歴史秘話ヒストリア「武田信玄“甲陽軍鑑”が語る真実」★2
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武田信玄の逸話を豊富に記しながら、後世の創作と軽視されていた書物「甲陽軍鑑」。
しかし不明だった巻の確認や、新たなアプローチの研究で評価は一変!
信玄の真実とは!?
前スレ
歴史秘話ヒストリア「武田信玄“甲陽軍鑑”が語る真実」★1
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1535546073/ >>514
こういうの聞くとやっぱりノッブはやさしいんやな >>484
前に2ちゃんに黒田の家臣の子孫が書いた手記が見つかって読んだら
島左近こええよ戦いたくねえよって愚痴だったとレスがあって笑った 毛利元就の外道ってそんなにやばいのか?
腹黒さは松永久秀や宇喜多直家とかのほうがやばいんじゃないの? 「馬を並べて突進したというのは,武道を知らぬものの言にて候。」 >>237
攻め滅ぼした諏訪の妾に生ませた子だぞ
駄目押しで西郷どんの久光と同じで国父様だぜ家臣が馬鹿にしてるぞ >>422
同じように最終的に領土減らしたからナポレオンを無能という人もいるな >>514
そんな鬼畜だったのか。大河ドラマの最後の霊界裁判はもっと袋叩きでもよかあったな >>515
信玄が汚いので懲らしめるために塩止めされてたが、謙信は封鎖しなかった結果の話かな
商売で儲けようという話であっただろう話 >>499
少なくとも江戸期の創作ではないというのは非常に大事なこと。
文献記録は記録者の記憶により左右されるというのは
歴史学では当たり前のことなので、当事者による口述というのは
大変貴重である。 >>527
普仏戦争で捕虜になった
甥のナポレオン3世も
パリの都市計画とか結構凄い人だと思うんだがw >>505
手塚治虫の息子は普通に作品のこせてるから無能のその辺と一緒は失礼 >>518
そもそも義経のヒョードル越えや
林与一の扇の的に比べたら
武田騎馬軍団なんて屁みたいなもんだし >>518
西欧の軍馬はデカかったから日露戦争に向けて輓馬として輸入してるな。 >>523
吉川、小早川家の養子入りも乗っ取りだし
傅役だった井上元兼を専横されたくなくて即粛清してるし、美化されてるだけで最初からえげつないよ >>501
滅茶苦茶おもしろかった
ファンになったし >>530
時代の貴重物と信ぴょう性は別だろうけどね。 >>302
金に目がくらんで上杉に着いたおかげで北条は弟を殺され激おこで織田と同盟して甲州攻めに繋がる >>533
ヒョードル越えてw でも結構それ好きかもw
今日もBSで再放送やってたね
>>535
そうなのか・・・それは知らなかった
情報ありがとうございますm(__)m >>534
不安と緊張で目に血が溜まってるんだろ。 >>529
謙信も商人を完全に掌握できてなかったのでそもそも止めようがなかったという説があるね >>528
跡取り隆元が急死した時なんざ
尼子に暗殺されたと判断(まだわかる)
隆元の側近、死亡時の屋敷の主、お前ら暗殺に加担したな、処す(!)
だしな、殉死ではなく処刑… >>534
順序が逆だな。赤方偏移、すなわち遠ざかる光源から放たれる光はドップラー効果で赤く見える。
つまり逃げてるから必負け >>544
取り敢えず殺しておけば裏切られないって考えは正しい信長みたいに許しまくって最後は殺されてたから目も当てられんし >>543
結果的に謙信は感謝されるようなことが残るという結果になる不思議。
山塩でも取れなきゃ本当に困ることだったろうし。 まあ守護大名としての武田家は滅んだけど
食品企業としてテンヨ武田家が君臨してるからな。信虎が追放後に近江で生まれた子供の子孫だぞ。 >>521
ただノブ様も自分から朝廷に頼んだ朝倉浅井、との和平を自分が有利になったらあっさり破ってるし(´・ω・`) >>351
他人の失敗を勉強して生かすのが本当の歴史の勉強なんだよなあ
>>353
徳川時代高家として残って朝廷との橋渡し幕末には老中にもなった >>79
>同じ規格で構成された部隊はどこかに致命的な欠陥を内包してる(草薙素子)
それ少し前の広島カープと今の阪神タイガース。
新井と黒田は偉大だった >>507
家康は勉強家だから今川織田豊臣からも色々吸収してるよ >>539
そりゃ仕方ない
甲斐は常に洪水が起こる不安定な土地
信州は現在でも豊かな農作物が収穫出来る豊穣の地
戦争は食物争いの歴史なんだよ 2018/8/29の22:49、『ましこ』は狙撃手だった?22:56デスプール?
