところで録画をみていると、師直軍の中に北条の赤旗が・・・
怨霊か?・・・だから守時の話が出たんだろうか。
気のせいかたまに大中黒が見えることもあるような >>970
右馬助に傳役の才覚がないのが良く分かる初登場だった >>970
今度は足利三代か
ただし義詮は四十前に死んでるんだよな 塩見さん、この頃から売れ出したんだよね
12人の優しい日本人見ていい役者さんだと思ったが
80年代は犯人役ばかりやってたんだよね >>973
『梅松論』(建武の新政)
「武家楠・伯耆守・赤松以下、山陽・山陰両道の輩、朝恩に誇る事、傍若無人ともいひつべし」
ここかな 義詮は次期将軍なのだからずっと鎌倉にいるわけにもいかないと思うが
直義が失脚しなかったら尊氏が亡くなるまでずっと鎌倉に留め置かれてたのかな なんか今回妙に画質がいいね。
時々やたら画質が悪かったりするのは何故なんだろ。 >>978
このドラマでは決起時点で「これからの政は京でやらねば」的なことを言っていたけど、実際の尊氏は死ぬまで関東志向が強く、
可能なら幕府も鎌倉に戻したい。だから鎌倉を放棄しない象徴に嫡男を置いている。
尊氏義詮のころは朝廷でも「鎌倉大納言家」を名乗っていたんじゃなかったかな。 楠木正成は都道府県を超えた広域自治体で大河ドラマを誘致してるみたいだからそろそろかもね 守時殿も、楠木殿も、新田殿も、みなわしのこの手にかけた この手は血みどろじゃ
この上・・・この上弟まで殺せというのか
身につまされるセリフだなあ >>981
正成をやる場合一番のテーマは誰が彼を殺したかだろうな
それこそ足利か新田か坊門か後醍醐かって >>976
義詮が一応の名誉挽回をするのは正平一統の破綻後に独力で京を奪還した時かな
鎌倉に尊氏がいたとはいえ >>983
守時の名を一番最後に呼んでなかった?ちょっと溜めを入れて 楠木正成のみじゃあ中途半端な所で終わりのが欠点だな
息子の正行や正儀の話もやれば良い
特に楠木正儀なら一時は北朝に味方をしていた
変わった人間で面白いかも >>987
本来ならそれが一番理想なんだよな
正成自身が尊氏との和睦を主張していたわけだし単なる御都合主義的な忠臣像じゃないって 今日は録画後に観たが、直義がガチで尊氏に師直の軍門に下り、幕府から手を引けと説得したときに、義詮を否定して直冬を将軍にしたいとか言い出したのに流石に無理感があったわ
なぜならば、足利一門や譜代で固めてる直義党の1人としてならば直冬はありだが、将軍軽視の候補にすると直冬では誰もバックアップしてくれないから
義詮の闘鶏にうつつを抜かしてる場面はなかなかよかった
馬之助が苦渋に満ちた顔が足利の将来を予期してたと思う >>990
高時のイメージも重ねてるんだろうな
これも北条の血かって >>990
義詮がうつけを演じながら闘鶏に興じてるような奥深さを一瞬で窺えるようなら良かったのに。 >>980
そりゃ、その当時の常識からすれば当然
鎌倉幕府の真似をするなら京に腰を据えたりせずにずつと東にいればいい
ドラマの中でも正成が尊氏と対面した時鎌倉に戻られるものと思ってたって言ってたよな
それでは立ち行かないってわかってたから西に本拠地を置いてたわけ
理由は経済だよね
西が経済バブルになってるから、そちらを押さえないとジリ貧で飲み込まれる
「新しい武士」の力も取り入れないとって散々言ってるのはこの辺だけど
直義は終生これを理解できなかった
室町幕府は250年かけて結局はこれを統制出来なかったわけで
戦国時代は必要不可欠だったのかも知れんな >>984
義貞にされるんだろうな。
このドラマでさえ湊川の合戦の流れを太平記とも梅松論とも別物にしているから、
結局のところ、忠臣楠公の縛りがある以上は正成大河はやらない方がいい。
湊川神社もどうせうるさいだろうし。 >>994
まあ一番の理由は南朝の存在なんだろうが でも、結局は登子は兄を殺した尊氏を心の底では許していないんだなと思った。
「兄を見殺しに致しました」とは尊氏が政治的に守時を窮地に陥れ、戦場でも死地に行かざるを得なかった。
(登子自身の行動は最後まで命を救おうと動いていたし、私本は覚悟を決めていた) 南朝の存在があったからこそ、幕府は京に置かざるを得なかった
六波羅探題程度の組織では南朝がすぐに盛り返して京を奪還する可能性があったし、実際何度も奪還されてる このスレッドは1000を超えました。
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