2018/8/29のの夜、レメディ?と聞こえた?背乗り?(地球のガバナー、熊本県玉名市IC近く)
あと、ホッテントット?エベンキ?ガンダム?関係らしい(あと地球のガバナーって複数いるの?)
(●地球のガバナーの背乗りがまだ少し残ってるのかね?2018/8/29の22:04)
2018/8/29の19:41頃まで、おそらく透明な赤ん坊が潮の満ち引きを利用して私の尻の穴あたりに
なんらかの影響を及ぼそうとしてたらしい。これいつからだろう数日間の間の気がするけど??
あと、透明な赤ん坊にはアニメーターのためにやってるやつがいるらしいね?
ここ数日間の間に気づいたけど私にニガー(黒人?)の要素を送ってるらしい。
木地竹?オウム?シャンバラ?マリコ?ジャンパー?2018/8/29の16:44 ●地球のガバナーは背乗りされたらしい。オモニ関係にでホッテントットにも関係が深いらしい?
ゲーム機に悪い仕掛けがあったらしい、マリコとかエベンキとか関係で便槽のようなものらしい。8/29
2018/8/29の15:32、私の所に弟の民家のようなものがあるらしい。大きくて古臭い民家ね。
★2018/8/29の12:06、一週間前に私の中に『もがみ』の素とかがありそれをクローンしてるらしいと
気づいたけど、それ以外にもあったらしいので書き記します。これ体液とかにあるらしいね??
私の中に『もがみ、ましこ、むらこし、こんない、弟、たかなし、エベンキ、二十年前に入れ替わった父』
あと『たかひこ、くさかべ、コリアン、あきやま、さとう?、坊主の佐藤、ウーマ・ラシック、母方の祖母』
が『もがみ』の素と同じように私に仕込んでありクローンしてるらしいですね。
▲2018/8/29の12:06〜13:10、これらの『もがみ』の素の類ははコンタミ(異物混入)らしい。ユニ?R? >>560
列強と戦争したところで何を学べるの?
幕府の倒し方学べるのか? 甲陽軍鑑が本物で、震源の高坂へのラブレターとされる手紙が偽書と判明してしまったな
読み書きが出来ない高坂に私的な手紙なんか書くわけがない 読み書きできる部下に代読させればいいじゃん
口述筆記の逆パターン >>561
中華みたいに成るのは嫌だからと纏まっただろ 武田信玄「甲陽軍鑑」が語る真実
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/352.html
●本放送 平成30年8月29日(水)22:25〜23:10 総合 全国
●再放送 平成30年9月 1日(土)10:05〜10:50 総合 全国
エピソード1 最新研究が明かす武田信玄
近年発見された「甲陽軍鑑 末書」
武田信玄の一代記「甲陽軍鑑」には「末書(まっしょ)」という補足の巻がありました。
長らく巻名のみ伝えられ内容は一部しか知られていませんでしたが、近年 全文が確認されました!
末書を詳細に読んでいくと、信玄の意外な側近、信玄の秘めたる野望など、驚くべき新事実が次々と!! >>566
エピソード2 「甲陽軍鑑」は偽書なのか
明治時代、近代的な歴史学が始まると「甲陽軍鑑」に疑いの目が向けられます。
これは後世の創作、「偽書」なのではないか…? 以後、ほとんど顧みられなくなった「甲陽軍鑑」に
ひとり光をあてたのが国語学者の酒井憲二でした。その「言葉」からのアプローチは、甲陽軍鑑に再び命を吹きこむことに。
エピソード3 甲陽軍鑑をつくった人生と志
「甲陽軍鑑」は記述がドラマチックで、それは「偽書」説の根拠にもなりました。
この物語性のワケは「作者」にあり。作者とは、信玄の家臣 高坂弾正(こうさか・だんじょう)。
著述方法も独特で、高坂が語りそれを部下が書き留める「口述筆記」でした。
「物語」にしてでも高坂が伝えたかったものとは――! >>566
【井上あさひ】武田信玄と高坂弾正
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/historia/304343.html
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriatakedasingen4_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingens06_logo.jpg
http://www.nhk.or.jp/osaka-blog/image/hisutoriasingenS05-001_logo.jpg
汚名を晴らした歴史書
今夜は、武田信玄を知る手がかりとなる史料「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」の秘話をお伝えしました。
偽書とみなされていたところから180度評価が変わり、むしろ新事実を伝える重要な書物であることがわかるという、
とてもドラマチックな展開でした。甲陽軍鑑が信玄の言動を今に伝える書物だったとされることで、
信玄という人物がいかに偉大であったかが改めて証明されることになりました。
「甲陽軍鑑」を残そうとした高坂弾正の思いは、時を超えて遂げられたといえるかもしれません。 >>568
心くばりの人・信玄
ここで番組ではご紹介できなかった「甲陽軍鑑」にある信玄の逸話をひとつ。
ある時、甲斐国の一蓮寺で信玄を囲む歌会が催されました。
息子の武田勝頼や弟たち、連歌の師匠、侍医、ごく近しい家臣(信玄のお給仕役として「おのおの抜かりなく」真田昌幸も!)など
気がおけない者だけの会だったようですが、ここに、たまたま甲斐に滞在していた京の貴族「きくてい殿」が来てしまいます。
信玄はイヤな顔もせず、きくてい殿を喜んで迎え入れました。
やがて食事の時刻になると、ふいに信玄は連歌の師・寺嶋甫庵に、遠光院という寺へ行って調べ物をしてきて欲しいと頼み、甫庵は退席します。
やがて食事も終わって歌会はお開きとなりました。
実は、ここまでの事にはウラがありました。「軍鑑」には終会後、信玄が高坂弾正へ次のように語ったとあります。 >>569
『一蓮寺での食事の膳の数は、出席の人数分しか用意されていなかった。きくてい殿が来られると、
いざ膳に向かうという時に他の者が誰か一人 席を立たねばならぬ。それはこの信玄の恥なので、分からぬよう甫庵に席をはずしてもらった』
自分は楽しめば良い場面でも細かな心くばりを忘れなかったのが信玄公のご立派なところである、と高坂は付け加えています。
ただ番組でご覧いただいたように、のちに「かくの病(胃がん?)を受け給う」たのも、こうした気づかいをずっとされていたせいであろう、とも。
「動かざること山の如」き武勇武略の人・信玄のイメージとは異なる一面をうかがうことができます。 >>570
輝きを増す信玄の魅力
このように、高坂は信玄のそばにいて、その場にいたからこそ知り得たであろうことや、側近だからこそ聞き得たであろうことを子細に「軍鑑」に残しています。
農民出身で文字の読み書きができなかった高坂が、武田家が滅んでなお、なぜ数年に及ぶ口述筆記に挑んだのか。
それは、武田信玄という戦国時代におけるカリスマ、その偉大さをどうしても後世に残さずにはおられなかったからではないでしょうか。
では家臣にここまで思わせるほどの人物とは一体どんな主君だったのか。
そう考えれば、高坂によって信玄の魅力が一層輝きを増すではありませんか。この2人の関係性に、私は胸が熱くなったのでした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています